和田村との境の水路を追って都道427号線を越えました。この先五日市街道まで、左カーブの連続で東側に弧を描いて北上します。ところで、これまで水路に沿っていた村境は、途中で右手を並行する古道にシフトします。→ 「成宗村絵図」の右上隅で、二股になっているうちの左側が都道のベースになった道路、右側が阿佐ヶ谷の権現通りに至る古道です。現行の住居表示では、成田東1丁目と松の木2、3丁目の境は、都道を越えるところで古道側にシフトしていますが、本来は五日市街道に向かう途中でした。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 都道を越えた先で、現行の住居表示は左右とも成田東1丁目になります。
- 2. 若干の蛇行が交りますが基本は左カーブで、徐々に北に向きを変えます。
- 3. 杉並村と和田堀村当時の境は、このあたりから古道にシフトしていました。
- 4. 五日市街道に近づいたところで、左右に蛇行し始めました。
- 5. 五日市街道を越えます。西側の水路の水源とされる「水流し」からは300mほど離れたところです。