◆神代の案内人ブログ

…日本の古代史についてのブログです。…他の時代もたまに取り上げる予定です。

◆神武以前三代記  瓊瓊杵尊―彦火々出見尊―鵜葺草葺不合尊  第二章 瓊瓊杵尊の足跡その3

2012-04-25 11:28:35 | ◆神武以前三代記
 天孫降臨は二組ありました。この斑鳩降臨が一組目で、専門家の間では皇孫降臨とも云います。忍穂耳尊は奇玉火乃明尊が日高見を出発のとき十種の神宝を授けられ正式の王権三代目とされていました。しかし天照大神は瓊瓊杵尊が再三願い出ていた全国の地形視察により大規模新田開発の願いに許可を与え三種の神器を授け、正式の王権後継者とも思われる儀式の後、護衛部隊を付けて送り出したのです。これが戦前・戦中に神話の核となり殆どの日本人が良く知っている普通にいわれる天孫降臨です。しかし瓊瓊杵尊は秀真伝の記述では九州には行きませんでした。古事記・日本書紀では九州霧島連峰の高千穂峰に天から天降ったと述べ、峰続きに移動し、有るで宮を作ります。又、その川岸で此の花咲哉姫と合い、見染めてその娘と目出度く夫婦となったとされています。
 著者はこれに関連する成り行きを秀真伝の記述を中核にして、このホーページの【此の花咲哉姫と浅間神社・子安神社】に詳しく述べましたが、古事記・日本書紀の記述とは全く異なり、現代の読者の目にも理解できる今に通じる近代人の喜怒哀楽の連続を記しました。本稿でも必要に応じて繰り返しその文を挿入し、御高読下さる方のより良き理解のため平易の文で綴ります。又、再度浅間神社をお読み頂き再認識を頂ければ幸いですが、本稿では前に述べた同文の重複も避け大筋だけを記述しますが、理解のためより詳しい挿入文も入れる心算です。瓊瓊杵尊と此の花咲哉姫(その時は葦津姫ですが)、が出合ったのは実は酒折の宮(現在の甲府市と石和町の中間点の酒折)でした。宮はその時空き宮で留守居役である大山衹命の息女葦津姫が宴会での身近な接待をした時でした。葦津姫は尊との一夜の契りで懐妊をしてしまいます。瓊瓊杵尊は当時新田開発で多忙のため諸所を転々とする日々でしたが、再度酒折を訪れた際に姫の懐妊を知らされます。これは尊にとり思いもしなかった喜びでした。飛鳥で宮を築いた兄の奇玉火乃明尊は正妃が居りましたがお子に恵まれませんでした。瓊瓊杵尊にも何かと機もあったかも知れませんが、お子に恵まれませんでした。後継の御子が無い事は王権の危機を招きます。瓊瓊杵尊は天照君を尊敬し、後ろ盾として父の忍穂耳君よりも慕っていた様に思います。早速この喜を伊雑にいる天照大神に報告しとうと、姫と共の者とで出発の支度をします。しかしその前夜、葦津姫の母が姉の磐長姫をつれて仮宮に現れ「私には他に娘が居ります、この娘もお召下さい」と申し入れて来ました。瓊瓊杵尊はまだ若くついその気になって受け入れます。しかし姉の磐長姫はしこめで又女の潤いを欠いていた為、尊は姉を避けられお相手を許されませんでした。その事を恨みに思い姉とその母は復讐に走ります。尊の一行が今の鈴鹿市の白子の宿に着いた時、言い含められていた小女が「葦津姫が懐妊したのは他に男がいたからです、腹の児は尊の子種ではありません」、葦津姫が一夜にして懐妊したことで尊はこの告げ口を信じ、大変立腹し夜半に葦津姫を独り残し伊雑に出立してしまいます。翌朝姫は事態を知り泣きながら身重の体を引きずって一行を追い松坂まで来ました。しかし、そこには尊の供の者が待ち構えていて是以上付いてきては駄目だと追い返されてしまいます。身も心も崣え果てて這うように帰って来た姫は、宿の庭に桜の木を植えます。「姉達に妬(ねた)まれ偽りの噂による恥を灌い(そそい)でおくれ、わが腹の子が罪深き子なれば桜よ萎め、正しい子種ならば子が生まれる時に咲いておくれ」。姫は独りやつれ果て三島の仮宮に帰ってきます。六月一日に三つ子の男子が生まれます。此の事を伊雑の尊に早馬で知らせますが返事は有りません。憔悴しきった姫は出口が無い小屋を作り幼児と共に中に入って火を付け自殺を図ります。幸い早く皆が気付き大勢で火が消されました。奇跡的に助かり子供達も全く無傷でした。この事件を再び早馬で使者が伊雑に飛びます。使者が白子の宿場を通過した時、桜は美しく咲き乱れていました。尊はやっと自身の過ちに気付き、姫の貞繰に心の底から浸されるのを感じます。尊は鴨舟で姫の元に急ぎ興津の浜に上陸します。そこから雉を飛ばします。姫は家に籠ったきりで返事をしません。尊は烈々たる慚愧(さんぎ)の念を和歌にたくします。この歌で姫の悲しみは一瞬にして至上の喜びに変わります。裸足で興津の浜をよろけながら尊に逢いに行く姿、秀真伝は七五調の美しい語調で述べ、読む度に何か涙が瞼に籠るのを感じます。「これからは姫を【此の花咲く哉姫】と呼ぼう」尊はそう言ったと秀(ほつ)真伝(まつたえ)は伝えています。


◆◆このたび、電子書籍を出版致しました。◆◆
    ↓
「木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について」(100円)
(この書名をクリックされますと、詳細ページへとジャンプします。)

内容はこちらでも掲載していました「木花咲哉姫と浅間神社・子安神社について」に若干の訂正を加えたものです。

ブログ・ホームページよりも読みやすいかと思いますので、まずは詳細ページの「試し読みページ」からご一読いただけましたら幸いです。

よろしくお願い致します。


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