普通な生活 普通な人々

日々の何気ない出来事や、何気ない出会いなどを書いていきます。時には昔の原稿を掲載するなど、自分の宣伝もさせてもらいます。

25000Over!

2011-06-27 00:58:07 | 普通な人々<的>な
 また気づかぬ内に、アクセス数が25000を超えていました。本当にありがとうございます。
 いま、少し方向転換しようかなと、いろいろ考えています。基本は一緒ですが、なにかもっと皆さんが読みたくなるようなモノはないかと、探しています。
 基本、おっさんのブログですから、それほど面白くはないのかもしれませんが、できうる限り面白く読みごたえのあるものにしたいとは思っています。
 探せるまで、これまで通りご贔屓に。
 ひょっとして探せないでこのまま行くかもしれませんがね。

レディ・ガガ×AKB48って、なに?

2011-06-23 23:38:55 | 音楽にまつわる話<的>な
ついこの間J-CASTの「音盤見聞録」に書いた原稿です。



CD不況なのに驚異の売れ行き ガガ様とAKBに共通点あるか?


レディー・ガガ
『ボーン・ディス・ウェイ』




通常盤(CD)
UICS-1230
2500円
5月23日発売
ユニバーサル インターナショナル

AKB48
『ここにいたこと』




通常盤(CD+DVD)
KIZC-117/8
3200円
6月8日発売
キングレコード


 5月23日に世界同時発売されたレディー・ガガの3rdアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』は、全世界同時発売直後から売れに売れた。13か国以上のアルバムチャートで1位に輝き、ネット販売も含めた最大の予測では500万枚を突破、本国アメリカで250万枚越えし、日本でもたった1日で50万枚突破!! だそうだ。

 彼女がいち早く東日本大震災支援の声を上げたことと無関係ではないだろうが、それにしても、この日本での数字は構造的なCD不況という中にあってまさに驚異だ。

 ところがこの日本にあって、数字的にレディー・ガガに匹敵する存在がいる。驚きなのだが確かにいる。それがAKB48。

徹底的に作り込んだキャラクター

 本当なら4月に発売が予定されていた、こちらも3rdアルバム(オリジナル・アルバムとしては初)に当たる『ここにいたこと』が、東日本大震災と重なり6月8日に発売延期となっていたが、その初回の出荷枚数が200万枚越えだというのだ(実質的には6月8日には110万枚出荷だったそうだ)。それが本当なら腰が抜けるほどの驚きだ。少し前に「予約70万枚、初回出荷100万枚、最終累計140万枚の予想」と聞いていたのだから。

 そこで、レディー・ガガ、AKB48になにか共通する「売れるファクターはあるか?」と考えてみた。徹底的に作り込んだキャラクターというのは、共通点としてあるかもしれない。

 レディー・ガガは音楽だけでなくファッション界にあっても21世紀最高のポップ・アイコンであり、そのことを自覚し自負している。だから、レディー・ガガは、個人でありながら既に自らをブランドと化し、何物にも代えがたい存在としてポップ・カルチャーに君臨している。1人でガツガツと壁に穴を開けていく。その生き方、言動は世界に大きな影響を与え、2010年には『タイム』誌が世界で最も影響力のある有名人を選ぶ「タイム100」のアーティスト部門第1位に選ばれている。ツイッターのフォロワーも1000万人を越えている。

両者のアルバムタイトル「かぶるものがある」

 AKB48は、正反対だ。まるで点描法のジョルジュ・スーラの絵のように、大人数で没個性(もちろんそれぞれに個性的で、少しずつ花開きつつあるが)ではあるが、受け皿としてのAKB48という「像」を皆で描いていく。一人一人は単なる点だが、距離を置いて俯瞰してみると、AKB48という像が浮かび上がる。そしてその個性を、総選挙などといった様々なファクターで変化させていく。レディー・ガガとは真逆で、対極にあるような気がする。

 もし共通点があるとすれば、「限界を越える」モチベーションだろうか。ガガ様は個人の営為として尖りに尖り、AKBは集団として際限なく拡散し「没個性」を目指す……。なにか、アメリカと日本というお国柄を見事に体現しているな。

 でも、レディー・ガガのアルバム・タイトル『Born This Way』は「こうなる運命のもとに生まれてきた」という意味だが、良く見るとAKB48の『ここにいたこと』というタイトルと、なにかかぶるものがある。

 結局はどちらも売れているわけで、CD販売という点では、いずれの方向性での展開も、まだまだ可能性が残されているといえなくもないか…。

加藤 普

【ボーン・ディス・ウェイ 収録曲】
1. マリー・ザ・ナイト
2. ボーン・ディス・ウェイ
 *KDDI「au」CMソング
3. ガバメント・フッカー
4. ジューダス
5. アメリカーノ
6. ヘアー
7. シャイセ
8. ブラッディー・マリー
9. バッド・キッズ
10. ハイウェイ・ユニコーン(ロード・トゥ・ラヴ)
11. ヘヴィー・メタル・ラヴァー
12. エレクトリック・チャペル
13. ユー・アンド・アイ
14. ジ・エッジ・オブ・グローリー
15. ボーン・ディス・ウェイ -ヨスト&ナーフ・リミックス- *
16. ボーン・ディス・ウェイ -LLG VS GLG ラジオ・リミックス- **
*インターナショナル・ボーナストラック
**日本盤ボーナストラック


【ここにいたこと 収録曲】
[CD]
1. 少女たちよ
2. Overtake(Team A)
3. 僕にできること(Team K)
4. 恋愛サーカス(Team B)
5. 風の行方
6. わがままコレクション
7. 人魚のバカンス
8. 君と僕の関係
9. イイカゲンのススメ
10. High school days(Team 研究生)
11. チームB推し(Team B)
12. チャンスの順番
13. Beginner
14. ポニーテールとシュシュ
15. ヘビーローテーション
16. ここにいたこと(AKB48+SKE48+SDN48+NMB48)
[DVD 収録内容]
振付映像収録
1. ポニーテールとシュシュ
2. ヘビーローテーション
3. Beginner
4. チャンスの順番

