神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

山手通り

2018-02-20 06:43:08 | 神田川4

 神田川は長者橋で山手通りを越えます。長者橋の名前が最初に登場するのは、昭和8年(1933年)に発行された「中野町誌」で、区画整理時に部分開通した山手通りの元となる道路に架けられました。当時は「橋長一一・三米 幅員五・九五米 橋種木橋」という小規模なものでしたが、青梅街道と甲州街道の間が連絡したのに伴い、昭和12年の中野区役所土木課の橋梁リストによると、面積387.28㎡と大規模な鋼板桁橋に架け替えられました。山手通りの拡幅、山手トンネルの開通によって、さらに一回り大きくなったのはほんの数年前のことです。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正10年第二回修正) / 中野」  現行の神田川をブルーで、山手通りをグレーで重ねています。同一場所、同一縮尺の「昭和3年第三回修正」は→ こちらでどうぞ。

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    ・ 長者橋  一つ上流の東郷橋からのショットです。神田川は長者橋の先で左カーブ、北上して青梅街道に架かる淀橋に向かいます。正面奥の西新宿のビル群がだいぶ大きくなってきました。 

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    ・ 山手通り  右岸流(本郷用水)の位置から中野坂上方向です。手前の横断歩道は本郷通りのもので、奥が長者橋、そして数年前に全線開通した山手トンネルの中野長者橋出入口です。 

 <成願寺橋>  → 「本郷村絵図」→ 「東京近傍図」でみるように、山手通り開通以前の旧道にも橋が架けられていました。成願寺参道に至ることから成願寺橋と呼ばれ、この橋を基準に新橋、中ノ橋が命名されたのではと、新橋のところで推測しました。「東京府史志料」(「板橋二 本郷村ニアリ一ハ中ノ橋一ハ成願寺橋各長四間幅凡一間」)や「豊多摩郡誌」(「成願寺橋 構造木造 延長四間 幅員一・五間」)にありますが、「中野町誌」からは消え、代わって長者橋が収録されています。変わったのは橋名や規模だけではありません。蛇行する神田川を直線化したため、橋の架かる位置も80m近く南にズレています。