花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祝詞をつくってみました。こころのみはしら(心柱)祝詞です。

2017年12月31日 05時52分55秒 | 感謝の心柱

上の写真は,伊勢神宮 内宮の別宮で瀧原宮の御手洗場です。

こんにちは。

富士山を眺めているときフッと湧き上がって来る想いがありました。それは,自分自身で祝詞(ノリト)をつくり,その祝詞を神さまへ奉納すること。このブログの趣旨である「心柱」に感じるまま私のオリジナル祝詞「前段」をさくせいしてみました。

こころのみはしら「心柱」祝詞

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

前段終わり。

今年もありがとうございました。

花咲 あさひ 拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


龍と追っかけっこして遊んだ日。

2017年12月30日 07時38分17秒 | 歓びの心柱

富士山本宮浅間大社の楼門です。

こんにちは。

上の写真は,昨日も少し記事で書かせて頂いた富士山信仰の中心である浅間大社の楼門です。

わたしは,御本殿を写真に撮ることが出来ないので,これが限界です。神社上空は,雲一つない晴天でした。

富士山に向かっている途中,大空に2躰の龍(雲)が顕れました。夫婦なのか?兄弟姉妹なのか?はたまた友達なのか?は解かりませんでしたが大空で遊んでいるような感じがしたので,浅間大社まで競争を申し込んでみると,何と!わたしの横に並んで並走し,私を追っかけて来ます。しばらく,そんな感じで遊んでいましたが何十キロも離れていた場所だったので,私もすっかり龍と競争しているのを忘れ浅間大社に到着し,フッと龍と競争して来たことを想い出すと既に龍はいませんでした。でも,楽しかったです。

きっと,浜名湖に棲息している龍だと思います。

龍との出会いは他にもたくさんありますが,龍が棲息する場所には共通点があります。

それは,①鎮守の森があること。②綺麗な水が存在すること。③争いのない場所です。

③は意外に思われると思いますが,龍は争いが大っ嫌いなのです。

人が所有の概念を持ちはじめ,争いを繰り返すようになって,龍は鎮守の森の奥深く,湖や池の奥深くに隠れたのです。

ですが,人間による様々な自然破壊,環境破壊が龍の居場所を奪っています。我が家の神棚に龍が水を呑みに来るときがあるので,1日1回は御水を取り替えています。御水を交換する本当の理由は別にありますが,神棚の榊が枯れると龍が御水を呑みに来たことが判るのです。龍の身体(体重)はゼロですから,榊は倒れたりしません。龍が着陸や離陸するのには榊(木)が必要なのです。

以下は「2016.9.3」に掲載した「龍泉洞 そこは龍神が棲息する聖域です。」と云う過去記事です。

上の画像は被災前の龍泉洞内の(御神水)です。ドラゴンブルーと呼ぶ人もいるようです。

こんにちは。今般の台風10号の影響で岩手県岩泉町に御鎮座されております龍神が棲息する「龍泉洞」が水没してしまいました。昨日の夕方,インターネットのニュースで知りましたが,とてもショックです。この龍泉洞は日本三大鍾乳洞ともされていて,東北地方では有数の名水とも知られています。私も龍泉洞の御神水は自宅の神様へ捧げておりましただけに何とも云えない気持ちであります。水は正に私たちの生活に欠かすことの出来ないものですし,縄文神道にとっては神様そのものなのであります。現代の神社神道においても水つまり,御神水は禊やお祓いの際には,神前に捧げられています。その龍泉洞が水没した意味はとても大きなことでもあり,日本でも水の有難さを思い知らされる前兆かもしれません。日本の御水は金の10倍の価値が本当はあります。

これをただの台風の災害や被害と受け止めては絶対にいけないと私は考えています。まさかと思いましたが,龍泉洞の公式ホームページを確認しても「復旧の見通しはたっていない」とされていました。今日からしばらく,御神前の水祀りは龍泉洞の御神水を捧げさせて頂きます。このニュースを拝見した時に,私の頭の中で先日記事にさせて頂いた龍神雲のことを思い出しました。こちらです「龍神と麒麟に歌姫。今日は独り言です。」もし宜しければ読んでみて下さい。あの時の龍神さんかもしれない。事前に避難したのかもしれません。仮にそうだと良いのですが,万が一,未だ龍泉洞の洞窟内にいるかもしれません。龍神は清らかな水に棲息しています。汚れた水では棲息できませんからちょっと心配です。怪我などしていなければ良いのですが・・・。

私にとって龍神さんはとても身近な存在で,過去にもたくさん出会いがありました。「氷川神社の龍神さん」「室生龍穴神社と室生寺の龍神さん」「富士山へ帰還した龍神雲」「とあるお寺の龍神池」などなど。以前には,私の自宅の神棚に御水を飲みに来た時もありました。今日もいつもの様に意味不明で変なことを申し上げておりますが,それで良いのです。この日本には超太古の昔から自然すべてに神が宿り,人間は自然に生かされ,自然と共に共存共栄して来た自然崇拝と云う信仰がありました。その子孫が私たちですから本当は判らないはずがないのであります。もし,判らなければ私たちの方に問題があると思っています。

よく,龍神伝説とか言われる方々がいますが,伝説でもなんでもありません。本当のことです。

私たちの遠い祖先である縄文人はもっとリアルに正確に観えていたに違いありません。現代に生きる私たちが感じない様にしているだけです。今朝は,太陽神に龍泉洞の龍神さんを助けて下さいとお願いしました。一之宮の神様へも報告に行き,池の畔に御鎮座されています弁財天「宗像大社」へ龍泉洞の御神水を奉納されて頂きました。ここの神池にも龍神さんが棲息していますから地下深くで龍泉洞と繋がっていたら良いなと思っています。おとぎ話のようかもしれませんが可能性はあります。

一日も早く,綺麗な御神水に戻られることを祈っております。私たち人間が,龍神や精霊の居場所さえも奪い,身勝手に自分たちの利益だけの為に自然を汚し,破壊する行為は直ちに止めなければなりません。今回の龍泉洞の出来事がそれを教えてくれているように思えます。あの東日本大震災で起きた巨大津波と古から伝わる神社の配置,先祖からの伝承話を興味深くインターネットの動画サイトで拝見させて頂きました。御見事としか云いようがない程の正確性でした。また台風がやって来ています。今度は,九州地方です。くれぐれも事前の備えをお忘れなく用心されて下さい。もう人が亡くなるニュースは勘弁願いたい。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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富士山へ感謝。~御神水と御神木~

2017年12月29日 09時28分41秒 | 感謝の心柱

霊峰 富士山です。昨日,仕事の帰りに撮影させて頂きました。

こんにちは。

昨日は,仕事の出張で愛知県の名古屋市と江南市と云うところに行って来ました。

その出張の帰りに,多少の時間もあったので,

富士山のすぐ近くまで行き富士山の神さまをお祀りする2つの神社にも参拝させて頂くことが出来ました。

愛知県から静岡県まで,龍雲と追っかけっこをしていましたが,神社に到着したらいなくなっていました・・・。

 

1つめの神社は,駿河国の一之宮で,浅間神社の総本宮として,また,御神体(富士山)の頂上に奥宮があり,その管理管轄をする神社で,且つ,何と富士山の8合目以上は浅間神社の境内地と云うことです。正式名称を富士山本宮浅間大社と申します。つまり,昔から富士山信仰の中心であった神社です。私が,ここ浅間大社でいちばん印象に残ったのが東脇門にある湧玉池でした。この湧玉池の御水は,富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するとのこです。

湧玉池から流れ出ている水の勢いは,どことなく上賀茂神社のならの小川を思い出させる光景でした。

 

そして,何と!!私が探し求めていた御神木が,次に向かった神社境内にそびえ立っておりました!

