歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(5)

2010-08-08 23:41:07 | ロシア関係
→(4)からの続き

回答ナロード2号
>何でソ連は1945年に日本を攻めたの?
1945年の4月にルーズヴェルトが死んだ後、スターリンとトルーマンはポツダムで会談。降伏しない場合は破滅が待っているぞ、と日本を脅迫した。その後、8月にトルーマンは日本に対し、二発の原爆を投下したんだ。日本との戦争において、ソ連は大きな役割は果たしていない。この戦争の帰趨を決定付けたのは米国だ。

どうして日本が攻めてこなかったかって?そんなことをして、彼らに何の意味があるんだ?大きさにして数十倍の隣国と、どうして戦う必要がある?彼らは待つ戦略を選んだわけさ。で、もしもドイツが勝っていたら、彼らはさらなる領土の割譲を要求してきたことだろう。もちろん、東方からの攻撃は危険だった。スターリンは既に最期の五ヵ年計画の時期から、うちらの重工業施設のウラル以東への移転を進めてたからな。そういうものは、全部あっちの方にあったんだ。まあ、だからこそ、十分に守られたわけだけど。

※ 実際、そのままドイツが勝ち続けたら参戦する、という方針が御前会議で決まっていたらしい。陸軍はそのために“演習(関特演)”の名目で満洲に大兵力を動員した。


回答ナロード3号
何故日本が攻めてこなかったかは、日本に聞いて見る必要があるな。ソ連の対日参戦は、(米英による)第二戦線構築の条件の一つだった。ついでに言えば、ソ連にそうするよう熱心に求めていたのは他でも無い、米国だ。その代償として、スターリンはサハリン(樺太)とクリル(千島)列島の返還を勝取ったわけだ。ざっとこんな感じだけどな。ぜひとも、ヤルタとポツダム両会談についての資料を読むべきだろう。戦後の世界の命運は、そこで決定されたんだから。


回答ナロード4号
その頃の日本の政局においては、ソ連への攻撃を主張する陸軍と、米国への攻撃を求める海軍との対立があったんだ。で、勝ったのは海軍だった

※“南進論”と“北進論”の対立のことを指していると思われる。ただ、陸軍内部でも両者の対立があったことを思えば、これは正しくない。

ソ連が日本を攻めたのは、米英との合意に基づくものだ。日本との条約については、1945年の4月にソ連側から廃棄が通告されていた

※されていない。実際には“延長しない旨の”通告。詳細はこの後の<ナロード・ベストアンサー>参照のこと。


回答ナロード5号
サハリン(樺太)のソ連への返還については、既に1945年2月の反ファシスト同盟首脳会談の一つで合意がなされていた。


回答ナロード6号
びびったからだろ....www 正直...攻めてきたって思ってたwww


<ナロード・ベストアンサー>
日ソ不可侵条約は、1941年4月13日にモスクワにて調印された。その条約の第3条によれば、“本条約は双方の当事国で批准された日から5年に渡って有効とする。もし当事国のいずれか一方が、有効期間の終わる一年前までに条約を破棄しない場合、条約はさらなる5年間の延長がなされたものとみなされる”とある

松山大学のサイトに原文があった。

第3条 本条約ハ両締約国ニ於テ其ノ批准ヲ了シタル日ヨリ実施セラルヘク且5年ノ期間効力ヲ有スヘシ両締約国ノ何レノ一方モ右期間満了ノ1年前ニ本条約ノ廃棄ヲ通告セサルトキハ本条約ハ次ノ5年間自動的ニ延長セラレタルモノト認メラルヘシ

あと、条約にはこういう声明書も付け加えられていたらしい。

声明書   

大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月13日大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス


ソ連が事実上満洲国の存在を承認し、これをモンゴルと同格に扱っていたことが分かる。満洲国は一時は枢軸諸国やタイなど20カ国以上から正式に承認されていたが、これは、当時のモンゴルの承認国数よりも多かったのではないか。ちなみに、中華民国はどちらも自国の一部としていたものの、モンゴルの方は第二次大戦後、ソ連の圧力により独立を認めさせられた。

条約は1941年4月25日に批准され、有効となった。1945年4月5日、ソヴィェト政府は条約の第3条に言及し、これを破棄するとの意思を表明。

こうして、中立条約が効力を持つのは1946年の4月25日までということになったんだけど、ソ連はこれを破って1945年8月9日に日本に宣戦を布告した。その理由は、もちろん他の連合国からの圧力だ。
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基本的に、中立条約の違反それ自体は問題にならず、

“米英との同盟+ヤルタ協定の方が優先されて当然”

みたいな感じで正当化する人がほとんどですね。

ヤルタ協定なんて、戦勝国の指導者同士の単なる口約束なんですけどね。法的には

そうした“勝者の口約束”の前では、いかに正式なものであれ敗戦国との二国間条約なんぞ無効だ!というわけで。

文字通りの“勝てば官軍”というか、何だかミもフタも無い話ですね。 


→(6)に続く


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