ギャラリー60日記 ・・・2010年4月開設の市民ギャラリー

■住所:浜松市天竜区上野552-1
■電話:053-926-3415
■行き方:県道9号線お北上、西鹿島駅より約5㎞

ギャラリー60日記  展示きりかえ

2010年06月28日 21時47分52秒 | 日記

実は今日今までの作者が来て写生をすると勘違いしていました。それはきのう でしてそれも天気が悪かったので取りやめになったわけです。どこで狂ったのかわかりませんがそんなわけで今日は展示品の切り替えです。前回の展示がとても工夫を凝らしてあったので取り外すこともなかなか思うようにいかずかなりの時間を要してしまいました、布を画鋲であっちこっち止めてあったり大きな画用紙を壁一面にとめてあったりまあとにかく取り外しは面倒で最初は丁寧にやっていましたが午後になって気温もばか高くなったりして面倒くさくなりガバー、っていう感じでもうむしり取るようにはずしました、おかげで結構早く取り外すことができました。そして今月の展示品を適当に並べてみましたところとにかく大きすぎて重くて一人ではとても持ち上げることが難しいものもあったりで途中でもう嫌になってしまいました。とにかく暑くて、暑くてとてもやる気も出ませんまだ明日があるので急ぐこともないかな、などと勝手に思いやめました。しばらく前に買ってきた花の苗がまだほったらかしにしてあったのでその花をプランターに植えました。しかしそのプランターも今までの花が枯れかけていたりでその花を切ったり引っこ抜いたりしているうちにもう汗がぼたぼた落ちてきてこりゃとてもじゃアない、感じになってきました。とにかく暑すぎて体が全く動かない感じで花も途中でやめました。涼みにでもと思い農協にお金をおろしに行きました。窓口の女の人が定期を進めてくれましたが、私は貧乏真っ只中ですから自殺寸前です、というと、あっそうですか、とわけのわからん返事をしました。


ギャラリー60日記  演奏会に行く

2010年06月26日 21時27分12秒 | 日記
ギャラリーは臨時休業です。午後から浜松のアクトに友達3人で合唱団のコンサートに行きました。このコンサートはもう十何年も続けていっているので年間行事のようなものです。いつも気使いすることがあって友達に迷惑をかけています。今回もそうでした。それは演奏会の前にトイレに行っておかないと安心できないのです。よって今回もトイレに行きました。まず電車に乗る前に1回、電車を降りてまた1回、会場に入って1回。計3度も1時間ほどの間に行きました。これでやっと安心して音楽が楽しめます。演奏会は年々充実しています。今回もいろいろ工夫を凝らした演奏でした。団員が交代でタンバリンをたたいたり笛を吹いたりでまあ眠気予防になりました。ゲストがあってパイプオルガンの演奏者が何曲かひきました。パイプオルガンは久しぶりに聴く新鮮味もありよかった、全体的には2時間の演奏が中だるみない内容で良かったと思います。ただ団員の服装がいつものように黒と白の服装で女性は休憩の後ピンクのドレスに着替えましたがまあそれはほど目につくこともありません。演奏曲からしてそうかしこまるほどのこともないのではと思います。同様、民謡、ポピュラー、抒情歌等です、思いきってジーパントとかミニスカートとかもいいかも。それとただ突っ立て居るだけでなくある程度アクションもあった手いいんじゃないかなと思いました。演奏会を終えてさっそくトイレに行ってラーメンとビールをガブート飲んで気持ちよく帰りました。

