あるタカムラーの墓碑銘

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第一章 一九九〇年――男たち (3)  (連載第7回途中~第10回途中)

2016-05-26 00:59:15 | レディ・ジョーカー(サン毎版)読書日記
第一章 一九九〇年――男たち (3)  (「サンデー毎日」 '95.7.30~'95.8.20・27)


☆日之出ビールに入って三十二年。その三分の二を営業の第一線で過ごした性根は、六月に新社長に就任した今も、消えはしない。ビールはほかの酒類と違って、時代の感性や市民の生活感覚を一番敏感に反映するが、十分なマーケティングを重ねて送り出す新製品が当たるか当たらないかの、自分なりの直感を、一人の日之出社員として最後まで持っていたいと城山は思うだけだ。もはや、一つの製品の出来に対する自分の直感など、口に出す立場ではなく、責任者以下大勢の知恵や感性を認めるのが仕事だが、それでもなお、だ。 (「サンデー毎日」'95.7.30 p95)

☆社内のどこにいようと、昔から、社員全部を足して頭数で割った風体だと言われてきたその姿は、髪が灰色と化した今も変わらず、まったく目立たない。常務時代、社内を歩いていて、すれ違った社員に「あの人、誰」と囁かれたのは一度や二度ではないし、営業をやっていた若いころは、得意先に顔を覚えてもらえずに苦労した。 (「サンデー毎日」'95.7.30 p96)

☆日之出の顔になった今、さすがに「あの人、誰」は聞こえなくなったが、経団連でも商工会議所でも、基本的状況は同じだった。要するに、顔のない経営マシンが営々と働いて、いつの間にか、そのまま経営のトップに上りつめる時代になったのだ。大正ロマンティシズムの洗礼を受けなかった昭和二桁生まれの経営者が誕生してくる時代の先鋒を、城山恭介は担いでいるのだった。経済誌の巻頭を写真入りで飾る企業人の代表でもなく、経営哲学の手本でもない。ただ、端的に日之出の全株主と全社員の利益を守る責任を負っており、顔はないが周到な実務能力とそこそこの統率力を備えて企業を率いている経営マシンが自分だ、と城山は自認していた。それだけのことだ。 (「サンデー毎日」'95.7.30 p96~p97)

☆九時の始業まで半時間弱。毎朝のその半時間の積み重ねが、城山のささやかな矜持だった。各報告書と中間財務諸表の四つを同時に開いてデスクに並べ、一緒に目を走らせ始める。数字は毎日毎日見ていなければ、勘が働かない。会計処理の細かな点をつつくつもりはなく、経営会議でも自分の口からは一切数字に触れることはないが、会社が毎日進んでいる道が順当なものか、歩みに異変はないか、広範囲に数字を見ておれば、諸々の判断を下す際の決断力の一助にはなる。 (「サンデー毎日」'95.8.6 p82)

☆一方、白井誠一の方は名実ともに役員であり、十把一からげで〈阿吽の呼吸〉と言われた保守的な日之出経営陣の伝統に終止符を打ち、日之出を変えてきた男だった。風体こそ城山と五十歩百歩で目立たないが、三十五人いる取締役のうち、将来を見抜く慧眼と実行力にかけては右に出る者はいない。 「サンデー毎日」95.8.6 p84)

☆単純な利潤追求でも散文的理念でもなく、企業活動をシステムの総体としてマクロに評価する白井の考え方は、ある意味では経営マシンの最たるものだ。 (「サンデー毎日」'95.8.6 p84)

☆城山はときどき窓から眼下を眺め、企業を統括する経営者の目とはおおむねこんなものかとなと思うことがあるのだが、白井の目にはさしずめ、この地上三十階の風景はすみずみまでもっとも効率よく機能すべきラインそのものに映っているに違いなかった。そこにあるものはシステムであって、人間でも物でもない。
翻って、城山自身は、日々重たかったり軽かったりするこの自分を動かして、二十年以上この手で物を売ってきたという感覚がまだいくらかあるせいか、私情を言えば、白井とは少し感覚的には合わないのだった。
 (「サンデー毎日」'95.8.6 p85)

☆白井というのはフグだ、と城山はよく思う。本人は、何があっても自家中毒を起こすことがなく、理路整然と言うべきことを言ってくるが、しばしば周りの人間が毒にあたる。 (「サンデー毎日」'95.8.6 p86)

☆筋を通すために、周囲に一本一本ピンを刺して、道を確保していく白井のやり方は、論旨のまともさに比べて、毒が強すぎると感じることはあった。今も、人事への采配の一件で倉田の羽根にまずピンを刺し、縁戚関係にある杉原と姪の話を持ち出して、この自分の羽根をピンで止めたつもりかな、と城山はちらりと思った。 (「サンデー毎日」'95.8.13 p70)

☆「信義を言われると、返す言葉もないが。しかし、明らかに縁の下でマッチを擦ってる者がいるのに、放っておくのはどうかと思う。実を言うと、ぼくは何かしらいやな予感がして……」白井はそんなことを言い、腰を上げた。
「予感とはまた……」
「根のない予感などない。祈りを知らない者に啓示は訪れないのと同じだよ」
城山がクリスチャンで、自分は無宗教であることを白井はときどき引き合いに出すのだが、そういうとき白井はまるで観念の議論に疲れた青年のような表情になる。
 (「サンデー毎日」'95.8.13 p72)