ぎんきょう

2011-06-11 20:50:36 | 普通な人々<的>な
 非常に素晴らしい料理を出してくれるフレンチのレストラン。
 それが息子夫婦の選んだ結婚披露の場所だった。
 人間というのは、腹が満足すれば大概のことには目をつぶれるということが良くわかった。良い結婚披露の場だったねと、息子夫婦に言ってあげたい。
 ほとんどほったらかし状態の結婚披露だったが、それがまたそれぞれの参会者が勝手に自分の周囲に環境を作り出すというおもしろい場になって、かえって良かったのではないかと思う。
 お嫁さんの一族に挨拶をさせていただいたが、場と思いのギャップで何も言えなかったが、遠くから来られた親族の皆さんには本当に感謝している。ありがとうございます。
 これからの二人の行く末に、大いなる祝福を!
 
 

結婚!!

2011-06-10 03:11:15 | 普通な人々<的>な
 明11日の土曜日、息子が結婚する。都内のレストランを借り切って、パーティーを催すそうだ。いつの間にか、子どもではなくなっている。

 相手のお嬢さんは、何度か会ったが立派なご家庭に育った良いお嬢さんだ。ご両親が大切に育てられたことが良くわかる。

 ボク自身は、奥さんとは結婚式を挙げずに、友人のカメラマンに写真を記念に撮ってもらい、六本木のディスコ(当時はそう言ったのだよ)をやはり借り切ってパーティーだけ催した。結局、子どもは親と同じようなことをするものだと、つくづく思う。

 それでも、息子には馬鹿親と同じ轍を踏まないでくれと祈らずにはいられない。幸せな人生を切り拓いて歩んでくれと祈らずにはいられない。

 幸せな一時を、土曜日は享受できるだろう。

 だがその一方で、視点を変えて世の中を見れば震災の爪跡は深く、原発は予断を許さない。
 そればかりでなく、人々の心の闇を垣間見るようなありえない事件も多発している。

 なにか笑っているのはテレビの中のお笑いタレント、芸人達だけのような気がしてならない。それが悪いことだとも思わないのだが…。

 何はともあれ、息子のハレの日は、こちとらもハレバレと居たいと、いまから心の準備に取り掛かる。まずは、ぼさぼさの頭をなんとかしなけりゃならんな……。心の準備じゃないか……?

国家

2011-06-04 18:03:14 | 普通な人々<的>な
 小泉純一郎という元首相を、大いにもてはやす人々がいまでもいる。
 当時からボクは、どうしても小泉首相を日本のリーダーとは認めがたかった。その理由は、所謂小泉改革といわれる郵政をはじめとする改革のほとんどが、種々の案件にあって国家としての管理管轄権をはじめとする責任を放棄し、民間への委託を、さも社会的必然であったり、合理的であったりという理由で押し進めたことによる。それも結局はアメリカの意向を汲んだだけの、オリジナルでもなんでもない政策だった。
 簡単にいえば、「自己責任」などという言葉で十羽一からげにし、国家が自らの責任を放擲し、多くの本来であれば国家的規模、国家的範疇で語られ対策されなければならないことも放棄されたからなのだ。その最たるものが郵政であり、介護保険法(これはまた別の意味があるのだが)だった。
 今回の東日本大震災にあって、その弊害が顕著に現れていると思えて仕方がない。個々の案件に対してもそうだが、むしろ日本人の心のひだにそうした考え方を植えつけてしまったと思えるのだ。
 民主党内閣は、いち早く東電に賠償責任を押し付けた。もちろん東電はその責から逃れることはできないのだが、世界に責任を負わなければならない国難に当たって、一企業に「お前が悪いんだから自分でなんとかしろ」という国家というものはあるのだろうか? しかも原発事業を推進してきたのは日本という国家ではなかったのか? 東電は有体に言えばその事業化を委託されたに過ぎない。
 「自己責任」という考え方を国が多用すれば、この国は行き場を失いおっつけ崩壊するだろう。それも近い将来に。
 国は国民に対して大きな責務を負っている。それは憲法にも明記されている。それは例えば菅が「最小不幸」などといった時点で糾弾されなければならない質のものだ。例え最小といえども「不幸」を口にする国家指導者は、バカである。
 国は国民から税金という資金援助を受け、資金提供者である国民の最大最高の幸福を、国家的責務において模索しなければならないはずだ。国家は、その責務から逃れることはできないのだ。それが今時の国と国民の関係だと思う。
 テレビで多くの評論家が(かつて小泉を、合理的精神の持ち主として賞賛した人々も多い)、今の難局は国家的規模で対策しなければならないと言う。だがどう考えてもいまさらことの本質を語る上での言葉、思考の選別は替えようがない。我々程度の年齢の者は、例えば「護送船団方式」という言葉の意味やニュアンスを知っているし理解できる。だが、今の40歳代前半までの若い世代に「国家的」という言葉が理解されるまでには、相当の時間がかかるだろう。
 まあ、政治家は概ね無責任なものだが、ここのところの政治家の愚かさ、バカさ、無能さには辟易させられる。責任を自覚した上での無責任ならまだ犯罪として理解も出来るが、無自覚な連中ばかりだから責任能力を問えない。だから犯罪を構成しもしない。むしろ自分以外に責任があると他人を詰ったりする。二重に度し難い。
 いつの間に国に対してこんなことしか言えなくなってしまったのだろうと、涙が出る。