神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

善福寺川

2017-01-10 07:44:24 | 善福寺川1

 「善福寺川は、杉並区の善福寺池に源を持ち、和田堀公園内などを経て同区内で神田川に注ぐ、延長約10.5kmを有する一級河川です。」 東京都建設局のホームページの記述で、別の個所には「流域面積18.3k㎡」という数字も載っています。これを妙正寺川の数字と比較して見ると、「延長約9.7km、流域面積21.4k㎡」なので、同じ神田川の支流として、ほぼ同規模なのがわかります。ただ、妙正寺川はその上流部分に井草川をようし、途中江古田川の合流もあるので、それらを合わせるとより大きな規模になるはずです。

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 善福寺川」(1/18000)  青梅街道を挟んで、井草川の谷頭も見えています。なお、オレンジで記入したのは練馬区と杉並区の区境で、左下隅は23区外(武蔵野市)となっています。 

 善福寺川の名前は、その源流である善福寺池が由来ですが、定着したのは昭和に入ってからで、陸地測量部の地形図では「昭和4年第三回修正」で初めて採用されています。それ以前は、「新編武蔵風土記稿」では「善福寺池の末流」など、明治初年の「東京府志料」で「善福寺池流」、大正5年(1916年)の「豊多摩郡誌」も同じ「善福寺池流」ですが、「遅野井川ともいふ」と付記されています。一方、「迅速測図」では神田川本流や妙正寺川ともども、「神田上水」となっています。これは、神田上水の補助用水の機能を有していたためで、同時代の史料で「東京市史稿」に収録されたものの中には、「神田上水助水善福寺流」との表現も見られます。なお、善福寺川が神田上水の補助用水となっていたことは、正徳年間(1711~15年)作成とされる「上水図」が、「善福寺池」からの流れを神田上水と同じ色分けで描いていることからも推測できます。

 

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    ・ 善福寺川  善福寺川緑地西端に架かる神通橋からのショットです。ここから和田堀公園の東端に架かる済美橋まで、延長およそ4.2km、面積38.8haに渡って、両岸は都立の緑地公園として整備されています。

 江戸時代から昭和の初めまで、善福寺川の果した最大の役割は、沿岸に拡がる水田に灌漑用水を提供することでした。「新編武蔵風土記稿」の記載によると、善福寺川から田用水を得ていた村は、善福寺池のある上井草村から上荻窪、下荻窪、田端、成宗、堀之内ときて、合流地点の和田、雑色、本郷の各村まで、合計9村を数えます。これに天保11年(1840年)以降は、新堀用水にかかわる馬橋、高円寺、中野の3村を加えなければなりません。それが、大正末から昭和の初めにかけて、区画整理による宅地造成と河川改修によって、生活排水路となっていくわけですが、その過程はこれからのウォーク&ウォッチの中で見ていくるつもりです。