→(5)からの続き
しかし、考えてみれば、ソ連もまた独ソ戦においては逆に一方的に不可侵条約を破棄され、奇襲攻撃を受ける側にあったわけです。かつてのソ連史学では、こちらの“条約違反”は特に強調されがちでした。つまり、独ソ戦の緒戦で枢軸軍が連戦連勝できたのは、彼らが“条約に違反”したからである、と。ソ連(というかスターリン)は条約を過信していたが為に準備を怠ったのであって、さもなければ、枢軸軍の侵攻は国境近辺で食い止められるか、最低でもロシア本土の奥深くまで攻め込まれることはなかったのだ、というお話です。
実際の原因は、ソ連側も対独戦争のため軍備を増強していたにも拘わらず、結果としてドイツの動きを読みきれなかったスターリンの判断ミス、それと“大粛清”によって高級将校が大量に処刑され、赤軍自体が動揺していた点にあったと言われる訳ですが、そうした事実を認めてしまうと、スターリン個人はもちろんのこと、共産党それ自体の権威も損われる危険がありました。スターリン批判後も、常に“党の指導によって勝ち抜いた<大祖国戦争>”のイメージを国民統合の手段として用い続けた共産党からしてみれば、できない相談だったに違いないのです。その意味で、ドイツ側の“条約違反”は実に便利な口実となったのでした。
そういうのは、日本でも同じかもしれません。一般人はともかくとして、当時の日本の指導層、特に関東軍関係者が“騙まし討ち”だ何だと言うのを聞くと、こちらにはどうも違和感があるわけです。ソ連はそれまで既に対ポーランド、バルト三国、フィンランド(フィンランドの場合、そのためにわざわざ口実を捏造してるけど)と“不可侵条約破り”の前科がいくつもあり、1945年4月の段階で中立条約を延長しない意思も示していました。そのソ連に対し何の備えもできてなかったというのは、やはり彼らの落ち度だと思うわけです。スターリンが緒戦において、ドイツ軍の大勝を許したのと同じで。
現在のロシア政府が推奨する公式の“正史”や、歴史学界の主流的な立場は基本的に“大祖国戦争”史観寄りですが、ソ連の崩壊後は言論が大分自由になったのと、あと、それまで機密扱いだった公文書が大量に公開されたことにより、“大祖国戦争”史観を真っ向から否定するような書物も結構世に出回るようになりました。
その中でも代表的なのは、元GRUにして、冷戦時代に英国に亡命した歴史家、ヴィークトル=スヴォーロフの著作でしょう。スヴォーロフによれば、1941年の時点でのドイツ陸軍とソ連赤軍の戦力差は、実は完全に“ソ連>ドイツ”であり、スターリンは不可侵条約を過信するどころか、ドイツ軍が電撃作戦を開始した1941年6月22日の約三週間後の7月15日に、ドイツに対する先制攻撃を計画していたとまで言い切ります。でもって、そのために国境沿いに大軍を集中させていたのが裏目に出て各地で包囲殲滅され、莫大な数の死傷者や捕虜、鹵獲兵器を出してしまったのだと。
その説の是非はともかくとして、“大祖国戦争”史観の信奉者とその反対者が激突しているスレがありました。
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<教えて!ナロード>
「スターリンがヒトラーに対する攻撃を準備していたという主張は、どうしてロシアの歴史家たちを憤慨させるのかね?」
原題:Почему утверждение, чтоСталин готовил нападение на Гитлера, вызывает такое возмущение у российских историков?
http://otvet.mail.ru/question/43528308/
普通のロシア人にとってもそうなの?
<ナロードの答え>
回答ナロード1号
くだらない主張だから。
回答ナロード2号
そういう主張は、極めて有名な説の一つだ。別に、熱い議論なんて惹き起こしていないぞ。
回答ナロード3号
スターリンとヒトラーは共謀してたの。彼らには共通の目的があったのね。双方ともアクリチズム(←神秘主義の一種らしい)にはまっていたし、チベットにおいて不死身になる方法を見つけようと夢見ていた。そして、ユダヤ人を憎んでいた。といっても、二人ともユダヤ人なんだけどね※。
※そうだったのかw。これに限らず、ロシア人は、嫌いな人間は皆ユダヤ人にしがちな気がする。でも、ユダヤ陰謀説もいいんだけど、こうやって誰も彼もがユダヤ人という話になっていくと、最終的には“人類皆ユダヤ人”となり、もはやユダヤ性にこだわる必要などなくなるのではないか?
