鏡海亭 Kagami-Tei  ネット小説黎明期から続く、生きた化石?

孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン)

生成AIのHolara、ChatGPTと画像を合作しています。

第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29

 

拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、

ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら!

小説目次 最新(第59)話 あらすじ 登場人物 15分で分かるアルフェリオン

『アルフェリオン』まとめ読み!―第44話・後編


【再々掲】 | 目次15分で分かるアルフェリオン


 しばらくの休息の後、彼が再び立ち上がって走り出そうとしたとき、別の足音が、いや、蹄の音が近づいてきた。急に馬のいななきを耳にして、アレスは慌てて振り返る。
 馬上には、見覚えのある男。彼の名をアレスはつぶやいた。
「フォーロックさん?」
「いきなり突っ走りやがって。まぁ待て」
 厳しい表情でフォーロックは告げる。彼も慌てているようだ。わざわざ馬に乗ってアレスの後を追ってきたなどと、尋常ではないだろう。
「でも、イリスが。あいつに何かあったに違いない!」
 詳しい事情は知らない。だがイリスの身に何らかの異変が起こったことを、野生児アレスは直感的に悟っていた。そして、気がついたら彼はフォーロックの家を飛び出し、走り続けていたのだ。
「分かってる……。分かってるさ」
 ひとこと、ひとこと、言葉を噛みしめるフォーロックの様子は、アレスに対してというよりも、自分自身に言い聞かせているようにみえた。

 ◇ ◇

 姿を消したイリスの身を案じ、アレスが夜の中へと駆け出した頃。
 同じく、《パルサス・オメガ》を復活させようとするメリギオス大師の企てが、ケールシュテン要塞の地下で着々と進められていた頃。
 つまり昨晩――夕刻にミトーニア市とエクター・ギルドとの間で講和会議が開催された後、武装解除の手続きの進む市内には、そこかしこにギルドのエクターたちの姿が目立つようになっていた。
 確かに見た目には胡散臭い冒険者や荒くれ野武士を思わせる連中であり、実際、中身もそのような人間たちなのだろうが、少なくとも街の人々が予想していたよりは遥かに整然と行動していた。洗練された自由都市ミトーニアの市民に比べ、繰士たちのやることなすこと、いささか不作法なのは普段通りだが。とはいえ、幸いにも、街や市民たちに暴力を加えたり罵詈雑言を浴びせたりするような者はいない。市参事会のお偉方たちが恐れていた略奪行為に及ぶ者など、もしろん皆無といってよい。無頼の賞金稼ぎや傭兵稼業のエクターたちの寄せ集めではあれ、さすがに《ギルド》という組織、必要最低限の統制は取れているのだろう。
 大通りに跋扈する繰士たちの群れを、街の人々は家の扉を閉め、二階の窓、雨戸の向こうから不安げにのぞいている。おそらく地方のギルド支部から出てきたのであろう、独特の南部訛りのあるオーリウム語で何やら叫んでいるエクターがいたり、そうかと思えば、まだ夜も更けていないのにすでに酔っぱらい、レマール海近辺に伝わる民謡を下卑た声で放吟している者たちもいる。

「何あれ。歌のつもり? そういや、キミの同郷人じゃない?」
 繰士たちの唱う音程外れの歌を聞き流しながら、短髪の若い女が、タロス訛りの強いオーリウム語で連れをひやかしている。その言葉だけでもすでにメイだと分かるのだが、彼女の男装を見れば一目瞭然だ。丈の短いダブルのジャケットと、膝下までの丈のぴったりとしたズボン(ブリーチズ)は、いずれも鮮やかなエメラルド色。サーベルと拳銃をこれ見よがしに腰にぶら下げている。
「すいません。たしかに、コルダーユのあたりで、よく聞く歌ですね」
 彼女の隣、山のような荷物を抱えたルキアンが少し遅れて着いてくる。
 そんなルキアンを見て、メイは仕方なさそうに、しかし気分は悪くないという顔つきで言う。
「で、なんでキミが謝るの。エクターになっても、ルキアンはルキアンってことか。まぁ、そこが、らしくていいんだけどさ」
 自分だけ手ぶらで身軽なメイは、面白がってルキアンの背中を何度もはたいている。いつも相手の肩や背中を引っぱたくのは、彼女なりのコミュニケーション手段のようだ。
「い、痛い……です。しかも、荷物、重いんですけど」
 両手で麻袋や木箱をいくつも抱え、ふらふらと危なっかしいルキアン。
 艦のクルーたちから頼まれた日用品の調達か何かだろうか。いや、物資の補給というよりは、メイの個人的な買い出しに付き合わされているようにもみえる。


