さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

イギリスのEU離脱問題を語る。

2016-06-29 | 世界史談義

 

親分、昨日は少し興奮してしまい、どうも失礼しました。今日はドイツの話ですよね

 
その心算だったが、お前の興奮もまだ収まっていないようだし、昨日の続編をやろうじゃないか。世界史で見た場合のEU問題ということにしよう。その方がお前もすっきりするだろう。
 
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ロンドン中心部
 
有り難うございます。イギリスの身勝手をもう少し語りたいと思っていました。歴史的に見てもイギリスこそEUの先頭に立ってヨーロッパを牽引すべき立場だと思っていますので。
 
そもそもEUというのは、20世紀になって二つの大戦争を反省し、二度とあのような惨事を繰り返してはならないと思いからスタートすることになったんだよな。
 
なにしろヨーロッパではそれほど広くない範囲に沢山の国が入り乱れて存在し、お互いにプライドが高い国ばかりなので、戦争を繰り返して来たんですよね。それが20世紀になって兵器の技術は進み、化学兵器、空からの空爆、挙句の果てには核兵器にまで拡大してこのままだと人類滅亡の危機にも達するという事態にまできましたからね。
 
そうなんだ、EUはそんなヨーロッパ諸国が共存共栄して行こうという取り組みなんだな。なんでここへきて、イギリスはEU離脱ということになったんだ?
 
いろいろ不満が溜って来たんでしょう。例えば東ヨーロッパからの移民が増えてきて自分たちの職が奪われるとか、テロリストも居るんじゃないかとか、町の雰囲気が壊されたとか、中には深刻な問題もあると思います。それに経済的に破たんしたギリシャを救うことで各国が負担しなきゃいかんというのは損をするというのもあるんだと思います。
 
シリア問題もあるんじゃないか。
 
シリアの難民もEU各国でノルマを決めて受け入れなければいかんというのも納得できないというのでしょう。自分の国が自分の国では無くなってしまうというのが離脱派の主張でしょう。それも自分たちで決めるのではなく、EUの首脳部が決めたことを押し付けられるのは我慢が出来ないというんでしょ。
 
メリットもあるんだよな。EU域内は関税もかからず人の移動も自由に出来るんだから観光ばかりじゃなく、商売はし易いよなあ。ところで、お前がイギリスのEU離脱に一番怒っている理由は何なんだ?
 
イギリスは産業革命や議会制度を真っ先に発展させ、その近代兵器と経済力で植民地を拡大し、世界中を支配しようとしたんです。帝国主義はイギリスが主導したんですよ。その結果、世界中が西洋化しました。日本もそうです。文明が世界に浸透したという功績もあったでしょうが、弱肉強食の帝国主義によって犠牲になった国にとってはその後100年経っても立ち直れず、悲惨な状態のところもあるんですよ。
 
成る程、それでお前が怒る理由は?
 
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ポーランド出身ショパン(1810~1849)

EUは大戦争の後に二度と戦争を起こさないためもあるんでしょうが、犠牲になった国に救いの道を開くという目的もなければいけないと思うんです。例えばポーランドの人たちは帝国主義時代には列強の間で悲惨な目に遭いました。今、ポーランドはEUの優等生と言われるほど経済発展をしているそうです。若者たちは移民になってイギリスにも移り住んで頑張っているそうです。そういう移民の若者たちを受け入れてやるのはかつて帝国主義として発展した先進国の責任じゃないでしょうか。
 
移民に職を奪われるというイギリス人の立場についてはどうだ?
 
職を奪われるというのは移民に比べてイギリス人の賃金が高いからでしょう。今までの待遇が良かったからでしょ。対等に働けばいいんですよ。
 
シリア難民問題についてはどうだ?
 
難民受け入れより早く戦闘を中止して貰いたいですね。そのためにはロシアと早く協定を結んで欲しいです。EUがもっと強くなってロシアの暴走を止めるようにならなきゃ駄目なんですよね。ところがイギリスの離脱で一番喜んでいるのはロシアのプーチンさんじゃないでしょうか。それとISは喝采していることでしょう。その点でも今回のイギリスにはがっかりです。
 
今後、どうなるだろうな。
 
もしも、他からも離脱の動きが出るようなら、ヨーロッパ全体が衰退していくと思いますよ。ドイツ、フランスには踏ん張って貰いたいですね。イギリスは余程のことがない限りは凋落の道を辿るんじゃないでしょうか。かつてのパクス・ブリタニカが唯の小さな国になってしまうんでしょうね。僕はやはりヨーロッパの中心はドイツだと思っています。ドイツを中心にEUを立て直して、底力を見せて貰いたいものです。親分の見方はどうなんですか?
 
