川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

「カジノ収入が激減、次が見えないマカオの苦悩」というビジネス記事に寄せられたコメントを紹介

2017-01-21 18:10:51 | Weblog


表題のビジネス記事(https://newspicks.com/news/2001246/?invoker=mail&wmm=20170122_1674808)に寄せられたコメントを紹介します。

カジノ周辺に付きまとうであろう性関係のことが、表立って議論されることはありません。しかし、現実には、表稼業・裏稼業の性ビジネスが集まってくることも気にかかります。

……下のコメント集が、わが町にカジノが来たら、という感触の助けになりますかどうか。

  ◇    ◇    ◇

2017.1.21. 香港の会社専務
性風俗産業もセット、マカオやネバダ州は完全合法、マカオに至ってはフェリーチケットに風俗のクーポン付いてるからね。ラスベガスの場合は車で1時間以上かかる。


2017.1.21. 元外資コンサルタント
カジノを作って人を呼ぶという発想は止めた方が良い。
カジノそのものは、世界中にあるので差別化は困難です。カジノ作ったら人が来るなんてのは短絡的すぎます。


2017.1.21. 農業生産法人 経営
一度だけブローカーに連れられて貴賓室に入ったことがある。一回あたり100万円以上のチップが張られてて、目は血走り、テーブルを叩きながら張る人が数人。次から次へと飲み物や食べ物が差し出され、トイレ以外は一切席を立つ必要もない。恐らくカジノ側が手配したであろうコールガール風の女子がすべての客に付き添う。もちろん、僕の持ち金はミニマムベットにも耐えられないから退散したけど、すごい世界があるなーとおもった。


2017.1.21. S.H.
VIPで稼ぐマカオ。日本にカジノできても中国に左右されそう。


2017.1.21. 小売業
マカオについての貴重な記事で、勉強になりました。
富裕層向けのVIPルームでカジノという形式が主力なのですね。
単価の高いビジネスは、成長も早いですが、衰退も早いです。
このような事例から学ぶことが重要だと思います。


2017.1.22. モバイル・プロデュース 部長
VIPルームに富豪を何人連れてこれるかが勝負なんだな。富裕層を奪い合うために性風俗産業の助長にもなり兼ねない気がしてきた。カジノで経済成長とか言ってたら頭の中はお花畑だな。


2017.1.22. ICU 3年
カジノ一辺倒だと確かに危険。中国人に支えられているだけあって中国政府の規制や経済状況によって大きく左右されるのか。これは日本のカジノでも参考にすべき。中国富裕層向けにするのは良いがそれがだめになった時のマネタイズの仕組みも用意しておく必要がある。


2017.1.22. 人材派遣会社 経営
ギャンブル業界は景気に左右されやすい。
また、富裕層でもやる・やらないがはっきりしている。
近くに工場も作りづらいだろうからその他産業も発展しにくい。
エンタメ産業を発展させるしか生きる道はないでしょうね


