花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

むすび、あさひちゃんに質問して見たの件。

2022年11月14日 20時20分16秒 | 結びの心柱

3年ほど前に掲載した記事です。

 

こんばんは!!

ピンチヒッターは昨日で、終わったはずなのですが(汗)。。。

                 あと2日間、延長になってしまいました~・・・。

そういうことで、今日は少し真面目に。

あさひちゃんは、なぜ神社やお寺の護持?をしているのか聞いて見た件。

すると、あさひお姉ちゃんは真剣な眼差しでこんなことを話していましたの巻。。。

 むすびは何で観音さまお地蔵さん裸足でいるのか解かる?

わたしが正直に分からない答えると・・・。

神社お寺には、それぞれ違った想いを持った人たちが大勢くる。

何か自分のために祈願をしたり、家族の健康事業成功祈り来る人も当然いる。

そんな中で、生きることに疲れ、死に場所を求めて来る人もいるの。

わたしもそう言った人たちにたくさん出会って来た。

でも、いまの宗教家は、

たとえば、そんなお金のない人よりもお金を持った人を優先して自分の周囲に置こうとするの。

本来、宗教家は、

生きることに疲れてしまった人たちにこそ寄り添い合わなければならないはず。

だから神社やお寺に来

「明日もまた生きてみよう」と少しでも感じてもらえれば、それだけで良いと思ってる。

私の護持「仕組みつくり」に対する源流は、そこにある。原点ってことね。

今から7年くらい前だったと思うけど、

あるお寺の復興をするので事務局をしてたときに起きた忘れられない出来事があったから・・・

お金を稼ぎたいと思うのであれば続かないよ。

日本は世界的に観てもとても裕福な国で、とても自然に恵まれている国でもあるけれど。

しかし、この日本の社会に、世の中には、首に縄をつけ彷徨っている人たちがたくさんいる。

誰にも頼ることすら出来ないで。お前(むすび)はまだ解からないだろうと思うけど、

今、こうしている間にもご飯が食べることが出来なくて死んじゃう人が本当に、

この日本にはいるんだよ。

餓死するんだよ。この五穀豊穣を祈る国で。

こんなことで神さま仏さま。わたしたちの祖先が本当に歓ぶと想う?

いろんなことを言う人も居るけど、

今の時代に餓死する人は身体の不自由な人に集中的に起きているの。

両親も既に他界していて、自分一人では生きて行けない人。

兄弟や姉妹だけで暮らしていて、どちらかが精神疾患を患い生活している人。

所謂、人の助けや力が必要な人たちが大勢いるのよ。

わたしも仕事で関わったからよく知っているけど、切実な事柄なの。

だから宗教家がやらないのであれば、私がやる。

そういう仕組みつくりを考える。

誰かがやらなければ本当に、この国家に未来はないよ。

むすびももっと沢山、いろんなことを経験して、人に奉仕出来るような人になること。

人に感謝されることは、自分も確かに嬉しいと素直に思うけど、

自分がやったとか自分の手柄だなんて考えちゃダメだよ。

それは、やがて選民意識に変わっちゃうから。

人は、選民意識と所有の概念を持つと紛争することを覚えてしまうから。

特に、この世で社会的地位の高いと言われる人に多くいる。

そういう人と仕事なんかで出会ったりすると、心が渇いているのが直ぐに判る。

心に潤いがなければ、心柱(みはしら)は枯れ、やがて倒れる。

 こんな内容のことを話していました。が!

  さらに、むすびは質問してみたの件。あしたに書きます。

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝

 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


日月神示と天日津久神社

2019年05月11日 05時43分28秒 | 結びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,昨年,6月23日に掲載させて戴いた過去記事です。

こんにちは。

昨日は,約一か月半ぶりに千葉県成田市台方に御鎮座されます麻賀多神社と云うところへ参拝をさせていただきて来ました。こちらの神社は,岡本天明さんと云う画家でもあり,神職さんでもあった御方に,あの日月神示が降ろされた天日津久神社が神域奥に御鎮座されていることでも有名で,全国からたくさんの参拝者が詣でられています。ここ数年は,特に神域内は変化して来ました。御社殿は新しくなり,天日津久神社に鳥居や瑞垣が設けられ,麻賀多権現さまをお祀りする場所にも鳥居が奉納されるほどであります。

又,神域内には,東日本一最大と云われている縄文杉も聳え立っております。

わたしの知る限りにおいて,地域の氏神神社で,氏子さん「地元地域に住んでいる人」以外の方々の崇敬がここまで厚い氏神神社はないのではないでしょうか。インターネット上のブログなどで話題にあがっていることで参拝者が急激に増え続けて来たことは確かですが,神社の関係者の方々もまさかここまで多くの人々が参拝に来られるとは想像もしていなかったのではないでしょうか。

先でも書かせて戴いた通り,麻賀多神社が全国的に知られるようになったキッカケとも言える出来事は,昭和の混乱期に降ろされた日月神示と云う自動書記によるものです。この日月神示は,昭和・平成の時代に多くの宗教家や霊能者たちに絶大な影響を与えて行くことになります。日月神示に書かれている内容と申しますのは,ある意味,わたしたち人類への警告的な神示としても知られており,とても厳しいことも実際に書かれています。たとえば,現在の宗教や資本主義に対する警告,食生活に日々の私生活とそれ以外にもさまざまな分野について記載されています。しかし,読む個人にとって理解や解釈が違うことも多いのです。たとえば,日月神示の第1帖のはじめに書かれている「富士は晴れたり日本晴れ」と云う言葉の意味もなかなか理解することは難しいと思います。

わたしも日月神示でたくさんのことを学ばさせて頂きました。初めて読んだときは,正直なにが書かれているのかさっぱり解からず,ただ文字を眺めているだけでした。先程の「富士は晴れたり日本晴れ」と云う言葉も聞いたこともなく,訳も解からず,これは一体なんなんだ?と云う感じでした。読み始めの冒頭から「富士は晴れたり日本晴れ」ですから理解しようとしても理解もなにもありません。しかし解からないまま,理解できないまま繰り返し読んで行く内に,断片的にでも判って来るようになり,自分なりの理解と云うか解釈が出来て来てくるようになったのです。まるで,図柄のないジグソーパズルをつくっているような感覚です。