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クロード・モネ(1840~1926)
 
俺の考えも厳しいぞ。そもそもヨーロッパ文明はもう限界だと思っているんだから。ヨーロッパの文明は19世紀が頂点だというのが俺の説なんだ。ロマン派の音楽家たちが活躍し、印象派の画家たちが活躍していた時代がヨーロッパが一番輝いた時代なんだ。EUはヨーロッパの最後の切り札だと思っている。それが崩壊するとすれば、もう200年から300年はヨーロッパは唯の観光地でしかなくなると思っている。一方でもっと頑張って欲しいという願望もあるんだ。だからEUには踏ん張って欲しいね。
 
見守るしかありませんね。じゃあ、今日はこの辺で。また来ます。
 
 
 

帝国主義時代を語る(1)

2016-06-27 | 世界史談義

親分、今日は。前回にお話を聞いたのは19世紀についてでしたよね。19世紀後半に、ヨーロッパの中心であるイギリス、フランス、ドイツが帝国主義の国家になって世界を支配しようとしました。その結果、20世紀になって大戦争が2回も繰り返されることになってしまうんですよね。そこで、今日はそもそもどうして彼等は帝国主義の国になってしまったのでしょうか。その辺を論じてもらいたいのですが、お願いします。

 
そうだな、大切なことだよな。簡単じゃないと思うが、せっかくの質問だからこの際二人で考えて見ようじゃないか。原因がいくつかあると思うんだが、整理して見ようじゃないか。お前はどんなことがその原因になったと思うんだ?
 
僕は国を大きく強くしようというのは、太古の昔から建国の目的だし、政治原理だと思います。のんびりしていれば、他所から滅ぼされるという危険もあるわけですから、常に他所には負けないというのは当然だと思います。近代はとくに経済の優劣問題が大きいと思いますね。巨大資本が国を動かす時代になってきましたから、経済で相手を征服するという構造になったことが原因の一つだと思います。
 
成る程な、帝国主義の柱の一つは経済力という訳だな。じゃあ、巨大資本というのはいつからどこで始まったんだ?
 
資本主義は産業革命とともに始まったんじゃないですか。そうすると18世紀頃のイギリスからではないでしょうか。
 
そうだな、その産業革命を起こす資本は誰が持っていたんだ?
 
たぶんイギリスの商人が奴隷貿易で儲けたんでしょう。それと16世紀頃は海賊たちがスペインの銀の輸送船を襲って莫大な銀を略奪していたんですよね。それも国家公認の私掠船があったんですから、相当乱暴な話ですよね。スペインにしたって、中南米の現地人を強制労働させ略奪同然に盗ってきたものですからね。イギリスにしてみれば、どうせ略奪したものだから、俺たちが横取りしたっていいじゃないか。てなもんでしょ。
 
そうだな、怒ったスペインは戦争を仕掛けるんだよな。
 
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アルマダの海戦
 
その戦争が「アルマダの海戦」で、迎え撃ったイギリス海軍の大将が海賊ドレイクなんですよね。いかにも海賊の国イギリスですよ。スペインを破って制海権をとってしまう、スペインは以後凋落しちゃうんですからね。強ければ善悪なんか関係ないんですからね。それがヨーロッパの仁義なきルールというんですかね。
 
まあ、そうやって稼いだ金が資本になって産業革命が起きた。正に人類の歴史は仁義なき戦いという奴だな。つまりは帝国主義のルーツはイギリスの海賊という訳か。それじゃあ、イギリスの功績はどうなるんだ。イギリスのいいところも認めてやらなきゃいかんだろう。
 
イギリスの先進性と言えば議会制度だと思います。フランス革命より150年も前にピューリタン革命を起こして国王から実権を議会が握るんですからスゴイですよ。
 
そうだな、17世紀のことだからな。それからだな、産業革命は。何でイギリスがそんなに先行出来たんだろうか?
 