それが上の写真の御神木なのです。思わず見た瞬間は「ここにあったのか!」と咄嗟に抱き着きたくなってしまいましたが,すごく感動しました。実際に目の前でみると圧巻させられてしまいます。御神水と御神木こそ古神道です。現代の神社神道においても同じであり「御神水」と「御神木」にはとても重要な意味があります。

その2つめに向かった神社が大杉に囲まれた神社である北口本宮浅間神社です。先程の富士山本宮浅間神社は,どちらかと云うと優しい感じがする神社でしたが,こちらの北口本宮浅間神社は大杉に囲まれ,境内にそびえ立つ数本の御神木から神社を守護している精霊に監視されているかのような神社です。古神道系の神社には特に多いのです。何か不敬なことがあると???ってな感じを強く受けます。山岳信仰や修験道などの聖地であった場所かも知れません。2つの神社で陰と陽になるのだと思います。

鳥居正面から参道沿いの両脇にそびえ立つ大杉の感じや,ピリッとした感じは,奈良県の室生龍穴神社の厳しさに似ています。

両御宮,大変素晴らしい神社でした。仕事の出張帰りに,とても贅沢な思いをさせて頂きました。拝

富士山本宮浅間大社 公式ホームページ http://fuji-hongu.or.jp/sengen/

北口本宮富士浅間神社 公式ホームページ http://sengenjinja.jp/


 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


先富論とトリクルダウンの失敗 ~格差の増長~

2017年12月28日 04時01分36秒 | あさひの経済新書

こんにちは。

今日は,出張で愛知県に来ています。これから車の中で,少し仮眠をしようと思います。

世界で増々,拡大し続ける資本格差主義経済。

私たちが暮らすこの日本においても今や,経済の格差は明らかに実感を伴って来ていると感じます。

先富論とトリクルダウンでは,経済が成長しても格差の是正には為り得ません。その辺は,また後日記事にて。

以下は「2016,7,5」に掲載した神道に観た御日供と現代の経済ファンド」と云う過去記事です。

いきなりですが,神社の御日供(おにっく)と云う言葉を御存知でしょうか。今日は,この御日供を記事にしたいと思います。

現代の神社神道に「御日供講」若しくは「御日供会」と云うそれぞれの神社の中にある護持会があります。この御日供講では何をしているのかと云うと,毎日,神様へ奉納する大御饌「御米」「御酒」「穀物」などの購入費用を講に参加する皆で少ない資金を出し合うと云う護持制度です。それぞれの神社で奉納する金額は違いますが,平均年間一人5000円です。したがいまして,単純に日割り計算すると1日当たり13円から14円になります。

私は,この御日供と云う護持制度がとても好きです。何故かと云うと経済の原点である五穀豊穣に感謝し,新鮮な御米や穀物や御水,御酒を奉納できるお祀りに参加出来るからです。しかも,この御日供制度は,おそらく経済の金融ファンドの元ではないかとも考えています。そんな大袈裟なと思うかもしれませんが,本当にそう思っています。それは,不特定多数の人から少額のお金を集めて奉納品を購入し御祭りとするからです。違いは配当があるかないかです。精神的な配当は相当のものだと思いますが(笑)

現代の我々が考える仕事とは,正に神道に云うお祭りごとではないかと真剣にそう考えます。仕事こそがご神業であり,最も良い修行となると思うのです。よく神社などで,ご神業と云って複数の人たちで参拝しては宗教の勧誘をしたり,大きな声で呪文らしきものを唱えたり,他の参拝者の邪魔になっているのもお構いなしで,円陣を組んで演技をしている方を見かけることがあります。神社は個人が日々の生活に感謝し,神様へその想いを奉納する場所と云うことが現代の神社の役割となっています。先日も私の暮らす地域の一宮と氏神神社で,そのようなことがあり祓いをして来ました。感謝の気で満ちた神域には必要ありませんので。

私は古神道ですから,朝起きて太陽神に感謝を捧げて,夜には北斗七星に感謝を捧げています。日中も山を見れば山を拝し,川を見れば川を拝し,空を見上げれば空を拝しています。そのことは,特別何を祈願する訳でもなく,ただ日々の暮らしに感謝しているだけです。祈願も祈祷も何もしません。神社で御願いこともしません。それが正しいとも思っていません,ただ祈るだけですから。

一番最初,御日供と云う制度の存在を知ったのは,京都にある貴船神社でした。何時ものように綺麗な拝殿をじろじろと見渡していた時に,何やら鴨居の上部分の壁に人の氏名がズラリと並んでおりました。なんでも知りたがる私は,帰宅してから早速,調査!                                                                すると,どうやら御日供講の参加者の氏名であることが分かりました。そして,御日供についてさらに調べている最中に,感動してしまい,この制度は凄い!だれが考えたのだろうと想いながらさらに調査を続行して辿り着いた先が経済金融ファンドでした。

御日供を勉強していて,現代の経済金融ファンドに辿り着くとは,何やら訳が分かりませんがそれも良しとします。それと,この貴船神社さんは岩から湧き出る御水,つまり御神水がとても美味しいです。以前から,貴船神社さんの御神水を自宅の神様へ奉納したいと思っていましたので,専用のボトルを購入(1本300円でした)し,2本分の御神水を授与して頂きました。感謝。

きっと,今に伝わる日常生活の様々な事柄が神道や仏教から発生し,形を変え現代でも承継されているのでしょうね。                                まさに,故きを温ねて新しきを知るです。ちなみに,伊勢神宮では日別朝夕大御饌祭と云う御祭りがされております。

伊勢神宮の日別朝夕大御饌祭 http://www.isejingu.or.jp/ritual/annual/higotoasayu.html                             貴船神社の御日供講 http://kifunejinja.jp/onikukou.html                                            上賀茂神社の御日供講会 http://kamigamojinja.jp/group/index.html

上の写真は,貴船神社の有名な赤灯篭参道です。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


山を下りた観音さまの後を追えない宗教家。

2017年12月27日 05時32分39秒 | 勇気の心柱

こんにちは。 

互いに支え,助け合い,足りないところを補い合い。

人にはぞれぞれ違いもあり,その違いを互いに認め,尊重し合うことが相手を思いやることに繋がる。

私が自分自身に語りかけている言葉です。又,このブログを書かせて頂いている目的と趣旨の1つでもあります。

私たちの太古の祖先が持ち合せていた人として生きて行く為の叡智でもあると同時に,神さまの御心だと感じていたようです。

以下は「2016.7.21」に掲載した「神様はあまり宗教家には期待していないようです。」過去記事です。

私は仕事柄(霊能者や占い人ではありません),ほとんど毎日,生きて行くことが辛くて,苦しく感じながら過ごしている人とお会いします。その仕事を通じ,社会の理不尽や不条理とも言える様な出来事も数々あります。その根本の原因を探すことなど出来る訳もありませんが,同じ日本人でありながら,同じ人間でありながら何故,これほどまでに違うのかと思い知らされることが最近は特に多くなって来ているように実感としてあります。そんなことは,人はそれぞれ違うのだから当然だと言われてしまえばそうなのかもしれません。自分の人生なのだから自己責任で自由に生きて行けば良いのだと考えながら過ごしている人もいると思います。

しかしながら,前にも記事中で少しだけ書かせて戴きましたが「明日は我が身」だと云うことは,特定の人だけではなくすべての人に当てはまる言葉ではないかと私は考えます。健康の問題,金銭(経済)の問題,恋愛の問題などなど上手く行くことが未来永劫継続するなんてことは誰においてもありません。又,よく社会的弱者と云う言葉を政治家の方が使われますが,この社会的弱者と云う言葉の意味は,人は置かれている立場や環境で常に変わると云うことなのです。常に強者であり続けるなんてことはありえません。逆に,常に弱者であり続けることなどもありえません。常に変化します。誰においてもです。

