カトレアなママ

母が認知症と診断されました。

誤解です

2017年04月18日 22時26分18秒 | 日記
二ヶ月位前の話。
母と大きな公園をぶらぶらした後、昔からあるけど、行ったことのないうどん屋さんが見えて、母が食べたいと言うので入ってみた。

年期の入った定食屋さんの雰囲気。店内は常連さん風の人が多く、ボス風オバチャン定員さんは、タメ口でお客さんにニコニコ元気よく話しかけたりしていた。

母と席に座り注文を済ませた後、母のすぐ側に雑誌を置いた棚があることに気付いたので、「本があるよ?読もうか?取ってきて」と頼んだ。

母は私に何かを頼まれたというだけで、嬉しそうに、すっくと立ち上がる。そしてキョロキョロ。私は右の方を指差しながら「そこに本が並んどうやろ?好きなの取ってきて」と言った。母は「本ね、ほん~」と言いながら、その雑誌置き場を数歩素通りした。耳の遠くなった母に私は大きな声で、「ママ!行きすぎよ!ほら、ほら後ろ!そこに本が沢山あるやろ?」。うんうん、と頷く母。

私「それ、持ってきて」
母「どれ?」
私「どれでもいいよ。好きなの持ってき」
母「これでいい?」
私「いいよ、いいよ」

近くのテーブルのお兄さんたちが何事かと、こちらを振り返る。

元気良くオバチャン店員が、私達に海老天うどんを運んだ後、母にニコニコしながら話しかけてくれた。

「負けたらダメよ!」って、空中にパンチかますような素振りをして、おどけながら、ガハハッと母に、私にも笑いかける。「ガッツよ、ガッツ!言い返さなよ!自分で取ってこーい!てね!」

あああ、あなたは、きっと、ものすごく心の優しい勇気ある人なんですね。ありがとう。母を励ましてくれて。

だけど、誤解です!誤解なんですううう!!!わたし、母を召使いにしてるわけじゃないんですよおおお。これも脳トレなんですよおおお。

弁解はせず、ただ笑ってやり過ごした。今はこんな風に受けとめられるけど、その時はショックでした。母は何だか分からないながらも「うふふ♪ありがとう~」と言った後、ご機嫌にうどんをすすった。


私だって、ガッツよ!ガッツ!!!

多分、あの豪快で真っ直ぐなオバチャンは、事情を知ったら私にもガッツパフォーマンスくれるだろう(確信!)

部屋の乱れは心の乱れ

2017年04月17日 18時12分36秒 | 日記
この言葉は、昔から、そうだなぁと思います。

部屋の乱れは心の乱れ
心の乱れは部屋の乱れ

部屋がキレイだとそれだけで気持ちがいいし、心が元気だと掃除も行き届きます。風邪引いて具合が悪くたって、心が元気だと、無性に掃除したくなることがあります。何故か具合が悪いほど洗いものしたくなります。


私の家は、今、最高に散らかっています。20年以上付き合いのある友達にも見せられないな。ひどい有り様です。

これまで、特別きれい好きではないけど、誰かが突然遊びに来ても、「散らかってるよー」と言いながら、招くことはできる程度にはありました。キッチンとトイレと洗面所、水を扱うところだけは清潔にしていました。心乱れる日が続く時でも、一応、水回りだけはせめてね。

ここ数ヵ月、その「せめてね」の掃除もおろそかに・・・、と言うより、見て見ぬ振りです。テーブルの上だって、サロンパスやら、大事なはずの書類やら、フリカケやら、読みかけの小説やら、割りばしやら、乱雑に広がってます。・・・書いてて恥ずかしいんですけど、書き記しておきたいから。

せめて、せめて一ヶ月後の私は、整頓された部屋で、夜の1時には眠っていたいです。ジムにも行って元気に体を動かしていたい。友達にも「会おうよ」って、私から誘いたい。そして、母と思いっきり笑ってはしゃいでいたい!

出来ると思います。だけど、今はちょっと休憩。キレイな部屋で過ごしたいのは山々だけど、掃除する時間だって沢山できたんだけど(^o^;)

今日、洗濯物がずっと干されたままのリビンクで、目の前のちらかったテーブルの上もそのままに、だらだらゴロゴロ過ごしました。


何から書こうかな

2017年04月17日 09時04分18秒 | 日記
母の手術も無事に終り、病院の、その手術での最短記録で退院しました(と、言われました)。できるだけ早く退院させてほしいと伝えていたのもあると思います。手術自体はそれほどリスクの高いものではないと聞いていたし、私は前回の退院後のこともあって、とにかく認知症が進んでしまうことを恐れていました。

前回ほどの落差はないにしろ、やはり入院は人をボケさせます((T_T))

母は老人ホームに入りました。先週からです。種類としてはサービス付き高齢者住宅。略して「サ高住」と呼ばれるらしいです。

ずっと、「もう無理だって思うまで、ギリギリまでは、私が面倒を見る」と決めていたので、私の望む通りの介護ストーリーになったはずです。だけど、その判断は少し間違っていたと、今、思っています。

自分のキャパが限界になるまで、私なりに奮闘したつもりでした。今年に入ってからは、趣味や友達に会う時間もなく、(いや、作ろうと思えば作れたのに、それを作る気力がわかず)、「今が一番苦しいんだ」と自分に言い聞かせていました。母への笑顔も、作り笑いになることが増えていきました。

私がそばにいないと、電話がしょっちゅうかかってきます。ひどいときは一分置きに。それから、玄関の鍵を閉め忘れることが増えて、完全室内飼いの猫を脱走させてしまう。保護するまで5分~3時間かかります。猫を探索しながら、母からも目が離せない。母はそんなときに限って、私を手こずらせてくるし((T_T))。不安と苛立ちのビックウェーブううう。

去年も、たまにはそんなことはありましたが、それが毎日のこととなると、私は限界を感じました。入院前後は睡眠時間以外のほとんどは母と過ごし、やっと自由だって時間には母からの電話攻撃。無視するわけにもいかない。うんざりでした。だけど、大切な母です。だけど、うんざりでした。右のまぶたがピクピクと痙攣する時がありました。

私なりには、優しく接しているつもりでも、素人大根女優の必死の「演技」ですから、母にも伝わっていたと思います。私がおどけていても、母は「ごめんねぇ」と言うことが増えました。・・・私がごめんね。

もう無理だ、いやまだ大丈夫、を何度も何度も繰り返して、「いや、やっぱりもう無理だ」と思う日の方が増えてしまったことと、母の入院と、信頼しているケアマネさんのアドバイスにしたがい、母を施設に入れることを決めました。

決めた時点で、ヘトヘトだった私。もっと早く、母を施設に入れるべきだったかも知れない。ケアマネさんや、デイサービスの館長さんからは、半年前から言われていました。でも、母を私の傍から、住み慣れた家から、可愛い愛猫から引き離すことが、可哀想だと思いました。今もその気持ちは変わりません。

施設にいれることが、とても親不孝をしているような、薄情なことをしているような、罪悪感もありました。でも、それは間違った考え方だったかもしれないと、今、思うようになりました。

続きはまた書きます。