過去日記

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-過去日記・転載・幼少時代-

2012-05-08 16:36:43 | -過去日記・転載・幼少時代-
従姉妹と・ヒヨコ     (20110731)


イトコたち・8人くらいが・週末や・お正月などに・集まりました。
その日も・みんなで・ヒヨコを買いに・近くのペットショップへ・出かけていきました。


祖母宅の2階の部屋で・ヒヨコを放して・遊んでました。
夕食の時間になり・1階の食堂へ呼ばれ・みんなで・ごはんを食べました。


普段・あまり・祖母宅へは来ない・次男( 祖母の次男・母の二番目の兄 )の娘( この数年後に・一緒に暮らすようになる・イトコです )が・厨房のほうで・静かにしているので・気になって・見に行きました。


すると・青い小さなバスケットを・手首まで・井戸水につけているので・私は・びっくりして
・私・「 どうしたの!?なにしているの!? 」と・聞くと
・従姉妹・「 泳がせて・あげてるの 」と・答え
私は・あせりながら・バスケットを・あげてみて!!と・言うと。
従姉妹は・手首まで浸かっているバスケットをあげて・鍵を外して・中のヒヨコを・取り出しました。


ヒヨコは・死んでいました。
従姉妹も・私も・泣いてしまいました。


すると・従姉妹の父が・私たちを見て・ヒヨコを見て、どうしたのか?と・聞きました。
従姉妹は・泣いていたので・私が・説明しました。すると・従姉妹の父は
・従姉妹の父・「 泳がして・あげたかったんだろ?ヒヨコさん・死んじゃったから・埋めてあげような 」と・冷たくなったヒヨコを・両手で包んで・やさしく声を・かけてくれました。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

また・違う日に。


私たちは・ヒヨコや・ハムスターが好きで・よく・みんなで・お小遣いを出し合って・近くの・ペットショップへ・行きました。
ですが・みんなが集まる・次の週末には・たいてい。
ヒヨコも・ハムスターも・いませんでした、、、


ヒヨコもハムスターも。
ネズミに・食べられて・死んでしまうか。
当時、子供だったので。じっと・観察することができなくて・触りすぎて・死なせてしまうかだったようでした、、、


一度だけ・祖母宅の2階で・一人1羽のヒヨコを放して・ヒヨコと一緒に・走り回って・遊んでいたのですが。
ヒヨコを・あやまって・踏んでしまい、すぐに・大人たちのところへ・もって行きました。
外傷は・なかったのですが。ヒヨコは動かなく。
おなかだけが・とても・大きくはれていて・怖くって・泣いてしまいました。


それから・ヒヨコを放しても・走ったりせずに、ゆっくりと動いて・ヒヨコと・遊ぶように・なりました。


ハムスターは・ときどき脱走して・ネズミと子供を作ってしまったようでした、、、
祖母の布団で・ハムスターが・死んでいてから・ハムスターは・飼うな!と・とても・怒られました。


たくさんの・ヒヨコを・飼いました。
そのうちの・1羽だけ。成鳥に・なりました。
白い大きな・ニワトリに・なりました。


幼かった・私は・ニワトリに・近づけなくなりました。
つつかれて・怖くって。


ある日・その・ニワトリが・いなくなりました。
祖母に・「 ニワトリは? 」と・聞くと
近所の肉屋さんに・引き取ってもらったと・言いました。
当時・これが・どんな意味だったのかは・わかりませんでした。

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大人になって・思うのは、、、



>ペットの飼い方は
大人が・きちんと、、、教えてあげるべきだと・思うのです、、、


飼うことの・「 責任 」と
死んでしまうことの・「 責任 」、、、


触りすぎたら・「 死んでしまうことの・意味 」、、、


それは・とても・大切なことだと・思うのです、、、

-過去日記・転載・幼少時代-

2012-05-08 16:35:14 | -過去日記・転載・幼少時代-
ベビーカー    (20110209)


私のベビーカーも
弟の・ベビーカーも


母の実家には・大きな・3人乗りの・ビニール袋?で・出来た
大雑把?な・ベビーカーが・ありました
祖母の子供たち4人が・それぞれに・毎年のように・子供を・産んでいったからでした


私の年代には・3人・生まれました


けれど・うちには
ベビーカーは・ありませんでした


私も・弟も
抱っこも・おんぶも・してもらった・記憶が・ありません、、、


疲れても・殴られて
ひたすら・歩くのです
( ときに?蹴り飛ばされるので・必死?でした、、、 )


子供のときの・私にとっては・「 日常 」でした、、、


私にとっては、、、それが・日常だったので、、、
>他の家の・差異?とは、、、気づきも・しませんでした、、、

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今日は(^^;;;

朝から・母と・若干?バトって?(^^;???