ギャラリー60日記  次月展示準備

2010年06月23日 21時28分21秒 | 日記
今日は水曜日、いつもの病院のお手伝いです。珍しく定刻より少し早めに入ることができました。今までほとんど遅刻で遅刻が当たり前になってしまっていました。珍しいことです。しかし今日は次月展示品の看板作りをやりました。私のいる部屋はパソコン、プリンター、。コピー機。などがそろっているためとても都合がよくギャラリーを始めてからずっと利用させてもらっています。よって看板つくりをしました。原紙を拡大したり色合わせをしたりで大忙しです。とても患者さんとは話をしている時間も無いほどに忙しく作業をしました。午前中に何とかできました。朝のうちは大雨でしたがいつのまにか薄日が差し込んでいたので帰りに作者の家によって作品を受け取りました。何セこのたびは大物ばかりで横の長さが2メートルもあるものが5点もあります。トラックの荷台にいっぱいです。その下が1,3メートルくらいで小ぶりでも1メートル近くあります。全部で12点でした。どのように展示をしたらいいのかとても気になります。それに重いので落としたりしたら大変です。少し時間があるのでよく考えなければ、それと案内状も作らなければなりません、一応見本を本人のところに届けてありますが絵の写真を印刷してありますがカメラのフラッシュの明かりが入ってしまっているのと部屋のカーテンが絵のガラスに映っていて本人は気にしていました。私はあまり気にもなりませんので印刷したわけですが。気になる人は気になるのでしょう、でも案内状を受け取った人はそんなによく見ることもないから大丈夫ですよ、。といって本人を納得させようとしています、本当のところはまた写真を撮ったりして作り直すのが面倒だし時間もないので、なんとしてもこれで承諾を取らなければと考えています。

ギャラリー60日記  三島に行く

2010年06月22日 22時35分57秒 | 日記
ギャラリーを休みにしました。何となく抵抗はあったのですが、まあいいかなと思い三島に行くことにしました。といっても遊びではありません、医者に行くのです。もう20年以上行っているのです。漢方医で当初は東京の巣鴨に行っていたのですが都合でやめられ三島の漢方医を紹介していただいたということです。目が悪いので何しろ直す手段がなかなか無いようでこうして漢方をやっているわけです。三島には2カ月に1度の割合で行きます。気分転換を含めて行きます。先生は何時も何かと気使ってくれます。今日はギャラリーを始めた話をしました。先生はとても喜んで励ましてくれました。そして今の世の中のひずみについて話をしてくれました。余りにも荒んだ社会になってしまったこの現状を嘆いていました。若者に未来が見えない社会なんてありえないとか、私も同感でつい診察の手を止めっぱなしでしばらく話をしました。私はとてもいい感じになりました。先生はおそらくもう80歳に近いと思われますが意気込には圧倒されました。帰り新幹線の中で駅弁の寿司を食べました。三島名物かどうか知りませんが何とか寿司です。電車が走り出すのを待ち兼ねるように弁当のふたを開け中にあった御手拭きを使うのも後回しにしてとにかく寿司、すしを早く食べたいのいっしんで橋を運びました。最初に箸をつけたのが寿司ではなく何だかわからず棒状のウインナ―くらいの太さのものが弁当はこの一番下にあったのでそれを口に運びました。何だかわからず何度か噛んでいるうちにそれは生のワサビであることが口の中が証明してくれました。口の中は火の海になりました。はきだすわけにもいかずただひたすら耐え火が消えるのをじっと待ってそっと飲み込みました。とんでもないことで弁当はこの中をよく見るとワサビを吸って使うように道具も入っていました。まあなんともはや、とんでもない弁当でした。