世界の国々には,たくさんの預言書や神さまからの啓示と呼ばれる書や口伝が存在しています。その中でも,世界で最も多くの人々に読まれている預言書「警告書」は,おそらく新旧約聖書だと思いますが,実は,私たちが暮らすこの日本こそ預言書類「警告書や啓示など」の宝庫だったことを御存知でしょうか?実にさまざまな預言書が日本には実在していました。実在していましたと敢えて書かせて戴くのも其れなりの理由があり,時の権力者によって偽書にされてしまったり,存在自体を否定されて来たものも少なくないからであります。さらに,文字を使った所謂,書物としてだけではなく,口伝と云う方法によっても伝えられて来ています。

世界の人々が日本や日本人と聞くと品質の良い優れたモノつくりや真面目で礼儀正しく,秩序を重んじると云うことを連想する外国人の方々も多いと思います。しかしながら,そのモノつくりの原点と申しますか,日本人の勤勉さや真面目で礼儀正しく秩序を重んじるのはどこからくるものなか?数十万年も前から続く古神道とは何か?神道とは何か?そう言った日本や日本人のことをブログを通じて世界に向けて発信して行けたらよいなと考えております。つまり,日本の和の精神を世界の人々に知って頂きたいと思うのです。そして,日本に観光で来られて,実際に日本の和の文化や脈々と続いてきた伝統に触れていただきたいとも感じています。

一度,ブログのコメント欄を通じて,日月神示の解釈を皆さんと語り合って見たいです。

日月神示は,答えの書かれていない宗教を超越したものです。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


結びの時代へ。

2019年05月09日 10時33分47秒 | 結びの心柱

 

こんにちは。

知識だけでは通じない社会。知識だけでは通用しない時代。そんなことをこれまで知識が優先された構造体で生きてきた人ほど身に染みる言葉ではないでしょうか。知識さえあればこの世の中は恐くないと信じられていた時代が終焉を迎えようとしています。その終わり方に容赦はないようです。科学の世界でも医学の世界でも法律の世界でも,さらに政治の世界でもこれまでの知識だけあればやって行けた時代ではもはやありません。昨日の記事でも少し,科学の固体・液体・気体のたとえを引き合いに真我と自我の関係を書かせて戴きましたが,私たち人は外観(自我)に左右され過ぎて来ました。もっと,内観(真我)に眼を向けるべきであります。

知識が主体でやって来れた人たちほど,生きにくさを痛感する日々がやって来ています。そのことで,自分たちの立場を何とか守るために社会を世の中を混乱させようとしている一部の人達もいます。最近の政治の世界を垣間見るとそれがよく解かります。姑息な手段に小さな目的を達成させるために税金を私物化し,それに群がる利権にしがみ付きたい人々が最近は私たちと同じ人間の容姿ではなくなって来ているように観えます。自分の欲望を叶えるためだけに生きて行くと人はあのような姿になっていくのでしょう。

自ら滅びゆく哀れな姿よ。耳をすませば,こんな声なき声が聞こえて来ます。

そのような人たちに一番大きな影響を与えて行くのは,やはり,インターネットの爆発的な普及と本格的に活用されて来るAI(人口知能)の進出ではないでしょうか。つまり,インターネットと人工知能AIの融合です。大袈裟な言い方かも知れませんが,知識の分野は,今後,ほとんど人工知能AIの役割になって来ると思います。そうなると根本的に人々の生活も働き方も大きく変わって行きます。そのことはインターネットが普及したことによって私たちは既に経験済であります。今では,インターネットを業務に取り入れていない産業も業種も職種も無いのではないでしょうか。また同時に,これから多くの産業も生まれて行くとも思います。

インターネットの世界もさらに進化し,きっと,数年後にはブログなどの記事は人工知能AIが書き込んでくれるような機能も出て来るのではないかと想像しています。機械もモノも,そして人までもこれまでの価値観に縛られていた何とか主義を超越して行く存在へと変わって行きます。外側に求める時代ではなく,内側に求めて行く時代です。一部の人たちは既にそのことを御存知であるかのように歩み出しております。集団としてではなく,個人個人各々で歩み出しているのです。年齢や性別,職業や地域などと云った3次元でしか虚勢できないことではありません。従来の縛り付けや洗脳だけではもはや滅びを待つだけになってしまうのです。

そこにすべての宗教も科学も医学も法律も全てが集結して行くのです。それが日本であります。日本こそ世界の中心になることが出来るのです。今は未だ,そんな馬鹿なと想われる人も多いと思いますが日本以外に世界の中心と為り得る国があるのでしょうか?何も軍事的に中心になるとか,経済や政治的に日本が優れていると言っているのではなく世界の文明の中心軸が日本に戻ってくるのであります。これからいろいろな分野で,そう云ったことが証明されて行くだろうと私は感じています。私たち日本人の役割と云うのは,自己の欲望や願望を叶えるためではありませんし,日本だけが豊かに幸せになれば良いと云う下等な精神構造でもありません。

世界の中心は「和の國」日本です。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?

2018年08月28日 12時35分34秒 | 結びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月28日に書いた過去記事です。

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか? 再掲載

2018年07月11日 06時15分00秒 | 結びの心柱

こんにちは。

以下の記事は,今年の3月28日に書いた過去記事です。

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌

  

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


家族を養う尊さ。夫婦とは家族なのか?