ヒットポイント少なげです?ぎゃふん(笑



母も・今日は・珍しく?寝たので

私も・次期・パソコンを落として・今日は・早めに寝ます




焦らずに、、、一つずつ、、、少しずつ、、、

消化して・克服していこう、、、

引きこもらずに、、、まっすぐに、ちゃんと、、、





>ねみ(笑>この眠気、、、本当に、、、致命的?だなあ(^^;;;ぎゃふん
http://ameblo.jp/buraiai/entry-10796406419.html



>毎日の・「 繰り返しの中で 」・判らなくなって行くもの( 幼いときからの・継続時間軸の中で )
http://ameblo.jp/buraiai/entry-10796309668.html


-過去日記・転載・幼少時代-

2012-05-08 16:34:26 | -過去日記・転載・幼少時代-
舌。   (20060818)


私は生まれつき、舌がくっついて生まれてきました。
舌を分離する手術をしたのが、2~3歳の時だと母から聞きました。
舌がくっついていると気が付いたのは、私がミルクをあまり飲まない子だったのと、
発音が悪くいくつになってもあまりしゃべらなかったのとで、医者に相談しに行ったところ、
下がくっついていると判明し、直ぐに分離手術をしたそうです。

-過去日記・転載・幼少時代-

2012-05-08 16:31:48 | -過去日記・転載・幼少時代-
おしっこ我慢。  (20060817)


その日は、両親の友人が訪れていました。
釣りと鳩が好きな、賭け事仲間ではない友人でした。
9時を過ぎ、ロードショーが始まりました。
母は私たち姉弟に、「部屋から出てきても、声を出しても駄目だから」と言いました。
私たち姉弟は返事をして就寝したのですが、途中私はトイレに行きたくなりました。


トイレが行きたくて行きたくて、仕方がありませんでした。
けれど、「出てきちゃ駄目」と言う母の言いつけが頭の中を支配しています。
葛藤の中、どれほど我慢したでしょうか。
漏らそうか、どうしようか。
漏らしてしまったら、当然、怒られる。
トイレに行っても、怒られる。


漏らすのは、嫌でした。
声を出して「トイレに行ってもいい?」と、聞くこともできませんでした。折檻されるのが怖かったからです。
私は初めて意識してウソ泣きを演じました。
「っひ、っひ」と、気付いてくれるように、だんだん声を大きくしていきました。
トイレに行きたいけれど行けなくて、実際に苦しいことを思い泣きました。


大人たちは笑っています。
「トイレくらいなら行っても構わない」と。


その「構わない」範疇が解らないんだよ、おとうさん、おかあさん。
トイレに無断で行っても怒られないのか、それとも声を出して了承を得ることが必要だったのかが解らないんだ。
また、ぶたれるんじゃないかと、怖かったから。
叩かれない日なんて、1日だって無かったでしょう?


恨んでいるワケじゃない。
親子の関係って、どうやって成り立っていくんだろうね。それが解らないだけだよ。
今の子供たちが、もし同じ境遇に居たのだとしたら、「異なる家族・異なる環境」。
どうやったら救われていくんだろう、それが解らないだけだよ。
なにかしたいのに、なにをしたらいいのか解らないから。(動けないんだ。私自身。心も体も。逃げているのだとしても。)
なにをしてあげられるのか、解らないんだ。(違う。子供たちの両親の目が怖いんだ。気持ちが怖いんだ。きっと。)


「家族」には、家族の言い分がある。
突き詰めていけば、きっと誰も悪くない。
だけどスルーしたままじゃ、気付かないフリしたままじゃ、何も変わらない。変われない。乗り越えても行けない。解ってる。
こんなに疲れたままで。心すら動けないままで。
無気力になっていく。自分自身の弱さだと大人になった今は解ってる。
それでも何かがしたいと、ずっと思ってた。自分が救われるために。
偽善的だと気付いてた。だけど誰かを少しでも救えたのなら、自分も少しくらいは救われる気がしてたから。