2017.1.22. エンジニア 平社員
中国人が少なくなるのは1番キツイですが、ギャンブルに頼り過ぎもよろしくないですよね。


2017.1.22. K.S.
例えば、ルーレットでは、マカオは数百円からbet出来るが、ラスベガスは最低betが25$とかで、同じカジノでもまるで違うなという印象を持った。


2017.1.22. 会社経営
VIPのチップは1枚15万円かぁ。果てしないなぁ。。。 カジノ行くと富豪の上の上の上が見えてくる。びっくらするわ。


2017.1.22. T.N.
年末にマカオのカジノで遊んだが、中国人の富豪ばかりだった。
この記事にあるように、カジノ以外何かあるかといえば何もない印象を受けた。


2017.1.22. 自動車部品 F.T.
マカオのGDPは50%がカジノなんだ。そりゃ他国のカジノ作りには敏感にもなるわな…






コメント

テレビのススメ方――カジノが日本のためになるならどこがいいですか? TBSテレビ系列2017.1.16.放送

2017-01-18 12:58:51 | Weblog


1月16日月曜日夜、TBSテレビ系列の「好きか嫌い言う時間 外国人と超々激論SP」という番組のうち、「カジノ」を取り上げた部分を見ました。

テレビ番組ですから、スタジオに招かれた出演者には賛成の人もいれば反対の人もいます。

カジノ誘致は安倍政権の成長経済政策の目玉の一つです。だから、賛否両論であっても、どちらかといえば賛成に傾くよう、事前に番組の流れをセットしてあるだろうと思っていました。

発言が始まる前に、世界地図の上にカジノ所在都市をピンポイント図示して、カジノが世界中にこんなにあってどの国でもやっている常識だという説明がありました。これは反対をやわらげるための予想通りの展開です。

ところが、予想に反して、スタジオ内発言者の中ではカジノ反対が優勢でした。反対発言の中では特に、カナダ人女性の熱意こもる反対が記憶に残りました。

その女性は、カナダのカジノを誘致した町に住んでいました。彼女は力をこめて大要、次のようなことを話しました。それはカジノ町の住人であったカナダ女性から日本人への忠告です。

カジノができてから、町に男性相手の女性たちが行き交いするようになり、町の中で目立つようになって、それが町のあたりまえの風景になった。私たちが買い物に行っていた町だけど、それが嫌で、やがて買い物に行く気がしなくなった。カジノが来たら絶対にそうなるからダメです。


このことは、当ブログ「カジノは賭博場 カジノ特区の隣接地域に必ず悪影響が出ます」に、下のように書いたことの裏付けになる証言でした。

しかし、「賭博で金儲け」というのがカジノの本質。カジノ特区に隣接する地域には必ず、悪影響が出てくるでしょう。カジノ特区は歓楽の街です。特区の外の隣接地域に性風俗店なんかが進出して猥雑な街になって、ふつうの人にとって楽しみづらく住みづらい地域になっていくことだって考えられます。


司会は坂上忍。カジノ賛成の若い外国人女性2人に何回か発言を振りましたが、スタジオ内の発言は明らかにカジノ反対が優勢でした。

こういう流れの中で、話題のテーマが次に移りました。話題のテーマは「日本のためになるならカジノはどこがいいか」。東京、大阪、長崎、北海道その他のカジノ特区候補地の中でどこが良いと思うか、と司会・坂上忍が問いかけました。

カジノ反対優勢のスタジオ内発言の中で、「日本のためになるカジノ」はどこが良いかという露骨な番組展開にはムリがあります。しかし、これで、この番組の本意が「カジノ展開」を勧めるものであることが明らかになりました。

テレビ放送は今や、ほとんどの番組で安倍政権に白旗を上げています。こういう娯楽番組の中で、カジノができる、街が華やぐ、と人々に刷り込んでいくのでしょう。テレビには、人々が心から楽しんでいるうちに一つの方向性をくり返して刷り込んでいく性質があることを、心にとどめておきたいですね。テレビコマーシャルと同じ手法が、娯楽番組にも通じています。




コメント

年金受給年齢再引き上げの下地作りに利用されるか? 老年学会・老年医学会の「高齢者」提言

2017-01-09 19:41:54 | Weblog


老年学会・老年医学会の提言 高齢者の年齢区分の呼び名変更

2017.1.5.付で「高齢者の定義と区分に関する提言(概要)」が日本老年学会・日本老年医学会のワーキンググループから発表され、翌日の新聞などで一斉に報道されました。提言の区分は下の通りです。

