感動との出会いをもとめて・・、白いあごひげおじさん(もう、完全なじじいだな・・)の四国遍路の写真日記です・・
枯雑草の巡礼日記
四国遍路の旅記録 三巡目 第4回 その2
旧宿毛街道、中道越えに挑む (平成22年4月7日)
今日は、観自在寺から満願寺まで旧宿毛街道中道を歩きます。
後で気付いてみると、この日は殆ど写真を撮っていませんでした。道中、余裕が無かったということもあるでしょうが、峠からの眺望は無く、山道は何処を撮っても同じように写るし・・。
でもそれでは、いつものような写真日記の体をなしません。そこで、ちょっと気が進まないのですが、無理やり地図を載せることにしました。(地図はクリック、クリックで拡大できます。)
道中の様子、ご想像戴ければ幸いですが・・。
中道越えの山道は御荘長月(ながつき)の下地という所から始まります。
松尾峠を越えて、中道を目指す昔の遍路は、一本松、札掛けを経て、この辺りから観自在寺にお参りし、再び戻ってきたという場所です。
私は、宿から県道295号を通って、ここまで女将さんに車で送ってもらいました。本当に何から何まで・・。
最初はみかん畑の中の道。歩き始めて1k地点(地図の②)、道は竹藪の中に消えます。
周りの地形を見ながら、強引に上って行きますと、何とか道跡らしい所に。それからは、草木を払い払い、藪漕ぎの連続です。
2k地点(地図の③)、付近は、昔多くの旅人が通ったと言われる街道の面影を偲ばせる、切り通しの道が現れます。相変わらず藪漕ぎは随所。
2k地点、旧道の跡明瞭
3k地点、林道へ
3k地点(地図の④)、草を払って進むと突如目前に林道が現れます。
ここからは暫く林道歩き。樹木の伐採作業中で、地図には無い新たな林道が縦横に。昔からの山道もその中に消えてしまっています。(地図の④~⑤の間)
林道を行きつ戻りつ、方向を確かめながら峠(大岩道)を目指します。
幸い、一つの林道が終わった先で旧い道に出合うことができました。(地図の⑤)
古ぼけた石の道標まであるじゃないですか。こういうものに出合うと、矢鱈に安堵するものです。
でも、大岩道は何処なのか。標石も標示も何もありません。おまけに、樹木に囲まれ展望も無いのです。しばらく尾根道を進んでみて、上りが急になったので引き返します。
やはり、最初に尾根に上った地点が大岩道であったようです。(地図の⑥)
周りを探ると、尾根に上ってきた方向の前方に樹木を開いた急坂が下っており、頭の赤い石杭が点々と見えます。これが僧都へ下る道のようです。
樹に掴まりながら急坂を下ります。前方、林道に出会います。(地図の⑦)
林道を横切って下る道が旧道のようですが、その入口は発見できませんでした。仕方なく林道を下ります。
大岩道を下る
愛南町僧都(そうず)、僧都川に沿った静かな村です。
家の前で立話し中のおばさん、おじさんに会います。
「えー、大岩道越えてきたのー・・なんぎやなー、そんな人おりゃせんぜー」
と一入あきれられます。
小岩道への山道(地図の⑧~⑨)の状況を聞きます。
「今は通る人もありゃせんぜ・・道は開いとらんじゃろ・・、車道を真っ直ぐ行きなさい」
風が強い。車道を歩いていると、笠を飛ばされそうになります。こういう風の日は、樹木に囲まれた森の中の道を歩く方がづっと楽なのです。
大僧都の神社の前でパンを食いながら考えました。
まだ、距離としては全行程の4分の1くらい。今12時だし・・、これからはできるだけ山道は避け、舗装道を行かざるを得ないか・・。それでもちょっと厳しい。
その声が聞こえたのか、小岩道に上る車道の途中で天の助け。石工さんの軽トラに乗せてもらいました。
観自在寺には石の杖置きを納めているのだそうだ。
「何ー、大岩道を越えてきたー、そんなら行けるかもしれんが、山道は通らんほーがええ・・今は誰も道に手を入れとらんからなー」