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オリバー・クロムウェル(1599~1658)
 
フランスもドイツも17世紀頃は宗教戦争で大変だったんじゃないでしょうか。とくにドイツは三十年戦争でめちゃめちゃになるんですからね。その点イギリスの宗教対立はそんなに長くはなく、王党派と戦った議会派のプロテスタントが勝利するんですよね。共和制を始めたクロムウェルはナポレオン並みの人物ですよ。独裁者みたいになったところもナポレオンに似ていますね。
 
帝国主義と議会制度はどうなんだ。議会制度が発達したイギリスから帝国主義が生まれたとすれば議会制度も正しいとは限らないんじゃないか。
 
そうなんですよ。例えばアヘン戦争ですが、どう考えたって違法行為ですよね、アヘンを輸出しようというのは。それが議会で可決されるというんですから、イギリスの議会は何をやってるんだと言いたくなりますよね。
 
確かアヘン戦争に踏み切る前に議会で論争したんだが、271対262の接戦で開戦論が勝ったというんだ。自由党のグラッドストーンが、「不義にして非道の戦い」と叫んで猛反対したが通じなかったというんだな。
 
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グランドストーン(1809~1898)
 
そこですよ。僕がイギリスは所詮「海賊の国」だというんですよ。いくら産業革命で文明を進化させても、資本主義体制を作って世界をリードしても、民主主義で議会でものを論じても、良心や道徳観を持たない民族は必ず滅びますよ。身勝手な金持ちなんてなんの価値もありませんよ。
 
まあ、まあ、興奮するな。いつも言うだろ。理不尽なのが世界史なんだと。
 
興奮もしたくなりますよ。そもそも帝国主義はイギリスの身勝手から始まったもんじゃないですか。自国の経済だけしか考えないで、弱い者いじめを率先して植民地帝国になったんですから。ついでに言わせてもらえば、今回のEU離脱だってそうじゃありませんか。世界のことはおろか、ヨーロッパのことも考えていないから、あんな結果になってしまったんですよ。身勝手そのものですよ。これじゃあ、世界の先進国とは言えません。残念ながらイギリスの凋落がここから始まるのは間違いないでしょうね。
 
解った、解った。もう少し冷静になれよ。この話はまたの機会にゆっくりやろうじゃないか。今日はこのくらいにして、次は20世紀にイギリスと対立するドイツについて語ろうじゃないか。
 
解りました。楽しみにしています。
 

名画で振り返る19世紀

2016-06-10 | 名画に学ぶ世界史

19世紀のヨーロッパはナポレオン旋風で幕が開ける。ほぼヨーロッパを席巻する勢いであったが、ロシアの冬将軍の前に力尽きる。ナポレオンは失脚したが、ナポレオンが蒔いた自由化の波は世界中に広がる。資本主義は発展し、列強による帝国主義時代となり、植民地獲得競争が起る。

 
 
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「ナポレオン1世の戴冠式」 作者:ダヴィット 1804年
 
革命により国王を処刑したフランス国民だったが、トップを失くした喪失感があった。そこに連戦連勝の将軍ナポレオンという英雄が現れたので、国民は狂喜した。
 
 
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「マドリード、1805年5月3日」 作者:ゴヤ
 
自由と平等を旗印にしたナポレオンだったが、スペインでは反ナポレオンへの民族運動が起る。
 
 
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「チェルシーの年金受給者たち」 作者:デイヴィッド・ウィルキ 1822年
 
ナポレオンは1815年のワーテルローの戦いに敗れ、大西洋の孤島セント・ヘレナに流される。この絵は勝利を喜ぶロンドン市民である。
 
 
 
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「民衆を導く自由の女神」 作者:ドラクロワ 1830年
 
ウィーン体制により王朝が復活したフランスだったが、1830年、1848年に再び革命が起り共和制が成立した。大統領になったのはナポレオンの甥であるナポレオン3世だった。
 
「皇帝マクシミリアンの処刑」 作者:エドゥアール・マネ 1869年
 
独立運動は南米の植民地でも続き、メキシコでも1867年フランスから独立した。(マクシミリアンはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟。)
 
 
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「ドイツ皇帝の戴冠式」 作者:ヴェルナー 1881年
 
1861年にイタリアが統一を果たす。長く連邦国家だったドイツは宰相ビスマルクの巧みな政治力により、普仏戦争の勝利後の1871年ヴェルサイユ宮殿にて統一・戴冠式を行った。
 
 
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「アヘン戦争」 作者:エドワード・ダンカン 1843年
 
19世紀後半は列強による植民地獲得競争が盛んに行われた。アジア、中東、アフリカでは殆んどの国がいづれかの植民地になる。アジアの大国だった清国は1840年からのイギリスとのアヘン戦争とその後のアロー戦争により半植民地になる。その後、日清戦争で日本にも敗れる。
 
*今回で約2年間続けてきた「名画に学ぶ世界史」を終了します。しばらくの間準備期間を頂き、8月頃から「20世紀からの世界史」をスタートする予定です。何かのご縁でご覧頂き、厚くお礼申し上げます。(猶興)