  65~74 歳 准高齢者
  75~89 歳 高齢者
  90 歳~  超高齢者

一方で、医療保険制度では下の高齢者区分が使われています。

  65~74歳 前期高齢者
  75歳以上  後期高齢者

「准高齢者65~74歳」は、医療保険の年齢区分と同じなので、わざわざ新しい呼び名に付け替えることに疑問を持ちます。

医療保険の「後期高齢者」年齢区分・呼び名を、「高齢者75~89 歳」、「超高齢者90歳~」に変更する理由は何なのか? これにも疑問を持ちます。


高齢者年齢区分・呼び名変更 提言の理由

表記「提言(概要)」では、変更の理由を2つあげています。
一つ目の理由は、肉体年齢が同じ65歳でも昔にくらべてかなり若いこと。
二つ目の理由は、65歳以上の高齢者層に、70~75歳以上を高齢者と考えている人が多いことにあります。

二つ目の理由の裏付けには内閣府・平成26年度 高齢者の日常生活に関する意識調査結果―8.その他(1)自分が高齢者だと感じるかを採用しています。

<若くない年令の人たちは常に「実年齢より若い」と思いたい思われたい>
今の65歳の主流が昔より元気なのは事実です。仮に、六十代の方に「年を行きますとねえ」とか「年行きましたね」という声かけで話を始めますと、「まだそんな年やないわ」とか「まだ若いです!」とかの反応が、冗談めいた明るい口調で返ってきます。元気な人からは必ずと言ってよいほどの反応です。

この提言(概要)を取り上げた1月6日のNHKニュースでは、繁華街の声を拾っていました。いずれも70歳前後の方々で、「高齢者なんてとんでもない」と元気はつらつとした人ばかりでした。元気いっぱいの反応でしたが、テレビで見ている私にはやっぱり年令相応に見えました。それよりも、NHKテレビの電波に乗った人が特別に元気であることが気にかかります。

若くありたい、若く見られたいという意欲を持って元気にやっていくことはけっこうなことです。しかし、若くない年令の人々に特有の、「若くありたい」、「若く見られたい」という願望あるいは自分自身への励ましの気持ちを、一つの方向に誘導しようとするニュース報道には敏感になります。


高齢者年齢区分・呼称変更 提言の目的

提言(概要)では、高齢者の定義と区分を再検討することの目的として2つあげています。

(1) 従来の定義による高齢者を、社会の支え手でありモチベーションを持った
  存在と捉えなおすこと
(2) 迫りつつある超高齢社会を明るく活力あるものにすること

そして提言(概要)は、「われわれの提言が、明るく生産的な健康長寿社会を構築するという、国民の願いの実現に貢献できることを期待しております」と結んで終わっています。

<各人がいきいきと毎日を暮らしていける健康長寿>
今、高齢者自身が望んでいるのは、「自分がいつまでもいきいきと毎日を暮らしていける健康長寿」です。高齢者の息子さんや娘さんも同じことを願っているでしょう。そして私が運営委員会の一員を務めさせていただいている居住地の地域包括支援センターが力を入れているのも、65歳以上の「高齢住民がいつまでもいきいきと毎日を暮らしていける健康長寿」です。「健康長寿」は今やどこでも定着している合言葉になっています。

高齢者本人が望んでいることと地域包括支援センターが鋭意取り組んでいることとは同じものです。それは、高齢者の「いきいきとした各人の暮らしの実現」を願っています。高齢者個人の生活の質を維持し高めることが主眼になっています。それが社会のためにもなるという考え方です。

<生産的な社会の支え手である健康長寿>
しかし、提言(概要)では、高齢者を「社会の支え手である」ととらえ直し、「生産的な健康長寿」社会の構築を目指しています。

どこに違いがあるのか? 結論を言えば、「社会の支え手」も「生産的な」も、高齢者の年金食い生活をあらためて、労働力生活に転換を勧めるものです。

では、いつまで働けというのか? 提言(概要)では、高齢者ではない「准高齢者65~74歳」区分を設けています。これで言えば、74歳まで働けということに繋がっていきそうです。