ギャラリー60日記  鍼灸院にて治療

2010年06月21日 21時42分41秒 | 日記
日記を2日休みました。腰とひじを痛めて夜もうまく眠れずバンやむえず。何しろ家の解体作業は大変でとにかく重いものばかりでそれとその重い木とか土とか石を解体現場から運び出すわけですがとても狭いところを通らなければならないため運び出すには手で持ち出すしか方法がありません。その作業を私がやるわけです。重いものを持って行ったり来たりの繰り返しです。よって私はへとへとになって板につまずきひっくり返り肘を石かけにぶつけ動けないほどの痛みを感じしばらくその場所に寝ていました。そのうちに少し痛みが和らいできたのでまた作業を始めましたが肘をかばうため今度は腰に負担がかかり夜になって痛み出しとても眠れるどころではありませんでした。朝になるのを待って鍼灸院に飛び込みました。その鍼灸院はずっとお世話になっているため何も言わなくても感じていただけるほど先生の感受性は高く非常に安心できます。今日も私の歩くかっこうを見てだいたいのことはわかったようです。すぐに治療を始めていただきました。針とお灸で痛みを取り除いていきますが良くなるまで治療をつずけるため今日も2時間半程かかりました。困ることは途中でトイレに行きたくなることです。今日も途中でトイレをもようしたためトイレに行くわけですが、何しろ針がおなかあたりに入った状態で行くので半分裸状態であります。次の患者さんの待つところにトイレがあるためもし女の人でもいたらと非常に気を使います。先生はその辺りは無頓着なので少しあたふたしたりしてトイレをすごく我慢したりしていると切羽詰まって行くことになりトイレに飛び込むようになります。

ギャラリー60日記  写真撮影

2010年06月18日 21時11分13秒 | 日記
今日は次回展示作品の案内状にのせる写真撮影に作者宅を訪問しました。何しろ家の解体作業の合間を見てさっと行ってさっと帰らないといけないのです。昼休みに行きました、すでに何度か訪問しているので快く出迎えてくれました。写真撮影の話をして家の中に入りました。天気が悪く雨模様だったりしたのでうまく映るか心配でしたのでたくさん撮影をしました。来月は水墨画です。作者はもう88歳になられる方です。ちょうど米寿になるのでその辺をうまくアピールできるといいと話をしました、作品は殆ど大型サイズで1番大きなものは横2メートル近くもあります。どのようにして展示しようかとも思いますが家に帰るとすぐに忘れてしまいます。おそらく当座になってあたふたすることと思われます。行き当たりばったりの自分ですのでどうするか自分ながら見ものです。作品はアルプス連峰の雪を抱いた山々とか激流の川を描いたものが多く見受けられます。とてもスケールが大きく見栄えがあります。おそらく作者は自由気ままな生き方をされてきたのではと思います。写真撮影はすぐに終わりましたが絵を見ながら思うことがあるのでしょういろいろと話をされてしばらくの時間を過ごしました。家に帰るともうまもなく昼休みの時間が終わりになるところでした、大急ぎで昼飯をかき込んでまた解体作業を始めました。雨が強くなってもうずぶぬれになって散々でした。

ギャラリー60日記  土壁壊し

2010年06月17日 22時21分10秒 | 日記
今日もギャラリーはほったらかしです。もし作者がこの状態を知ったとするとびっくり仰天でしょうが今はこのたびの古い家壊しを手伝うしかありません。よって今日も家壊しです。今日は土壁を壊しました。金鍬のようなもので力任せに壁を叩きます。壁は、ガサ―と落ちますが全ては落ちません、、中に竹で編んだ格子状のものが壁一面に張り巡らされているためその竹を取のぞたないことにはどうにもなりません。100年もの間大した痛みもなくしっかりと保たれていた壁は思うように簡単に崩れることはありませんでした。鍬で力任せに叩いたところでどうにもならずやもなくのこぎりで竹を切ることにしました。その竹は全くしっかりしていて腐りもなく竹独特の粘りもしっかりあってきることも大変でした。何しろ竹の数がものすごく多いためとにかく難儀しました。土の量も半端ではなく2階部分の土の量と言ったらものすごくそれよりも埃が並ではありません。息をするのも苦しくなるほどで土壁の匂いは埃の匂いそのものです。今日はかなり土を吸い込んだことと思います。こんなに土を大量に使っていれば居住性はいいのかな、、思いました。しかし100年という年月はものすごいことでしょうがこの壁と中の竹それと竹を止めてある縄等はとてもしっかりしていて100年の歳月を感じるものはありませんでした。まあ色々なことがあったのでしょうがこの家もお役目も済んだということです。御苦労さまと思いました。

