さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

巨人・アメリカ、光と影の1920年代

2016-12-15 | 20世紀からの世界史
こん棒外交のアメリカ
 
19世紀中頃までは世界の工場と言えばイギリスのことであったが、19世紀末には工業生産は完全にアメリカに抜かれた。しかしイギリスは全世界にまたがる広大な植民地を有していたので、銀行業、商社による世界貿易や資本輸出、国際金融、通信網など他国に追随を許さぬ覇権的地位を確保していた。
 
20世紀になるとドイツ帝国が果敢にイギリスに挑戦してきた。英、仏、独、米が4強と言われる先進帝国主義国と言われていたが、第一次世界大戦でヨーロッパの列強は共倒れしてしまう。それまでイギリスに対して債務国だったアメリカはヨーロッパ各国の債権国となり大横綱として君臨することになる。
 
マルクス(1818~1883)
 
経済学者・マルクスやロシア革命を起したレーニンは資本主義は帝国主義となり、互いに激突しやがて消滅すると予言していた。第一次世界大戦は資本主義を消滅に近づけたが、寸でのところで資本主義は立ち直った。巨人に成長していたアメリカがいたからである。アメリカの登場は流石のマルクスもレーニンも想定外だったのだろう。
 
資本主義を復活させたアメリカの実力とはどんなものなのか。19世紀の始めまでは人間の人口よりバッファローの方が多かったという移民国家アメリカがついに世界のトップに立つのである。20世紀はアメリカが大活躍する時代になる。いったいどんな活躍をしたのだろうか。
 
 
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T型フォードとヘンリー・フォード(1863~1947)
 
アメリカが巨人になった背景には産業構造の転換があった。大量生産、大量消費に基づいた資本主義産業を新しく作り上げたことだった。例えば自動車生産においては、それまで金持ちしか持てなかった自動車をベルトコンベヤーによる組み立てラインの流れ作業で生産した。ヘンリー・フォードはそのフォード・システムにより1929年には生産台数535万台に達し、3所帯に2台の普及に成功した。
 
鉱工業では鉄鋼、機械、石炭。石油の基幹産業に加えて、自動車、住宅、電化製品、電力、化学繊維、各分野で新産業が勃興した。また大量生産は大量販売を刺激し、広告、宣伝、販売網の整備、月賦販売、消費者金融などのマーケティングにも革新があった。アメリカの空前の豊かさは戦争で疲弊したヨーロッパを救った
 
 
ベーブ・ルース(1895~1948)
 
アメリカの1920年代は社会、芸術、文化が一気に花開いた時代だった。音楽はジャズの全盛、映画館は音声入りカラーで終日満員に、ダンスホールではワルツ、タンゴ、チャールストンが大人気となる。プロスポーツ界ではボクシング、フットボール、テニス、ゴルフ、ベースボールが人気を集めた。
 
中でも国民的なヒーローとなったのは「野球の神様」と言われたベーブ・ルースである。当時のホームランはチーム全体で年50本だったが、1927年にはルースは60本塁打を達成した。通算714本の記録もその後39年間破られなかった。国民は第一次世界大戦の恐怖からの反動もあり、スポーツと娯楽に時間を忘れて夢中になった。
 
 
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アル・カポネ(1899~1947)
 
一方で、この時代は「狂乱の20年代」とも呼ばれた。一部の富めるものと大多数の貧しいものとの格差は広がり、無関心、個人主義、享楽主義、自己嫌悪のしらけムードが時代を覆った。街には暴力、犯罪、麻薬が横行し、社会問題になる。清教徒の伝統を守りたい保守主義者たちの抗議により、各地で禁酒法が成立する。するとアル・カポネらのギャングたちが街の至る所にスピークイージー(潜り酒場)の店を出し暴利を得る。取り締まりの警察とのいたちごっこが始まった。
 
酒、ジャズ、性風俗の乱れはすべて移民、黒人、異教徒に原因があるとして、西部や南部の小都市を中心にクー・クラックス・クラン(K・K・K)の秘密結社が出来る。アメリカを作ったWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)の伝統を守るという名目のもとに人種差別は黒人、ユダヤ人、社会主義者への暴力、虐待、殺人にまでエスカレートしていった。最盛期には会員は全米で400万人を超え、政治にも介入したが、その社会犯罪行為により自滅していった。
 
 
 
ウォール街に集まる大群衆(1929年10月)
 
アメリカの大量生産、大量消費は20年代の後半にはピークに達し、供給過剰で減少に転じていた。しかし大企業は金余りでその余剰資金は高利潤をもとめて株式市場に向かっていた。株は急ピッチで上がり続けていたが、1929年10月24日、突然暴落した。ニューヨーク証券取引所での「暗黒の木曜日」である。
 
株価の大暴落をきっかけに大恐慌が始まった。銀行は倒産し、失業者が急増する。失業率は25%、失業者はピークには1283万人に達した。アメリカ発の恐慌は戦後まだ立ち直っていないヨーロッパを始め全世界に広まる。最も深刻だったのはアメリカの資金を頼りにしていたドイツだったが、アメリカも自国の恐慌から脱するためには他国どころではなかった。
 