つまり人は「その時」「その状況」「その事柄」において変わると云うことを書かせて頂きます。だからこそ,この国には,お互い様と云う日本人特有の考えや思想が太古の昔からあります。本当は「ありました」と過去形なのかもしれませんが,私は未だ諦めたくはないので「あります」と云う言葉を使いたいと思います。それが,いつも間にか自由主義だから良くなるのも悪くなるのもその人の問題であって,他の人には関係ないと云う風習が出来上がってしまい,ちょっと人生に失敗してしまうと元に戻すことがとても難しい,厳しい社会構造がこの国には出来上がってしまいました。政治家の責任は大きですが,政治家だけのせいでもありません。

又,そのような「その時」「その状況」「その事柄」において弱い立場にある人が最後にすがるところに所謂,宗教家や霊能者,占い師,祈祷師などなど目には観えない世界に救いを求められる人も非常に多い社会であります。私は,この霊能者のした行為を後から処理したり処分したり,闘ったり,時には霊能者の相談に乗ることも仕事柄あります。昨日もあるお寺で住職さんと寺族(家族)と協議して参りましたがそのほとんどがお金の問題です。99%の確率でお金の問題です。本当に困っている人の役に立ちたいと真剣に考え,行動されている宗教家の方もいることは,私も実際に知っております。真面目に修行されている方もいらっしゃいます。

しかしながら,その割合は限りなくゼロに等しいです。近年の霊能者は学習脳力を備えたのか,それとも理屈をどこかで学んだのか知りませんが,悪い意味で手口が巧妙で且つ,次々と新手になって来ています。これから社会が一時,とても不安定になって来ます。そんな時,目には観えない世界に救いを求めて行く方も多くいるのではないかと心配でもあります。そんな時は,どうか自分の人生を今一度,振り返り省みて反省すべきところは反省し,神様と先祖へこれまで生かされたことに感謝申し上げ,苦しく感じてしまう時には,自分よりも苦しい思いをしている人が世の中にはいるんだと云う謙虚な姿勢で自分を冷静に見つめて欲しいです。

生きて行くことが辛く,苦しく,悲しく過ごしている同じ日本人が,この国にはたくさん住んで暮らしています。今こそ,真の宗教家の起ち上げるべき時です。何をして良いのか解からないのであれば,せめて自分の神社の氏子崇敬者さん,お寺であれば檀家さんや信徒さんに声を掛けてあげて下さい。必ず苦しんでいる人がその中にいるはずです。神様や仏様に誓ったあの日を思い出してください。狼煙を揚げて下さい。本来の宗教家の使命を己の魂から目覚めさせ,呼び起こしてください。

そして,山を下りた観世音菩薩の後を追ってください。それが出来ないのであれば,宗教家は宗教家を辞めるべき時が今です。

 


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


神の御子の素直さと精霊たちの活躍。

2017年12月26日 07時30分46秒 | 素直の心柱

こんにちは。

今日は,ひとりの女性が神社を参拝した時の様子をマンガ風に書かせて頂いた過去記事「2016.7.15」に掲載した「あなたが神社に参拝する日 神社は大忙しです。」を再度,紹介させて頂きます。氏神神社や太古から続く神社(数千年以上も前の古神道系の神社)では,参拝に来る人々のことが事前に判っているようで,その参拝した人々の日常生活に対する姿勢や態度,心の持ち方次第によって感じ方や神社に参拝した時の想いが違うようです。つまり,神さまはすべてをご覧になっているということであります。

以下に再掲載します。

まずは,上の写真をご覧ください。先日も記事にさせて頂いた霊峰白山をお祀りする平泉寺白山神社に2躰の精霊が現れました。明らかに男女ですね。女の子の方は,どこかカバに似ているようにも観えます。ハートの絵柄のスカートも少し短いようですね。となりの男の子は牙が少し出ていて,水色の半ズボンはちょっと下げた方が良いかな。見えそうです。

先日の記事「平泉寺白山神社 霊峰白山の隠れた秘境」宜しければご覧ください。この白山平泉寺は秘境ですよ。本当に。                                                                               

そしてなんと今日は,この2躰の精霊からの波動つまり,音を心柱に降ろし言葉に変換することにして観ましたので,その内容を記事にしてみたいと思います。皆さまも神社やお寺で掃除をされている様子を見かけたことがあると思います。でも,どうして掃除しているかはあまり深く考えたことがないとも思います。私もそこまで考えたことはありません。掃除は毎日するもので日課ですから。まして,神様の神域は常に清潔に保つことは当然であると誰もが考えると思います。しかしながら,その他にも別の理由が存在していたのです。私もそんな理由が掃除にはあったのかと感心致しました。ちなみに,この2躰の精霊には,すでに名前が付いているようで男の子は「チャマゴン」女の子は「チャマリン」と云うらしいです。 

実は,私たちが神社へ参拝する早朝,神社ではこんな出来事が起きているのです。

それではひとつ小話風(マンガ)にてご紹介させて頂きます。

精霊 チャマリン:

今日は,あなたが太神さまに会われるので,私たちは大忙しなのです。朝から総出で掃除をしています。

今日の朝礼で,眷属さんからあなたが来るって聞いたから皆で掃除をしているのですよ。神社で働く神職さんたちにも手伝ったもらってるけど,塵ひとつ残すこと許さんと言われているから大変なのれす。眷属さん恐いし。すぐ怒るし。

精霊 チャマゴン:

そうだよ!そうだよ!眷属さんすぐに怒るんだよな!言い訳するなとかさ。怠けるなとかさ!

眷属さんだって,木の上とかで座っているだけなのにさ。僕なりに一生懸命やっているんだけどさ。休む暇もありゃしないよ。今日も眷属さんが観ていらっしゃるし,さぼる訳にもいかないしね。ボーナス出なくなっちゃうしな。でも,きちんとお掃除が出来たらご褒美に今日は直会(なおらい)だってさ!また伊勢の太御神様の下へお参りに連れて行ってもらえるかもしれないしさ。

精霊 チャマリン:

昨日の夜に,あなたが明日は,久しぶりに平泉寺白山神社に参拝しようと言う思いの波動が太神さまに届いたのですよ。そうしたらもう太神さまは大喜びで,喜んで,喜んで凄かったのれす。だからあなたも昨日の夜,寝るとき楽しみで仕方がなかったでしょう。そりゃそうなのですよ,太神さまの歓喜の波動が届いてるんだから。楽しいに決まってます。

精霊 チャマゴン:

そうだよ。この間なんてさ,あなたが泣いているから太神さまも心配で心配で,僕に「ちょっと,そなた行って見て御座れ」って言うからあなたの部屋にどうして泣いているか見に行ったんだ。知らないの?太神さまは,なんでもあなたのことを知っているから泣いている理由もすべてわかっているけど,僕たちには悲しみの波動しか伝わらないんだ。ほら,まだ牙がそんなに大きくないだろう。眷属さんと比べると全然ちがうの分かるでしょう。もう少し修行が進めば大きくなるんだ。

精霊 チャマリン:

あなたが生まれて来てくれてから,ずっと,ずっとそうなのです。あなたが,子供の時も学校の行きも帰りもちゃんと学校に行けるように,交通安全で家に帰れるようにって太神さまが眷属さんへ御守護の命令をするのです。だからちゃんと家に帰れてたでしょう。最近,人間界では車や自転車が危ないれすからね。あなたが大きくなって,仕事が決まった時なんて凄かったのですよ。

太神さまが眷属さんや私たちのみんなを集めて,ここの境内で大宴会をしたのれす。

精霊 チャマリン,チャマゴン:

あっ!眷属さんだ!それじゃね。バイバイ・・・。怒られちゃう~・・・。

眷属さん:

みなの者。整列じゃ。もうそろそろ御子様が参られる頃じゃ。参道に一列に並び御子様をお迎えじゃ。

御子様が参道をお進みなされている間は,太鼓を叩け。笛を吹かれよ。祝詞を捧げよ。よいか!