ギャラリー60 日記   ど疲れた

2010年06月16日 22時12分19秒 | 日記
毎週水曜日はある大きな病院の情報室の管理人をやっています。よってギャラリーは休みです。情報室とは患者さんのためのいろいろな情報を得るための書籍、インターネット、ビデオ、コピー機、などさまざまなものがあります。貸出もできます。そのもろもろの管理をします。いつもいろいろな方が見えます。それぞれになにがしかの重いものを持たれている方が多いように思います。もうしばらくその部屋にいるので患者さんjと話をすることもよくあります。今日も60歳代半ばと思われる男の方が話しかけてきました。その方はよく見えるので知っていますが話をするのは初めてです。なんとなくとっつきにくい感じがあったりしばらく前クレームをいただいたりしたこともあったりしてなんとなく距離を感じたりしていましたがまさか話しかけてくれるなんて思ってもいませんでしたのでうれしく感じました。目を悪くしてパソコンのキーボードの文字が見えない、とか本も余り読めない、など見えにくいことについての話を突然されました。私も目が悪いので車の運転も止めパソコンも音声化してあるので本も毎日読んでもらっているとか、そのソフトについてしばらく話しました。その方はさっそくインターネットで調べメモをして帰られました。、いい事を聞いた、いいことを聞いた、退院したらすぐ検討するなどと言ってました。見かけは壊そうでとても堅物そうな感じの方でしたが話をするととても気さくで声もやや高めでよって優しそうな感じでした。

ギャラリー60 日記  ギャラリーほったらかし

2010年06月15日 16時06分10秒 | 日記

今日は家を壊すための作業をしました。いま住んでいる家の裏に100年くらい前に建てられた古いうちがあります。今のところなにも不都合はないのですが東海沖地震などが来ると倒れる可能性が高いので、それと隣に比較的接近していて隣はまだ新品の家のためまんが一倒れて隣のうちにでもよさりかかったりしたら、大変と前から気になっていたので取り払うことにしました。作業は機械が入るようなところではないので近くの人にお願いしました。そんなわけで手伝いをするわけです。よってギャラリーどころではありませんただ休むわけにもいきませんので10時の休みになったので、かぎを開けておこうとギャラリーに行ったところさっそくらいかんしゃが見えました。私は、マイッタなーと思いながら挨拶をしました。何しろ服装が作業をするための服装なのでどこかのとんでもないような親父の感じの服装です。来館者は、どうなってんの、っていう感じで私を見ているようでした。私は念のため服装のわけを話しました。来館者は少し薄笑いをしていました。ひととうりの説明をして失礼をしようとしたところいろいろ質問を受けました。いつ頃からはじめたのか、とか何を書くのかとか、始めたきっかけなど質問されとどのつまりは10時の一服もできずに解体作業をまた始めました、


ギャラリー60日記  和尚さんを訪ねる・

2010年06月14日 14時45分38秒 | 日記
新しい展示作品を探しにあるお寺をたずねました。そのお寺の住職はある施設に勤めていて大変な信用のある方です。はじめて訪ねたお寺はとても立派な建物で私はその建物に興味を持ちしばらく建物周りを眺め時代背景や建物の装飾を見て感心したりしていました。そのうちにお寺の関係の方が私を見つけ中に入ることを進めていただきましたが。あまり時間もないため失礼して住職に会いたい旨を伝えました。じきに住職が玄関から現われました。初対面なので丁寧なあいさつをして訪ねたわけを話しました、住職はとてもラフな感じでちょっと黒目のガラスの眼鏡お掛けられ少しガムの匂いをさせながらきわめて気さくな話し方でいろいろと持ちえる情報を話してくれました。私もとても気楽になり思うことを次々と話しました。新しく展示に結び付く具体的なところまでは進みませんでしたが少し時間をかけてみれば案外展開するかもしれません。まあ今日は肩慣らしということでまた機会を見てしっかり時間をとり訪ねようと思います。このたびもギャラリーのおかげでいろいろな話ができました。私はギャラリーを始めた1つの目的はこうした新しい出会いとそして出会いが発展して新しい体験ができることにもあります。よって今日は楽しく良い一日でした。