☆大量消費の金満の時代が終わった後に来る時代を、一言で予想すれば、おそらく《小市民的潔癖》だというのが城山の勘だった。節約、小型化、簡素、個人主義などのキーワードでくくられるだろう市民の心理は、物質的豊かさを諦めて精神的充実へ向かい、社会に〈潔癖〉さを求めてくる。潔癖な時代には、政界や銀行や企業の体質もそれに合わせて問われることになる。企業が、利潤追求より先に、社会的義務や倫理性を問われる時代は、たしかにもうそこまで来ている。 (「サンデー毎日」'95.8.13 p73)

☆倉田は、城山や白井と正反対の偉丈夫だが、体躯と反比例した静けさ、口数の少なさは、役員の中でも際立っている。城山や白井以上に顔がなく、実績だけがある。しかし倉田の場合は、顔がないというより、消しているといった方が当たっているだろう。ビール事業本部を支えているその実体は、精巧なジャイロスコープ付きの魚雷だが、先月の社内報に載った戯画では、ぬうぼうとした牛に描かれていた。ちなみに城山はペンギン、白井はキツツキだった。 (「サンデー毎日」'95.8.13 p74~p75)

☆倉田とはビール事業本部で四半世紀半、一緒にビールを売りに行った仲だから、それこそ阿吽の呼吸で、互いの歩幅まで知り尽くしている。倉田は魚雷と言われてはいるが、その無言の呼吸には、実は相当に振幅があること、感情の突沸を防ぐために自分の口を閉じているのだということも、城山は分かっているつもりだった。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p72)

☆「(前略) しかし今は、決算が先だ」そう言って、やっと倉田の顔は上がった。その顔に、エレベーターホールのガラス窓から入る日差しが当たった。倉田の目に映る地上三十階の景色は、白井や城山のそれとはまた違っている。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p73)

☆「そういえば、ビールの方。最低限前年の数字はクリアしてほしい」と城山が言うと、倉田は即座に「あと〇・一パーセント。二十七万ケース」と応えた。
「ラガーがもう少し伸びればね」
「伸ばします。この二週間の数字は、頭に来た。全支社に来月の目標数値を立て直させて、全体で何とかプラス二十七万を確保するよう、はっぱをかけますから」
 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p73)

☆そう言いながら、城山は自分の卑劣な論理を反芻し、その一方でそういう論理を並べる自分を冷静に眺めつつ、ああ俺はこういう人間なのだなと考えていた。被差別の件を口にしないほうがいいというのは、自分ならそうするということだったが、そうした判断の根には《岡田》の卑劣な手や世間の誤解を避けなければならないという会社の理屈がある。その矛盾した言い分を、杉原はもちろん察したに違いない。 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p76)

☆受話器を置いたとき、城山はしばし無意識に、窓の外に広がる夜景に目をやっていた。朝、無機質に秩序立った工場のラインのように見えた市街の広がりは、今はただの茫漠とした灯火の海だった。それを眺めながら、城山はふと、自分が眼下の夜景から拒絶され、虚空に一人放り出されたような、ほんの一瞬の心もとなさを感じた。そんな感じがどこから来たのかは分からない。ただ、不運はこういうふうに降ってくるのかな、と突然根も葉もないことを考え、放心した。
もちろん、そんな放心は数秒も続かなかったが、代わりに、たった一つの言葉で揺らぐ、この社会生活の脆さに、あらためて身震いも覚えた。
 (「サンデー毎日」'95.8.20・27 p76)


【雑感】

日之出ビール経営陣の顔見世ですね。

何が驚いたって、白井副社長が城山社長と、ほとんどくだけた口調で喋っていたこと。丁寧に喋っていることもありますが、数えるほどしかなかったかな。

城山社長も相槌一つからして、違う。 単行本・文庫で「はい」や「ええ」だったのが、サン毎版では「うん」ですよ。
今風の言葉を借りれば、二人とも「キャラが違う」のですよ。

白井さんが1歳年上であっても、地位は城山社長の方が上ですから、書籍にまとめるときは喋り方を変えざるを得なかったんでしょうね。

そして日之出ビールの経営関連のこと。『LJ』を読むときは、そのときそのときの経済状況や、企業の不祥事等を思わずにいられないのですが、例えば倉田さんの数字の話でも、「ああ、こうやってごまかしを考えたり、操作したりするのかなあ」 と思いをめぐらせてしまいます。

あ、倉田さんはごまかしませんね。本気でその数字を確保しようとしている。

ただ、上の人間があまりに突拍子もない「数字」を打ち立てると、現場で働いている人間が困る、という図式は、何年、いや何十年経っても成り立つのですね。1995年から1997年の連載でしたが、未だに「変わらない」ように感じるのが、逆に恐ろしい。

こういう日本型の経営方式は、とっくに破綻・崩壊していると思うのですが、「変わる」あるいは「変える」ことは、すぐに成果を求められるのが今も主流の体質であるからには、天地がひっくり返らなきゃ無理なんでしょうな・・・と素人ながらの感想を述べずにはいられない。

あれ、眠気で何を入力してるのか、わからなくなってきた。こんな時間だもんな。では、おやすみなさいませ。