6 帰るべき場所、闇の深さを知らず…



 華奢で中背な身体、いや、どちらかというと少し小柄な身体で、ルキアンは大荷物を抱えながらメイの後に着いてくる。ひ弱な少年には若干きつい買い出しの仕事だが、それでいて意外に辛抱強いルキアンのこと、腕力の尽きるぎりぎりまで我慢し続けるかもしれない。
 メイは時々振り返ってルキアンを見る。いや、次第に彼女の振り返る回数が増えてきた。何だか、気が気でないようだ。
 ――ちょっと無理させすぎたかな。あんまり我慢して、いきなり荷物を落っことすんじゃないよ。
 そんな彼女の気持ちなど知らず、ただ懸命に木箱と麻袋を抱えるルキアン。
「まぁ、そこがルキアンらしくていいんだけど。それにしても、こんな頼りなさそうな子が結構な腕前のエクターだなんて、いまだに驚きね」
 ミトーニアの繁華街、街がギルドに降伏した状況であるにもかかわらず、食堂や飲み屋は普段通り開いている。ギルドのエクターたちが押しかけ、むしろ賑わっているように見えなくもない。しかし、普段よりも柄の悪いよそ者たちの大騒ぎする声が、あちこちの酒場の中から通りにまで聞こえてくる。

 やがて二人は四つ辻に差し掛かった。と、ルキアンが不意に立ち止まる。
 ――あれ? あの人は……。
 左に折れる道の方、商家の立ち並ぶ通りの奥へと、ルキアンと同じ18歳前後の年頃の少女がそそくさと歩いていく。もうすっかり暗くなった市街だが、道に面した家々から灯りが漏れ、彼女の姿がぼんやりと照らされる。ランプを手に付き添っている使用人風の男たちや、彼女自身の整った身なりから考えて、この街の比較的大きな商人の娘というところかもしれない。暗くてはっきりとは見えないが、おそらくタロス共和国あたりからの輸入品と思われる、素人目にも上等な生地で作られた衣装を身にまとっていた。
 ルキアンの視線を感じたというわけでもないだろうが、ふと、娘は振り返り、すぐに何事もなく去っていった。
 清楚ながらも気の強そうな彼女の雰囲気に、ルキアンは、先日出会ったナッソス家の姫とどことなく似たものを見て取る。
 そして彼女の名を、ルキアンは心の中でつぶやく。
 ――カセリナ?
 彼はぼんやりと宙を見つめ、遠い目で今度は実際にその名を口にしかけた。
「カセ……」
 そこで我に返り、ルキアンは一人で頬を微妙に染めた。
 ――いや、いくら近くだとはいえ、まさかこんなところに居るはずなんて。
 そう、現実には全くの人違い、見間違えなどするはずのない次元の話だ。ただ単に、カセリナの姿を、通りすがりの娘に一方的に投影しているだけだった。

 ◆ ◇

 あのとき、穏やかに降り注ぐ春の光の中に立っていた、ナッソスの姫。
 凛とした気色の中に、ある種の脆さ、張り詰めた危うさがわずかに垣間見えていた。

 ――見かけない人ね。お客様? 私はカセリナ。この家の娘です。

 愛らしい桜色の唇から紡がれた、初めての挨拶。
 たとえそれが、今ここにある現実ではなく単なる回想であろうと、記憶に残るその優美な響きはルキアンの気持ちを改めて高揚させかけた。

 不意にルキアンの脳裏に、あのとき、彼が途中まで書き綴った詩が浮かんだ。

   降りそそぐ春の光の中で、
   闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
   僕は戸惑い、力無く震えている。

 だが突如、彼の胸の内にある風景が暗転する。
 怒りを内に秘めながらも、気位の高そうな取り澄ました顔で、今度はカセリナが冷たく言い放った言葉。

 ――そういえば、そこのシーマー殿とかいう方も、エクターなのですね? あんなに優しげな顔をしていらっしゃるわりに、人は見かけでは分からないものですわ。

 非難に満ちたカセリナの視線がルキアンに突き刺さる。どのような雄弁よりも強く、彼女の眼差しが告げていたのは、彼に対する露骨なまでの憎しみ。嫌悪感。

 ――あなたも私の敵だったの。ギルドの艦隊の人間だったのね。私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。

