歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

“アタテュルク銅像事件”はトルコに反日感情をもたらしたのか?(1)

2009-05-17 08:15:28 | アタテュルク像問題

最近までよく知らなかったのですが、ネット上でこういう↓珍しい騒ぎが持ちあがっているらしい。産経に詳しい記事があったので、ちょっと長いですが、全文引用してみます。

「トルコ建国の父」救え 銅像の寄贈先破綻…「友好危機」ネットで署名活動 2009.5.6
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090506/trd0905060153000-n1.htm

屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化しているのを憂慮し、インターネット上でつながった有志が立ち上がった。トルコから新潟県柏崎市のテーマパークに寄贈された建国の父、ムスタファ・ケマル・アタチュルク初代大統領(1881~1938年)の銅像の行き先がテーマパーク破綻(はたん)をきっかけに決まらない問題が影響しているとみられ、ネット上で署名活動を始めたのだ。有志らは「1人1人が声に出して行動することで、解決に向けて前進する」と協力を訴えている。

署名活動を始めた「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。 江口さんは英BBC放送の調査で、世界有数の親日国トルコの対日感情が年々悪化し、今年は「肯定的30%、否定的47%」と大きく逆転しているのを知った。その原因を調べるうちに、アタチュルク像問題に突き当たった。

アタチュルク像は平成8年、柏崎市にテーマパーク「トルコ文化村」が開園したのを祝い、トルコが寄贈した。2度の閉園で再建を断念した市は18年、トルコとの友好関係に配慮するとの条件を付け、上越市のプラスチック製品製造業「ウェステックエナジー」に像も含めて売却。ウ社は19年6月、施設を改装して結婚式場を始めたが、1カ月半後に中越沖地震が発生。倒壊の恐れがあったとして像は台座から外され、当初は屋外に横倒しにされた(批判を浴びたため、現在は屋内で保管)。「建国の父」に対して非礼だとして、トルコ紙でも報道された。 

さらにウ社と柏崎市、敷地内の民有地地権者の3者の間で訴訟合戦が勃発(ぼつぱつ)。訴訟と切り離して像の譲渡を求める市に対し、ウ社はその条件として市の謝罪を要求。会田洋市長は「市が引き取ってしかるべき場所に移設したいが、市の落ち度を認めると裁判で不利になる」と対応に苦慮している。 柏崎市などに電話して問題の背景を知った江口さんらは「自分たちにできることから始めよう」とネット上に経緯をまとめたサイトを立ち上げ、4月11日からは署名活動に乗り出した。 

像の移転先に挙がっているのが和歌山県串本町だ。明治23年、遭難した軍艦エルトゥールル号の乗組員を住民総出で救助したのが縁で、串本町はトルコと100年以上にわたり交流を続けている。来年は遭難から120周年を迎え、「トルコにおける日本年」も開かれる。昨年3月にはトルコ大使館が「像の移設費用は負担するので、土地を提供してほしい」と町に要請し、町議会は全会一致で賛成したが、「裁判の結果が出ないことには動けない」(町総務課)のが現状だ。 事態打開に向け、江口さんらは訴える。「事は両国の外交、友好にまで及んでおり、まず銅像を訴訟から切り離してほしい。一致団結してトルコとの友好を取り戻そう」と。 

会は目標の署名を集めて会田市長とウ社、外務省に提出する予定。署名目標数は1万人で、5日現在で2200人を超えた。署名サイトのアドレスはhttp://www.shomei.tv/project-932.html(永岡栄治)


ここに至るまでの全体的な経緯は、この辺↓のサイトがもっと詳しいですかね。
アタテュルク像事件のまとめサイト:http://www19.atwiki.jp/torco/pages/12.html
J-castによる記事:http://www.j-cast.com/2009/02/20036358.html