名画で振り返る18世紀

2016-06-09 | 名画に学ぶ世界史
18世紀は「啓蒙思想」の時代。17世紀に確立した絶対王政に批判的な芸術、学問、思想が発達した。パリの貴族の間では各分野の有力者を自宅に集め、情報交換する習慣が流行した。また王侯貴族の間でも啓蒙主義は流行し、プロイセンのフリードリヒ2世、ロシアのエカチェリーナ2世、オーストリアのヨーゼフ2世などは率先して学び政治にも反映させた。
 
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「ジョフラン夫人のサロン」 作者:シャルル・ガブリエル・ルモニエ 
 
貴族のジョフラン夫人(1699~1777)のサロンにはモンテスキュー、ルソー、ヴォルテールなど各分野の有力者が国内外から集まったことで知られる。
 
 
 
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「ポンパドール夫人の肖像」 作者:フランソワ・プーシェ 1756年
 
 
 
ルイ15世の公妾・ポンパドール夫人(1721~1764)は政治に関心のないルイ15世に代わって国政、外交にも関わった。
 
 
 
 
 
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「フリードリヒ大王のフルートコンサート」 アドルフ・メルツェル 1852年
 
 
 荒廃したドイツ連邦の中からプロイセン王国が台頭してくる。啓蒙思想家のフリードリヒ2世は(1712~1786)はオーストリアの継承問題に抗議してシュレジエンを獲得する。
 
 
 
 
 
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       「マリア・テレジアと子供たち」 作者:マーティン・マイテンス2世
 
 
三十年戦争の敗北により権威を低下させたオーストリアは男子の継承者がなく窮地に陥る。復活を成し遂げたのは女帝マリア・テレジア(1717~1780)だった。プロイセンに奪われたシュレジエンを取り戻すため7年戦争を起こすが果たせなかった。
 
 
 
 
 
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ピョートル大帝(1672~1725)
 
 
 
ロシアではピョートル大帝が西洋化を図り北方戦争を制し、領土を拡大した。
 
 
 
 
 
 
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エカチェリーナ2世(1729~1796)
 
 
 
さらにロシアの領土を拡大させたのはエカチェリーナ2世である。エカチェリーナ2世はプロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアのヨーゼフ2世とポーランドを分割する。
 
 
 
 
 
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  「デラウェア河を渡るワシントン」 作者:エマニュエル・ロイツェ
 
 
 
1775年から始まったアメリカ独立戦争は1783年にパリ条約にて独立が承認されアメリカ合衆国が誕生する。
 
 
 
 
 
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  「球戯場の誓い」 作者:ダヴィット 1791年
 
 
 
18世紀末、フランスの財政は危機的状況に陥った。民衆に後押しされた改革派議員たちは特権階級の課税を求めて立ち上がる。ついにフランス革命の勃発へとつながる。
 
 
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 「マリー・アントワネット」 作者:ルブラン 1783年
 
フランス革命により国王ルイ16世とともに王妃マリー・アントワネット(1755~1793)も処刑された。
 
 
 
 
 
 

名画で振り返る17世紀

2016-06-07 | 名画に学ぶ世界史
16世紀後半からの宗教戦争はフランスでは内戦となり、混乱する。アンリ4世が「ナントの令」によりプロテスタントへの信教の自由を認める。17世紀になるとドイツにて「30年戦争」に突入、ここでもプロテスタント勢力の勝利となり、ハプスブルグ家が世襲する神聖ローマ帝国は権威を低下させる。
 
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「レンブランド自画像」 1640年
 
 
1609年、スペインから独立したオランダは経済発展を遂げた。英蘭戦争によりイギリスに敗れるまで繁栄が続いた。レンブラント(1606~1675)はその時代に活躍する。
 
 
 
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「リュッツェンの戦い」 1632年
 
「三十年戦争」ではドイツの人口は1700万人から800万人になり荒廃を極めた。
 
 
 
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「狩り場のチャールズ1世」 作者:ヴァン・ダイク 1635年
 
イギリスでは国王の専制政治を「ピューリタン革命」により打倒する。チャールズ1世(1600~1649)は処刑された。他国に先駆けて議会主導を目指す。
 
 
 
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「マリー・ド・メディシスの生涯」 作者:ルーベンス
 
フランスの暗殺されたアンリ4世の王妃マリー・ド・メディシス(1575~1642)はルーベンスに自分の生涯を神話にした20の連作を描かせた。
 
 
 
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「ルイ14世」 作者:イアサント・リゴー 1701年
 
フランスの絶対王政を確立したのは太陽王と呼ばれたルイ14世(1638~1715)である。30年以上かけて建設したのが「ヴェルサイユ宮殿」である。