2018年03月28日 04時17分26秒 | 結びの心柱

 

こんにちは。上の写真は,第42回:賀茂別雷神社「上賀茂神社」式年遷宮の翌早朝に撮影させて頂いた太陽神で御座います。右側に観える鉄塔は京都府警本部の通信指令塔です。ちょうど,宿泊していた部屋の窓から撮った写真ですが,朝の太陽が昇る時間帯はとても静かで,京都の町が穢れのない清純として様子でした。ここ上賀茂神社は,これまで数えられないほど参拝させて頂いております。わたしの神棚でもお祀りさせて戴いている神さまで御座います。神域に流れる小川は「ならの小川」と云い御神体の神山から水が来ています。その「ならの小川」沿いのベンチで休息するのが楽しみでもあるのです。日頃の罪・穢れを祓ってくれます。

さて,今日の記事ですが。

そもそも「夫婦」とは「家族」なのか?いつも私が疑問に感じている1つのテーマです。皆さまは,率直に言ってどうでしょうか?正直,私は未だ答えが出せておりません。目には見えない縁で結ばれ夫婦となっても離れてしまえば家族ではなくなってしまうのか?いえ,そうではなく一度結ばれた夫婦は永遠に家族であるのか?そうであれば離婚や再婚をどう考えるのか?考えれば考えるほど難しい事柄ように思います。たとえば,法律上の問題では決着はついていますが法哲学や道徳的に考察すると答えが出ません。

答えがない,又は,答えが出せない事柄を考え思考して行くことが,もしかすると自分の理性を育て上げ,眠っている遺伝子DNAを呼び起こすことなのかも知れません。不知の知は,自分が不知であることを知らないことが不知であると云う前提とした言葉です。つまり,自分を不知であることを知っている人は不知ではないと云うことです。人は誰であっても最初は不知の塊のようなものです。しかし,自分が不知であることを知ったときからさまざまな事柄を学ぼうとします。そして成長して行くのだと思います。

最近,芸能人の不倫告白を自らの意思で発表するタレントもいますが,相手の家族からするとどう云った気持ちになるのか考えたりはしないのでしょうか。相手の家族に子供がいたり,奥さんや旦那さんの身体の体調が良くなかった場合などを想像したりはしないのでしょうか?自分は堂々と周囲の人の迷惑も省みずスッキリした気持ちになると思いますが,態々,知らせる必要はないと思います。歴史でもそうですが,知らなくても良いことは知らずにいた方が幸せな感じもします。これにも答えはありません。

ただ言えることは,相手の立場や相手の心を思いやる気持ちは大切であり,相手の気持ちを踏み躙るようなことはすべきではないと云うことは一般社会で共通した常識でもあり,普通に考えても何ら不思議なことではありません。変えてはならない不変的なことでもあります。はじめをはじめとし,もとをもととする。この言葉が示すように,元々本々は変えても良いことと変えてはいけないことがあることを教えてくれています。この言葉は,伊勢神宮を創建された「倭姫命」が後世のわたし達に残してくれた御言葉です。

自分の事など形振り構わず,家族を養うために働いてくれる家族はかけがえのない存在で在ります。こう云った人こそ,最も古神道に沿った生き方ですし,神さまに一番近い存在でも在ります。このような人を神さまがほって置くはずがありませんし,先祖もここぞとばかりに必ず守護します。それとは真逆に,相手の事など形振り構わず,自分の為だけ考えているような人こそ地獄道に沿った生き方ですし,神さまから一番遠い存在でも在ります。この様な人が神さまと繋がることはありません。自分の先祖もあの世で嘆き苦しみます。子孫の行いがあの世で評価される世界ですから。この世限定の社会的地位や身分,職種は何の自慢にもなりません。

家族を養うこと。それは尊いことだと思っています。

まさに,そう云った人こそ観世音菩薩の化身であります。合 掌


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 


ブログのコメント欄について。

2018年03月23日 21時18分44秒 | 結びの心柱

こんにちは。上の写真は,何年か前に関東地方で大雪が降った翌日の早朝,伊勢神宮へ向かう途中の太陽神です。

さて,平成30年度 春の祖霊感謝祭も今日で終わりであります。

夜の祭祀を無事に終えて結びと致しました。明日は,氏神さまへ報告に行って参ります。

偶に,このブログを読んで下さった御方からメールでコメント欄の使用について,ご意見を頂戴することがあります。出来れば,わたしも多くの皆さまとコメント欄を通じ,さまざまなことをたくさん学ばせて頂きたいと感じてはおります。ブログをご自身で書かれている方ならば御承知のことだと思いますが,多くの読者さんが読まれるブログではコメント欄を開放していることがほとんどであります。そう云ったブログの中には,大変素晴らしいブログもたくさんあります。人の役に立つことを趣旨として取り組まれている方や特定分野において社会への警戒を発し続けられているブログも御座います。勿論,わたしも学ばせて頂いております。

しかしながら,わたしは,本業以外にも研究やアルバイトなどを含めるとたくさん仕事などをしております。その本業以外の仕事の中には,朝の早い時間から夜の日付けが変わる頃まで掛かる仕事も御座います。スーツを着て長靴を履きながら仕事をしているときもあります。自分でも不思議に感じていますが,そうなるとコメント欄の対応も難しく,わたしの書く拙いブログを読んでせっかくコメント欄にご意見を頂戴しても返答するのに時間が掛り過ぎてしまうことが,申し訳なく気持ちの上でとても嫌なのであります。

こんな笑っちゃう私ではありますが,自分なりに夢も持っています。それは,保護司さんに成りたいのです。現行の制度下では無理だと思いますが,保護司さんになって全国の神社とお寺で無料の法律相談をしながら,生きることに疲れてしまったり,ちょこっと何かに失敗してしまった人に係わりを以て行きたいと思っています。特に,未成年の子供たち少年少女の保護司をしたいです。

この世で駄目ならあの世で出来るかも知れません。

したがいまして,今現在のわたしの様な未熟な立場では,ブログのコメント欄を通じ,読んで下さっている方々との交流をして行くことは現在のところ叶うことでは御座いません。わたし自身がもっと,今まで以上に努力し,成長してからでないと神さまから許可も出ないようです。これもわたし自身の修行の一つでもありますし,何より縁でありますので仕方がないことであります。そのような理由からもコメント欄を開放していない訳でありますので,今後とも拙いブログで恐縮ではありますが宜しくお願い致します。

花咲あさひ 拝


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


自分の良心こそ祈りの対象です。3

2018年01月04日 00時00分00秒 | 結びの心柱

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こんにちは。

昨日の伏見稲荷大社さんの動画は如何でしたでしょうか?