 想像の中で再び、ルキアンは一瞬の淡い光の世界の中から、いつもの暗闇の底へと叩き落とされた。そして現実に立ち返ったのか、いまだ夢の中なのかよく分からないまま、彼は自問する。

 なぜ僕はカセリナのことを思う。
 ただ失望を反芻するために? 痛みを思い起こすために?
 たとえそれが苦痛でも、その生々しい感触を僕は忘れたくないのだろうか。
 刻まれた痛みが、僕にとっての生の実感だとでもいうのだろうか。

 ◇ ◆

 先ほどからルキアンの返事が無いので、メイは彼の方を見た。
 なぜかルキアンは立ち止まり、左に折れる道の奥を、すでに誰もいなくなった路地の先を見つめ続けている。
「おい、少年、返ってこいよ!」
 メイは悪戯っぽい微笑を浮かべると、ルキアンの耳を軽くつかんで引っ張った。
「あ、は、はい……」
 なおも一瞬、反応が遅れた後、ルキアンは返事をする。
 メイはわざとらしく溜息をつく。彼女がふと顔を上げると、そこにあったのは、いまだ夢の世界に脚を半分突っ込んでいるルキアンの顔。どこを見ているのか分からない、彼の虚ろな気持ちを浮かべた虚ろな眼差しだった。
「何、ぼんやりしてんの、この妄想王!」
 メイに額を小突かれ、さらに大笑いされ、やっとルキアンは現実に返って来られたらしい。
 微妙な空気だ。メイも何と言って良いものか分からず、しばらく二人は通りを進み続けた。丁寧に石畳で舗装された道。人工的に石の形を整えるのではなく、パズルのように自然石をその形に応じてはめ込み、巧みに地面を埋めている。メイの靴の硬い足音が響く。
「……少年、いま何か、暗いこと考えてたでしょ?」
 ぽつりと、メイが言った。
 ルキアンからの返事はない。彼は黙って後を着いてくる。
 彼女なりに何度か考えあぐねたあげく、ただ一人、メイはぶっきらぼうに言った。
 直感的に、本質のことを。
「その、何だ……。やだな、こんなのは。そりゃ、あたしだって知ってる。キミは正直すぎるから、態度で分かっちゃうんだよ、今、何を考えていたかさ」
 通りは盛り場を過ぎ、気がつくと、静まりかえった町外れに至っていた。
 ルキアンが見たメイの瞳は、あの時と同じだった。コルダーユ沖での戦いの後、夕闇迫る艦内の廊下で彼女が見せた、冷たく憎しみに歪んだ目。それと同じだった。
「いったん《闇》をのぞいてしまった人間に、そっちに行くなって言っても、無理なのは分かってる。ぶっちゃけた話、だからあたしは、いまだにエクターなんて人殺しをやってる。普通の人間がエクターなんてやるわけないだろ?」
 メイは手を振るわせ、ルキアンの知らないところで剣の柄を握りしめた。
「あたしだって壊れてるのかもしれない。は? 聞くなよ、いちいち。キミとコルダーユで初めて出会ったとき、バーンの馬鹿が言っただろ、あたしの昔のことは」
「メイ……」
 タロスの大革命の際、メイが両親を目の前で惨殺され、その後もおそらく過酷な日々を送ってきたであろうことを、ルキアンは思い起こす。なぜか、彼女の姉貴分であるシソーラ・ラ・フェインの顔を思い浮かべながら。いつもは騒がしく傍若無人なこの二人には、共通の血塗られた過去があるのだ。
 低い声でメイは言った。暗がりのせいで、自分の今の表情をルキアンに見られなくて幸いだったと、彼女は思った。
「《闇》からは逃れられない。それでいいよ。でも、どんなに心の暗闇に魅入られても、最後にはこっちに帰って来い。分かった?」
 直感的に心情を言い当てられて、ルキアンには返す言葉がなかった。
 そんな彼の手にずっしりと抱えられた荷物、そのうちのひとつを取り上げると、メイは言った。白々しい咳払いは、彼女の中の何を隠した所作だったのだろうか。
「え、偉そうなことを言うようだけどさ、いつかキミにも意味が分かる。ルキアンがどんな過去を背負っているのかは知らない。でもさ、ルキアン、キミはもう一人じゃない。アタシらがいる」
「最後には帰って来いよ、それでいい。それでいいんだから……」
 不意に、激情家のメイがルキアンを抱きしめる。突然に抱きすくめられたルキアンの方が、身体と心を硬直させて立ちすくんでいる。