~~さわやか易の見方~~
 
******** 上卦は火
***   *** 文化、文明、太陽
********
***   *** 下卦は地
***   *** 陰、柔、地
***   ***
 
「火地晋」の卦。晋は進む、上昇する。旭日昇天。地上から太陽が昇っていく象である。天の時、地の利、人の和、全てが整い業績好調、何もかもうまくいく。働けば働くほど報われ、世間にも認められる。しかし余りに順調であることは、どこかに落とし穴があることに注意しなければいけない。
 
世界で最も豊かな国と言われたアメリカでも1929年当時、人口の70%は生活ぎりぎりの年収2500ドル以下だったという。「黄金の20年代」といっても受益者は資本家だけであり、労働者、農民の生活は苦しかったという。日本にもバブルという時代があったが、バブルで儲けた人は極わずかで、殆んどは踊らされていただけである。そしてバブルがはじけて長い不況に苦しむのも踊らされていた人々である。
 
WASPとはもともとイギリスから追われて命がけで新大陸に渡ってきた人たちである。アメリカ人で祖先が移民でなかった人はインディアンだけだ。移民の国であるアメリカが移民を排斥しようとするのはどうしたことか。いろいろ問題もあろうが、移民排斥をすればアメリカがアメリカでなくなる時だ。トランプ大統領の「アメリカ第一主義」はアメリカを亡ぼす政策になるだろう。
 
 

ヴェルサイユ体制の問題

2016-12-09 | 20世紀からの世界史
ヴェルサイユ条約の調印
 
第一次世界大戦は帝国主義の列強同士が激突するという大戦争だったが、その最中にロシア革命が起るという歴史上かつてない大混乱に陥り世界中が恐れ慄いた。総力戦の末、ようやく収拾することになったが、世界は見事に再出発できただろうか。答えはNOである。再び大戦争を繰り返すことになった。今回は何故そんなことになったのかを考えてみたい。
 
1919年1月18日にパリのヴェルサイユ宮殿「鏡の間」において、戦勝国と敗戦国との間で「パリ講和会議」が行われることになった。ここはちょうど48年前の1871年1月18日にプロイセン王・ヴィルヘルム1世のドイツ皇帝即位式が行われた場所であり、フランス人にとっては屈辱の思いで過ごした48年間だった。ようやくフランスがドイツに対しリベンジを果たしたのだった。
 
アルザス・ロレーヌの中心地ストラスブール
 
現在ヨーロッパ統合の象徴となっているストラスブールがあるアルザス・ロレーヌ地域はドイツとフランスの国境に存し、石炭と鉄鉱石の産地であることからしばしば両国の係争地となった。48年前の普仏戦争でドイツ領となっていたが、ヴェルサイユ条約で再びフランス領となった。
 
ヴェルサイユ条約では主導権を握ったフランスがドイツに対して徹底的な制裁を要求した。ドイツから全ての植民地を取り上げ、領土の13%を奪ったので、ドイツは鉄鉱資源の75%、石炭の33%、耕地の5%を失った。さらに厳しい軍備制限を課す。さらに330億ドルという天文学的数字の賠償金を課した。
 
 
ウィルソン米大統領(1856~1924)
 
一方、アメリカ大統領のウッドロウ・ウィルソンは「軍縮」、「民族自決」、「秘密外交禁止」などの平和のための「14カ条」を唱えて会議に臨んだ。新外交の理念は戦いに倦み疲れた民衆に熱狂的歓迎を受けた。しかし既得権や秘密外交の取り決めに固執する英、仏、日、伊の現実外交の前には屈せざるを得なかった。世界一の工業国であり債権国になったアメリカではあるが、パリ講和会議ではドイツへの報復を主張する英、仏の意見が勝った。
 
唯一、日の目を見たのが「国際連盟」の設立であり、後にウィルソンはノーベル平和賞を貰っている。しかしながら当のアメリカは議会の反対にあい連盟には加盟しなかった。敗戦国のドイツや社会主義国になったロシアも除外されたので英仏中心の帝国主義列強による現状維持機関となる。「民族自決」を唱えてはいたが、アジア、アフリカの被抑圧民族の独立への期待は完全に裏切られた。
 
 
ケインズ(1883~1946)
 
連合国への戦費を貸し付けたアメリカは政治的援助とはしないで、商業上の債権と同じように取り立てる方針をとった。英、仏、伊は財政難の中、戦後復興とともに戦債返却にも頭を悩ますことになる。そこでフランスの主張に同調していっさいの負担をドイツに賠償金として押し付けることにした。こうしてドイツは自国と戦勝国の戦費を巨額の賠償金として支払わされることになる。
 