小岩道の上り口の前まで。
納め札を受け取ってもらい、感謝、感謝。
小岩道(地図の⑩)には、アンテナ鉄塔があり、舗装道が交差。古の峠道の雰囲気は何処にもありません。
上槇上組に下る山道(地図⑩~⑪)が昔の中道ですが、私は七曲りの舗装道を行きます。
津島町下畑地の山道
上槇上組から松柱上までは、林道風の未舗装道。昔の中道はもう少し高い所を通っていたようですが、今はおそらく通行不能でしょう。
松柱上から本俵へ下る山道(地図の⑫~⑬)はその入口を確認しましたが、おそらくここは難なく通れそうです。でも、私はここも車道(県道46号)を下りました。
本俵に着いたのは16時頃。ここより満願寺まで5kほど。その後、岩松の宿までタクシー。18時にどうにか宿に着いたのでした。
宿に着いてほどなく、磯屋の女将さんから電話。心配お掛けしました。感謝です。
観自在寺から岩松までの総距離は、私の概測で35k。私の足による1日の距離としてはやや無理であったということになりましょうか。そして、この中道。現状ではやはり通らない方がいい道ということになるのではないでしょうか。旧道の整備をするにしても幾つかの障害があるように思えました。
ここで旧宿毛街道中道を歩く時使った地図について一言。この旧道は、東海図版の「四国遍路地図2」に記されているのです。
私はこれを25000地形図に落として持参しました。実際に歩いてみて、この東海図版の地図の正確さに感心させられるところが多くありました。
ただ、旧道を正確に記すという目的からか、水が少ない時は飛石伝いに渡ったような、今は通行できない川の上や新道開設のために削られた崖の上などにルートが描かれています。読み取りに注意が必要です。
ハイカー仕様、篠山越え (平成22年4月8日)
さてさて、昨日は一応順打ち方向でしたが、また逆打ち、岩松から篠山を越えて札掛けの宿まで参ります。
このルート、祓川温泉から山登りの道となり、全行程40k近い。祓川温泉に宿泊できればよいのですが、シュラフなど無いと泊まれません。
今日は荷物も全量だし、弱足の私には到底歩ける距離ではありません。
そこで、祓川温泉近くまでコミュニティバスを利用することにしたのです。
岩松の公民館前8時発、祓川温泉行き。乗客1人。
市職員でしょう、若い運転手と話しながら・・。
日切地蔵というのが御利益確かで、うちの母もそれで治った・・。それ、どの辺?と聞くと、ちょっとルートを外れているよう。
「遍路じゃけー、岩陰大師にお参りしますべー」
運転手さん「岩陰大師・・それは知らんなー、その辺通るから教えてくれ・・」という。で、御内(みうち)辺りで降りて歩くつもりが、岩陰大師の前までバスで。
岩陰大師
祓川温泉
大きな岩の間にお大師像。なるほど岩陰大師。お参りします。
その前でおばーちゃん、おじーちゃんに会いますが、何を言っているのか、さっぱり分かりません。どーしたんだろー。
終点の温泉から引き返してきたバスからブー、ブーと激励の警笛。杖を振って応えます。
祓川温泉の前を通り、岩陰大師から3.5kほどで篠山の登山口。
そのちょっと先に「やけ滝」という相当雄大な滝があります。
そこに、ここまでスクーターに乗ってきた地元のハイカーひとり。
「ここからでも登れるよー」と、滝の横の岩を飛ぶように「ひょい、ひょい」と登って行きます。ワシはそういう訳にはいかん、と正式の登山口に戻ってそこから。
やけ滝
登山口
この九十九折れの登山道、相当急な上狭く、危険な場所もあります。
頂上までの距離は3kほどですが、殆どが急な上り。
尾根に取りつき少し行ったところに「右本社」の標石があり、やっと一息つけるのです。(この標石の反対側には「左寺道」とあります。本社とは篠山神社、寺とは観世音寺を指します。)
ハイカー仕様の道です。少なくとも弱足遍路仕様ではありません。
