神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

雑色村用水

2018-01-24 06:40:18 | 神田川4

 雑色村の水利に関する「新編武蔵風土記稿」の記述です。「井ノ頭上水 水元は吉祥寺村の内井ノ頭池より出、西の方和田村より当村にいり、村の西北を流るゝこと十四五町にして、末は本郷村へ至る、又善福寺池より流出る一条の水あり、和田村さかひにておち合、此水を和泉村境にて引分、村内所々の水田に沃く」 最後の「此水を和泉村境にて引分」は、和泉村と境を接していない以上疑問で、ここでは「和田村境にて引分」の誤りと考えておきます。

 

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    ・ 「雑色村絵図」  中野区立歴史民俗資料館の「常設展示図録」(平成元年)に収録されている「雑色村絵図」(「堀江家文書」 首都大学東京図書情報センター蔵)をもとにイラスト化しました。例によって田用水と村境を強調しています。

 「東京市史稿 市街篇 第68」に、明治17年(1884年)に行われた「田用水に関する調査」の結果が収録されています。その中に、東多摩郡に属していた各村が神田川に設けていた堰に関して、「久我山村草堰二ヶ所 上高井戸村四ヶ所 下高井戸村ニヶ所 和泉村二ヶ所 和田村二ヶ所 雑色村ニ本郷村ノ堰壹ヶ所アリ。外ニ二ヶ所 本郷村ニ中野村ノ堰壹ヶ所アリ」と、その個数が列挙されています。このうち、雑色村にあるとされる本郷村の堰は、上掲「村絵図」の右上で、右岸に分岐し本郷村との境を画しているもので、本郷堰と呼ばれています。「外ニ二ヶ所」は和田村(字方南)との境に設けられ下掲写真の二ヶ所と思われます。

 

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    ・ 神田川  たつみ橋からのショットです。本流は左カーブしますが、そのまま右岸に分岐する用水があり、その跡と重なる道路は杉並、中野の区境となっています。

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    ・ 神田川  その左カーブからのショットです。左岸段丘が後退するのに合わせて、左岸に用水を分岐していました。こちらも最初は杉並、中野の区境と重なります。