カトレアなママ

母が認知症と診断されました。

怒り③

2017年02月17日 08時10分00秒 | 日記
なんだかこうやって、怒り、怒りと、そんな言葉や感情を何度も書き記しているだけで、心が荒みそうですけど、やっぱり記録しておきたいです。いつか振り返って読み直したとき、私は何を思うのかなぁ。では続き。

不安を抱えながら実家にたどり着く。夕方の5時を過ぎていたので、ケアマネージャーさん自体も、所属している事業所も業務時間は超えていた。でも、私はケアマネさんの携帯にメールした。「今、お電話していいですか?」と。

すぐにケアマネさんから電話があり、病院での事を話した。「分かった!今から探すから!ちょっと待ってて。今日から受け入れてくれるとこないか探すからね」((T_T))ありがとうございます。

20分後。「ごめんね。思い付くところ全部、聞いてみたけど・・・入院しなきゃいけないような状態での受け入れはとても出来ないって。何処か受け入れてくれる病院ないのかな?今日行った病院では紹介してもらえなかったの?」

紹介も、アドバイスも、励ましすらなかったんだもん、((T_T))病院でも施設でも拒否されて、どうしろっちゅうの!!!

ケアマネさんに「いつものかかりつけの先生に相談だけでもしてみたら?」と言われ、しかし病院はすでに電話の通じる時間ではなく。

母の食欲は全然なくて、大好きなイチゴやチョコレートですら一口しか食べてくれない。たった数日で小さくなってしまったように感じました。横になってるだけでも辛そうな母を、一人には出来ない。買い物に行くことも不安で出来ない。誰か助けて!何なのこれ?

次の日の朝が来るまで、もう身動きはとれない。だから、姉に電話して泣く私。姉は「酷いね、辛かったね」とずっと言い続けてくれました。

次の朝、かかりつけの先生に電話をかけて事情を説明すると、先生にも「その病院では、他のところを紹介してもらえなかったの?」と聞かれました。紹介も、アドバイスも、励ましすらなかったのおおおお!そして、先生は病院へ来るようにと。

その、かかりつけの病院は入院設備などない小さな、町病院です。診察室に通されると、先生はまず「大変でしたね、辛かったですね」と、私の顔を見て、ゆっくり言ってくれました。母には手を取って「きついですね、でも大丈夫ですよ、もう少し我慢してくださいね」と笑顔をかけてくれました。先生こそがお医者さんだよおおおお((T_T))

母には可哀想だけどまた採血やらレントゲンやらの検査をし(必要最低限だったと思います。時間はそれほどかかりませんでした)、紹介状を書いてくれました。先生がお勧めしてくれた病院は、福岡ではとても有名な大きな病院でした。看護師さんが電話をかけてくれ、予約までしてくれました。ありがとうありがとうありがとう。

そのまま新たな病院へ向かい、また検査検査でしたが、診断結果は「大動脈解離です。絶対安静、このまま入院してください」とのことでした。そこでもまた、これまでの経緯を伝えると「一週間後に胃カメラ?うーん。ベッドが空いてないって、他の病院を紹介してもらえなかったんですか?」

紹介も、アドバイスも、励ましすらなかったのおおおお!(しつこい?(^o^;))

そして、母にとって、出産以外では始めての入院生活が始まりました。

私の怒りと不安だらけの日々も、やっと終わってくれました。沢山の人が助けてくれて、やっと終わってくれました。



怒り②

2017年02月17日 07時31分00秒 | 日記
生活も気持ちも、落ち着いてきたので、ここらで、母が入院となるまでの経緯を書きます。


1月初旬、母の体調が悪く、先に書いた病院では詳しいことは分からず、次の病院を探した。ある程度は大きな病院で、評判も良さそうな病院をと。

その頃、私は母のそばから離れることが出来ない日が続き、私の憩いの場、スポーツクラブには全然行ってなかった。地域の情報収集には持って来い!の場所でもあったのだが。(今となっては悔やまれる。クチコミは大事です)

それで、インターネットで病院を探し、高齢者の医療に力を入れていると言う触れ込みの病院を見付けた。その病院が有料老人ホームを幾つも経営しているということも、大きかった。施設はどれもホテルのようでお洒落で清潔感もあった。

早速、その病院に母を連れて行った。検査&検査(+それぞれの待ち時間)で、四時間。元々体調が悪いのに、検査で疲れきった母に時々チョコレートを渡しながら、「我慢してね、仕方がないからね、もうすぐ終わるからね」と励ました。

そして、やっと検査が終わり診断室へ。60歳前後の男の先生。レントゲンを見せられて、

先生「ここね、水が溜まってますね。心臓のとこね。後、大動脈がちょっと腫れてます。来週、胃カメラの検査しましょう」
私「病名はあるんですか?」
先「病名はまだ付けられないけど、病状は分かりました。まず、この胸にたまってる水を薬でどうにかしましょう。お薬出しますから」
私「お薬で治るんですか?」
先「薬で治らなければ手術になります」
私「入院はしなくていいんですか?」
先「入院するべきか、しなくて良いかという質問なら、入院した方がいいけど・・・。でも認知症でしょ?認知症の患者さんは、安静にしてないといけなくても、徘徊されたり、暴れたりもあるし、余計に病状が、悪化するかも知れない。認知症の方にずっと付きっきりで看護は出来ないからね」