老年医学会は、高齢者の終末期の医療およびケア」に関する日本老年医学会の「立場表明」 2012に見るように、高齢者の終末医療などに情熱を注いている学会です。それゆえ提言(概要)に政治的意図はないかもしれません。そうとすれば、何らかの人脈の示唆によってうまく利用されたのではないかと猜疑心を持ちます。それほど政治的な背景を感じさせる提言なのです。


「人生100年型年金」と言う小泉進次郎氏

今回の老年学会・老年医学会の高齢者に関する提言(概要)と自民党の小泉進次郎小委員会の提言が、時期・意味する方向性ともに符節が合い過ぎていて、提言される側の神経が尖ります。

下の毎日新聞記事をご覧ください。「痛み伴う改革」とは、父親・小泉純一郎氏が首相現職当時によく言ったことばです。多くの国民が小泉改革の痛みを受けています。小泉元首相は不人気な消費税上げを行わないと宣言して人気を取り、消費税上げという嫌な仕事を後の総理大臣に送りこみました。

小泉純一郎元首相は現職総理大臣の当時に、「100年安心年金」と言いました。しかしその実は、年金支給額減額と年金支給開始年齢を遅らせることでした。その後の経過を見れば100年安心というよりは、100年忍耐というものでした。

-------------------------------------------------------------

<毎日新聞 2016.10.27.記事>
自民党・小泉氏ら若手が社会保障で提言 「痛み伴う改革」
 自民党の小泉進次郎農林部会長ら若手議員による「2020年以降の経済財政構想小委員会」は26日、社会保障制度全般の改革に関する提言をまとめた。「痛みを伴う改革から逃げてはならない」として年金支給開始年齢の引き上げを求め、非正規を含めた企業の全労働者が社会保険に加入できる「勤労者皆社会保険制度」(仮称)の創設や、解雇規制の緩和、定年制廃止を主張している。

 提言は「人生100年時代の社会保障へ」と題し、次期衆院選公約に入れるよう党執行部に働きかける。現制度では社会保障は維持できなくなるとして中長期的な改革を求めた。

コメント

正月に低い目線で自分から出発して、人間同士の生命の連鎖、宇宙の連鎖へ

2017-01-02 17:03:16 | Weblog


自分自身の生命への危機感
平和を守ろう、原発をやめよう、核兵器をやめよう……という運動の根底には、「人間の命を大切にしよう」という気持ちが流れています。人間同士の連帯です。そしてその出発点には、意識せずとも、自分自身の生命への危機感があります。

原発をやめよう、地球温暖化の進行を止めよう……という運動の根底にも、地球があってこそ成り立つ人間生活への危機感があります。そしてその出発点には、意識せずとも、自分自身の生命への危機感があります。

生命の連鎖、宇宙の連鎖に思い至る
自分自身の生命を大切に思う危機感から、人間以外の哺乳類の生命も、夏の風物詩のカエルもホタルも、四季の花々や花粉を媒介するミツバチも、優雅なツルや賢いカラスも、気持ちの悪い蛇も怖い熊も、海の中の魚からクジラにまでも繋がる、生命の連鎖への直感が溢れ出します。

この生命の連鎖への直感から、私たちは、生命の連鎖を慈しむ地球、その地球が成り立っている拠り所が太陽系であり、その太陽系がまた拠り所にしているのが銀河系というように、教科書で教わった理科の世界を身近に想うことができます。人間同士の生命の連鎖から宇宙の連鎖へ。

低い目線で自分の体から出発して考える
この生命の連鎖のことを私は、自分の身に寄せてこのように理解しています。

人間の体は37兆の細胞によって成り立っていると言われています。一つ一つの細胞は増殖し生滅をくりかえしています。それら無数と言ってよい数の細胞がそれぞれの役割を果たしながら結びついて活動している姿が、私という一個の人間の生命の姿です。自分という一個の人間の生体活動は37兆もの細胞が連鎖して活動していることの表現です。
※成人1個の細胞数は60兆と言われてきましたが、2013年秋に37兆2000億という新しい計算が学術誌に発表されました。