ギャラリー60日記   おだやかな一日

2010年06月13日 16時38分11秒 | 日記

まあほどほどに自分のこともできたし、来館者トの話もそれなりにでき、そしてハプニングもあったし楽しい1にちでした。午後展示館の入口付近にあるプランターに植えた花の手入れをしていましたところ、元議員の方が見えました。私は花の手入れをしていたので中に入ることを進め、ごゆっくりどうぞ、といつもの自分勝手な言葉を投げて花を摘んでいました。そしたら大きな毛虫を手でつかんでしまい、大声をうっかりあげてしまいました。ウアー・・。中から元議員の方が飛び出してきました。どうしたんですか、私は放り投げた毛虫を指さして、毛虫、、毛虫、と大きな声で言いました、その方はスリッパで外に飛び出し毛虫を見て,、ワー。ワー。と同じように大きな声で言いました。私は呆気にとられて、その方を見ていました。その方は毛虫を見て、大きい、大きい、どこにいたのですか、私は大嫌いです。どこで見つけたのですか、、と私をにらめる様な感じで言いました。私はこの花についていたことを話しました。そしてその方は、プランターにまだ必ずいるからと入口から遠避けるように云いました。展示館の中に入ってくるかもしれないとか言って。、私は言われるようにそのプランターを遠くにはなしました。そしてその方と館内に入り毛虫の話を聞きました。その方は何度か毛虫に刺された事があってとても刺されたところがはれて大変な目に会ったこととか、あるところで毛虫の大群に会って毛虫の上を歩くようなことがあったとか。いろいろはなされました。結局絵の話は全くなくか

えられました。まいった,マイッタ


ギャラリー60日記  大忙しの土曜日

2010年06月12日 21時53分19秒 | 日記

梅雨が近づいているのか蒸し暑い一日でした。毎週土曜日は私は大忙しの1日となっています。毎日家事をやっていますが特に土曜日は家事予定を多くしてあります。いつも時計とにらめっこをしながら予定を進めています。しかしギャラリーを始めてからは全く予定もへちまもなくなってしまったためしばらく前から、ギャラリーの入口に、御用の方は電話を下さい、とメモ書きを掲示して私の予定に重きを置いた対応をしてきましたが今日はちょっとそのようにはいきませんでした。開館前からすでに来館者が待っていたためあわててかぎを開けました。すいませんどうぞごゆっくり。といって戻ろうとしたのですが朝から暑い日差しによって館内は蒸し暑くごゆっくりどころではありません。さすがの私もこの環境の状態では、知らんふりもできず館内が正常になるまで来館者の相手をせずには居られません、展示品の紹介をしたりしているうちにまた次の方が見えました。その方は比較的近くの方でした、私は初対面でしたが何か波長があっていろいろな話をすることができました。女の人でおそらく60に近いか少し過ぎているように思われます。話を聞くと人がよってくるようなことをやってみたいといろいろ考えあっちこっちいろいろ見て回ったり話を聞いたりしているようです。私に対しても非常に興味を持っていただきいろいろ尋ねられました。話の中でとても勢いがあって力ずよく何か押されっぱなしであったりしましたが私に応援のメッセージをもらったりして気分は悪くもありませんでした。特に近くに住まれているため力ずよくも感じたものです。こんな風にして少しづつ私のギャラリーも広がり定着していくのかな、と思いました。まあそれにしても予定は狂いっぱなしで予定の最後の洗濯を終えたのはすでに5時を回ってしまいました。