同じような境遇の人が居る。
負けずに頑張っている人たちが居る。
それだけで心が救われた。強くなれた。
自分も頑張ろうと、負けずに投げ出さずに、頑張ろうと新たに頑張れた。
私を救ってくれたのは、レス無し掲示板。


虐待やイジメを受けていた人たちの自伝やエッセイ、ブログ。
苦しくて、ほとんどを目を通したことは無いけれど、目次や本の帯、紹介文。
そういったものが、時には心の支えになってくれていた。
時には全ての無気力の中で、力を与えてくれる一筋の光明にもなってくれたと思うから。
時には自分の環境に置き換えた応用として、対処法として、参考にもさせてもらったり(子供の頃など)。
たとえ自分の配慮が足らず、悪い結果になってしまったとしても。
それでも苦しくて見えなかった視点が変換されるきっかけになってくれたりと頑張れた。


頑張りたいと思うから。
頑張ろうと思うから。
頑張れるために。
投げ出さないために。

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今日は、、、いろいろと・ブログの整理などをして・メンタル的に・気を張っていたのか、、、

とても・疲れてしまって、、、ラスト・数行くらいしか・読めませんでした、、、



けれど、自分が・なぜ、、、

>「 お礼 」などに・こだわるのか、、、判った気がします、、、



アダルトチルドレン、、、生きづらいね、、、



それでも・一つずつ・少しずつ・克服していこう、、、

消化して・ひきこもらずに・まっすぐに、、、



いいことも・悪いことも・起こるだろう、、、

ひきこもらずに・進んでいくのなら、、、

それも・覚悟して



もう一度

自分の意思で・自分の判断で・自分の責任で

>選択して・決断して・生きていこう、、、



これが・一つのデータ

一つのサンプルとなりますように、、、



今現在・イジメや虐待で・苦しんでいる子供たちが・少しでも・救われていきますように、、、

今もなお・苦しんでいる・アダルトチルドレンのみなさんが・少しでも・救われていきますように、、、


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2012-05-08 16:30:30 | -過去日記・転載・幼少時代-
やられたら、やり返して来い!  (20060815)


一つ年上の母方の従兄弟とケンカをしては、いつも泣かされていました。
母親には、「やられたら、やり返して来い」と叱咤されました。
何度行っても、体格差から勝てることはありませんでした。


従兄弟以外の男の子とケンカをしました。
歳は同じくらいの子供です。
徹底的にやりました。誉めてもらえると思いました。
けれど、徹底的にブッ飛ばされました。
今までに無いくらいに、ブッ飛ばされました。
怯えました。本気で怯えることを覚えました。


ケンカをしたら「死ぬほどブッ飛ばされる」と言うことを、体にも心にも嫌と言うほど刻み込みました。
「もっと怖いこと!もっと痛いこと!」が、あることを知りました。
もう2度と、ケンカをするのはやめようと思いました。


ケンカに負ければ「情けない。お父さんもお母さんもケンカで負けたことが無いのに、お前はクチだけだね」と言われました。
ケンカに勝てば、酷く殴られることを理解しました。
ケンカに負けても、叱咤され再度いかされて、突き放すように嘲笑されることを自覚していきました。
どうして、ケンカに勝っても負けてもダメなのかは解りませんでしたが、勝てばブッ飛ばされ、負ければ落胆される。
それならもう2度とケンカせずに、我慢したほうが良いと考えるようになりました。
それ以降、姉弟ケンカ以外ほとんどしたことがありません。
弟を泣かせば、今度は自分が泣かされると解っていて、やめることができませんでした。
弟は愛らしく、優しい子だったのに。
私は些細なことも許せなかったのです。


その後、小学校に上がると今度は弱いフリや逃げるためのウソの方が、体の傷が痛むより心が痛むことを知りました。
弱ければ、徹底的にイジメられる。
イジメられないためのウソを探しては見繕っていくための日々。
破綻していかないワケが無いのに、それでも必死に学校と家を往復してました。