古来より信仰の対象となって来た山「御神体」に入山することの意味や先人が手厚く御守りして来た意義を感じ取って頂けましたでしょうか。時の権力者と伏見稲荷大社との関係など私も忘れていたことが再確認できて改めて勉強させて頂きました。歴史から学ぶことは有意義なことであり,とても大切な気がしています。故きを温ね新しき知るに通じるものがあるように思えます。

こちらです。「歴史ヒストリア:伏見稲荷大社の不思議な世界」https://www.youtube.com/watch?v=BHacRpEXRKs

それでは,昨日,一昨日と書かせて頂いて来た「自分の良心こそ祈りの対象です。1」と「自分の良心こそ祈りの対象です。2」の続きを書かせて頂きます。私も含めて「良心」と云うと一見,良い悪い,善と悪,悪い心に良い心と思ってしまうところです。しかし,もっと深く考察して行くとそう言った二面性をだけを捉えたものではないようなのです。

よく,良心に基づいて行動することが大切。良心に照らせば理解できる。などと言われることがありますが,良心とは誰にでも共通したものでなければ良心の違いが生じ,どちらが良心なのか解からなくなってしまいます。

何だか,司法試験の論文の勉強をしているようですが,要は,起きた事象において「良い」か「悪い」かを判断するだけのものではないのではないかと思うのです。良心と云う存在は,もっと,単純(シンプル)且つ素朴にと云うか純粋で在るように感じています。一言で云えば普遍(不変)的な存在という方が,今の私には理解できるようです。つまり,幼子「童子」のような心です。

本来,精神の世界と云うのもは私たちの目には見えない存在です。その目には見えない存在を目に見える対象物に置き換えて闇雲に信じてしまい結果,深みに嵌るケースがただあります。何だか滑稽な話ですが,本当にそうなのです。たとえば,先日も記事で書かせて頂きましたけど,富士山にゴミを捨てる人も初日の出を拝んだり,神社や寺院で祈願や祈祷を受ける訳です。

本当にこれは不思議と云うか思わず笑ってしまうくらいなことだと思うのです。だって,神社も寺院も大自然を崇拝するところから派生したものであるのに,その元の本を汚し何を願っているのか?なのです。どう考えてもやはり私には不思議なことであるのです。しかも,大金を積んで真剣な表情でお願い事をしています。人間の欲と云うものは本当に深くて凄いなと偶に拝見しています。

願いとは,執着心から派生し,執着心とは所有の概念であり,所有の概念とは紛争を産み出すものであると想っています。しかしながら「大切」と云う言葉には,私は不思議と執着心を感じません。自分の所有物はないのだからと云う想いとすべては借りもの預かりものであるという言葉を想像するからであります。この肉体も含め,すべてのものは返さなくてはなりません。

もっと最悪なのは霊能者に頼りきりになり,あとで多額のお金を要求され,家族のお金まで手を出し,一家離散になるケースも現実に存在します。終局的には事件になったりすることもありますが,この手のことを書くといくら書いても切がありません。しかし,ここでもやはり良心に照らして行くしかないのです。私にとっても「良心」この言葉は一生の課題であると想っています。拝


 

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こころのみはしら「心柱」祝詞 (作)花咲 あさひ

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,

共に手を取り,手を握り,互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合い,

如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手を挙げ名乗り出る,真の勇気素直

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められん。

高天原(自分の心)にそびえる柱に,降ろせよ しかと神の音(波動)を。

神の音を柱に降ろし,言葉に変えて,実地に移し,日々の努力を忘れずに,人を活せど手柄になし。

たとえ独りになろうとも,神に仕えし喜びと,己を尊び誇りをもちて,こころのみはしら種を蒔き。

たとえ困難苦難に出会えども,ただ只管に自分を信じ,こころのみはしら(心柱)成長させん。

この御霊の奥の奥,神を宿す人の努めよ。

2017.12.31 前段部 完成

補足:前々日に富士山へ行った際に富士山の神さまの御心を自分の心にそびえる九つの柱に音(波動)を降ろして観ました。

そして,富士山の神さまの御心をブログのテーマに沿って未だ前段部ですが,祝詞を作成してみました。

後段部は,虹色「七色」の輝きを放つ白山の神さまのところで作成したいと思っています。いつになるか・・・。

大自然と観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


多く人が感謝を捧げる伊勢神宮 ・~・内宮・~・

2017年12月25日 08時52分14秒 | 結びの心柱

上の写真は,二見興玉神社で撮影させて頂きました。いつも海の神さまに祈っています。

こんにちは。空の青さは,海の青さが反射しているからなのです。

あらためて,上の写真を観て,自分自身の心柱(こころのみはしら)に音を降ろすとそんな言の葉が生まれます。

海に祈れば,空は歓び,海を汚(穢す)せば,空は悲しみ,やがて怒る(祓う)。これが自然界の掟であり,仕組みです。

毎年,この時期になると1年の締めくくりに京都,奈良,そして伊勢神宮に参拝させて頂いて来ましたが,今年の年末は仕事の関係もあって参拝することが出来ません。参拝するほとんどが1人ですが,うちの事務所の長老さんともよく参拝をします。

私の事務所は,わたしと長老さんの2人だけのとても小さな事務所であります。代表者の私が郵便局の配達員のアルバイトをするくらいですからいつ潰れるか解からないような事務所です(笑)。まぁ~,倒れてもまた起き上がれば良いだけです。

年末年始の伊勢神宮では,多くの人々が1年を無事に過ごすことができ,また今年も1年を無事に過ごすことが出来ますようにと祈りを奉げると思います。そして,日々の暮らしに感謝し,自分の心の中に存在する神さまを感じて頂きたいと思います。誰の心の中にも神さまの分魂を宿しています。行き着く先は,誰であってもみな同じだと私は感じています。あんずることはありません。