 だが二人とも――ルキアン本人も含め――彼につきまとう闇の深さを想像するべくも無かった。

 いつか明らかになるその真実は、我々の思いを超越していた。
 地獄の深奥、醜悪の果て、光の一切届かぬ底なしの闇。
 ひとことで言えば、最悪だった。


7 全てを知る者? 動き出す「僧院」



 ◇ ◇

「じきに月は満ちる……。《封印(プロテクト)》は解かれるだろう。こうしていると、夜の地平の彼方から《パルサス・オメガ》の心音が、冷たい狂気に満ちた鼓動が、早くも伝わってくるようだ」
 声の感じから察するに、4、50代くらいであろうか。濃紺のローブを身につけた男がつぶやいた。頭からフードを深々と被っており、彼の素顔は分からない。その手には、背丈と同じくらいの細長い銀色の杖が握られていた。杖の上部には、同じく銀の輝きを浮かべた金属の輪が数個、知恵の輪さながらに複雑につながっている。
 静寂の中、ローブの男は天を見上げ、杖の先で星々の海を指した。動きに呼応して輪がぶつかり合う。澄んだ響き――その清らかな音は、単なる銀色の金属の放つものではなく、おそらく杖が銀そのものによって出来ていることを思わせた。
「愚かなり、メリギオス。《巨人》を使って帝国を牽制し、彼らと手を組んで王国を手中に収めようと企んでいるのだろうが、いずれ待っているのは、欲に囚われた者に相応しい末路のみ。考えてもみよ、パルサス・オメガを従わせることに比べれば、魔王を従わせる方がよほどたやすいこと。悪魔の類は、魂を差し出せば契約に応じてくれるかもしれぬ。だが人の命や魂など、パルサス・オメガにとっては何の価値もない。奴は、我々人類が滅びるまで、すべてを排除し、世界の《浄化》を続けるだけの《狂った機械》だ。いや、狂っているのではなく、それが奴の作られた本来の目的」

 ◇ ◇

 もうすっかり暗くなったミトーニアの街を、ルキアンとメイが歩いて行く。
 石畳の大通りは盛り場を抜け、やがて少し道幅を細めて比較的静かな住宅地を過ぎた後、再び大路となった。じきに、彼らの前方、黒々とそびえるミトーニア市の壮大な城壁が目に入ってきた。
 城壁の裏側には防御用の塔や通路がいくつも設けられており、沢山の灯りが行ったり来たりしている。ミトーニアの市民兵はすでに武装解除したため、現在、武装して防衛に当たっているのはギルドのエクターたちであろう。暗がりに点々と浮かび、動き回るランプの光は、疲労したルキアンの瞳には、ぼんやりと蛍のように映った。
 もしギルドとミトーニアが全面的な戦いに入っていたとしたら、この山脈のごとき市壁を自分たちは破壊し、乗り越えねばならなかったのだろうか、とルキアンは思った。
 城壁の手前には水堀が巡らされており、所々、その水際には市民らしき人影が見える。それらの人々の方を顎でしゃくって、メイが言った。
「夕涼み? こんなときに、よくもまぁ。ギルドのならず者たちが市内に来たら略奪されるなんて恐れていた連中が……いざとなると、人間、逞しいもんだ、うん。でもまぁ、少なくとも今なら、砲弾は飛んでこないしね」
 ルキアンに申し訳ないと思ったのか、あるいはルキアンの体力の無さを実感したからなのか、いつ間にかメイも、ルキアンに持たせていた荷物を自ら半分ほど抱えている。彼女の短い髪が夜風に微かに揺れ、薄暗い中で、ツンと通った鼻筋が影になって浮かぶ。
 普段は口うるさくて乱暴なメイだが、こうして見ると、さすがにタロスの上流貴族というのか、端正に整った雰囲気を感じる。何故か気になって、ちらちらと横目を向けるルキアン。

 ◇ ◇

 濃紺のローブの男に、別の声が応じた。この二人目も同様にローブをまとい、銀の杖を手にしている。フードの下から、すでに白髪の方が多く混じった長い髪がのぞく。
「あのルウム教授が、たとえ冗談にでも《地上人》を救おうなどと考えたはずもない。パルサス・オメガが覚醒すれば、遅かれ早かれ世界は、いや、最初にオーリウム王国は焦土と化す。いかに《人の子の歴史》が《あれ》の手から解放されるための筋書きだとはいえ、お主の祖国オーリウムは重すぎる代償であろうに」
 その話が終わるか終わらないかのうちに、最初の方の男が否と告げた。
「いや、《人の子》が、自分たちの意思で自分たちの歴史を紡いでいけるように、未来のために。ならば私は、祖国も、この命もすべて捨てられる。事の成り行きを知っていたにもかかわらず、いや、だからこそ、私は《家族》さえも捨ててきた。コズマスよ」
 家族のことを口にしたとき、彼の言葉の響きに微かな感情が浮かんで消えた気がする。