自分なりにこれまでの経過をまとめると、

ある民間企業が新潟県柏崎市にトルコを題材にしたテーマ・パーク「柏崎トルコ文化村」を創設。
           ↓
 トルコと日本の交流を促進する上で有意義な試みだということで、トルコ政府が大使館を通じてアタテュルクの銅像を寄贈。
           ↓
融資元の銀行が破綻したこともあって経営難に陥り、倒産。柏崎市が土地と建物を買い取り、地元の観光業者を中心に設立された新会社に貸付け、村の運営を続けさせる。
           ↓
でも、やっぱり経営は立ち行かず。中越地震による打撃が決定打となって、その新会社も倒産。柏崎市は園内の施設を他の企業に売却したが、その際にアタテュルク像も一緒に売りとばされてしまったこれにはトルコ大使館からのクレームがつくも、売却先が「トルコとの友好関係に十分配慮するとともに、アタチュルク像の今後の取り扱いは十分、市と協議する」という条件を付けることで何とか合意。
           ↓
売却先の企業は“村”を結婚式場に改装。アタテュルク像はそのまま放置されていたが、2007年の中越沖地震で被害を受け、台座から降ろされて横倒しに。補修されること無くそのまま野ざらしにされるなど、色々と粗末な扱いを受けている。トルコ大使館はもちろんのこと、今では柏崎市も銅像の補修・移設を望んでいるらしいが、件の売却先の企業は、「売却の際の条件に食い違いがあった(“村”の敷地内には市と関係ない民有地が含まれていたらしい)」として市に対し訴訟を起こしており、両者の関係はぐだぐだな状態。直ちに市へ銅像が返還される可能性は低い。

なお、銅像は現在施設内のどこかに保管されているらしい。←今ここ

このトルコ文化村には、実は閉園前に一度だけ行ったことがあります。もう10年くらい前になりますか。東京から青春18切符を使って、日帰りで。当時、件の銅像は村の入口に立っていたのですが、タキシードを着て背中にマントを装着したアタテュルクが馬に乗っているという、何というか奇天烈なシロモノだったという印象が強いですね。

トルコ本国でアタテュルク像といえば、軍服を着て馬に乗っているか、軍服か背広で立っているかの2パターンが普通なんですよ。そちらを見慣れているからか、あたかも“ジーンズ姿のカジュアルな毛沢東像”みたいな違和感がありました。

ああいう像は、“本場”でもまず無いんじゃないか。あちらに無いということは、世界で唯一ということです。その意味では大変貴重な像だと思うのですが、まさかこんな騒ぎの元になっていようとは.....。

↓在りし日のアタテュルク像



まあ、くれた国がどこであれ、また貰った物が何であれ、柏崎市の対応はダメダメですね。もしこれの寄贈元が米国や西欧諸国、中国みたいな大国だったとしても、彼らは同じような扱いをしたでしょうか?

“俺たちはそんな差別はしない!相手がどこであれ、市場の論理に従って売りとばすだけだ!”とニヒルに言われたらそれまでなんだけど、彼らの意図はどうあれ、少なくともこの騒ぎによって、大使館の関係者や在日トルコ人の中に感情を害している方が多々おられるのは事実な訳です。何らかの感情的な手当ては必要でしょう。

↓参考:在日トルコ商工会議所の陳情書
http://miida.cocolog-nifty.com/nattou/files/071203_seigan.pdf


それを考えれば、銅像を和歌山県の串本町に移転するという案は良いと思います。あそこはエルトゥールル号事件以来、トルコとの交流の歴史も長い。これ以上の適地は無いですよ。

↓参考動画:エルトゥールル号と串本のことを扱ったトルコのTV番組
ただですね、一つ気になるのは、いかにこの事件がトルコのメディアで報道されたとはいっても、上の産経の記事にあるように、そのために“屈指の親日国、トルコ共和国の親日感情が悪化“したとかいう話は事実なのか?ということです。

いったい何が基準で“屈指の親日国”なのかとか、そういう細かい話はさておき、現時点でいかに銅像がぞんざいに扱われているとは言え、それは地震という、ある意味“不可抗力”によるものだったわけです。別に日本人が積極的に銅像を壊そうとしたとかそういう話ではない。トルコ人というのはそれほど不寛容な人々なのか?そもそも、あちらではいかなる報道がなされたのか?

