広島市で下校中の小学1年生の女児が死亡した状態でダンボールの中から発見されるという痛ましい事件が起きました。
両親はメディアに対して、「行き過ぎた取材をしないでそっとしておいてほしい」旨の声明を出したそうで、メディア側もそうした要請を受け入れるようです。当然ながら、個人メディアの場でも軽はずみなことなど言うべきではなく、事件については静かに推移を見守りたいと思います。
ただ、何もしないよりかは何か前向きな考えも提示したいところ。
ここでは、登下校の安全を確保するにはどうすればいいのか、ということを考えたいと思います。
このような事件が起きると、集団で登下校をした方がいいのではないかという考え方も出てきそうですが、島根では集団登校をしていた列の中に車が突っ込んだという事件も起きました。また、都会でならともかく、地方であれば広い範囲から生徒が来ているでしょうから、集団を組成するのも大変です。結局一長一短であり、どちらがいいとは言い切れません。
関西では電車を使っている児童に限り、登下校時に駅改札口を通過したことを両親に携帯メールで知らせるシステムが来年から運用されますが(参考-改札通過メール年明け運用:ひとりの独り言)、駅に入るまで、出た後についてまでのフォローはできません。
警察とは別個に治安維持のための法人・団体を作成し、巡回してもらうという考え方もあります(参考-どこでも起こりうる:青二才の成長日記)。ただ、往々にしてそういう専門団体の中に犯人が入り込むこともあります。
修正案としてそうした団体に加えて、以前、虐待防止のところでちょっとだけ触れましたが、探偵制度を資格性にして、私立探偵もセットで子供を守るという方法もありうるでしょう。尾行とか隠密のプロなのでそれなりに効果的だと思います。
これなら二つの目で見る分安全ですが、お金がかかります。子供は国の宝ということでそうした出費に目をつむれるか。
通学ルートを定めてその道を通るように児童に言い含め、登下校の時間帯に警察に巡回してもらうという手もあります。これは児童の安全という観点ではベストに近いでしょうが、当の児童が寄り道もできずに自由を抑圧された環境下に置かれ、性格が歪んでしまう可能性があります。
色々考えてみましたが、結局どれも一長一短という気がします。
ただ、こうした個々の具体策とは別に、もっと一般的な何かが欠けているのではないか、という気もします。何と言いますか、以前と比べて子供を守ろうという周囲の姿勢が薄れているのではないかなと。
子供は国の宝であり、地域の宝です。それが一人で登下校していたら本当に一人だけで誰も守ってくれない、そういう風潮がある意味寂しい。変質者がその気になれば、すぐに目標物が見つかることの方が問題なのではとも思います。犯罪の組成要件は犯人と、抑止力の不在(監視など)、犯行に適した目標物(被害者)ですから。いくら犯人がその気になっていても、どうしようもできない環境下に置いてしまえば事件は起きないものということを認識する必要があるかもしれません。
それにはやはり地域全体の目、一人一人の目でしょう。別に子供を守ろうという姿勢まで見せなくても、歩いている子供に気をかける、そういうことをすることで子供も孤独じゃなくなりますし、抑止力・目標物の二要件の成立を妨げ易くなります。
と偉そうに言う私も、多少見たりする程度で気にかけるところまではいっていません。歩いている児童に挨拶したりすることもないです(というか、昨今の情勢ですと下手に声かけると逆に変質者扱いされかねませんしね)。ただ、手振りだけでもいいから、「君の事見てるよ」くらいはやってあげるべきなんでしょうね。児童虐待もとれで防げたりするかもしれませんし。
また長文になった。しかも考えながらですから、文のつながりも悪そう。
明日あたり、また修正してそうです。
両親はメディアに対して、「行き過ぎた取材をしないでそっとしておいてほしい」旨の声明を出したそうで、メディア側もそうした要請を受け入れるようです。当然ながら、個人メディアの場でも軽はずみなことなど言うべきではなく、事件については静かに推移を見守りたいと思います。
ただ、何もしないよりかは何か前向きな考えも提示したいところ。
ここでは、登下校の安全を確保するにはどうすればいいのか、ということを考えたいと思います。
このような事件が起きると、集団で登下校をした方がいいのではないかという考え方も出てきそうですが、島根では集団登校をしていた列の中に車が突っ込んだという事件も起きました。また、都会でならともかく、地方であれば広い範囲から生徒が来ているでしょうから、集団を組成するのも大変です。結局一長一短であり、どちらがいいとは言い切れません。
関西では電車を使っている児童に限り、登下校時に駅改札口を通過したことを両親に携帯メールで知らせるシステムが来年から運用されますが(参考-改札通過メール年明け運用:ひとりの独り言)、駅に入るまで、出た後についてまでのフォローはできません。
警察とは別個に治安維持のための法人・団体を作成し、巡回してもらうという考え方もあります(参考-どこでも起こりうる:青二才の成長日記)。ただ、往々にしてそういう専門団体の中に犯人が入り込むこともあります。
修正案としてそうした団体に加えて、以前、虐待防止のところでちょっとだけ触れましたが、探偵制度を資格性にして、私立探偵もセットで子供を守るという方法もありうるでしょう。尾行とか隠密のプロなのでそれなりに効果的だと思います。
これなら二つの目で見る分安全ですが、お金がかかります。子供は国の宝ということでそうした出費に目をつむれるか。
