あるタカムラーの墓碑銘

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どこから来たか分からねえから、桃太郎のモモ  (小説新潮 1990年10月号 p40)

2016-05-12 00:01:12 | 黄金を抱いて翔べ(雑誌版) 再読日記
☆2016年(平成28年)5月10日の読書メモ その2☆

2016年(平成28年)5月10日は、p24~p65の中段まで読了。(表紙はp22・23)
その2は、p65までの読書メモ。モモさんの住まいの見張りをしながら、煙草を握りつぶす幸田さんのところまで。

今さらですが今回の再読日記は、「人物描写」を特に取り上げています。


必要以上に野田が神経質にならないように、わざと話を大まかな方向に向けているのは、北川の細心な気遣いの一つだった。それが北川という男だ。周到な計算や、我の強さの下に、生来の細やかなものが覗いている。 (p38)

それに比べれば、自分は単純だなと幸田は思った。幸田には探られるような腹もなかった。事の正確さと可能性しか判断の基準にならない自分には、答えはいつもイエスかノーしかなかった。人を信用したこともない代わりに、本質的に疑ったこともなかったのではないか。 (p38)

幸田さんの感情や思考の振り幅というものは、両極にあるのか、はたまた狭いほどド真ん中なのか。

「(前略) いいか、お二人さん。この話は、とにかく楽しくやる。面白くなきゃあ、やる意味がねえんだ。勿論、成功しなきゃ話にならねえが、細かいのと細心なのとは違う。俺は細心にはやるが、細かいのは好かねえ。だから、今度の話もでっかくやる。俺は決めてるんだ。」 (p39)

モモについては、予想というものが全く立たなかった。イエスにしろノーにしろ、つつけば血が出るのは覚悟していた。それも悪くはなかった。生温い肌の触れ合いより、血を見る方がいい。 (p41)

手放しの感じのする笑みでハンサムな顔の輪郭がくずれると、雑多な生活感が野田の周りから臭い立つようだった。 (中略) どれもこれも、当り前の生活の臭いだが、自分の皮膚や毛穴には何ひとつひっかかるものはなかった。 (p42)

頭の芯が、茫々としていた。今は、昼間の暑さもリフトの唸りもアサヒビールの煙突も、何ひとつ自分の体に染み残っているものはなかった。 (中略) それらの一つ一つが生々しい質感を持ち、指の中で、目の中で、額の中心で、渾然と絡み合っているのを感じた。 (p42)

自分゛が乗っているのだということは、自分自身分かっていた。あの土佐堀川沿いに立つ建物は、自分の腹の中心に座っていた。動かし難い巨大な石の塊にふさわしい重さと固さだった。幸田は、それが消えないことを祈った。そうして何かに占領された肉体は、しばらくは力に満ち、ある一つのリズムさえ持つからだった。神経はよく働き、目も耳も冴え、普段は見えないものが見え、聞こえない音が聞こえる。まるで、世界が一瞬鮮明な姿を現わしたかのようになるのだ。 (p42)

「ヘッ、走り屋に思想も糞もあるか。下らねえ。」
それにしても、大銀行とパチンコ屋の取り合わせは笑わせる。共通項はずばり《金》だ。人民の、人民による、人民のための金。
 (p44)

それにしても、質素なセーターとジーパンに、流行遅れのショルダーバッグをひっかけた恰好は、貧相で弱々しく、何が哀しくてこんなに冴えねえのかという感じだった。上背はある方だが、何度見ても顔の特徴がはっきりしないのっぺらぼうだった。表情がないせいだ。なまりのない言葉も、動きのない顔の筋肉も、人工的で土地や生活の臭いがなく、幸田は直感的に《偽装だな》と思った。 (p45)

幸田さんから見たモモさん。幸田さん、ボロクソやん・・・。この時点のモモさんはスパイ&殺し屋だから、しょうがないんだけどね。
これがだんだんと良いほうへと変化して、「京美人」までいってしまうので、幸田さんの変化を楽しみつつ追いかけていきましょう。

モモとの付き合いは、初めから不純だった。モモと自分をつないでいる糸は、幸田には初めから見えていた。決して興味も感心もあるわけではなかったが、偶然から始まった関係は、生きるための本能的な駆け引きのように、はっきりと自分の生理を刺激していた。戌が、よそ者の臭いを本能的に求め、かぎつけ、闘争の環境を作り出すように、自分はモモの臭いをかぎ付けたのだ。 (p46)

いい歳をした一人前の男に、何の初々しさか。改めて考えると、下らないと思うが、モモを見るたびに、ちょっと胸を打たれるものがあった。冬眠から覚めたクマじゃあるまいし、何がそんなに嬉しいのか。それほど、晴れやかに楽しげに笑う。 (p46)

