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射水・人工呼吸器取り外し

2006-03-25 19:36:45 | 日々のニュース
富山県・射水市の病院で50代の外科医師が患者の人工呼吸器を外して死なせた疑いがあるとして富山県警が捜査に乗り出したのだそうです。
この外科医師、去年の10月に「患者の人工呼吸器を外したい」と院長に申し出、これを拒否した院長が内部調査をしたところ、この医師の診ていた7人の患者が不審死(人工呼吸器取り外しによって死亡したと記載している記事も)をしているのだとか。なお、発覚のきっかけとなった男性患者はまだ存命のようです。

警察は、これは「安楽死」であるとして殺人か嘱託殺人になると見ているそうです。病院側の発表では「本人の同意はないが、家族の同意はあった」とのこと。
ちなみに積極的安楽死が認められる要件として、東海大安楽死事件で横浜地裁が出した四つの要件(地裁なので絶対的なものともいえませんが一つのリーディング・ケースではある)があります。1,激しい肉体的苦痛があること。2,患者の死が避けられず、死期が迫っていること。3,患者の明示の意思表示が存在すること。4,苦痛緩和の方法が尽くされ、他に代替手段がないこと。
今回の射水の事件が積極的安楽死であるとし、病院側発表がその通りであるとすると、少なくとも3はないことになりそう。


ただ、個人的には本人や家族の同意を得ているという前提の下(なければ単なる医療怠慢であり殺人になる)で考えれば、これはそもそも「積極的安楽死」になるのかなという疑問があります。

それはつまり、尊厳死と安楽死の区別をどこに見出すのかということ。
安楽死と似た概念として尊厳死というものがあり、この尊厳死は一般に認められているそうです。
もちろん、私はかいつまんだ程度でしか知りませんが、一般に
延命治療を放棄し、自然死をさせるのが尊厳死
そうではなくて積極的な作為をもって死に至らせるのが安楽死
となったのではないかと思います。

人工呼吸器を外すという行為は、もちろん外した行為に着目すると安楽死ということになるのかもしれませんが、そもそも人工呼吸器があるからこそ患者は延命できていると考えれば、延命行為を放棄するという点で尊厳死にもなりうるのではないかとも思えるからです。
例えば、今月2日に米・ペンシルヴェニアで起きた安楽死事件では看護婦が大量の心不全薬を投与したりしていました。東海大安楽死事件でも被害者の静脈に塩化カリウムを投与するという明白な作為行為があります。
とすると、この部分で単純に安楽死と言い切っていいのか、少しばかり躊躇を感じます。実際、この病院の麻野井院長が「尊厳死だが道義的に問題」とコメントしたという記事もありました。

このあたりの区別は非常に微妙ですし、そもそも安楽死も認めるべきではないかという考え方もあるでしょうからますます難しいところです。

ただ、一方で医師があまり独善的に人の生死を決めるべきでないということも事実です。本来的に命を救うことが使命であるところの医師が命を絶つという形に関わる以上、何人かの医師との相談して合意などを形成していくべきではないでしょうか(手術などについてセカンドオピニオンが認められていることを考えれば特に)。現実的に難しい部分もあるのかもしれませんが、独善で死に至らしめるとなるとやはり賛同しえません。
結局、内部調査をして初めて発覚した7人の死について、同意云々があったか否かにかかわらず、この医師が正しいことをしたと言い切ることには若干の抵抗があります。
もちろん、明るみになっていないだけで、この医師が他の外科医と相談して人工呼吸器を外していたのかもしれませんけれど。発覚した事件についても院長に申し出たという経緯があるわけですし…


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2 コメント

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尊厳死と安楽死 (ゼシカ)
2006-03-25 19:59:57
意識なく寝たきりなったら本人よりも家族や身内に経済的や精神的や肉体的にも負担がすごいんですよね・・・。

ゼシカは身近でそういうの見たので、この問題は他人事にとらえれません。

難しいですよねー。
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>ゼシカ様 (川の果て)
2006-03-25 20:19:54
そうですねー。

ただ、当人か家族か別にして同意などがあり、医師が本当に使命感があって死に至らしめた場合には、それを裏付けるものを用意してもいいのではという気がします。

密室で死に至らしめて「同意があった」というのでは尊厳死・安楽死自体に理解はできても、だからこの医師は許されるべきかという点では納得はしづらい部分がありますので。
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