さて,以下は「2016.10.3」に掲載した水の神への感謝参詣 伊勢神宮「内宮」 編と云う過去記事です。

  

こんにちは。また台風(18号)です。沖縄に接近している様子ですが,避難勧告も発令されているようですので,早めの避難と準備に備え,どうか御用心下さい。台風のような自然現象は,事前の防災対策である程度の被害を減災できると思います。以前にもブログで情報提供させて頂いた,自治体が取り組む災害対策基本法に基づく「災害時要援護者」登録などの制度を活用されることで,自治体も被災者救出に向かう時間を大幅に短縮できると感じています。独り暮らしの高齢者や被健常者,乳幼児を抱える父母,日本語をしゃべることの出来ない外国人などの所謂,災害弱者の為に設けられている制度です。各市役所の防災対策課などで案内をされているはずですので確認されてみて下さい。もし,自分が被災者になってしまった時,必ず助けに来てくれると云う精神状態と助けに来てくれるかどうか解らない状況の精神状態では,私個人的には少なからず精神状況の面で違ってくるように思っています。

さて,早朝の外宮さんを参拝させて頂き,次に向かうのはお馴染みの内宮です。上の左側の写真は宇治橋の入口です。この画像はテレビやニュースでも放送される際にたびたび使用されているので見たことのある方も多いと思います。そして,右側の写真は宇治橋を渡りきったところに立つ鳥居です。この両方の鳥居を支える柱は,今回の式年遷宮の為に撤下された御正宮の棟持ち柱だった重要な柱です。つまり,古材です。ちなみに,宇治橋入口に立つ鳥居の柱は外宮の御正宮を支えていた棟持ち柱で,宇治橋を渡ったところに立つ鳥居の柱は内宮の御正宮を20年支えてきた重要な柱であります。

したがいまして,現在の外宮・内宮の御正宮を支えている棟持ち柱は,20年後に宇治橋の鳥居として御鎮座されるのです。さらに,それだけではなく,宇治橋の鳥居としてのお役目を終えた後に,三重県桑名市の「七里の渡し場跡」で新たに鳥居として復活されることに定められているようです。通算すると60年と云う年月です。

私が住む地域の氏神神社にも第60回式年遷宮で撤下された古材を貰い受けて鳥居として建立しております。内宮の御手洗場ですが,この日は連日の雨で五十鈴川が増水していて立ち入り禁止となっておりました。私は内宮さんの御手洗場で少しのんびりとしているのが好きで,楽しみの一つとしていますが残念です。とても綺麗な川ですし,以前は錦鯉も悠々と泳いでいることもありました。最近はあまり見掛けなくなりました。昔は,この御手洗場で参拝に来られる人々は禊を済ませていたと云うことです。

五十鈴川の伏流水は,おかげ横丁で販売されています。私も稀に,おかげ横丁のWebサイトからですが注文して自宅の神様の御神前でお祀りされて頂いております。通常の参拝順路ですと五十鈴川で手と口の禊を済ませてから長い参道を歩き,先ずは御正宮へ向かいます。外宮さんの参拝が大よそ1時間前後ですから,内宮さんに到着するのが7時過ぎくらいです。

まだこの頃は,参拝者の人数もそれ程多くなく,ゆっくりとのんびり参拝させて頂けます。しかし,私には御正宮に到着するまでにしなければならない重要な任務が御座います。それは,参道などに落ちているゴミ拾いです。外宮さんでは,ほとんど落ちていませんが内宮さんは参拝される人の数も多いですから内宮さんでは結構忙しくさせて頂けます(笑)。

決して悪気があってわざと落としているのではないと思いますが,意識して拾い集めをしているといろいろな物が落ちています。唯一,いつも残念に想うのは,五十鈴川に小銭を捨てていることです。きっと,縁起を担ぐためか御利益を求めて投銭されているのだと思いますが,何の御利益もありませんし,逆に,川を汚したりする行為には縁起が良いとは思えません。

それはそれとして,御正宮で参拝させて頂いた後の順路は,荒祭宮・御稲御倉・外幣殿・御酒殿・由貴御倉(ゆきのみくら)・四至神(みやのめぐりのかみ)・風日祈宮(かざひのみのみや)・瀧祭宮・大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)・子安神社の順で参拝させて頂いて内宮を後にします。このそれぞれの御宮の内,ほとんどの方が参拝されていないところもあります。

しかし,どの御宮も内宮ととても関わりが深かったり,神路山の神様であったり,内宮の神域をお守りされている神様であったり,五十鈴川の神様をお祀りしております。全体で大よそ1時間前後の参拝順路です。

 そしていよいよ伊雑宮に参ります。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


むすび、さらに質問してみたの件。

2017年12月23日 08時51分50秒 | 結びの心柱

何年か前に大雪が降った翌日、周囲の反対なんのそので伊勢に旅だったあさひちゃん。その時の写真らしい。

 

だいたい想像がつく。。。その時のお姉ちゃんの祈りの姿・・・。

 普段、わたしには無理をするのはよくないと言いながら。。。

それでは、さっそく昨日の続きを。

 むすびは、さらに質問して見ました。。。

辞めたいとか、辛いとか思ったりしないの?

  すると、あさひお姉ちゃん曰く、

そりゃ~、、、辞めたいとか、つらいとか正直、なんども思ったことあるよ。

なんども逃げ出そうとしたし。もの凄く悩んでも来た。

だけど、

不思議なことにそう考えている時に限って、

自分の眼の前に、

不遇な窮地に立たされている人に必ずと言って良いほど出会う。

神さまや仏さま。御先祖さまが見せているのだと想う。

それか、化身として私の前に現れているのかもしれない(笑)。

お前は見捨てて逃げるのか?って。

そうすると、頑張らないと!!とまた想ってしまう。

これの繰り返しだった。要は、私自身が支えられて来たってこと。

不遇な窮地に立たされている人に支えられているってこと。

この世は逆さまばかりだね(笑)・・・。。。

現代の宗教の拝金システム、

つまり、枠組みを大きく変えなければならないの。

そのためには、

一度、破壊しなければ大きな変革が訪れることはない。

破壊と再生ってことだね。

伝統や文化を継承するって意味をはき違えちゃいけない。

故きを温ねて新しき知るって言葉をむすびも聞いたことあるでしょ?。

いま宗教界に大切なのは、温故知新だね。

自浄、自助努力などで、今の宗教界が目覚めるなんてことはありえない。

以上。

 尚、なんで最後に笑っていたのかは不明。

   でも、論は、、、あさひちゃんをちょっぴり、誇りに思った。

それでは、4日間、みなさん、ありがとうございました~。。。

また明日から、あさひちゃんをお願い致します!