回答ナロード4号
そうやって、(スターリンは)米国や日本、そして月にまで至る領土拡張を欲していたわけですね。分ります。
回答ナロード5号
いやはや、完全な妄言だな。国防会議は、2年間もやりくりがつけられなかったんだぞ。弾薬も、予算も、兵器も足りなかったんだ。※で、お前の言い分だと、うちらはさらに誰を攻撃したがってたって?もしお前が書いたようなことがあったとしたら、スターリンはなぜ不可侵条約を調印したんだ?なぜ緒戦の段階で何の行動もとらなかった?
※確かに米英からの物的支援(レンド・リース)が無ければ、ドイツ本土まで攻めていけたか否かは疑問。
回答ナロード6号
明日には平和が待っている、と考えた方が良いぞ。
回答ナロード7号
理由は簡単だな。泥棒の被る帽子には火がつくもの(=頭隠して尻隠さず)だ。要するに、馬鹿みたいに顔をゆがめて犠牲者のことを描いている方が、はるかに心地良いってことだよ。自分自身が“侵略者”だってことを認めるよりもな。
回答ナロード8号
こういうのは、ソ連と、その前世紀最大の戦争への貢献を貶めようとする活動の続きだな。プロパガンダに空白の余地は無い。あと10~20年もすれば、ロシアでも、一体誰が誰を攻撃し、何のために戦ったのか、誰一人自信をもって言えなくなっているに違いない。水は石をもうがつ(=雨だれは石をもうがつ)ものなんだ!まったく、これは仕方の無い事実だよ。悪いのは、ソ連共産党中央委員会とゴルバチョフ、それにライサ(ゴルバチョフ夫人)だな。ゴルバチョフは政権を(外国に)売り渡し、新たな社会と偉大な人民の記憶をボロボロにしてしまった!※
※年配の人が書いていると思われる。ソ連時代を懐かしむ人は、旧ソ連圏でも貧しい地域に行けば行くほど多いが、その中で“ゴルバチョフは西側諸国から賄賂を貰ってソ連を潰したのだ!”と本気で信じている人は結構いるような気がする。
<ナロード・ベストアンサー>
そうしたら、彼らは独軍による“バルバロッサ”作戦※が侵略行為ではなく、単なる先制攻撃だったと認めなければならない。“大祖国戦争”に都合の良い学説に安住できなくなるってわけだ。
※ドイツ軍が、対ソ侵攻作戦につけた呼称。
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自分の周りでもそうですが、“大祖国戦争”史観に固執する人間は、やはり年配者が多いかもしれません。この辺のことについての歴史教育の内容はソ連時代から大して変わってないとはいえ、若い世代の人々は結構柔軟かも。ナーシ(笑)の団員とかは分からないけど....w。
こんなのも↓ありました。
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<教えて!ナロード>
「ソ連がドイツに先制攻撃をかけなかったのは、ソヴィエツ※側が不可侵の約束を守ったから?」
原題:СССР первым не напал на Германию, потому что совецкия сдержали обещание о ненападении?И зачем быть честным в политике?
http://otvet.mail.ru/question/25128357/
※“ソヴィエトの”を意味する形容詞“советский”が“совецкий”と綴りが間違っている上に、文法的にもおかしい。
<ナロードの答え>
回答ナロード1号
もしうちらがドイツに侵攻してたらどうなってたかは、未だ分らんな....。
回答ナロード2号
ドイツ人が先を越したってだけだな。双方の大国が、戦争、それも防衛戦争ではなく侵略戦争を準備していたんだ。
回答ナロード3号
誰も誠実じゃなかったんだ。ソ連はポーランドをドイツに与え、連中はそれで満足すると思っていた。でも、そうはいかなかったという.......