とりあえず、ネット上で確認できる事件についてのトルコのメディアや掲示板を検証してみることにしましょう。 まずは、事件について最も早く報じた日刊紙「サバフ(Sabah)」の、2007年10月8日付けの記事の全訳です。

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「倒れたアタテュルク像、日本との間に危機をもたらす」

サバフ紙、2007年10月8日 ハサン=エルシャン記者
原文:Devrilen Atatürk heykeli Japonya ile kriz çıkardı
http://arsiv.sabah.com.tr/2007/10/08/haber,8729D0E359D24EE892A589BD7C18ED3F.html
日本における“トルコ‐日本友好の村”(“柏崎トルコ村”)のあるニガタケン(新潟県のことらしい)で(2007年)6月に起きた地震では、村にあったアタテュルクの銅像も被害を受けたが、その像が台座から転落する危険があるとして地面に横たえられたことで、日土の間に危機が生じている。

銅像は長きに渡って地面に倒れたままであり、抗議が寄せられたにも拘わらず、起こされることはなかった。その地面に倒れたままの姿を日本のメディアが報道。在東京トルコ大使たるセルメト=アタジャンルはこの6トンもの銅像を引き起こし、倉庫へと移動させたのだ。友好の村は、1996年に開設されたものである。
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柏崎市による銅像の売却問題とかそうした一連の騒動についての説明は無く、ただ日本の地震で被害を受けたアタテュルク像が粗末に扱われているという話が、手短に述べられているだけですね。写真付きで。 トルコの新聞のサイトには大抵コメント欄が付いていて、読者の関心を集める記事の下にはずらずらとコメントが連なっているものなのですが、この記事のコメント欄には未だ書き込みがありません。記事がアップされてから1年半も経つというのにです。

また、グーグル等で調べてみた限り、この記事がネット上で他の新聞サイトに引用されたり、掲示板等で2次利用された形跡もほとんどない。つまり、この記事はトルコのネット民にはほとんど影響力を持たなかった、と考えてよいでしょう。

これとは対照的に、翌2007年10月9日にアップされた大手日刊紙「ラディカル」の記事は、他の新聞社のサイトをはじめとして、ネット上のいたる所で転載・引用されています。これ以降、他の新聞社が独自に記事を発信した形跡はないので、事実上、この記事こそ事件についてのトルコのネット世論を方向付けたと思われますね。以下はその記事の全訳。
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「アタテュルク像で日本が大騒ぎに」
ラディカル紙 2007年10月9日
原文:Atatürk heykeli Japonya'yı karıştırdı
http://www.radikal.com.tr/haber.php?haberno=235217

地震で横倒しになったアタテュルクの銅像が、日本で騒動を巻き起こしている。 日本の新潟市(←原文ママ。正しくは新潟県柏崎市)における地震で、アタテュルクの銅像が横倒しとなった。地震と救出作業の混乱の中、像は倒れたままの状態で忘れ去られていたのだ。

日本のジャーナリストらは、このために自国政府の対応を批判。現地の新聞に“アタテュルク像がないがしろにされている”と題した写真入りの記事が掲載されたことで、一般人の間からも“これではアタテュルクに対して失礼だ”と非難の声が生じている。

昨日、在アンカラ(トルコの首都)の日本大使館はこの事件に関する声明を出した。その声明において、日本政府と柏崎市長から説明を求めることを明らかにするとともに、状況がいかに明るみに出たかについては、以下のように説明した。:

“新潟中越地震において、アタテュルク像を台座に繋いであったボルトが損傷しているように見受けられた。像を放置しておけば、落下して破損するのではないかとの懸念から、台座から取り外され、横たえられたのである。銅像をそのように放置する意図など決してなかったのであって、柏崎市は人命救助の努力を最優先せねばならなかったのだ。”

日本大使館は、アタテュルクが日本に於いて愛され、敬意を払われている指導者であること、また(日本人の間では)彼に対する侮蔑など、まず口の端にも上らないことなどを強調した。

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どうでしょうか?