一方で私たち人間の健康を守ることについて、塩分のとりすぎはいけないとか、骨をしっかり保つためにカルシウムをとりなさいとか、ビタミンCが不足していませんかとかいうように、無機物も私たちの身体の成分として機能しています。 

このことを言い換えるならば、一個の人間の生命は37兆の細胞と種々の無機物を包含して成立している、あるいは37兆の細胞と種々の無機物の統合体である、と言うことができます。

さらに、一個の人間を構成している一つ一つの細胞を自然科学的に分解していけば、生命体 → 有機物 → 無機物 → 分子 → 原子 → 電子・陽子・中性子と、際限なく分解されていきます。原子から先の世界は、宇宙理論に繋がっていく世界ですから、私たちの生命が宇宙にまで連鎖している存在であると、容易に理解できます。

37兆の細胞と種々の無機物を包含して成立している一個の人間の生命、あるいは37兆の細胞と種々の無機物の統合体である一個の人間の生命。

私という一個の人間と自分の体を構成している細胞との相互関係に注目して敷衍するならば、地球はヒトを始め無数の生物や無機物の連鎖を包含する一個の生命と見立てることができます。同じ見立て方で、地球生命を連鎖の一部にとりこんでいる無限の宇宙生命と見立てることも成り立ちます。

こういう見方は特に目新しいものではありません。仏教で言う「生命観」や「縁起観」を生活に即してめぐらしていけば、このように考えることができると思います。

また、地球温暖化問題からヒトと地球の包摂関係を学ぶことができます。生態学で言う「遷移」は、「相互に影響し合う関係性」というものを教えています。いずれも目に見えてわかりやすい事例です。

このように自分という人間から出発して宇宙までの広大な連鎖を自分の身に即してとらえ、「宇宙につながる生命の連鎖」の視点に拠って人生を全うしたいと願っています。

利欲社会の政治家は人のためならず
目先の細かなことにふりまわされないよう心がけて、「宇宙につながる生命の連鎖」の視点で見ていますと、利欲社会のいろいろな景色がよく見えます。

「原発が稼働すれば料金値下げをする」と話す関西電力社長の顔が、時代劇ドラマに出てくる悪徳商人と同じように見えます。原発維持の電力会社を擁護し、武器産業や原発産業を外国訪問先で売り込む安倍首相は、政商育成に血道をあげる暗君・安倍将軍といった役どころになります。

カジノ都市作りに群がる与野党の数多くの政治家たちを何と表現しましょうか。銭勘定と票数勘定をして数多く群れをなし、時に人を死に追いやる毒針の連想と、目先に走る小者たちという連想から、スズメバチ政治家と言えましょうか。スズメバチに、働き者の益虫ミツバチを食い荒らす性質があるのも象徴的です。


政治家が原発維持をやめられず、カジノ都市建設を誘致するのは、政治資金と選挙支持を得るという動機があります。しかしそれだけでなく、カジノ都市建設や原発維持を正しいと考える誤った価値観を持っています。

損得ばかりが大手を振って
原発をやめられないのは損害が大きいからであり、カジノ都市に群がるのは利益が多いからです。いずれも利欲。しかも原発の後処理や事故処理はその利益の計算に入れていません。カジノ都市の負の側面、社会的損失も計算に入れていません。あとは野となれ山となれ、です。

政治家は責任を取りません。
…と、これまでに生起した多くの事実が教えています。
官僚は勤め人で内閣や大臣の指示を実現するのが仕事です。
だから政策決定に携わった高級官僚も責任は取りません。

会社は倒産させれば、それで責任問題は終わりです。

大企業には法務スタッフがそろっていて、時には子会社を設立して、危なさを予見できる事業をその子会社に移管して、倒産させることができます。

それらのツケはどこに回ってくる?

人のためにならない、目先の損得ばかりが大手を振って大名行列です。



コメント