精霊 チャマリン,チャマゴン:

はっ!はい! みなの者って,二人しかいないんだけどな~・・・? あっ!眷属さま。御子様ご到着です!

眷属さま:

うむ。そのようじゃな。立派になられた御様子。先に太神さまにご報告申し上げて参る。

申し上げます!ただいま御子様,御到着され,参道を進んでおられまする。

白山ひめ太神:

そうか。参ったか。

 参拝するあなた:今日も綺麗な参道だな・・・。天気も良いし,清々しくて気持ちが良いな・・・。

精霊 チャマリン:

そりゃそうだよ。わたしたち二人で一生懸命,掃除したのですから。ねっ!チャマゴン。

精霊 チャマゴン:

そうだよね~・・・。

 参拝するあなた:パン!パン!(柏手)神様いつもありがとうございます。これからも一生懸命頑張ります。

白山ひめ太神:

よう参ってくれました。待っていましたよ。大きくなりましたね。そして,立派になりました。(涙)

生まれた時分は,少し心配であったが,すくすくと育ち。人にも優しく,たくましく育ちましたね。善きかな,善きかな。

もう少し近くで顔をよく見せておくれ。可愛い御子よ。愛しい御子よ。これからも父様,母様のことお願いしますよ。

大きく育ててくれた御恩を決して忘れてはなりませんよ。大切に。大切に。神の御子よ・・・。こんなに立派になられて。

精霊 チャマゴン:

あっ! 太神さま,嬉し泣きしてる。ほら。

精霊 チャマリン:

ほんとうだ! 嬉し泣きしてる・・・。よっぽど太神さま嬉しいのですね。

精霊 チャマゴン:

池の鯉なんて嬉しくて,御子ジャンプしてるし! ぼくもなんだか涙が出てきちゃうよ。

眷属さん:

太神さまも御子様に逢われて嬉しいのであろう。最近,御子様も仕事やら何られで来られることが少なかったからのう。

 参拝するあなた:なんだろう・・・? 今日は,自然に涙が出ちゃうな。

白山ひめ太神:

さぁ,もう下がりなさい。そして,また訪ねて来なさい。

心に宮柱太しき立て,五つの心柱に千木高しりて。己を信じ,神の御子であることに誇りを以て,自信を以て種をまきなさい。

そなたが蒔く種です。きっと大きく生るでしょう。さぁ,早く帰らねば雪が降ります。今日は,少しばかり多く降らせると祓戸大神から言の葉が届きました。

 参拝するあなた:それじゃ帰ります。また参拝しに来ます。今日は,いつもと違う感じだったな~。。。

白山ひめ太神:

神の御子よ。愛しい御子・・・・(涙)真っ直ぐ,父様,母様の下へ帰るのですよ。

御眷属。御子を無事に家まで御守護するように。道中の雪が心配です。

眷属さん:

心得ました。しかと御守護致します。

精霊 チャマゴン:

ぼくは,明日お休みだよ。この間の七夕に休日出勤したからさ。だから隣町の永平寺と大和の玉置神社に遊びに行くんだ~。

精霊 チャマリン:

えっ!ほんと!いいな~・・・。私も行きたいな。明日はどこの御子様かな?・・・。ひとりぽっちでお掃除か。。。

 

おしまい。

信じるか,信じないかは皆さま次第です。                                                                            神社へ御参拝の折には,神様へ感謝を捧げてみて下さい。必ずやその想いは届きます。                                                                そして,神社を守護してくださっている御眷属様にも精霊さんにも感謝を捧げると喜んで頂けると思います。                                    その喜びの波動が,現実的に暮らす私たちへ別の形として出現していると私は考えております。時と場所と事柄を変えて伝わってくるから私たちはなかなか理解できないのでいるかもしれませんが,省みたときに全て判るように思います。

神さま,祖先の加護を得ていたことが判るとも思うのです。

上の写真は,福井県勝山市白山平泉寺さんからお借りしたもので,私が撮影したものではありません。                                              平泉寺白山神社 http://heisenji.jp/ とても素晴らしい神社です。是非,一度は参る聖地だと思います。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


多く人が感謝を捧げる伊勢神宮 ・~・内宮・~・

2017年12月25日 08時52分14秒 | 結びの心柱

上の写真は,二見興玉神社で撮影させて頂きました。いつも海の神さまに祈っています。

こんにちは。空の青さは,海の青さが反射しているからなのです。

あらためて,上の写真を観て,自分自身の心柱(こころのみはしら)に音を降ろすとそんな言の葉が生まれます。

海に祈れば,空は歓び,海を汚(穢す)せば,空は悲しみ,やがて怒る(祓う)。これが自然界の掟であり,仕組みです。

毎年,この時期になると1年の締めくくりに京都,奈良,そして伊勢神宮に参拝させて頂いて来ましたが,今年の年末は仕事の関係もあって参拝することが出来ません。参拝するほとんどが1人ですが,うちの事務所の長老さんともよく参拝をします。

私の事務所は,わたしと長老さんの2人だけのとても小さな事務所であります。代表者の私が郵便局の配達員のアルバイトをするくらいですからいつ潰れるか解からないような事務所です(笑)。まぁ~,倒れてもまた起き上がれば良いだけです。

年末年始の伊勢神宮では,多くの人々が1年を無事に過ごすことができ,また今年も1年を無事に過ごすことが出来ますようにと祈りを奉げると思います。そして,日々の暮らしに感謝し,自分の心の中に存在する神さまを感じて頂きたいと思います。誰の心の中にも神さまの分魂を宿しています。行き着く先は,誰であってもみな同じだと私は感じています。あんずることはありません。

さて,以下は「2016.10.3」に掲載した水の神への感謝参詣 伊勢神宮「内宮」 編と云う過去記事です。

  

こんにちは。また台風(18号)です。沖縄に接近している様子ですが,避難勧告も発令されているようですので,早めの避難と準備に備え,どうか御用心下さい。台風のような自然現象は,事前の防災対策である程度の被害を減災できると思います。以前にもブログで情報提供させて頂いた,自治体が取り組む災害対策基本法に基づく「災害時要援護者」登録などの制度を活用されることで,自治体も被災者救出に向かう時間を大幅に短縮できると感じています。独り暮らしの高齢者や被健常者,乳幼児を抱える父母,日本語をしゃべることの出来ない外国人などの所謂,災害弱者の為に設けられている制度です。各市役所の防災対策課などで案内をされているはずですので確認されてみて下さい。もし,自分が被災者になってしまった時,必ず助けに来てくれると云う精神状態と助けに来てくれるかどうか解らない状況の精神状態では,私個人的には少なからず精神状況の面で違ってくるように思っています。

さて,早朝の外宮さんを参拝させて頂き,次に向かうのはお馴染みの内宮です。上の左側の写真は宇治橋の入口です。この画像はテレビやニュースでも放送される際にたびたび使用されているので見たことのある方も多いと思います。そして,右側の写真は宇治橋を渡りきったところに立つ鳥居です。この両方の鳥居を支える柱は,今回の式年遷宮の為に撤下された御正宮の棟持ち柱だった重要な柱です。つまり,古材です。ちなみに,宇治橋入口に立つ鳥居の柱は外宮の御正宮を支えていた棟持ち柱で,宇治橋を渡ったところに立つ鳥居の柱は内宮の御正宮を20年支えてきた重要な柱であります。