地蔵菩薩とともに。花咲むすび 拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


むすび、あさひちゃんに質問して見たの件。

2017年12月22日 00時00分00秒 | 結びの心柱

こんばんは!!

ピンチヒッターは昨日で、終わったはずなのですが(汗)。。。

あと2日間、延長になってしまいました~・・・。

そういうことで、今日は少し真面目に。

あさひちゃんは、なぜ神社やお寺の護持?をしているのか聞いて見た件。

すると、あさひお姉ちゃんは真剣な眼差しでこんなことを話していましたの巻。。。

 むすびは何で観音さまお地蔵さん裸足でいるのか解かる?

わたしが正直に分からない答えると・・・。

神社お寺には、それぞれ違った想いを持った人たちが大勢くる。

何か自分のために祈願をしたり、家族の健康事業成功祈り来る人も当然いる。

そんな中で、生きることに疲れ、死に場所を求めて来る人もいるの。

わたしもそう言った人たちにたくさん出会って来た。

でも、いまの宗教家は、

たとえば、そんなお金のない人よりもお金を持った人を優先して自分の周囲に置こうとするの。

本来、宗教家は生きることに疲れてしまった人たちにこそ寄り添い合わなければならないはず。

だから神社やお寺に来「明日もまた生きてみよう」と少しでも感じてもらえれば、それだけで良いと思ってる。

私の護持「仕組みつくり」に対する源流は、そこにある。原点ってことね。

今から7年くらい前だったと思うけど、

あるお寺の復興をするので事務局をしてたときに起きた忘れられない出来事があったから

お金を稼ぎたいと思うのであれば続かないよ。

日本は世界的に観てもとても裕福な国で、とても自然に恵まれている国でもあるけれど。

しかし、この日本の社会に、世の中には、首に縄をつけ彷徨っている人たちがたくさんいる。

誰にも頼ることすら出来ないで。お前(むすび)はまだ解からないだろうと思うけど、

今、こうしている間にもご飯が食べることが出来なくて死んじゃう人が本当に、

この日本にはいるんだよ。

餓死するんだよ。この五穀豊穣を祈る国で。

こんなことで神さま仏さま。わたしたちの祖先が本当に歓ぶと想う?

いろんなことを言う人も居るけど、

今の時代に餓死する人は身体の不自由な人に集中的に起きているの。

両親も既に他界していて、自分一人では生きて行けない人。

兄弟や姉妹だけで暮らしていて、どちらかが精神疾患を患い生活している人。

所謂、人の助けや力が必要な人たちが大勢いるのよ。

わたしも仕事で関わったからよく知っているけど、切実な事柄なの。

だから宗教家がやらないのであれば、私がやる。

そういう仕組みつくりを考える。

誰かがやらなければ本当に、この国家に未来はないよ。

むすびももっと沢山、いろんなことを経験して、人に奉仕出来るような人になること。

人に感謝されることは、自分も確かに嬉しいと素直に思うけど、

自分がやったとか自分の手柄だなんて考えちゃダメだよ。

それは、やがて選民意識に変わっちゃうから。

人は、選民意識と所有の概念を持つと紛争することを覚えてしまうから。

特に、この世で社会的地位の高いと言われる人に多くいる。

そういう人と仕事なんかで出会ったりすると、心が渇いているのが直ぐに判る。

心に潤いがなければ、心柱(みはしら)は枯れ、やがて倒れる。

 こんな内容のことを話していました。が!

  さらに、むすびは質問してみたの件。あしたに書きます。

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


花咲むすびは「感謝」に異議なし?!

2017年12月21日 08時24分30秒 | 結びの心柱

おはようございます!

昨日に引き続き、あさひお姉ちゃんに変わってブログを書いています。

 それにしても寒いですねブルブルです。。。

書くと言ってもなにを書いてよいのか?わけがわかりませんが・・・。

 でも、ブログを書くのって大変ですね。よくそんなに書くことがあるな~って本当に感心してしまいます。

私には宗教的な教義もよく解りませんが、いちよう、このブログの趣旨にそって感謝について乱書してみます。

  感謝この言葉は何を意味するものなのか?

                 私なりに考えると、それは「無」「空」「ゼロ」ではないかと。

つまり、それは? ある対象に向けて感謝をする。これは限定的な感謝ではないかと思のです。

 以前、あさひお姉ちゃんが、突然!

       人間つまり人が感謝した時にとった姿勢(自然体)が合掌だと話していました。

はじめは、なんのこっちゃ?と思っていましたが、

意識的にする合掌ではなく無意識にする合掌なのだそうです。

謙虚になるほど頭(こうべ)を垂れるようです・・・。

だから、自然と感謝できる人は謙虚な人でもあるんだよ。と話していました。

なにか自分に良いことが起きたときにするだけする感謝は???執着ってことなのかな~・・・。

うっ!。。。なんだか・・・頭痛がして来たので。。。このへんで~

さようなら~

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


 

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝 


妹の花咲むすびです。

2017年12月20日 00時00分00秒 | 結びの心柱

みなさん、こんにちは。

花咲三姉妹の末っ子の花咲むすびです。いつも姉のあさひがお世話になっています。

今日と明日、お姉ちゃんのあさひは郵便局に配達のアルバイトに行っていますので,

 私むすびが代打ピンチヒッターで書かせて頂きたいと思います。

それにしても朝4時半に起きて、夜0時近くに帰ってくる仕事なんてただのブラックだと思いませんか?