モモの笑顔は、自分の足の裏に貼りついた魚の目になり、いつの間にか、切り離せない生活の一部になっているのを感じた。もっとも、その魚の目は日増しに固くなってはいたが、まだ殆ど痛みもなかった。時々何かの拍子に、ハッとする程度だった。まだそれほど鋭くない、うずくような熱を持っていただけだった。しばらくすると、いつの間にか消えてしまっていた。 (p47)

幸田さんから見たモモさんの描写を並べてみましたが、モモさんに対する幸田さんの振り幅も、プラスマイナスが激しい気がする。持ち上げたと思ったら否定して、貶めたと思ったらまたもや否定。何なんだ、幸田さん。

止まった指先が、何か弧を描くように台のガラスを撫でた。放心すると、人間はいろんな癖が出るものだが、こいつは指絵を描くのか。不思議な感じだった。弧は一つにつながって円になり、それを真っ二つに断ち割る一本の直線が引かれた。 (p50)

補足すると、「台」はパチンコ台、「こいつ」はモモさんのこと。

煙の向こうで、獣の目がじわりと輝きを増したようだった。北川の、獲物を狙う本能の輝きだった。幸田は、ともかく感心した。この目があるから、怒りも昇華する。北川でなければ、ぶん殴っているところだろう。 (p52)

春樹が事務所から出てきた。手に、バールを一本持っているだけだった。春樹は、闘いに臨む肉体になっていた。筋肉が緩み、神経は萎え、本能だけが目覚めている、ある独特の空白状態だった。
かつて何度か、自分もそういう経験をした。人並み以上の体格ではなかったから、ケンカはいつでも苦手だったが、一旦、暴力にさらされた肉体と精神の惨めさを覚えると、体の方が自然に殴り合いの仕方を学んだ。恐怖はあるが、恐怖を律する神経が奮い立つようになった。春樹も、すでにそれを知っているようだった。
 (p57)

だが春樹は、どちらへも足を踏み出さなかった。左右から距離を詰めてくる男らを見ているようでもあったが、神経のほとんどは、内環状を流れる車と、行きかうマシンに向かっているのを幸田は見抜き、《へえ……》と思った。 (p57)

春樹の描写では、上記2つ挙げた、この辺りが一番好きです。爆発する前の、感情を溜めに溜めたギラギラ感、とでもいえばいいのか。幸田さんのみならず、北川兄もこういう時期や経験があったと思われますね。

幸田は、そう言うが早いかドアに手をかけたが、北川の手の方が早かった。幸田は掴まれた手を振りほどこうとしたが、北川が力をこめてきたその手は、ビクともしなかった。こうしてこれまで、北川という男はいつも、幸田の壁を踏み越えてきたのだった。人の領域を犯し、侵入してくる北川の威圧感は、暴力と君臨の同義語だった。しかもそれはいつも、緩急自在の呼吸と、熱砂のような吐息が一緒だった。。幸田は反射的にそれを怖れ、用心し、普段は忘れているが、思い出すと憎悪が噴き出した。 (p63)

すると、北川はやけに柔らかい目で、またにやにやした。
「俺には分かってるよ。軽い、軽いと言いながら、何一つ軽くないのがお前なのさ。そういうのが好きだがな、俺は」
 (p64)

モモが捕まればよいと、本気で考えた。そうしてモモが消え、この四ヶ月あまりの月日が立ち消える時のことを漠然と思いながら、幸田はただ、もくもくと双眼鏡を覗き続けた。
そうして、二つのレンズを覗きながら、無意識に、闇を穿つ二つの醜悪な穴を探していた。いつの間にかその穴を共有し、一緒に逃げ、走り、呪っていた。人殺しの興奮と欲情に巻き込まれていた。
幸田は、吸いかけのタバコを素早く手の中で握り潰し、血の気を降ろした。寝ている春樹に気付かれずに、自分を処理するにはそれしかなかった。
 (p65)

ホンマ、幸田さんて極端やわ。


【実在のこと、あれこれ】

☆桑原武夫 (p39)…作家、フランス文学者。本を読んだことも、翻訳した本を読んだこともない。すみません。 ただ、個人的な印象では「翻訳家」のイメージが強いのだが、ジイちゃんが読んでいるのは翻訳した本ではないでしょう。

☆「ランボー3」 (p64)…シルベスター・スタローンの<ロッキー>シリーズと並ぶ、彼の代表作シリーズでしょうね。 しかし私は<ロッキー>シリーズも<ランボー>シリーズも観たことはない。 スタローンで観たのは、シャロン・ストーンと共演した「スペシャリスト」。いかにもアメリカらしいアメリカの理論で進むハチャメチャな内容でした。(うろ覚え&棒読み)