日本で銅像が粗末に扱われていたことよりも、それがわざわざ新聞記事になったり、またそれに世論が反応していることに力点が置かれています。つまり、日本社会において、アタテュルクはそれほどまでによく知られ、高い関心を払われているのだとトルコの読者に強調したがっているわけです。実際には、そんなことはないんだけど。

全体としては“日本人というのは、地震で困っているにも拘わらずアタテュルク像の安否を気遣ってくれるような感心な人たちだ”と、どちらかと言えば“美談”のような、好意的な調子でまとめられているのが分かるかと思います。

ブルサ(トルコ西部の都市)の掲示板”Life in Bursa”には、以下のようなコメントが付いていました。いずれも好意的です。というか、いかに熱心なアタテュルクの信奉者でも、これを読んで“日本人は許さん!”みたいに反応する人って、そうそういないんじゃないでしょうか。

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<ハルクのコメント>※ハルク(Halk)=トルコ語で“人民”の意。
http://www.lifeinbursa.com/haberx/24606/32/ataturk_heykeli_japonyayi_karistirdi.htm

論評ハルク1号
日本にアタテュルクの銅像なんてあったんだなあ……知らなかったよ。


論評ハルク2号
日本人は大したものね。向こうにアタテュルク像があるなんて知らなかった。


論評ハルク3号
日本人たちは俺らのアタテュルクを俺ら以上に気にかけている。何と素晴らしいことか。

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(2)に続く 



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12 コメント

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Unknown ()
2009-05-17 09:52:33
これは非常に興味深い
日本のネット上では、この像が原因だと“宣伝”されてましたが
そんなもので対日感情が変わるものなのかと疑問に思ってましたので

この運動自体良いことではあるんですが
何か引っかかるものはありました
続きにも期待
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Unknown (Unknown)
2009-05-17 12:59:09
こんにちはー。
記事興味深いです。

>トルコ本国でアタテュルク像といえば、軍服を着て馬に乗っているか、軍服か背広で立っているかの2パターンが普通なんですよ。
日本に寄贈された像が軍服を着ていないのは、
軍国主義がどーのと騒がれがちな日本に配慮してのこと、と聞きました
(ただどこで聞いたのだったか忘れてしまいました)
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Unknown (混土)
2009-05-17 13:34:01
こんにちは。迷路人さんのとこからきました

>「ムスタファ・ケマル像を移転する会」の代表は、愛知県大口町の会社員、江口保さん(20)。ネット上で知り合った有志8人が中心となって運営している。 


この会社員の若者はいったい何者なんでしょうか?トルコおたくかなんかなんでしょうか?
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Unknown (Unknown)
2009-05-17 13:44:52
>この会社員の若者はいったい何者なんでしょうか?トルコおたくかなんかなんでしょうか?

この人はおそらくVIPPERじゃないかな。VIPで銅像のことについてのスレが建っててそこで銅像を何とかしようという話になってた。今も活動してるみたいだよ
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Unknown (たなか)
2009-05-17 14:09:22
20歳会社員。せめて20歳大学生なら良かったのに。
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Unknown (Unknown)
2009-05-17 14:51:20
ニュースだけみると呪いの像という気がしないでもない
返信する
Unknown (Unknown)
2009-05-17 15:32:56
日本人が声をあげるのは良い事じゃないか。