回答ナロード4号
単に間に合わなかっただけ。奴らに先を越されたってことだ。
回答ナロード5号
ソ連はそんなに誠実ではなかったのであって、1945年の8月9日には日ソ不可侵条約(多分、“日ソ中立条約”のことを言っている)を破って日本に侵攻してる。あと、イランの北部も1942年に占領してる※。
※当時のパフレヴィー朝のシャー(皇帝)がドイツに接近しようとしたため、ソ連が北部を、英国が南部を占領した。
回答ナロード6号
まったくだ。しかし、自分の損になるような...。
回答ナロード7号
間に合わなかったんだな。誠実さと政治は相容れないものさ。
回答ナロード8号
政治においては誠実であるべきだ.....
出典:何かちょっと新鮮だな....
回答ナロード9号
間に合わなかったんだよ。ヴィークトル=スヴォーロフの“Mの日”を読んでみろ。
回答ナロード10号
展開次第では、ソ連が侵攻してたはず。ドイツは先を越しただけでね。つまり誰も約束を守って無かったってこと。政治において誠実さなんて有り得ない。ところで、“совецкие(サヴェーツキエ=ソヴィエトの~)”という言葉の“ц”は"тс"と書かないとね。ロシア語の教科書を買いなさい。
<ナロード・ベストアンサー>
貴方と議論するつもりはない(したくもない)が、スヴォーロフの説によれば、スターリンは1941年7月の末頃にドイツへの攻撃を予定していたという。
追伸:それにしても、今に至るまでこの説には誰も反駁できていない。ただこの著者に対し“馬鹿はお前だ!”と叫ぶだけでね。
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しかしまあ、“大祖国戦争”史観寄りっぽい人ですら、ドイツの不可侵条約違反それ自体はまったく問題にしていないですね。
一応、それが話題になってるスレもあったのですが、書き込みは3つのみ。
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<教えて!ナロード>
「ドイツが不可侵条約を破ったのは何故か?」
原題:почему Германия нарушила пакт о ненападении?
http://otvet.mail.ru/question/33587470/
<ナロードの答え>
回答ナロード1号
戦術的計略ってやつだな。
回答ナロード2号
あの国は腹黒かったから。
回答ナロード3号
何故なら、スターリンが先に条約を破るのに失敗したから。
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何だかなあ....。
自国が被害者の立場にあってもこれですから、加害者の立場にあってそれを気にするか否かなんて、推して知るべきでしょうw。
→(7)に続く
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あらあら。どっかの御人よしの国と違って、条約を破った事が”悪い”という認識は皆無ですね。これこそ”世界は腹黒い”という現実でしょう。いつになったら日本国民は脳内お花畑から脱却できるのでしょうか・・・。
広島長崎の原爆投下など無用な被害を拡大させた事の方がよほどお花畑なんじゃないのかな
それとも、日本敵視をし続けたい勢力=親中の動きかね?
三十年戦争と七年戦争だけ勉強しても、分かりそうなものだが。
そして、未だに日本人の敵・味方を白黒分けたがる癖は抜けていない。
中国人や米国人の戦争見解はもう慣れたけど、ロシア人達のWW2観ってのは耳慣れないですね。どのナロードの意見も新鮮(笑)でした。
しかし.日独はホント世界中で損な役割だなぁ。歴史ってやつがこうも重いとはね…
ナチとソ連の条約なんて、最初からどっちも守る気なかったでしょ
こういう小ネタ、これからもどんどん挟んでください!
なして日本がロシアに黒い手を伸ばさなアカンのw 妄想も大概にして欲しいですねー。まぁ、国内はグダグダだから外に敵を作って国民の目を逸らせたいのかも知れんが・・・。
ぷーちんユーゲントの皆さんは、そんなことよりスキンヘッド愚連隊殲滅の為に全力を尽くしてちょーだいな♡
ロシアの小咄のような独特のドライな感じがします。
今後ニュースをチェックしていこうとおもいます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100811-00000635-san-int
今回の記事について
いまや、全員が全員、お国の見解一辺倒というわけでもなく、反対意見を堂々とネット上で発表できる環境も整っているのですね。
ソ連崩壊から、もうそれだけの年月が経ったということでしょうか。