神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

阿佐ヶ谷支流2

2016-09-17 07:10:05 | 桃園川1

 六ヶ村分水杉並口からの助水を追っての二回目で、阿佐ヶ谷駅まできました。駅周辺で現在確認できる水路跡は、駅の東ガード付近でJR線と交差する一流ですが、その南を並行するもう一流があり、前回横切った馬橋村からの古道付近で合流していました。並行する二流の存在は→ 「阿佐ヶ谷絵図」でも確認できますが、下掲地図に書き込んだのは「杉並町全図」(昭和4年 小林編纂部)などにある南側の水路です。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 駐輪スペースの脇を抜け、引き続き西に向います。高架下は目下工事中ですが、以前の写真は→ こちらで、より水路跡らしく見えます。

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    2. 阿佐ヶ谷駅の東側にあるガード手前で、JR中央線の北側から南側にシフトします。

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    3. 南口パール商店街(旧権現道)からのショットで、水路は駅南口を横切り正面の路地に連続します。 

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    4. JR線の高架南側を西に向かう路地を入ると、前回と同様の駐輪スペースが設けられています。

 <阿佐ヶ谷駅>  JR中央線(当時は甲武鉄道)の開通は明治22年(1889年)、同時に中野駅が、二年後に荻窪駅が開業していす。阿佐ヶ谷(阿佐ケ谷)駅の開業は大正11年(1922年)で、お隣の高円寺駅と同時でした。水田を埋めて盛り土をしたところだったため、翌年の大震災でホームが崩れ、一方高円寺駅は台地を削ったところなので無事だったと、「杉並区史探訪」(昭和49年 森泰樹)は古老からの聞き取りを収録しています。また、同じく収録された聞き取りの中には、中央線を複線化した際盛り土用に掘った穴が、駅南口前で100坪ほどの池となったとのエピソードもあります。