何処の団体だろうと、アタテュルクの像を保護しようとしているんだから、俺は賛同するよ。

ところで、募金したいんだが、窓口はどこなんだ?
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Unknown (裸族のひと)
2009-05-17 21:56:38
イタリア、フィレンツェの大聖堂落書き事件を思い出しますね。マスコミは「日本人が世界遺産に落書きした!」と騒ぎ国際的な大問題に発展するかの様な報道でした。

その後、落書きした女子大生が自費で現地に赴き泣きながら謝罪していますが、テレビの馬鹿コメンテーターの一人が「もう大人なんだから泣いていないでテレビに向かって謝罪すべきでしょう・・・」と言っていました。

こりゃひでぇww 一体マスゴミは何様のつもりか!と小一時間問い詰めたくなったわ。でも当地のマスコミや一般人の反応は、イタリア人のモラルが低いから「謝罪に来たこの日本人を見習え。」 みたいな報道してるらしいですね。

今回もどちらかと言えば反日感情どころか、真面目な日本人の対応に好感を持つのでわ。

落書きした女子大生をフィレンツェが平和大使に任命した様に、後日トルコ平和大使になる人がでるのでしょうか・・・。
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Unknown (円谷@管理人)
2009-05-18 17:24:17
>牛殿
>日本のネット上では、この像が原因だと“
>宣伝”されてましたがそんなもので対日感情
>が変わるものなのかと疑問に思ってましたの
>で

どうやら変わってなさそうですw。というか、その前提からして単なる思い込みのような...。

>Unknown殿
>軍国主義がどーのと騒がれがちな日本に配
>慮してのこと、と聞きました

そうだったのか...でも、アタテュルクはやはり軍服の方が似合っているように思えます。

>混土殿
>この会社員の若者はいったい何者なんで
>しょうか?トルコおたくかなんかなんで
>しょうか?

どういう方かは分かりませんが、本当にトルコおたくならトルコとアタテュルクを同一視したりはしないでしょう。

>Unknown殿
>この人はおそらくVIPPERじゃないかな。VIP
>で銅像のことについてのスレが建っててそ
>こで銅像を何とかしようという話になって
>た。

この運動って、2ch発だったんですね。

>たなか殿

トルコ人留学生を先頭に立てれば、なお効果は大きかったかもしれません。ソープランド騒動のあれみたいに。

>Unknown殿
>日本人が声をあげるのは良い事じゃないか。

運動自体はいいことだと思っています。

>裸族殿
>イタリア、フィレンツェの大聖堂落書き事件

いや、まったくその通りだと思います。ただ、こちらは背景にかなり政治が絡んでいるので、もっとややこしいかも..。

>マスコミは「日本人が世界遺産に落書きた!
>」と騒ぎ国際的な大問題に発展するかの様な
>報道でした。

非常に偽善的ですね。あっちの一般人からも、内心はそう思われているような...。

>今回もどちらかと言えば反日感情どころか、
>真面目な日本人の対応に好感を持つのでわ。

結局はこちらの新聞を手前勝手に加工するだけだろうから、実際の日本人の行動はあまり意味はないのかも。
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Unknown (のりたけ)
2009-05-26 00:33:27
あの銅像は現地ではありえないデザインとのこと興味深く読みました。

あの像は一応、建前として「トルコから送られたもの」として
新潟中央銀行トルコ村の存在意義正当化の役割を果たし
今日もそれが継承されているわけですが・・・

国会図書館で柏崎の地元紙・柏崎日報を調べた結果、
1995年2月15日に柏崎の民間使節団体(団長は土田新吾氏)9名がトルコ訪問・トルコ政府観光局にトルコ村建設応援を要請し(柏崎日報1995.02.15)、とありますので銅像のプレゼントの件はこのとき何らかの合意が交わされたのでしょう。

例えば銅像は日本で製作するが、アタチュルクの写真提供をお願いしたとか・・・

某議員ばかりが有名で、土田氏はマスコミには一切名前が出てきませんが実は柏崎トルコ村問題の主役とにらんでおります。
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