私(母が隣にいるのに、そんなにハッキリ認知症って何度も言わないで・・・母は認知症って言葉、理解できるんだから。傷付くんだから。認知症だからって、全て理解できない訳でも、感情がないわけでもないのに)

私「・・・どうすれば?」
先「とりあえず来週、胃カメラの検査をしましょう」
私「それまでどうすればいいですか?」
先「出来るだけ安静にしてください」

私「母は一人暮らしなんです。私がもちろん出来るだけ一緒に居ますけど、これから一週間ずっと片時も離れず母に付き添うのは・・・」

先「うちが入院を受け入れるとしても、今はベッドが空いてないです」

私「・・・、例えばケアマネージャーさんに相談して、ショートステイを利用した方が安心ですよね?」
先「それは、こちらとは関係がないことなんで、そうしてくださいとは・・・。まぁ、それは特に止めるようなことではないです」
私「・・・分かりました」

こんな感じで終わりました。私は空しさで一杯になりながら「ありがとうございました」と診察室を出ました。とても不満でした。先生の診断ではなく、態度にです。

これは仕方がないことなのか?もう少し寄り添って考えてもらえないものなのか?もう少し配慮した言い方は出来ないのか?私の質問にすら、パソコン画面ばかり見つめて、何故私たちの顔を見て話をしてくれないのか?それは私のワガママなのか?私が神経質過ぎたのか?

帰り道、これが当たり前なんだろうと納得しようと思いました。だけど、やっぱり何だか悔しい、とっても悔しい。子供っぽくてもいい、私あのセンセイ、嫌いだあああ。

母とチャンポンを食べ(母が食べたいと言ったのに、母はほとんど残しました)、家に帰ったのは夕方、多分5時過ぎだったと思います。クタクタでした。でも、母の弱々しい姿を見れば泣いてなんかいられない。母の方がクタクタのクッタクタでした。

あー、長くなっちゃった。続きます。
病院選びは大事です(>_<)

介護あるある②

2017年02月13日 00時30分00秒 | 日記
母はすぐ忘れるし、嘘をつくし、判断もできないし、訳の分からないことばかりする。

だから私は偉そうに「違うやろ?それはこうやろ!?」と、たしなめたりもする・・・。が、実は母の方が正しかった、と言う結末も、たまーにあります。(^o^;)・・・ゴメンナサーイ!

でも、でも!私も子供の時にされたから、おあいこね!おあいこ!勘弁してね~!
ヽ(;▽;)ノ

睡眠不足は恐いです。

2017年02月10日 00時30分00秒 | 日記
母が退院し、実家に泊まって一週間が過ぎた頃。私にちょっとした違和感が生じた。

デイサービスも一旦お休みしていたので、体力が有り余っているのか、母は夜中に何度も起きた。起きてフラフラ台所に行っては、冷蔵庫をあけ、何か食べようとする。その都度私は目を覚まし、母を制止する。それでも何か食べたがる母に、「じゃあ、これだけばい」とイチゴを一つ渡して、寝かしつけ、それを何度も繰り返した。それは毎日のことだった。飼い猫の歩く静かな気配にすら起きてしまうほど、私は過敏になっていた。

月曜日、友達との電話で「それ昨日やったよね?」と、些細な出来事を尋ねられ、「ううん!3日、4日くらい前よ」と答えた。

友「ん?日曜って言ってなかった?」
私「そうよ、日曜よ」
友「んじゃ、やっぱ昨日やん」
私「え?昨日のわけないよ。・・・ん?今日は月曜?・・・だったら昨日やね、アハハー」

うっかりとかじゃない。昨日のことが、何日も何日も前のこととしか思えなかった。比喩なんかではなく。あれが昨日のことの訳がない!だけど昨日なんだ。

カレンダーを見ながらあれこれ、思い出す。私がしたこと、会った人、その場所。私、時間の感覚がおかしくなってる。

携帯電話の履歴を見れば、数時間前の姉との通話記録があるが、それも何日も前としか思えない。今日話した?そんな馬鹿な・・・。電話の内容はちゃんと思い出せるのに。(今となっては、それも自信がなくなってきた)


数日前から、母は長時間の新しいデイサービスに通いだし、行動も少し落ち着いた。私も自宅に帰って沢山寝ました。寝過ぎかなってほど!

そして時間の感覚は元に戻りました。あー、怖かったよぉ(・・;)良かった。

一日二日ならまだしも、長期間の睡眠不足は危険ですね。時間の感覚が狂っただけで済んで、まだ良かった。睡眠不足は体力だけじゃなく、判断力も認知力も奪ってしまう。それが進めば、きっと心も病むんだな。うー、恐い恐い。セーフセーフ!(>_<)

母を大切にしたいなら、私が健康でいなくては。体も心も!元気があるなら何でもできる!(猪木!)