したがいまして,現在の外宮・内宮の御正宮を支えている棟持ち柱は,20年後に宇治橋の鳥居として御鎮座されるのです。さらに,それだけではなく,宇治橋の鳥居としてのお役目を終えた後に,三重県桑名市の「七里の渡し場跡」で新たに鳥居として復活されることに定められているようです。通算すると60年と云う年月です。

私が住む地域の氏神神社にも第60回式年遷宮で撤下された古材を貰い受けて鳥居として建立しております。内宮の御手洗場ですが,この日は連日の雨で五十鈴川が増水していて立ち入り禁止となっておりました。私は内宮さんの御手洗場で少しのんびりとしているのが好きで,楽しみの一つとしていますが残念です。とても綺麗な川ですし,以前は錦鯉も悠々と泳いでいることもありました。最近はあまり見掛けなくなりました。昔は,この御手洗場で参拝に来られる人々は禊を済ませていたと云うことです。

五十鈴川の伏流水は,おかげ横丁で販売されています。私も稀に,おかげ横丁のWebサイトからですが注文して自宅の神様の御神前でお祀りされて頂いております。通常の参拝順路ですと五十鈴川で手と口の禊を済ませてから長い参道を歩き,先ずは御正宮へ向かいます。外宮さんの参拝が大よそ1時間前後ですから,内宮さんに到着するのが7時過ぎくらいです。

まだこの頃は,参拝者の人数もそれ程多くなく,ゆっくりとのんびり参拝させて頂けます。しかし,私には御正宮に到着するまでにしなければならない重要な任務が御座います。それは,参道などに落ちているゴミ拾いです。外宮さんでは,ほとんど落ちていませんが内宮さんは参拝される人の数も多いですから内宮さんでは結構忙しくさせて頂けます(笑)。

決して悪気があってわざと落としているのではないと思いますが,意識して拾い集めをしているといろいろな物が落ちています。唯一,いつも残念に想うのは,五十鈴川に小銭を捨てていることです。きっと,縁起を担ぐためか御利益を求めて投銭されているのだと思いますが,何の御利益もありませんし,逆に,川を汚したりする行為には縁起が良いとは思えません。

それはそれとして,御正宮で参拝させて頂いた後の順路は,荒祭宮・御稲御倉・外幣殿・御酒殿・由貴御倉(ゆきのみくら)・四至神(みやのめぐりのかみ)・風日祈宮(かざひのみのみや)・瀧祭宮・大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)・子安神社の順で参拝させて頂いて内宮を後にします。このそれぞれの御宮の内,ほとんどの方が参拝されていないところもあります。

しかし,どの御宮も内宮ととても関わりが深かったり,神路山の神様であったり,内宮の神域をお守りされている神様であったり,五十鈴川の神様をお祀りしております。全体で大よそ1時間前後の参拝順路です。

 そしていよいよ伊雑宮に参ります。拝


 

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十柱の神々さまの働きで地球は誕生した。

2017年12月24日 05時09分10秒 | あさひの科学神書

こんにちは。

下の図柄は,日本の家紋でも使用されている十曜紋と言います。

過去の記事で,私はこの十曜紋を不思議な紋章として書きましたが,未だにその謎は払拭されるに至ってはおりません。ですが,最近になって十曜紋は地球創生と云うか地球の誕生を図に顕したのではないか?と考えています。私たちが暮らすこの地球は惑星どうし十回の衝突を繰り返し誕生したようなのです。1回1回の大衝突が個性と特有を持ち合せた神々の合体とでも言いましょうか,十柱「人と云う単位ではなく柱と云います。」の神々さまの働きで地球が誕生したのです。

私たち人の心にも十柱の心柱が存在し,その鎮守の森のさらに奥には,誰であっても神さまを宿しています。

以下は「2016.9.6」に掲載した十曜紋の真の意味と地球創生の謎の記事です。

 

 

こんにちは。上の図柄を御存知でしょうか。私は,この図柄がとても不思議なのです。どう不思議かと申しますと言葉では伝えきれないほど不思議なのであります。実は,この図柄そのものは「十曜紋」と云う紋章のなのですが,御神紋としても使われている紋です。某神道系の団体の御神紋としても使用されていました。なんでも知りたがる好奇心旺盛な私は早速,その某神道系の団体本部へ直接,電話で御神紋として使われた経緯や説明を聞きましたが,電話に出られた担当者も詳細な理由は知らないようです。ちょっとガッカリしましたが,仕方がありません。なんの手掛かりも無いまま,やはり自分で調べなくてはいけないようです。

みなさんは,この紋章は何の紋章だと思われますか?インターネットなどで検索すると様々な解説や解釈の内容が出て来ますが,私の感じている内容と同じものは残念ながらありませんでした。知っている方がいらっしゃいましたら,是非ともお教え願いたいと思っております。ただ肉眼で見ると単なる家紋のような図柄です。真ん中に大きな●があり,その廻りに九つの●があるだけです。しかし,なにか普通の紋章とは違うのであります。何が違うのかはハッキリと説明するまでには至りませんが,大きな途轍もない意味が込められていると云うか秘められているように思います。上の絵柄は黒色ですが,私は紫色であると思います。

これを音霊にして,私の心柱で観ると,次の言が伝わって来ます。つまり,キーワド(単語)です。それは「創生」「地球」「十柱神」「紫色」これがキーワード(単語)の部分にあたる言ですが,その言に葉が付けられていないので言葉に変換するところまでに至っておりません。なにか特別な意味があることは解っているのですが,葉が付けられないので判りません。しかし,ここに信仰(宗教)も科学医学法学もすべて包含(集約)されていることだけは解っているのです。

縄文以前又は,縄文期から継続している祭祀場「神社」つまり,古神道系の神社はこの十曜紋が正真正銘であろうと思います。

これから書かせて頂く内容は,私個人に帰属する感覚や直観力なので,話半分程度で読んで頂ければと思います。決して,正しいとか誤っているとかの正誤を判断したいのではなく,私個人的なお話です。以前にも,色霊について書かせて頂いたことがあったと思います。そう「神気にも色はあるのかな?」こちらです。その過去記事の中でも少し触れさせて頂いた「神気の色」についてです。私は,霊能者でも特殊な能力を持った人物ではありませんし,偶像的「人の形」的な霊と呼称されるものを見たこともありません。ただ直感的に判ると云う感覚的なものしかありません。それは色だけであったり,図柄だけであったりととても抽象的なものでありますから,別に気なしなければ気にしないで済むことですが,なんとなく暫らく気になっていることや心の眼で観えてしまうものは,なるべくハッキリと正確に理解するようにしています。私にとって何か大切なことや大事なことが込められていたり,秘められていることが多いからです。この抽象的なものを自分の心で観ることを私は音霊「審神者」として論じているのであります。

色霊の話は別として,これは誰においても感覚として存在するもので,特に女性はインスピレーションを持つ人が多いです。たとえば,小さい子供や赤ちゃんとテレパシーで通じ合うことが出来るのは女性だけです。生まれたばかりの赤ちゃんが泣いていると,母親である女性は赤ちゃんが何で泣いているのかが判ります。お腹が空いてミルクが飲みたいので泣いているのだと判るのです。この判ると云うのが,私の云う「音霊」であり「波動」であり「審神者」なのです。ですから,男性は浮気してもばれます。

ただ,過去に御一人,十曜紋の真の意味を御存知であったと思われる方が居りました。機会があればまた続く。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


むすび、さらに質問してみたの件。

2017年12月23日 08時51分50秒 | 結びの心柱

何年か前に大雪が降った翌日、周囲の反対なんのそので伊勢に旅だったあさひちゃん。その時の写真らしい。

 

だいたい想像がつく。。。その時のお姉ちゃんの祈りの姿・・・。

 普段、わたしには無理をするのはよくないと言いながら。。。

それでは、さっそく昨日の続きを。

 むすびは、さらに質問して見ました。。。

辞めたいとか、辛いとか思ったりしないの?

