⑭の我が子恐怖症のところでも書いたように、
私が、産後うつの間、私のやっていたことは、
客観的には「育児放棄」にあたるのだろうな、と思っていました。
もちろん、故意に傷つけようと思ったり、故意に世話がしたくなくてしなかったり、というわけではなく、
ごく普通の母親のように世話がしたくても、できなくて、
自分のことだけで精一杯で、それだけで必死だったのです。
ですが、自分の思いがどうであれ、
母親が、自分で我が子のミルクもあげられない、オムツも替えられない、抱くことすらできない、
しまいには、同じ部屋に母と子の二人だけで居る、ということすら怖くてできなくなって、
一日中、逃げるように別室で過ごしたり、
それでも、はじめは、最低限の授乳とオムツ替えの時だけなんとか顔を合わせていたけれど、
ついには、それすらできなくなって、朝から晩までずっと誰かに預けていたりする。
という状況は、傍目には、育児放棄以外の何物でもないことだと思います。
私の場合は、幸い、たくさんの理解ある協力者が周囲にいて、
何もできなくなった私の代わりに、
子どもの面倒を見てくれる人が、たえず家に来てくれたので、
子どもが放棄されずに済んでいた、というだけのことでした。
産後うつの間、私は、(私の場合は)
今では、本当に一体どういう思考回路でそうなるのか、と心底不思議なくらいに、
感覚がまるっきり普通ではなくなってしまっていました。
たとえば、一つのミルクの缶の底が尽きてきて、次の新しいミルクの缶の封を開ける、
そんなことすら、一人でできる自信がなくて、誰かに立ち会って見ていてもらわないと開けられないとか、
今では思いもよらないようなことの連続でした。
周りも、そんな状態の中で、私と子どもの二人だけでほうっておく、ということが
危なっかしくてできなかったのではないかと思います。
これが、もし、母子の二人きりで暮らさざるを得ない環境で、
毎日、毎日を過ごしていたら、
いったい私はどういう言動に走っていたのか、
そして、子どもはどうなっていたのか、
正直いって、自信がありません。
だけど、私のように救いの手がいっぱいすぐ近くにある、という人のほうが珍しいのであって、
たとえば、パパは単身赴任、実家も遠い、あるいは親がいない、というような人は、
いくらでもいるに違いありません。
何の罪もない赤ちゃんや幼い子どもが、唯一のよりどころである親から虐待を受けて、
傷ついたり命を落としたりすることは、絶対に許されないことだと思います。
また、悲しい無理心中も、同様に大罪であると思います。
今、虐待のニュースを聞いても、その思いはまったく変わりませんが、
最近は、それが、ほんとうに悪質な故意のものなのか、
追い詰められて狂った人間のやったことなのか、
と、ひそかに思うようになりました。
こうしている間にも、
正気と狂気の間を行き来しながら、辛い毎日を過ごしている二人きりの母子がいないだろうか、
もしいたら、一刻も早く、なんらかの助けの手が差し伸べられますように、
などと、考えてしまいます。
私が、産後うつの間、私のやっていたことは、
客観的には「育児放棄」にあたるのだろうな、と思っていました。
もちろん、故意に傷つけようと思ったり、故意に世話がしたくなくてしなかったり、というわけではなく、
ごく普通の母親のように世話がしたくても、できなくて、
自分のことだけで精一杯で、それだけで必死だったのです。
ですが、自分の思いがどうであれ、
母親が、自分で我が子のミルクもあげられない、オムツも替えられない、抱くことすらできない、
しまいには、同じ部屋に母と子の二人だけで居る、ということすら怖くてできなくなって、
一日中、逃げるように別室で過ごしたり、
それでも、はじめは、最低限の授乳とオムツ替えの時だけなんとか顔を合わせていたけれど、
ついには、それすらできなくなって、朝から晩までずっと誰かに預けていたりする。
という状況は、傍目には、育児放棄以外の何物でもないことだと思います。
私の場合は、幸い、たくさんの理解ある協力者が周囲にいて、
何もできなくなった私の代わりに、
子どもの面倒を見てくれる人が、たえず家に来てくれたので、
子どもが放棄されずに済んでいた、というだけのことでした。
産後うつの間、私は、(私の場合は)
今では、本当に一体どういう思考回路でそうなるのか、と心底不思議なくらいに、
感覚がまるっきり普通ではなくなってしまっていました。
たとえば、一つのミルクの缶の底が尽きてきて、次の新しいミルクの缶の封を開ける、
そんなことすら、一人でできる自信がなくて、誰かに立ち会って見ていてもらわないと開けられないとか、
今では思いもよらないようなことの連続でした。
周りも、そんな状態の中で、私と子どもの二人だけでほうっておく、ということが
危なっかしくてできなかったのではないかと思います。
これが、もし、母子の二人きりで暮らさざるを得ない環境で、
毎日、毎日を過ごしていたら、
いったい私はどういう言動に走っていたのか、
そして、子どもはどうなっていたのか、
正直いって、自信がありません。
だけど、私のように救いの手がいっぱいすぐ近くにある、という人のほうが珍しいのであって、
たとえば、パパは単身赴任、実家も遠い、あるいは親がいない、というような人は、
いくらでもいるに違いありません。
何の罪もない赤ちゃんや幼い子どもが、唯一のよりどころである親から虐待を受けて、
傷ついたり命を落としたりすることは、絶対に許されないことだと思います。
また、悲しい無理心中も、同様に大罪であると思います。
今、虐待のニュースを聞いても、その思いはまったく変わりませんが、
最近は、それが、ほんとうに悪質な故意のものなのか、
追い詰められて狂った人間のやったことなのか、
と、ひそかに思うようになりました。
こうしている間にも、
正気と狂気の間を行き来しながら、辛い毎日を過ごしている二人きりの母子がいないだろうか、
もしいたら、一刻も早く、なんらかの助けの手が差し伸べられますように、
などと、考えてしまいます。