私は何より自分のために、自分の幸せのために、大好きな母の笑顔を見たいんだもんね。自分が一番、母は二番だ。それでいいはず。全ては私の幸せのために~なのだ(。-∀-)☆

天使にゃなれない

2017年02月05日 12時20分56秒 | 日記
※びろうな話ですよ!食べながら読まないでくださいね。


一晩、母を一人にした。ま、部屋がどんなことになってるかは分からないが「死にゃあせん!」のだ。

私「ただいま!」
母「ただいま~」

キッチンに行くと、ほんのりウンコの香り(笑)何故かウンコまみれの靴下がシンクに放置してあった。ゴム手袋を発明してくれた誰かさん、本当にありがとう!とってもとっても助かります。ウンコもシッコもドンと来い!

雑巾を片手に色んな場所や衣類をクンクンしながら、チェックチェック。母がずっと見てるので「ウンコしたいときはトイレでせなよー」と言うと、「そうそう、ちゃんとしよるよー」ときたもんだ。「してないやないの!」と言わずに笑えました。母もニコニコしてる。「大変ねー」だって(゜∀。)

いつもこんな私ならいいのにな。

オムツ脱がせて、「ちょっと拭かせてね」と股を開かせようとすると嫌がったので、「お尻が汚れてまーす!拭きますよー!」と、おどけて言ったら「はーい、分かりまーす」と妙な返事。でも笑ってる。

私「はーい、それじゃあ足をちょっと広げてくださーい」
母「はーい」足を開く。
私「はい!キレイになりました。バッチグー!!」
母「はーい、バヂグ」

今、私の隣でテレビ見ながらゲラゲラ笑ってます。楽しそうね!

ホント、いつも、こんな私でいられたらいいのにな。でも、そんなの無理ですよ、仕方がないよ!私は天使じゃないんだもんね。できるだけ沢山一緒に笑えたらそれでいいよね。

可愛いんです。

2017年02月05日 09時29分05秒 | 日記
昨日は久しぶりに自分の家に帰って、久しぶりにお酒も飲んだせいでか、感傷的になってしまった。少し二日酔いです。

朝から2回、母から電話があった。良かった、まだ電話は扱えるね!

母「こっち来る?」
私「うん、もうちょっと待ってね」
母「来てね」
私「行くよ!ちゃんとママのところに行くよ!心配せんで待っとってね」
母「んふふー」
私「ふふふー」

待っててね!急いで行くからね。

それでも良かった

2017年02月05日 00時04分00秒 | 日記
いつ、そうしたのかは忘れたけど、実家の風呂場の扉に貼り付けていたこの紙を今日、私は、はがした。もう、こんなの意味がない。



この紙を貼り付けたときの気持ちは覚えている。その時は、こんなことで辛いと思っていた。だけど、今はその頃に戻りたい。パンツを変えないくらい大したことないじゃないの。ちゃんと自分でお風呂をわかして、一人で入れていたんだもんね。それでも良かったんだ。


母は大動脈解離と診断され、即入院となったが、10日間で退院できたこと、それは最良の結果だったはずだ。

だけれど、認知症の母にとっての、その10日間は大きなものだった。入院をきっかけに認知症になる方や、元々の認知症が進んでしまう方が多いことを聞いていたから、とても心配していたけど、その通りになってしまった。たった10日間なのに。

もう、目を離していられない。
排泄もトイレで出来なくなってきた。その失敗すらキチンと把握できず行動するので、色んなところに汚物が広がる。パンツタイプのオムツに変えたが、それでも私の目が届かない時にはオムツの意味がなくなることもある。

さっき食事をしたばかりでも、何かを食べたがる。常に食べたがる。猫のエサすら、食べようとする。

私がコンビニに寄って帰ってきたら、絨毯にぐちゃぐちゃの何かが広がっていた。ホンの30分の間にだ。よく見ると、グレープフルーツジュースでふやかされたパンが、絨毯に塗りつけられたように、へばりついていた。

私「これ、どうしたと?」
母「ふーん、そう。ほらコレやろ?」
と言いながら、私に折り紙を渡そうとする。


母が退院してから、私はほぼ実家に泊まっている。母との同居も常に考えてきたから、試運転みたいなものだった。

私は、母の認知症がどれだけ進んでも、ずっと一番そばで寄り添おうと思ってた。思ってきた。

「素晴らしく完璧に!」は、出来なくても、それなりにうまくやれるんじゃないかと、思っていた。ずっと出来ると思ってた。


ママ、ごめんね。もう、施設を探すからね。出来るだけ良い施設を探すからね。施設に入ってもちゃんと会いに行くからね。外にも連れ出してカラオケに行ったり、美味しいものを食べに連れて行くからね。これからもキレイな花や景色も沢山見に行こうね。ごめんね。

この状態で、いや、これからもっと進行するとして、何年も、24時間、常にママに優しくなんて、出来ない。

今はギリギリ出来ていることも、きっと、ずっとは出来ない。ママに怒鳴ったり、意地悪したり、もしかして早く死んでほしいとか思うことがあったらどうしよう。そんなの嫌だ。母は私の半分なのに。

ママ、ごめんなさい。タータン、ごめん。パパ、ごめんね。