ギャラリー60 日記  今夜は大変

2010年06月11日 15時17分00秒 | 日記
今日はギャラリーは休みです。前から髪の毛が気になっていたので午前中にとこやに行きました。空いていたのですぐできました。床屋で困るのは眼鏡をはずすので鏡が全く見えず長さ加減がわからないため家に来て見てびっくりということがたびたびあります。このたびもそんなことを気にしながらいざ床屋に行くと余り要求もせずに,、おまかせ、とか言って大丈夫かな、なんて思いながらやってもらいます。床屋の旦那が、鏡で頭の後ろとか襟足絵を写したりしてくれますが全く見えないので、いいよイイよとか言ってまあ終わるわけです。うちに帰り今日もすぐに鏡の前に立ち仕上がり具合を眺めましたが帽子をかぶって来たため帽子の跡がついてぺこりとへこんでいるため状態がよくわかりませんでした。長さ加減はいいかなと思います。そして私は白髪が多いため髪を染めています。ややうすい茶色に染めています。その作業を今夜風呂に入る前にやります。これが大変です。自分でやるわけでして当然眼鏡をはずすので全く、カン、でやることになります。しばらく前までは私の奥さんのような人にやってもらっていましたがものすごくものすごくそそっかしいため染めこを肌につけられたり、まだら模様に染められたりで笑い物になったようなこともあってそれで自分でやるようになりました。本当は床屋でやってもらいたいのですが染めるとなるととても時間がかかりその間にトイレに行きたくなってしまうとまた煩わしくなるし、とにかくすぐやって、すぐ終わりにしたいものですから、そんなわけで今夜はどんなふうになるか今から面倒くさく感じますが、多少色気もあったりして白髪頭でいることはできません。

ギャラリー60日記  所在地案内パート3

2010年06月10日 17時25分27秒 | 日記

なんせ思い付きで書いているものですから翌日読み返したりするとアジャーて感じでこりゃなんですかとか思うことがたびたびでこのたびの所在地案内にしても全く案内には程遠いものです。2日にわたって書いたものの中身は乏しく情けない限りです。いままでの内容を読み返したところ全くいいことが書かれていませんので今日は少しくらい良いことを書かないと、、と思いまして、             そんなわけで良いところですが、人間関係的ですが街でもなくそれといってすごく田舎でもないためかお互いの気使いは深くもなく浅くもないという感じです。また近所のお付き合いもほどほどに深くもなく浅くもないためお互いに比較的気楽に過ごせます。しかしなにがしの事情が発生した場合はお互いに協力することができます。縦社会はまあ長老は立てますが重要な事例が発生した場合は体制の意見に沿った対応となります。飲んだり食べたりのお付き合いはほとんどありません。まあ総じて人間関係はのんきなものです。生活は比較的地味でお互い競い合うことは全くと言ってありません。それぞれの実力の範囲内の生活をしています。よって私もへらへらしながらボチボチやっているものです。

 


ギャラリー60 日記   所在地紹介パート2

2010年06月09日 15時25分29秒 | 日記
所在地をもう少しご紹介します。何しろ山間僻地ですのでこれといって特徴もありませんが無理やり引っ張りだすとすればお茶、シイタケなど山の産物はそこそこあります。しばらく前までは専業農家もありましたが外国産に押されて今はさっぱりです。また困ることに少しの作物をサルとかイノシシがよく出て食べ荒らしますサルやイノシシのために畑の作物を作っているようなものです。。目の前を流れる川は日本名水の1つになっているようですが魚もほとんどいません。いまはアユを放流するので夏から秋にかけてはアユ釣りはできます。しかし川遊びの人たちが比較的多くやってくるので昼間はなかなかアユ釣りどころではありません。山は杉の木がほとんどです。春初めからスギ花粉が風が吹くたびにパーと舞い上がり黄色の煙が舞い上がる感じです。それでも花粉症の人はあまりいません。もちろん働くようなところはありませんのでどうしても若者は出ていくようです。人々はちょっとした畑や田などで少々の野菜などを作り日々を送っています。まだこの地域は比較的浜松圏内に入るので何とか生計も成り立つわけですがまだまだずっとずっと北の果てまで、長野県、愛知県境まで浜松市となっていますのでそうした見方からするとこのあたりは開けている方かもしれません。