 私には絶対にムリ!

まぁーそれはそれとして、

しかし書けと云われてもなにを書いてよいのやら・・・(汗)。適当に書くとお姉ちゃんに叱られるし。。。

 あっと!その前に自己紹介をしたいと思います。

名 前:花咲 むすび(花咲家の三女つまり末っ子)

    長女:あさひ 次女:ひかり 三女:むすび 愛犬:神社の境内に捨てられていた「ナムちゃん」。

愛 称:むっちゃん。むすびちゃん。

性 格:超現実主義(あさひちゃんとは全く反対)

特 技:弓 道

職 業:大学生(学費はお姉ちゃん持ち。)「アルバイト:神社で巫女さん」

    自治会長のススメではじめました。

趣 味:貯金 理由、何をするにもお金だから。

好きな言葉:一攫千金

毎日の日課:あさ太陽にあいさつすること。それと、神棚の水交換と先祖供養。

 あさひお姉ちゃんによると、神棚の水玉に麒麟とお水を呑みに来らしいです

榊の葉が枯れると「来たよ」のサインらしいです。麒麟身体(体重=重さ)はゼロなんだそうです。

                         もう、こうなると。えっ?なんのこっちゃ??ですけど。

     だけど「お水」だけは凄く気にしています。そこまでするか?と言いたくなるくらい。      

  それと、明け方と夜に北斗七星に祈っています。

   なんだか嬉しそうにしている件は「ちょっとコワイ」。

こんなの記事とは言えませんが、それでは また あした~。。。 

地蔵菩薩とともに。花咲 むすび 拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


白山比咩神社と平泉寺白山神社

2017年12月16日 07時33分14秒 | 結びの心柱

こんにちは。上の写真は,日本三大霊峰として有名な北陸地方に御鎮座される白山です。 ここ北陸地方には白山をお祀りする大きな神社が4社ありますが,その内,今日は石川県にある白山神社の総本宮でもある白山比咩神社と福井県にある隠れた秘境の平泉寺白山神社を過去記事を通じて紹介させて頂きます。平泉寺白山神社は本当に隠れた秘境で超古神道に通じる神社です。

国史跡 白山平泉寺紹介サイト http://heisenji.jp/

昨日の祈りを忘れた宗教家 ~剣を箒にかえて~ 1の続きを書かせて頂こうと思いましたが,仕事が忙しく間に合いませんでした。

以下は「2016.11.22」に掲載した白山の神様と白山比咩神社の思い出 1過去記事です。

こんにちは。今朝,福島県沖にて津波を伴う大きな地震が発生してしまいました。活動期に入った日本の国土,これから何があっても慌てることなく普段の生活の中で出来うる防災意識と個別に出来る対策は怠らない様にしたいと思います。又,以前からブログでもご紹介させて頂いている災害時要援護者の概要を是非,御自身が住む自治体で確認して頂きたいと思います。災害はいつ,どこで発生するか解りません。自分が当事者になってしまった場合,必ず助けに来てくれるという精神状態と助けに来てくれるかどうか解らない精神状態とでは雲泥の差が実際の災害現場ではないかと思います。不安の中で救助を持つ身になれば判ることでもあります。

さて,今日は,原始より人々により厚く崇敬され続けている北陸地方に御鎮座されます白山とその白山を御神体としてお祀りしている神社について書かせて頂きたいと思います。私もちょうど,4~5年程前に寺院の本堂を復興する為に,柱となる原木の買い付けの為,石川県,福井県,岐阜県,富山県の北陸4県の木材市場や森林組合へ月一度の間隔で出張していた時期がありました。いま振り返ると懐かしい思い出でもあり,現地の方々には本当に基礎から勉強させて頂き感謝しております。又,出張のそのたびに,各県に御鎮座される白山神社へ参拝させて頂いておりました。その中でも,前にこのブログでもご紹介させて頂いたことのある福井県勝山市の平泉寺白山神社は私がとても気の合う神社でもあり,皆さまにも是非,知って頂きたいと思っている数少ない神社の一つです。

あれ程の神域を未だに保持する神社であるのに以外と平泉寺白山神社は神社仏閣巡りが好きな人たちの間でもあまり知られていない神社で,実際,私の知人にも紹介しましたが平泉寺白山神社の存在を知りませんでした。ですが,その後,知人が参拝させて頂き,帰宅後,あの神社は,私が参拝した神社の中では一番気の良い場所だったと話されておりました。ただ,この時期から2月までは雪の影響で参拝は,雪に慣れていない人は危険だと宮司さんから注意喚起されたようです。確かに,そのとおりです。そのことを知らず,私は以前,冬の真っただ中の時期に参拝したことがありますが,長い参道すべて雪化粧で何も見えませんでした。遙か先にある鳥居を目印に参拝したことがあります。また,雪解け時期に参拝させて頂きたいと思っています。隠れた秘境だと想っています。

そして,仕事の任務も終了し,業務では行くことのなくなった北陸へは,その後も白山を御神体とする神社を参拝することは,私にとっての楽しみの一つでもあります。特に御神体である白山を遠方から遥拝すると御神体からではないですが,ほぼ必ずと言って良いほど虹の柱や虹が出て来ます。白山は御存知のとおり日本の三大霊峰ひとつでもあり,霊峰白山を御神体とする原始信仰の聖地であった場所です。又,白山は名水でも有名で曹洞宗の大本山でもある永平寺では白山の名水を御神水としてお祀りされております。白山神社の総本宮は石川県の白山市に御鎮座される白山比咩(ひめ)神社ですが,私がはじめて白山比咩神社へ参拝させて頂いた時の思い出はとても印象に残っています。早朝,6時頃に到着して駐車場で待機しているともの凄い雨と雷が鳴って来ました。

