川の果ての更に果てに

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少年事件性アレルギー

2005-11-14 15:10:49 | 犯罪・刑事関係
タリウム事件にしてもそうですし、町田の殺人事件にしてもそうなんですけど。
何か最近、少年事件だとメディアも社会も過剰に反応しているんじゃないかなという気がします。
同じ事件でも、大人が起こすと社会面の6分の1程度で終わってしまうものが、少年が起こすと連日のように取り上げられている。
15歳だと「前兆がなかった」だの、予兆などについて仰々しく記事にするのに、21歳だと特にそういうこともなし。ちょっと触れる程度。
少年が起こした一つの事件は成人の起こした三つか四つの同種事件よりも極めて重要なことなのか、疑問です。

町田の事件については、どうやら一方的に想いを寄せていた少年が何かのはずみで爆発してしまったもののようです。
ただ、こういう事件は別に大人の世界でもあるわけでして(いわゆる情痴殺人というやつですね)、今回の事件が殊更特別というわけでもないと思うのです。しかし、どうも取材する方々はそういうことをご存知ないようで、今回の事件が史上初めての大事件のように見えるようですね。

最初の方の記事では「十数か所切りつけられていて、警察では殺人事件と断定」という記事でしたよね。それが今日には「顔のあたりを徹底的に狙われた」とか「30分以上執拗に」など云々…

わざわざそういうことを強調する必要ってあるんでしょうか? 特に前者。
少なくとも、遺体の状況なんてものは最初の内に分かるはずです。ですから、最初の段階でそういう記事にして「強い怨恨をもった者の犯行と見ている」とすべきです。そうではなくて、被害者側の名誉とか心情を重んじたのであれば、最後まで触れる必要のないことでしょう。
加害者のためにも、被害者のためにもならないことをやっているわけですね。もちろん、メディア自身のためにはなるんでしょうが。
町田の刺殺 被害少女、「うざい」と疎遠に 高校入学後、少年、憎しみ抱く?
このあたりの動機の経緯も他の事件でもよくあることで、わざわざ出さんでもいいでしょうという気がします。かえって被害少女のイメージすら悪くするわけですし。

これら情報の取扱について主導権を持ったのがメディア自身なのか警察なのかは分かりませんが、メディア自身であれば上のような疑問点があるわけで、警察であるなら、警察がどうしてそういう不可解な情報公開をしたのかについて触れる必要もあるのではないでしょうか
要は、犯人が少年だったもんだから、何でもいいから書きたいということで書いているんでしょうね。燃えそうなものなら何でも入れると。
ブログで自滅する人々(第1回)~ブログで「祭られる」人々
なんてのがありましたが、メディアも少年事件になると喜んで祭りを起こしています。

メディアの役割を一言で述べるのは難しいですが、基本的には事実を客観的、かつ多様な考え方から伝えるということでしょう。もちろん、全てにおいて客観的というのは難しいでしょうが、個人の情報通信手段が発達した現在、事件の異常性だけをはやしたてるという(一個人と同じ)ことしかしないのであれば、メディアが存在する必要はありません
中途半端に影響力がある分、はっきりいって事件の犯人以上に性質が悪い存在です。似たような事例を生み出すわけですから。
少年犯罪 ネットで犯行誇示 専門家分析…心奥の敵意表出
騒ぎ立てる人達がいるから、誇示したくなるのでは?
それに自己の犯行を誇示したいのは別に少年だけに限らないという気もします。小林薫は携帯電話で遺体の画像を送りつけたわけですし(あと「ヒヒヒヒヒ」というのは果たして犯行予告になるんでしょうか?)。少年という言葉でくくるのではなく、全体を見据えて考えるべきでしょう。以前キオスクの夕刊フジの宣伝に「キレる中高年激増」とありましたが、結局全体がそうなれば少年もそうなるわけで、少年だけの異常性を強調するのは無益どころか本質を見失いかねず有害ですらあるのではないでしょうか。
その上で、有害行為である以上、メディアがいかに表現の自由だの知る権利だのを言ったところで説得力はありません。この類の権利は公共の福祉の前には必要最小限の制約を受けるわけですからね。

まあ、何か訳が分からない文章になりましたが、結局何が言いたいかというと物事の本質にできるだけ迫りたいなら(完全に迫るのは無理でしょうけれど)、多様な視点から見なければならないということ。少年犯罪だけ見ればいいのではなく、全体としての犯罪も見なければならない。
少年の更生率が悪いという数字が以前出たりしていましたが、では大人の方はどうなのかというとそのあたりは触れられていません。これは一方的であり、片面的です。

蛇足ですが、少年犯罪だと刑罰が軽くなって不当なのではないかといいますが、それはあくまで国家的レヴェルでの話です。同じく殺人をしてもここまで大きく社会の中で取り上げられますと(伊豆の少女は今のところ未遂であって、殺人犯ではありません。でも扱いは毒殺魔ですよね)、それだけで十分、むしろ必要以上の制裁になっているのでは、という印象も抱く今日この頃です。

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2 コメント

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Unknown (ナナメ)
2005-11-14 22:25:06
居酒屋にて『あいつは昔から何かやらかすか思ってたんだよなぁ~』

こんな発言が犯罪者の再犯を不可避にしているきがします。武勇伝より失敗談が後輩のモチベーションを上げるのにね…



犯罪を犯した人間という『いけにえ』のおかげで自分は素晴らしい人間だなぁんて妄想してさ…

私は何をおいても『いつ私もそうなるとも限らないんだよなぁ』ですが…

ま、腹の内は解りかねますけど…



『ムカツク!』確かに小生日々それを感じます、

だから傷つけるには至りません。

犯罪者は(時に被害者も)、『巧い逃げ道が見つけられなかっただけ』これが私の持論ですからね。

喧嘩の後の後味の悪さがあってもやっぱり喧嘩したいんだろうかなぁ…



『君子危うきに…』なるほど正論。

ドMな私にとって、怪我しない程度に近付いて間合いをはかる事が結果として一番良いように感じます…

確かに時に危険な目にも合いましたけどね…でも経験が大切と思う…それが武勇伝…決して公言してはいけない武勇伝…



正論、セオリー、親の言う通り…これじゃ駄目だと思う。

全て塞げば破裂する…まぁここで語ったとてウザイでしょうからこの辺で…

ウザイを示さないのが美徳?なのでしょうねぇ…

恥を晒すべくこれからもブログを書き続けますよ…

ではこれにて…



TBありがとう。嬉しかったです。
>ナナメ様 (川の果て)
2005-11-15 06:36:28
確かに異様に騒ぎ立てることによって、できる更生すら難しくなりますよね。それで再犯が起きたとしても「それ見たことか」ということで、間接的に自分達が責任を負っていることなんて認めないでしょうし(気付かないという部分もあるでしょうが)。



ある程度の距離を置く…そうですね。価値観というものは多様的であって、例えば殺人をしても正当防衛とかなら許されるわけで、絶対にダメというわけではない。じゃあ、刑法的な殺人が許されないのかといいますと、軽い法律違反なら平気でまかり通るわけで、「場合によっては人を殺してもいいし、法律を破ってもいい」みたいな判断をする人がいたとしても無理はないと思います。

そのバランスを教えるためには、ある程度危険な目もさせたり、痛い思いをさせる必要があると思います。



結局、難しいバランスの上に、一般社会が望む価値観はあるのだと思いますが、「難しいものである」という理解が欠けているように思います。



私も、人から白い目で見られるようなことでも「こういう見方も示すべきだ」と考えればこれからも書き続けていきますよ!