いつ、そうしたのかは忘れたけど、実家の風呂場の扉に貼り付けていたこの紙を今日、私は、はがした。もう、こんなの意味がない。
この紙を貼り付けたときの気持ちは覚えている。その時は、こんなことで辛いと思っていた。だけど、今はその頃に戻りたい。パンツを変えないくらい大したことないじゃないの。ちゃんと自分でお風呂をわかして、一人で入れていたんだもんね。それでも良かったんだ。
母は大動脈解離と診断され、即入院となったが、10日間で退院できたこと、それは最良の結果だったはずだ。
だけれど、認知症の母にとっての、その10日間は大きなものだった。入院をきっかけに認知症になる方や、元々の認知症が進んでしまう方が多いことを聞いていたから、とても心配していたけど、その通りになってしまった。たった10日間なのに。
もう、目を離していられない。
排泄もトイレで出来なくなってきた。その失敗すらキチンと把握できず行動するので、色んなところに汚物が広がる。パンツタイプのオムツに変えたが、それでも私の目が届かない時にはオムツの意味がなくなることもある。
さっき食事をしたばかりでも、何かを食べたがる。常に食べたがる。猫のエサすら、食べようとする。
私がコンビニに寄って帰ってきたら、絨毯にぐちゃぐちゃの何かが広がっていた。ホンの30分の間にだ。よく見ると、グレープフルーツジュースでふやかされたパンが、絨毯に塗りつけられたように、へばりついていた。
私「これ、どうしたと?」
母「ふーん、そう。ほらコレやろ?」
と言いながら、私に折り紙を渡そうとする。
母が退院してから、私はほぼ実家に泊まっている。母との同居も常に考えてきたから、試運転みたいなものだった。
私は、母の認知症がどれだけ進んでも、ずっと一番そばで寄り添おうと思ってた。思ってきた。
「素晴らしく完璧に!」は、出来なくても、それなりにうまくやれるんじゃないかと、思っていた。ずっと出来ると思ってた。
ママ、ごめんね。もう、施設を探すからね。出来るだけ良い施設を探すからね。施設に入ってもちゃんと会いに行くからね。外にも連れ出してカラオケに行ったり、美味しいものを食べに連れて行くからね。これからもキレイな花や景色も沢山見に行こうね。ごめんね。
この状態で、いや、これからもっと進行するとして、何年も、24時間、常にママに優しくなんて、出来ない。
今はギリギリ出来ていることも、きっと、ずっとは出来ない。ママに怒鳴ったり、意地悪したり、もしかして早く死んでほしいとか思うことがあったらどうしよう。そんなの嫌だ。母は私の半分なのに。
ママ、ごめんなさい。タータン、ごめん。パパ、ごめんね。