  すると、あさひお姉ちゃん曰く、

そりゃ~、、、辞めたいとか、つらいとか正直、なんども思ったことあるよ。

なんども逃げ出そうとしたし。もの凄く悩んでも来た。

だけど、

不思議なことにそう考えている時に限って、

自分の眼の前に、

不遇な窮地に立たされている人に必ずと言って良いほど出会う。

神さまや仏さま。御先祖さまが見せているのだと想う。

それか、化身として私の前に現れているのかもしれない(笑)。

お前は見捨てて逃げるのか?って。

そうすると、頑張らないと!!とまた想ってしまう。

これの繰り返しだった。要は、私自身が支えられて来たってこと。

不遇な窮地に立たされている人に支えられているってこと。

この世は逆さまばかりだね(笑)・・・。。。

現代の宗教の拝金システム、

つまり、枠組みを大きく変えなければならないの。

そのためには、

一度、破壊しなければ大きな変革が訪れることはない。

破壊と再生ってことだね。

伝統や文化を継承するって意味をはき違えちゃいけない。

故きを温ねて新しき知るって言葉をむすびも聞いたことあるでしょ?。

いま宗教界に大切なのは、温故知新だね。

自浄、自助努力などで、今の宗教界が目覚めるなんてことはありえない。

以上。

 尚、なんで最後に笑っていたのかは不明。

   でも、論は、、、あさひちゃんをちょっぴり、誇りに思った。

それでは、4日間、みなさん、ありがとうございました~。。。

また明日から、あさひちゃんをお願い致します!

地蔵菩薩とともに。花咲むすび 拝


 

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むすび、あさひちゃんに質問して見たの件。

2017年12月22日 00時00分00秒 | 結びの心柱

こんばんは!!

ピンチヒッターは昨日で、終わったはずなのですが(汗)。。。

あと2日間、延長になってしまいました~・・・。

そういうことで、今日は少し真面目に。

あさひちゃんは、なぜ神社やお寺の護持?をしているのか聞いて見た件。

すると、あさひお姉ちゃんは真剣な眼差しでこんなことを話していましたの巻。。。

 むすびは何で観音さまお地蔵さん裸足でいるのか解かる?

わたしが正直に分からない答えると・・・。

神社お寺には、それぞれ違った想いを持った人たちが大勢くる。

何か自分のために祈願をしたり、家族の健康事業成功祈り来る人も当然いる。

そんな中で、生きることに疲れ、死に場所を求めて来る人もいるの。

わたしもそう言った人たちにたくさん出会って来た。

でも、いまの宗教家は、

たとえば、そんなお金のない人よりもお金を持った人を優先して自分の周囲に置こうとするの。

本来、宗教家は生きることに疲れてしまった人たちにこそ寄り添い合わなければならないはず。

だから神社やお寺に来「明日もまた生きてみよう」と少しでも感じてもらえれば、それだけで良いと思ってる。

私の護持「仕組みつくり」に対する源流は、そこにある。原点ってことね。

今から7年くらい前だったと思うけど、

あるお寺の復興をするので事務局をしてたときに起きた忘れられない出来事があったから

お金を稼ぎたいと思うのであれば続かないよ。

日本は世界的に観てもとても裕福な国で、とても自然に恵まれている国でもあるけれど。

しかし、この日本の社会に、世の中には、首に縄をつけ彷徨っている人たちがたくさんいる。

誰にも頼ることすら出来ないで。お前(むすび)はまだ解からないだろうと思うけど、

今、こうしている間にもご飯が食べることが出来なくて死んじゃう人が本当に、

この日本にはいるんだよ。

餓死するんだよ。この五穀豊穣を祈る国で。

こんなことで神さま仏さま。わたしたちの祖先が本当に歓ぶと想う?

いろんなことを言う人も居るけど、

今の時代に餓死する人は身体の不自由な人に集中的に起きているの。

両親も既に他界していて、自分一人では生きて行けない人。

兄弟や姉妹だけで暮らしていて、どちらかが精神疾患を患い生活している人。

所謂、人の助けや力が必要な人たちが大勢いるのよ。

わたしも仕事で関わったからよく知っているけど、切実な事柄なの。

だから宗教家がやらないのであれば、私がやる。

そういう仕組みつくりを考える。

誰かがやらなければ本当に、この国家に未来はないよ。

むすびももっと沢山、いろんなことを経験して、人に奉仕出来るような人になること。

人に感謝されることは、自分も確かに嬉しいと素直に思うけど、

自分がやったとか自分の手柄だなんて考えちゃダメだよ。

それは、やがて選民意識に変わっちゃうから。

人は、選民意識と所有の概念を持つと紛争することを覚えてしまうから。

特に、この世で社会的地位の高いと言われる人に多くいる。

そういう人と仕事なんかで出会ったりすると、心が渇いているのが直ぐに判る。

心に潤いがなければ、心柱(みはしら)は枯れ、やがて倒れる。

 こんな内容のことを話していました。が!

  さらに、むすびは質問してみたの件。あしたに書きます。

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


 

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


花咲むすびは「感謝」に異議なし?!

2017年12月21日 08時24分30秒 | 結びの心柱

おはようございます!

昨日に引き続き、あさひお姉ちゃんに変わってブログを書いています。

 それにしても寒いですねブルブルです。。。

書くと言ってもなにを書いてよいのか?わけがわかりませんが・・・。

 でも、ブログを書くのって大変ですね。よくそんなに書くことがあるな~って本当に感心してしまいます。

私には宗教的な教義もよく解りませんが、いちよう、このブログの趣旨にそって感謝について乱書してみます。

  感謝この言葉は何を意味するものなのか?

                 私なりに考えると、それは「無」「空」「ゼロ」ではないかと。

つまり、それは? ある対象に向けて感謝をする。これは限定的な感謝ではないかと思のです。

 以前、あさひお姉ちゃんが、突然!

       人間つまり人が感謝した時にとった姿勢(自然体)が合掌だと話していました。

はじめは、なんのこっちゃ?と思っていましたが、

意識的にする合掌ではなく無意識にする合掌なのだそうです。

謙虚になるほど頭(こうべ)を垂れるようです・・・。

だから、自然と感謝できる人は謙虚な人でもあるんだよ。と話していました。

なにか自分に良いことが起きたときにするだけする感謝は???執着ってことなのかな~・・・。

うっ!。。。なんだか・・・頭痛がして来たので。。。このへんで~

さようなら~

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


 

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


妹の花咲むすびです。

2017年12月20日 00時00分00秒 | 結びの心柱

みなさん、こんにちは。

花咲三姉妹の末っ子の花咲むすびです。いつも姉のあさひがお世話になっています。

今日と明日、お姉ちゃんのあさひは郵便局に配達のアルバイトに行っていますので,

 私むすびが代打ピンチヒッターで書かせて頂きたいと思います。

それにしても朝4時半に起きて、夜0時近くに帰ってくる仕事なんてただのブラックだと思いませんか?

 私には絶対にムリ!