通学ルートを定めてその道を通るように児童に言い含め、登下校の時間帯に警察に巡回してもらうという手もあります。これは児童の安全という観点ではベストに近いでしょうが、当の児童が寄り道もできずに自由を抑圧された環境下に置かれ、性格が歪んでしまう可能性があります。
色々考えてみましたが、結局どれも一長一短という気がします。
ただ、こうした個々の具体策とは別に、もっと一般的な何かが欠けているのではないか、という気もします。何と言いますか、以前と比べて子供を守ろうという周囲の姿勢が薄れているのではないかなと。
子供は国の宝であり、地域の宝です。それが一人で登下校していたら本当に一人だけで誰も守ってくれない、そういう風潮がある意味寂しい。変質者がその気になれば、すぐに目標物が見つかることの方が問題なのではとも思います。犯罪の組成要件は犯人と、抑止力の不在(監視など)、犯行に適した目標物(被害者)ですから。いくら犯人がその気になっていても、どうしようもできない環境下に置いてしまえば事件は起きないものということを認識する必要があるかもしれません。
それにはやはり地域全体の目、一人一人の目でしょう。別に子供を守ろうという姿勢まで見せなくても、歩いている子供に気をかける、そういうことをすることで子供も孤独じゃなくなりますし、抑止力・目標物の二要件の成立を妨げ易くなります。
と偉そうに言う私も、多少見たりする程度で気にかけるところまではいっていません。歩いている児童に挨拶したりすることもないです(というか、昨今の情勢ですと下手に声かけると逆に変質者扱いされかねませんしね)。ただ、手振りだけでもいいから、「君の事見てるよ」くらいはやってあげるべきなんでしょうね。児童虐待もとれで防げたりするかもしれませんし。
また長文になった。しかも考えながらですから、文のつながりも悪そう。
明日あたり、また修正してそうです。
一番は地域住民の協力です。
学校から家庭まで安全に帰ることが出来ても、一歩も子供たちが外に出ることが出来なくなります。
現在は無関心過ぎることが犯罪の温床になっていると思います。
地域の人たちが終始、子供達を見守る姿勢が犯罪を抑制することに繋がるのではないでしょうか。
不審者や不審車両に注意を払う。
そんな小さな積み重ねが大事だと思います。
それにしても変質者の犯行には憤りを感じますね。過去に性犯罪を犯した者にはICチップを埋め込むなどの法改正を願いたいですね。
すぐに人権問題が噴出しますが、性犯罪者の再犯率が高いのは確かであり、エスカレートしていく傾向にあります。
犯罪者の人権より再犯防止を優先して貰いたいものですね。
*コメントにしては長すぎですね。
警察の人員を増やそうという動きもありますが、ますます「警察のことは警察に任せておけ。自分達は知らん。関わり合いになりたくない」という風潮が増すとすれば逆効果のような気もしますし。
積み重ねの必要性をどう訴えかけるべきか非常に悩むところです。犯人の人権を重視する見解には与することができませんが、さりとて単純な重罰論の中にもただ「とりあえず犯人をデリートとておけば」的な風潮が見えて嫌になる部分もあります。
再犯率は性犯罪だけでなく強盗罪なども高いですからね。これらの犯罪については刑法で定める最長期間の間、監視をつけるくらいの制約を加えてもいいのではと私も思います。
>コメントにしては長すぎですね。
政治問題などの記事にはもっと長いコメントも来たことありますよ。返事をどこからしていいのか分からないものもあったりします。
二つに区切ったりするのも一つの手かもしれませんね。私は元の記事より長いコメントであろうと、一行だけであろうと気にはしませんが。
というか、このコメントも長いです。
本当に日本は そういった犯罪者への対策が遅れていると思います。
本当に憤りを感じます。何に怒りをぶつければいいのか・・・
早く 犯人が逮捕される事を祈ります。
私からもTBさせて下さい。たくさんの人に読んでいただきたいので・・・
逮捕後の新しい記事もあったのですが、こちらの方がまみゅーさんの記事の趣旨に近いかなと思いましたのでこちらでTBさせてもらいました。
犯罪者への対策を進めるか、被害者を出さない対策を進めるか、抑止力を提示することから進めるか。このあたりは非常に難しいところです。
現実問題として、犯罪者への対応は難しい部分があると思います。また、被害者にならないような活動を進めるのも中々難しいでしょうし、最後の抑止力から始めるのが無難だと思いますが…
何に怒りをぶつけるかも難しいですよね。犯人を許せないのは当然ですが、仮に犯人を死刑にしたとしても今後の犯罪を防止できる保証はどこにもないですし。
川の果てさんのブログに来るまでの間の たくさんの方との意見交換を通して感情がエスカレートしてしまったのかと・・・。でも 今回の事件は 同じ県内のしかもすぐ隣の市で起きた出来事で、これだけ事件が続いているのに
月曜日から また子供を学校に送り出さなきゃいけないのかと思うと 次は我が子かもという恐怖感から こういう感情を抑えきれなくなってしまったのです。
うーん、死刑にしろとだけ言っているのではないとはもちろん分かっていましたが、コメントの方も含めて大分熱くなっておられたので、批判覚悟でちょっと別の視点を呈示した次第です。
ちなみに私はどちらとも言えません。どっちにしても何か矛盾している部分がありますので。
>感情を抑えきれなくなってしまった
それが自然だと思います。
むしろ私が冷淡すぎるだけという部分もあるでしょうから、あまり気になさらないで下さい。
ただ、感情の応酬だけでは何も進まない部分が確かにあるのは事実で、そこからは一歩進まないといけないと思うんですよね。
もちろん、だから犯人を赦せば済むとも全くもって思いません。