普通のハイカーは2時間10分くらいで計画するようですが、私は頻繁に休憩をとり、2時間30分掛けました。
頂上近くはミヤコザサを鹿から守るため、金網が張られゲートが設けられていますが、そこで登山口で出会ったハイカーにお会いします。
「遅いので探しに行こうかと・・」「いやいや、どうも・・」
もう少し経つと、この辺は夢のようなピンク色のアケボノツツジの群生だと言います。
尾根の標石
丁石
篠山神社
山頂の境界石
山頂の境界石
四国遍礼霊場記 篠山 (江戸前期の篠山)
篠山神社にお参りします。古びた石段、鳥居。拗ねた可愛い犬のような狛犬。懐かしさを感じる神社です。神社裏の不思議な池。
長年の篠山の山争いの末、明治6年に立てられたという国境の石碑。神社は伊予国の領内です。
石碑には「南伊予国境」、裏に「北土佐国境」(大きな地図では逆のような気がしますが、この山頂ではそうなのです)と刻まれています。
今日は眺望も見事です。北側正面は大黒山でしょうか、その向こうは宇和島周辺の山々でしょうか・・。
神社の下の観世音寺跡。今は礎石が残るだけですが、寺の大きな建物は昭和40年代まで神社の社務所兼宿泊所として使われていたそうです。
前回に見た、敷地の一隅にあった五輪塔の僧侶の墓。どういう訳か見付けることができませんでした。
県道の駐車場に降りる石の多い道。前回より歩き易く感じました。手が入れられたようです。
駐車場から4.4k、尾根道を下ります。長い道ですが、祓川温泉からの道に比べ、何と歩き易い道であることか。
この篠山越えの道、順打ちだと相当楽になる・・と気付かされます。
御在所へ下る道
山道の山つつじ
麓の二の鳥居のある御在所まで、頂上を出て2時間30分でした。初回の時の下りより45分短縮でした。
歓喜光寺にお参り。
真念が「道指南」で「・・まさき(正木)村、この村庄屋代々とざさぬなり。ありがたきいわれ有、たづねらるべし・・」と書いた蕨岡家が寺の門前にあります。
主屋や門は、国の登録有形文化財に指定された立派さですが、その長屋門、今はしっかり閉ざされています。
疲れて足は全く動きません。道傍の家の庭先のおばさんから
「おささにお参りかー、おつかれー、足があがっとらんがー・・」
あの長い長い正式名前を持つ篠山中学校の前で16時30分。ここから広域農道を通って宿まで、まだ6k。18時を回るでしょう。
ついに、広域農道の入口でタクシーを呼びました。
札掛の宿。懐かしい女将さんのお出迎え。話が弾みます。相変わらず至れり尽くせりのお宿。ありがたい寛ぎです。
襖に貼られた泊り客の納め札。随分増えていました。
「ねこちゃんは・・」「そうなの、死んじゃったの・・でも代わりの子猫お願いしてるのよー・・」宿の経営もかなり軌道に乗ってきたのかもしれません。がんばってください・・ね。
(追記)この篠山越えの祓川温泉から篠山に上る道、私は「やけ滝」の近くより上りましたが、もう一つのルートがありますので追記しておきます。
それは、祓川温泉から400mほど、源泉のある湯屋から祓川を渡り上る道。県境の尾根まで上り、尾根を4kほど、「右本社」の標石のすぐ下でやけ滝からの道と合流します。地蔵石仏などもあるそうで、むしろこちらの方が遍路道としてはメインであったのかもしれませんが、最近はハイカーも通らぬようで相当荒れていると思われます。
ついでにさらに追記。私は成行きで岩陰大師までバスで来てしまいましたが、御内の旧遍路道について。順打ち方向で言いますと、祓川温泉から下槇を経て槇川の少林寺へ。昔の遍路は、この寺に札を納めたといいます。裏山の御槇神社を経て御内へ。そして横吹渓谷を経て満願寺への道を辿ったようです。
« 四国遍路の旅... | 四国遍路の旅... » |