まぁーそれはそれとして、

しかし書けと云われてもなにを書いてよいのやら・・・(汗)。適当に書くとお姉ちゃんに叱られるし。。。

 あっと!その前に自己紹介をしたいと思います。

名 前:花咲 むすび(花咲家の三女つまり末っ子)

    長女:あさひ 次女:ひかり 三女:むすび 愛犬:神社の境内に捨てられていた「ナムちゃん」。

愛 称:むっちゃん。むすびちゃん。

性 格:超現実主義(あさひちゃんとは全く反対)

特 技:弓 道

職 業:大学生(学費はお姉ちゃん持ち。)「アルバイト:神社で巫女さん」

    自治会長のススメではじめました。

趣 味:貯金 理由、何をするにもお金だから。

好きな言葉:一攫千金

毎日の日課:あさ太陽にあいさつすること。それと、神棚の水交換と先祖供養。

 あさひお姉ちゃんによると、神棚の水玉に麒麟とお水を呑みに来らしいです

榊の葉が枯れると「来たよ」のサインらしいです。麒麟身体(体重=重さ)はゼロなんだそうです。

                         もう、こうなると。えっ?なんのこっちゃ??ですけど。

     だけど「お水」だけは凄く気にしています。そこまでするか?と言いたくなるくらい。      

  それと、明け方と夜に北斗七星に祈っています。

   なんだか嬉しそうにしている件は「ちょっとコワイ」。

こんなの記事とは言えませんが、それでは また あした~。。。 

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


 

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こころのみはしら「心柱」を成長させる。

2017年12月19日 07時27分34秒 | 歓びの心柱

こんにちは。

こころのみはしら「心柱」これは,このブログを書かせて頂いている趣旨のひとつでもあります。

なぜ私自身が心柱が大切であると感じているのか?それは,この心柱が受信(木)の役割になっていると思うからであります。神社の社殿で云うと千木に相当します。要は,アンテナです。テレビもラジオも電波を受信出来て映像や音声が届くのと同じです。この受信アンテナのようなものが私たち人の心にもあるのです。それが,こころのみはしら「心柱」になります。

 図柄で表すと左のような中央に1柱。そして周りに9柱あります。家紋でも使用されている十曜紋です。

波動と云うエネルギーを私たち人の心柱がキャッチするのですが,私は波動を音としています。

心柱に音が降りると,その人相応の心柱から伸びている枝についている葉に言が伝わります。これが所謂,言の葉。つまり言葉の正体であると私は感じているのです。枝葉に音が伝わると音色(ネイロ)がします。この音色を私たちは音と解釈していますが,実際に耳で聞く・聴く・訊くのは音ではなく音色です。たとえば「ネ」にも「イ」にも「ロ」にも一音一音に霊が宿るとしたのが言霊信仰です。山に出かけて大きな声でヤッホーと叫ぶとやまびこ(山彦)となります。山の精霊です。したがいまして,悪い言葉を発すると悪い言葉が自分自身に跳ね返って来ます。古神道で云う言霊信仰の原点でもあります。

「人の悪口を言わない」と云うのは言霊信仰です。私たちの祖先は,言葉を乱すことを穢れとしたのです。しかし,言葉の元になっているのが心柱ですから心の在り方によって言葉の使い方も自然と変化して来るようです。心が乱れると言葉も乱れるように。

50音すべてに神さまの分魂が宿っていますから,その一言一言を繋げて本来,日本語は出来ています。

よく宗教家やスピリチュアルや新興宗教の信者が神さまは言葉をしゃべると言っていますが,神さまは言葉をしゃべりません。あくまでも言葉に変換しているのは,私たち自身です。同じ風景や景色を見ても言葉は違うようにです。こう言ったことを私たちの遠い祖先は知っていたんです。人はそれぞれに違いがあり,その違いを互いに認め合い,尊重し合うことを和の仕組みとしたのです。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

おっ!今日も相変わらず変なことを言っているなと思われるでしょうが,その通りです(笑)

まぁ~それも1つの楽しみにして下さればと思います。正解や不正解と云ったことなどは,どうでもよいことです。

たとえば,下のイラストを自分自身の心柱に音を降ろすと大切なのは弓(物質)ではなく,弓を支えている人差し指がとても大切なのです。肉眼では見えませんが,心の眼で観ると光線を発しています。その光線に従って矢は飛んで行くのです。光線を発しているのは,もちろん自分自身と云うことになります。つまり,心の持ち方です。よく武道を習っている方が精神を統一させるとか集中させると言う表現をしますが解かるような気がします。きっと,心の乱れが本番に出てしまうからでしょう。

妹のむすびちゃんです。


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


祈りの矢よ飛んで行け!音霊乗せて飛んで行け!

2017年12月18日 08時50分39秒 | 怒りの心柱

無料イラストからお借りしてまいりました。なんだか妹のむすび似ています。

こんにちは。最近は時間の短縮が急速に早まっている感じがしています。特に,爪の伸びる具合が凄いのです。今の現代科学で時間短縮を説明することが出来るのかどうか知りませんが,私はこの時間がゼロになる日が来ると感じています。つまりゼロポイントに到達すると人類はどう進化するのかです。なんだか今日も意味不明なことを書いていますが本当です。理屈での説明は無理です。

1年くらい前は1日の時間感覚が18時間でしたが,今は18時間も無いようです。

数年前から明らかに時間感覚がズレ出して来ています。それは人体にも人の運気にも影響しているはずです。たとえば若返りもそうですし,新陳代謝もその一つではないでしょうか?又,食欲も激減して来ているようで,私はほとんど毎日1食です。2食以上食べると身体がだるく,頭もさえず,身体の調子が悪くなってしまいます。つまり霊性「精神性」の進化です。

ですが,その霊性「精神性」の進化が伴って来ない?来ていない人も居るかも知れません。

以下は「2016.11.27」に掲載した神様からの宿題と生きるための自由研究と云う記事です。

こんにちは。人はそれぞれ違った考えや思いを持っています。その違いを互いに尊重し合い,認め合うことが相手を思いやることに繋がるのだと私はそう感じています。特に,自分と意見や考え方が違うと云う理由で人をイジメるのは絶対に良くありません。私もよくイジメの相談や現場に遭遇することがあります。今の弱い者イジメは自分の立場を利用したものも多くありますが,イジメる人の特徴は決して自分よりも強い者と戦うことをせず,自分よりも弱い立場にある人をイジメるのです。要は,ただの卑怯者です。

よくイジメを正当化したいのか何なのか解りませんが,イジメられる人にも原因があるだの訳の分からない理屈にもなっていない屁理屈を言う人を偶に見掛けますが,イジメられる側にも問題があると云う言葉は,イジメを体験している人が自分の行動や行為,言葉や過去の行いを省みたときに,自分自身への戒めの言葉として使うものであって,人に言われる言葉ではありません。イジメる人とイジメられる人とではイジメる人の方に問題があるに決まっている訳です。コンプレックスなのか?選民意識なのか?

又,イジメられる人間にも問題があると云う言葉に似たような言葉で,人を外見で判断してはいけないと云う言葉があります。これも同じで,人は外見で判断するのだから身なりや身支度はちゃんとしないといけないと自分自身へ言い聞かすときに使うのです。明らかに自分よりも弱い立場にある人を言葉や力によってイジメをする人は,あの世で人間としての扱いをされません。自分の霊性も己の御霊も自分の先祖をも苦しめ,傷つけることになっています。イジメをする本人が不知故に犯す罪とも言えます。

仏教の世界観に不知は罪と云う言葉がありますが,本当にそのとおりだと思います。暴力などの力で相手を征服したり,支配する根性は動物以下の霊性ですし,自分の優位な立場を利用するのはもっと最悪です。その様な人は,運気もどんどん低下し惨めな老後が待っています。うつ病や孤独になる傾向が強いように思います。

観音経にも還著於本人 (げんじゃくお ほんにん)と明記されていますね。

私が意識的にしていることで参考になるかどうかは個人によりますが,自分にとって困難な事柄に遭遇した場合は,これは神様からの宿題なんだと意識して考えたり,積極的に取り組むように私はしています。禊ぎや試練と聞くと,ちょっと近寄りがたく,避けて通りたくなってしまいますし,私にはちょっとキツイです。しかし,考え方や想い,少しの視点の違いで人は困難に直面しても乗り越えて行けるだけのものを既に以ているとも思っています。それに本人が気が付いていないだけで,神様はすべてを観て知っていますから心配したり,不安になったりする必要は本当はないのです。