パリ講和会議に出席していたイギリスの経済学者ケインズは「ドイツだけに戦争責任を負わせるもので、不条理であり不可能である。」として決定に反対、辞表を提出している。「この決定は残忍で不可能で、このあとに不幸以外の何ものももたらさないだろう。」という手紙を妻に書いている。戦勝国の英、仏とも財政難であり、大戦後の経済はドイツが賠償金を支払うことが前提だった。そのためにはドイツ商品の輸出市場を保証する必要があるにもかかわらず、英も仏も自国商品確保のためドイツ商品には関税をかけるなど進出をさまたげた。1923年にはドイツ経済も完全に行き詰まる。
 
 
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チャールズ・ドーズ(1865~1951)
 
アメリカ・副大統領のドーズが「ドーズ案」を提案し助け船を出す。ドイツにアメリカ民間資本による貸し付けを行い、賠償金を受け取った英、仏から戦債の回収をするというものだった。(ドーズはこの政策によりノーベル平和賞を受けている。) 1920年代の後半はどうにか安定を取り戻し、ヨーロッパに小春日和が訪れた。しかしこのシステムは短期の民間資本によるものであり、アメリカの景気次第でどうなるか不安定なものだった。
 
アメリカのドル経済はずばぬけた力を有するものの、大戦前のイギリスのような安定した基軸通貨には程遠かった。また国際政治をリードする立場をとるには未熟な巨人であり、その責任の自覚も足りなかったと言える。国際連盟を提唱しながら自ら加盟しないという一国主義で世界のリーダーとは言えなかった。果たしてその弱点がやがて起るニューヨーク株式相場大暴落となって世界を震撼とさせる。
 
~~さわやか易の見方~~
 
******** 上卦は火
***   *** 文化、文明、中女
********
***   *** 下卦は沢
******** 喜ぶ、親睦、少女
********
 
「火沢暌」の卦。暌(けい)はそむく、反目すること。仲が悪いということは理屈ではなく、どうしても好きになれないのである。永遠のライバルとも言える。しかしライバルがいればこそ、競争し進歩することもある。また、化け物ではないかと疑って、どうしても好きになれなかった相手が誤解が解けると本当は最も信頼を寄せるに足る友人だったということもある。反目は多くの場合、誤解から生じている。
 
フランスとドイツのライバル関係は15世紀のイタリア戦争に遡る。フランスのヴァロワ家とドイツのハプスブルグ家は常にヨーロッパの盟主の座を争った。その長いライバル同士が現在はEUの中心になって互いに協力関係にある。考え方次第である。相手をどう考えるか、どう受け止めるかなのではないか。とかく隣同士は反目しがちである。日本もお隣さんとどう向き合っていくか。喧嘩していてもなんの益もない。
 
第一次世界大戦からイギリスに代わって世界のリーダーになるのはアメリカである。しかしこの時は未だリーダーの資格に欠けていた。経済だけ、軍事だけではリーダーになれない。しかもこの時、共産主義の脅威が差し迫った問題だった。いかに世界のリーダーたる国の役割は重かつ大であることか。それから100年、そのリーダーが最近グラグラしているように見える。しっかり頼むぞ。リーダーよ。
 
 

今月の言葉(28年12月)

2016-12-04 | 安岡学研究会

安岡正篤先生(1898~1983)

 
徳を成し材を達するには、師の恩、友の益多きに居る。故に君子は交遊を慎む。
吉田松陰・士規七則

いつも「さわやか易」をご覧頂き、有り難うございます。
さて、私は毎月第一土曜日に開かれる「安岡学研究会」に参加しております。もう30年目に入りました。この会は安岡正篤先生の著書を素読、研習し、その教学の本質を学ぶことを目的にしております。前半は安岡先生の語録集素読の後に、市川浩先生による「日本書紀」の講義があります。後半に易経の勉強をしておりますが、28年11月より「易で考える世界近代史」というテーマで私が講師を務めております。

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エルサレムの旧市街地

このテキストは私のブログ「名画に学ぶ世界史」をもとにテキスト用に修正を加えたものです。誰にでも解り易く、歴史と易をお話ししたいと思っています。12月の会では易の「火水未済」について、宗教と政治に完全なものはないということをテーマにお話ししました。世界史の中では十字軍について、その意味を考えました。

ただいま新規の会員を募集しております。東京近郊にお住いで興味のある方がおられましたら、一緒に勉強しませんか。

会場は江戸幕府の学問所・昌平黌の佇まいが残る湯島聖堂・斯文会館です。都会の中にしんと落ち着いた緑の空間が魅力です。

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教室の側には孔子廟があります。

アクセスマップ:史跡湯島聖堂|公益財団法人斯文会

安岡学研究会
開催日:毎月第1土曜日12:30より16:30
会費:月3000円。但し15時からの「歴史と易」だけの方は2000円です。
ご希望の方は世話人の田辺さんにご連絡ください。携帯電話:080-3010-7200です。
「様子が解らないので、一度見学させて頂けますか?」と言うと、優しい田辺さんは「どうぞ」と言ってくれます。初回分がタダになります。