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神奈川絵美の「えみごのみ」

父の思い出、母のコレクション

実家に帰って……


(うちのシャンデリアです。こういうタイプ、昭和に流行りましたよね)

片付けをしていたら、両親の寝室の箪笥から
このようなものが出てきました。



父は生前、しばしば
高校時代にハンドボールのインターハイに出て
10何時間もかけ四国まで行ってきたなんて話を
してくれましたが
これは、そのときの記念品のようです。

初めて見ました。もしかしたら本人も、どこにしまったか
忘れていたのかも。


こちらも、同じ大会のものなのかな。
1957年とあります。

スポーツ万能の父でした(なぜ私に遺伝しない)。
日体大への推薦入学の話もあった、と聞いたこともあります。
「えー、行けば良かったじゃん」 結局、この地に残った父。
何の気なしに私がそう言ったら、
「そしたら、絵美ちゃんは生まれてこなかったろ」

ああ、そうか……。


一昨年の6月、最後の野球観戦になった日の写真を見て
またじんわりと目がうるんでしまいます。

一方、


さかのぼること20年、2000年代初頭に亡くなった母からは
父経由で何点か、アクセサリーが譲られましたが、
(左下のイヤリングがその一つ)
今回、箪笥の隅に眠っていた小物も引き取ってきました。
ブローチと、根付。

母はサンゴが好きだったのかな。ピンク色が好きだったのかも知れない。
それとも、父方の祖母の遺品にもサンゴの帯留があったから
もしかしたらこれらも、もとは祖母のものだったのかも……

それなら、父が(私に譲らず)ずっと手元に置いておいたのも
わかるような。

母方は(前にも書きましたが)私が女系の最後の一人。
(母の姉妹に女の子はいなかったので)
これらの“次の”行先はわからないけれど、しばらくは大事に
持っていようと思います。

コメント一覧

kanagawa_emi
まるたけさん、こんにちは!
父は中距離や駅伝の選手もしていて、
物資不足でスニーカーも満足に買えなかった時代
祖母(父にとっての母)がこっそり、自分のへそくりで
買ってくれたとか…。

最後の野球観戦は杖をついて、ちょっと辛そうでした。
コロナ前はすたすたと、大手町の地下街を
若い人と競うようにして歩いていたのに…
本当に、切ないです。
kanagawa_emi
香子さん、こんにちは!
身近な宝石、きっとそうですよね。
何となく、三大貴石は当時、ドル360円の時代だし
高嶺の花だったのではと思います。
無病のお守り!おっしゃる通りですね。
大事にしようっと。
まるたけ
お父様スポーツマンだったのね。ハンドボールのインターハイに・・・まあかっこいい。
お父様との野球観戦、私も読んでいるとじんわり来ます。
今までの記事を思い出しますね。
香子
珊瑚がお好きだったのもあるし、当時は一番身近な宝石だったのかも。
ひょうたんが6つの根付は実家にもあったような気がします。
無病(6瓢)のお守りですもんね。
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