たとえば,神様から「お前(私)は,この人に対し,どんな言葉を掛け,どんな行いで臨むのか?」「さぁ,今の自分と己の力で対峙せよ。こんな感じです。この宿題が溜まりに溜まるとパニックになります。訳が解らなく,収集も付かず,どんどん深みに嵌って行ってしまうのです。子供でも夏休みの宿題を8月の終わり頃にすると大変な思いをしてしまいます。私たちがちゃんと宿題や課題に取り組んでいるかどうか,神様は片時も離れず,じっと観ています。逆に言えば,自分よりも弱い立場にある人や動物をイジメている様子もすべて観ていることになる訳です。穢れに気枯れて何を祈るや。


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


いのちをつたえつづけた宮司さん。

2017年12月17日 00時00分00秒 | 素直の心柱

こんにちは。このブログでも何度も登場しております春日大社の前宮司であった葉室頼昭先生が生前に書かれた本の中には,私たちが日々暮らす日常生活でも大変に参考になる内容が多く書かれています。宗教と聞くだけでアレルギーの人にも一般の社会人の方々にも現在でもとても人気のある正に良本であります。宗教家でありながら宗教臭くない所が読まれ続ける理由ではないでしょうか。

生前,10冊程の著書を残されています。どれも素直の心柱に降ろせる本です。

以下は「2016.9.11」に掲載した春日大社 前宮司 葉室頼昭先生記事です。

こんにちは。今日は,私の好きな神道家で春日大社の前宮司さんでいらした葉室頼昭先生の御本とその御本の中に書かれている一部を紹介させて頂きたいと思います。神道と日本人と云うタイトル本ですが,この御本は多くの人に読んで頂きたいと感じる超優良本だと思います。私は元々,本が苦手でほとんど読みませんと云うか本が読めないのです。なんだか変な話をしておりますが,実はこのかたマンガ本も読んだことがなく,本を読むのに人の何倍も時間が掛ってしまい苦手なのです。以前,こんなので本当に大丈夫かと心配になってしまいいろいろ調べたら失読症と云うものあるのを知ってテストしてみましたがほとんど当て嵌まってしまい納得致しました。もちろん学校の成績は・・・?ご想像にお任せします。(笑)そんな私でもすんなりと読める本ですから普通に本が読める人にはおすすめです。葉室先生は生前に確か10冊前後の本を書かれていて,その内,数冊は過去にこのブログでも紹介させて頂きました。こちら「宇宙の構造と心の病 神道と現代医学」です。補足,葉室先生は神職になる前は形成外科のお医者さんでした。

それでは,以下が葉室先生が書かれた「神道と日本人」と云う御本の「おわりに」からです。

現代の日本人のなかには「この科学の時代に,神など信じない」という人も多いし,また「この世には,科学では分からないことがまだまだたくさんあるから,私は神を信じる」と云う人もいます。また「目に見えないものは信じない」「神がいるならどうして,この世に不幸だとか悩みだとか病気などがなくならないのだろうか。だから私は神を信じない」と考える人もいます。「神がいるならなぜ,悪いやつが金を儲けて幸福な生活をし,あんな善い人が不幸な生活をするのだろうか。だから神を信じない」「自分の人生は自分の力で築くものであるから,何ごとも神の導きに従うというような神頼みの人生は真実の人生ではない」などと思っている人もいます。また私に対して「お医者さんのくせに,なぜ神さま,神さまというのか」と聞く人もいます。

しかしこれらは,神とはどんな存在なのかということを知らないで,ただ神を信じるとか信じないとか言っているだけなのです。私はこういう態度こそ,科学の発達した現代の中で,非科学的なことだと思っています。神さまは,信じるか否かということではなくて,神の世界を見ることができるかどうか,なのです。

神の世界と,我々の世界は,別々に存在しているように思われていますが,本当はそうではありません。ちょうど夜の世界と昼の世界が別世界ではないように,宇宙の真実,神の世界は夜の世界であって,その中に我々のいる現世,昼の世界が一緒に存在します。昼の世界は,ただ日光の明るさで夜が見えなくなっただけです。だから昼でも日光を完全に遮断したら,闇,すなわち夜の世界がそこに現れるでしょう。でも夜の世界を知るためには,夜ばかりでは分かりません。反対の明るい昼の世界がなければ分からない。この宇宙の仕組みが本当に分かることが我々の役目なのです。つまり,神さまは,神の真実の世界を認めさせるために,わざと逆の世界を人間に与えておられるのでしょう。逆があるから真が見えるのです。それなのに人間は,病気だとか,不幸だとか悩みというようなものが,実在の世界であると思ってしまったところに過ちが現われ,現在のような乱れた世の中になってしまったのです。

古来より,日本人はそのすばらしい知恵で,病気だとか,不幸だとか,悩みなどは,神さまが本来神の姿に作られた人体を包み隠す(罪),また我々を生かしてくださる気を枯らす(穢)ことが原因であるから,これらを祓い除くことで神の真実の姿が現われることを知っていました。この罪・穢はすべて我欲であるから,その我欲を祓い除いたとき,神の姿を見ることができるのです。つまり神は外に求めるものではなくて,心の中の我欲をなくしたとき,はじめて神の世界が現われてくるのです。

私は子供のときから,いつも何かに導かれているという感じがして「これは神さまや祖先に導かれているのか,あるいは自分の心の錯覚なのか」と大いに迷い,中学時代から神社,仏閣をはじめ,いろいろな宗教から「神さまとは何か」ということを勉強してきました。それが大学医学部在学中に肺結核となり,悪化してついに死が目の前に近づいたとき,なぜか私からすべての我欲が消え,目の前に神の世界を見せられて,ただありがたさに涙が止まらず,気がついたら病気が消えていた,という体験をしました。その時の感動が忘れず,もう一度神の世界を見たいと思いましたが,恥ずかしながらまだまだ我欲があるために,現在まで二度と神の世界を見ることができていません。しかしながら,人生を振り返ってみると,いろいろと奇跡と思われるようなことや,厳しい状態もあり,それらを含めて神の導きと知らされ,それに順応して耐え抜く人生を歩まされてきました。そして,この年になってふと,私は進化させられ,神の世界に近づかされていることに気がつきました。

とくに春日大社の宮司に就任してからは,自分でも不思議なくらい我欲がなくなり,常に神の導きを感じるようになり,そのとおりに生活させていただいています。神を見るには理屈はいりません。日本人の祖先が伝えてきたように,すべては神の恵みと祖先の恩の導きですから,それに従って全力をあげて努力し,決して我欲を出さないことです。これは非常に厳しい人生ですが,神さまは厳しさの極限を耐えぬいたときに現われてこられます。

今までいろいろなことを述べてきましたが,すべては1人でも多くの方々に,神の真実の世界を伝えたいと考えたからです。私の申し上げたことが少しでも,皆さまの何かのお役に立てれば,幸いに思います。

以上が,葉室先生の「神道と日本人」と云う御本のおわりに書かれている内容の全文であります。冒頭でも少し書かせて頂きましたが,本を読まない私でも葉室先生の本は読みやすく,特別な宗教用語は使用していません。今でも人気のある本ですので,是非,読んでみて下さい。私がはじめて葉室先生の本を読んだとき,自分の考えていることと葉室先生の本の中に書かれている内容が一致する箇所が多く驚きと嬉しさを感じた覚えがあります。我々の祖先がいかに子孫を守ろうと命懸けて生きていてくれたことや日本語の意味や様々なことを勉強できる一冊であると思っています。今日は,おすすめの一冊からでした。拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