その勢いはあまり経験したことのないような凄い雷で,車から出ることも躊躇するくらいのものです。しばらくして,雨も小雨になり,雷も過ぎ去ったようなので車を降りましたが,その瞬間に,私の頭上で凄い勢いの雷が鳴り響き,どこかすぐ近くに落ちたような感じがしました。咄嗟に,また車に乗り込み天候の様子をうかがいながら表参道の入り口,一の鳥居から参拝をはじめました。

しかし,その表参道から続く石がとても柔らかく感じるのです。あの感覚はなんだったのか今でも解りませんが,フワフワしている感じで歩きやすくあっという間に手水舎に到着した思い出があります。又,その表参道の途中でピヨピヨと鳴きながら私と並行して参道を進む感覚もありました。その時の私の直感ですが,直ぐに天狗だと解りました。参道の両脇に立つ杉並木を渡っています。この白山比咩神社を太古から守り続けている天狗さんです。その天狗さんが私の後を追ってくる理由は,私の以ているものに関係しているようです。それは,白山の神様へ奉納させて頂く為に持参した「御酒」がお目当てなのでした

それもそのはず,さすがは白山を守護されている天狗さんであります。私が持参したその御酒とは,東北地方の蔵元で貯蔵された生しぼりです。天狗さんにとっては天下の生しぼりですからたまらなかったのではないでしょうか(笑)ちょうど,この時期に蔵出しされている南部美人の生しぼりと云う名酒です。とても美味しい御酒です。数量に限りがあるので売り切れ御免であります。

つづく。


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

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古神道とは日常生活にあります。

2017年12月09日 00時12分00秒 | 結びの心柱

上の写真は福井県の材木市場に向かっている途中に立山付近で撮影しました。

こんにちは。私たちは,どのような世界観に自分自身を置こうとも,共通していることは当たり前のことに対しても感謝する気持ちや謙虚になって前向きに,時には自分の行いを省みて反省し,自ら手を挙げ自分から奉仕でき,素直に生きて行くことではないでしょうか。さらに,何の約束や保障も無くても勇気を以て挑戦し,考え思いの違いも互いに結び,ただ純粋無垢に人の幸せを歓べること。きっと,神さまの御心と云うのはそのようなものであろうと感じています。

互いに支え合い,助け合い,足りないとこを補い合う。肝心なのは「合う」ことのようです。

私たち人間霊を宿した人は,誰であっても豊かに幸せになるために生まれて来るのであります。

以下は「2016.11.28」に掲載したhttp://blog.goo.ne.jp/kanzeon123/e/baa9aca4aec99283a37bbe6b051fb486記事です。

こんにちは。この時期になると個人的に関係する神社から年末の大祓や新年の御祈祷の案内書が送られて来ます。それぞれ縁のある神社ですから全てに申し込みをしたいところですが,私的な祈願をしたことがないので困惑してしまいます。神社の護持と云う面では確かに大切な祭事でもありますし,一年に一度の収入が見込める時期でもありますのでたくさんの方々から申し込みがされることは神社側にとって切実なことであります。神社を運営するには,どうしても資金が必要です。祭事や建物の維持,職員への給与などなど収支決算は大変ですから仕方がないことかも知れません。神社寺院の決算資料や護持の為の資金集めも担当させて頂いて来ましたからとてもよく理解できます。一般的に神社やお寺は企業会計ではないから資金が豊富にあり,内部留保金も相当あるのではないかと思われていますが,それはごく一部の神社やお寺です。とくに,神社は収入源が限定的ですから厳しい現実があります。

この資金難は,今後も厳しくなって行ってしまうのではないかと思います。しかし,そのような厳しい現状から逆に多くの参拝者や崇敬者を集め,奉賛,奉納を受けて行くと思っている神社がいくつかあります。ありますと言っても,これは私個人が感じ,思っていることです。それはどう云った神社なのかと申しますとすべての宗教「精神面」の原形でもある古神道の形式や形態を残している神社です。つまり,自然崇拝と祖霊祭祀を主としていて,超太古から続いている神社です。今ではとても少なくなっていますが,私は古神道が復活すると思っています。神社でも二極化が起き,古神道を実践する人を現在の神社神道各社が取り込めるかが大きな鍵になると感じています。しかしながら,これだけでは未だ足りません。精神面に付加される現実面が必要です。その現実面を行(ぎょう)と云います。それは相互扶助です。要は,古神道と云うのは,大自然や自然と祖霊に感謝する精神面「祈り」と現実社会で互いに分かち合い,足りないものを補い,弱い立にある人を皆で助け合う現実面が兼ね備わった状態を纏めて古神道と云います。

古神道とは,日常の生活の中に存在するものです。そして誰にでも持ち合せているものです。自然の風景に感動したり,美しい景色を撮影したくなったり,夜に星を眺めたり,朝の太陽に手を合わせたりすること。これすべて古神道が元です。

そもそも古神道を実践している人に祈願や祈祷と云う概念は存在しません。理由は至って簡単で,大自然や自然と祖霊に感謝すること日常生活の中で実践するだけですから個人の願望や欲望を叶えて貰おうと云う発想そのものがないのです。実践そのものが自然と一体化していると云う訳です。ですから,神社や寺院でもお金を出して御願い事などをすると云うことはせず,寄附と云う形で感謝を顕すことが多いのです。神社側から御願いことを記入して下さいと言われると,とても困ってしまいます。祈祷や祈願の為のお金ではないからです。屋根が古くなってきたから皆で計画を立案して新しくしましょうと云う感じなのです。どうしても記載する必要があるなら世界平和か神恩感謝と書くくらいではないでしょうか。たとえば,前にもご紹介させて頂いた京都の貴船神社に観る御日供(おにっく)などは五穀豊穣に感謝することを趣旨として,崇敬者のみなさんで少額の資金を出し合う制度ですが,これは,古神道を現代に残す大切な進化形です。つまり「故きを温ねて新しきを知る」ですが,この御日供を崇敬者から募っている神社も少なくなっています。五穀豊穣は経済の原点。どんなに経済が発展しても変わりはありません。神恩感謝に毎朝毎夕祖霊に感謝。拝


  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