http://ilove.manabi-ehime.jp/it_kouza/kouza/14kouza01/photo.asp?P_MOD=2
である程度のことは知ることができましたが、実態が分かりました。復元しても通る人は僅かでまた消えてしまうでしょうが、後世に残したい気もします。
いつも掲載される写真や文章に感心しています。どうすればこのような写真が撮れるのでしょうか。次の地点の報告を待っています。
これは、1/25000です。昔はモノクロでしたねー。
私は山登りじゃなく、オートバイの林道走りでねー。
旧遍路道の山道歩きでは、この地図と磁石持参
です。ただ、この頃は山の手入れがされていない
ので見通しが利かない所が多く、そんなところは
現在地確定が困難ですね。
失礼しました。どうも歩くところが重なって
いるようですね。紹介のサイト、初めて見ました。
大岩道から僧都の展望、今は樹木が茂ってよほど
探さないと無理です。この道、いずれ消えてゆく道
なんでしょうね。特に小岩道以北は、併行する車道
が整備されましたしね。
写真ですか、遍路の時は最小のコンデジしか持って
行きませんから、肝心なところで失敗というのが
けっこうあります。
地図に関するお問い合わせ、こちらに書かせて
いただきます。
私は、ソフト関係に全く弱いので、間違ったこと
を書くかも・・、お許しください。
掬水の談話室で、お書きになっておられたので
ご存じと思っておりましたが、ご紹介の
「Trekking Map Editor」を使って書いたもの
です。同ソフトのメニューバーをご覧になると
わかるよう、線や字を書く機能があります。
ほとんど自然に返ってしまっている中道を辿るのは容易でないのですね。
僧都までは、大岩道越えより僧都川沿いに行った方が少し遠くなるものの楽だと思いますが、何故このような険しい道を遍路は通ったのでしょう。
僧都川も昔は激流で危険だったのかもしれませんが、どう思われますか。
そうですね。僧都川沿いの現宿毛街道ができたのは、昭和の初めにようですね。
昔の街道というもの。国境(くにざかい)は、勿論防衛上の見地が優先したでしょうが、道の開設や維持のネックという面から見ると、海岸の崖は設置の困難さ、川沿いはやはり大水の被害でしょうね。
で、最短距離の峠越えの道となったということではないでしょうか。
真念「道指南」、真念庵から39番への道に「・・今は右へゆく、但大水のときは左よし・・」と記されていたことに思いあたりますね。
近年は、田舎の人も歩きません。殆ど車です。
山の手入れにも行きません。
昔からの街道も、新道ができると通る人も
なく、数年で埋もれてしまいます。
今回は、旧宿毛街道中道の大岩道をどうにか
越えることができましたが、幸運に恵まれ
ました。危険と隣り合わせです。遍路として
は、外れです。
そうですね。大雨の時は山道の方が災害に強いわけだ。
急峻な四国の山に降った雨が道を削らないよう、遍路道を横切る形で排水用の溝が所々に掘ってありますよね。
それらの工夫と手入れによって道は守られ、そこを旅人が歩くことによって道は残ってきたのでしょう。
岩松~祓川温泉のコミュニティバスは、岩淵からはほとんど篠山道の跡を走っているのですね。
中道は難しそうだけど、篠山道はいつか歩いてみたいものです。
でもこちらも大変そうだなぁ。
篠山道、これは登山が得意かどうかで判定が分かれる
ようですが、苦手な私は順打ちの方がづっと楽と感じ
ました。神社から祓川温泉に下るルートは、追記で
書いた、県境尾根ルートに魅力を感じます。(ただ、
荒れてそう・・)健脚の方なら、札掛を早朝に出れば
御内を経て岩松まで行けるような気がします。
遍路再開おめでとうございます。楽しみですね。
Oさんにお会いになるなら、詳しい地図はもらえます。
枯草mapも一応お送りしました。
どうぞお気をつけて・・