カトレアなママ

母が認知症と診断されました。

つくし

2016年03月20日 22時30分00秒 | 日記
毎年恒例の、つくし採りの約束。

3月の第一週目が目安です。つくしは本当にあっという間に食べられる時期を逃してしまうから。

だけど、何度も計画を立てた日は雨で延期。やっと今日こそと、久し振りのお天気の先週、私の家の近くにある大きな川に出かけた。

川沿いにあるのよね~、私の秘密のつくしスポット!ぬふふふふ(。-∀-)

…、目的の川にたどり着くと…何だか色んな重機が並んでて職人さんもいっぱい居る!

嫌な予感がしながら近付けば…私の見付けたつくしスポットがああああ~( ;∀;)、まさにそこが整備されていました。

何でよりにもよってそこなのよおおお?

諦めて、川沿いを歩きながら捜したけれど、ナイナイナイ!

あった!!!と、思ったら、もう育ちすぎて食べられる状態ではなかった。つくしを見つけるのは私より母の方がずっと上手だった。

いつもいつも、何か話してても、話の半分も理解してくれないのに、食事してても目の前にあるものにしか反応しないのに(少し脇に置かれたお椀とか気付かないのです)、つくしを見つけるの、ビックリするくらい上手(≧∇≦)!

つくしは諦めなくちゃいけなかったけど、雑草や菜の花や川の鴨を眺めながら散歩して、母も楽しそうだったからいいかな?

母はこの川に来ると必ず「あ、これ!この葉っぱ、食べれるよ。ギシギシって言うとよ。でも酸っぱくて美味しくないよ」と言っていた。

今回は言わないから、「ねぇ、ママ。この葉っぱ、ギシギシよね?」と聞くと、「あんたそんなことよく知っとうね~!」と感心された。

私「ママに教えて貰ったんよ」
母「そーお???」
私「ギシギシやろ?」
母「…そう、ギシギシ~!」
私「酸っぱくて不味いんよね?」
母「私、食べたことないけん知らん」
私「あれ~?戦後に食べたって言ってたけどね~」
母「ほとんど食べてないよ!酸っぱくて不味いけん!」

ふふふ~。思い出してくれて良かったなり。

↓後部に写ってる工事現場?あの場所が私のつくしスポットなのでした。


先日、お友達に連れていってもらった大きなスーパーにつくしが売ってたので、何とか母にも春の訪れ、つくしの卵とじ、食べてもらえました♪

ざる

2016年03月03日 20時09分00秒 | 日記
私達は皆、目の前に広がる全てのことを完全に把握することなんて出来ない。必要なことだけを無意識に振り分け、情報を得ている。

誰かと話しているとき、周りの音は聞こえているけど、ただのBGMだ。いや、聞こえてすらいないことも多い。

皆それぞれの「ざる」を持って、必要なことを振り分けている。

ざるの目が、とても粗い人はうっかりおおらかさん。ざるの目が、とても狭い人はしっかりきっちりさん。それプラス、興味と言う個性の網の目もある。

私が外を歩くとき、鳥や花や猫に目が行く。それかすれ違った人のネックレス素敵!とか。だけど人によっては、どんな珍しい車が通ったか、カッコイイ車が通ったか等、目ざとく見付ける。


皆それぞれの「ざる」を持ってる。引っ掛かっていくことだけが頭の中で情報となり処理される。必要でないこと、興味のないことはざるの隙間から落ちていく。


きっと認知症は、その「ざる」の目、隙間が、ドンドン広がっていくことなんじゃないかな。

そんな風に思うようになった。

今、母が受け止められることが、本当に本当に、母にとって必要なことなんだ。誰かの笑顔が嬉しい。誰かに好かれると嬉しい。モノを何処にしまったとか、ペットの名前とか、そんなことどうでもいいこと。自分の名前すらきっと、本当の本当はどうだっていいこと。

楽しかった映画、可愛い猫の仕草、誰かが笑ってくれたこと、孫が描いてくれた絵や写真、若いですね、オシャレですねって褒められたこと。母の今、持っているざるに、それらはしっかり引っ掛かり、嬉しそうに話してくれる。

母は今、一番笑っている気がする。
幼い頃、思春期の頃、私が大人になってから。色んな母を見てきたけど、今が一番、無邪気な子供みたいな笑顔を見せてくれている気がする。