 ◇ ◇

「あ、あの。メイ……」
「はぁ? 何さ、少年。かしこまって」
 とてもではないが上品とは言えない、彼女のいつもの話しぶりが返ってきたことに、ルキアンは少しほっとした。そして苦しみが、素直に彼の口を突いて出た。
「僕、怖いんです」
「何が? あたしが? とかいったら、ぶっ飛ばすぞ」
 ルキアンは思わず吹き出した。大げさだが、その笑みは心を開くための後押しとなった。
「そんな。違います。ぼ、僕は、僕は、優しい人が優しいままで笑っていられるような世界のために、覚悟したつもりで……。その、だからエクターの叙任式を受けたんですが、でも、あの、怖いんです」
 そこで、彼の声がいつものようにか細くなった。
「クレドールやギルドの仲間が戦っているとき、僕も何かしなきゃって、思うんです。でも、戦うのが怖い。アルフェリオンに乗って戦い続けているうちに、僕は《ステリア》の力に取り憑かれてしまって、いつか、いつか自分がただの兵器になってしまうんじゃないかって」

 ◇ ◇

 コズマスと呼ばれた白髪の男は、声の調子を落とし、喉の奥から絞り出すように言った。
「人の世の喜びを味わい続けるには、この手も、お主の手も汚れすぎた。《鍵の石版》を解読して《ロード》のための《実験》を開始したときから、我々は人としての資格を捨てて悪魔となったのだ。何の咎もない者たちを次々と犠牲にし、この身に永劫の罪を背負い、《あれ》と戦うために闇に堕ちた」

 ◇ ◇

 珍しく口数少なく、黙って聞いているメイ。ルキアンは続ける。
「ナッソス家のエクターの人と戦ったときも、色々と、心の中に暗い気持ちや嫌な思い出ばかりが浮かんできて……。歪んだ気持ちが、不満や怒りが、自分の中で抑えきれなくなりました。なんていうか、それで激高して……。何かが許せなくなって、もう戦うことしか見えなくなって」
 だから何なのだと言えばよいのか、ルキアンには分からず、そこで次の言葉が出なくなってしまう。するとメイが、周囲を眺めてみるよう、彼に身振りで促した。
「ほれ、キミが戦ったから、この街は焼け野原にならずに済んだ。は、結果論? 細かいことはいいんだよ。いま、こうして市民たちは穏やかな時間を取り戻している。あたしらも、ミトーニアの兵も、あれ以上、死んだり傷ついたりせずに済んだ。それは確かでしょ、ルキアン少年」
「それは……。はい。でも」
 静かに、だが力強く、メイはルキアンを諭した。
「ルキアンを兵器になんてさせない」
「えっ……」
「クレヴィーだって艦長だって、そう考えているから、戦いへの参加をルキアン君の自由に委ねているんだと思う。本当なら、ナッソス家の城だってミトーニアだって、アルフェリオンのステリアの力で一発攻撃すれば、それで簡単に片付くはず」
 一番言われたくないことを指摘されてしまったと、ルキアンは思わず立ち止まってうつむく。
「馬鹿、それをクレヴィーがキミに無理強いしないのは、いったん鎖から解き放たれたときのステリアの怖さを理解しているからだろ、多分。ルキアンの甘ちゃんさも、いや、優しさも、ステリアの暴走に対する一種の歯止めだって。何より、ルキアン君の思いを裏切ることになるし。まぁ、そんなやり方は、プロの戦士としては大甘で失格だけどね。自分や仲間の命がかかってんのに。でもギルドってのは、軍隊と違って、そういう融通が良くも悪くも効くところがいいのかも」
 ルキアンは何と答えてよいのか戸惑っていたが、少なくとも嬉しかったらしい。恥ずかしくもあり、黙って再びメイと並んで歩いて行こうとする彼に、いきなりメイの大声が飛んできた。
「こら、素直じゃないぞ、少年。メイ様の有り難い励ましを受けて、キミ、今のは微笑むところだっつーの!」
「す、すいません……」
 遠慮がちにそう言ったルキアンの表情に、不器用な笑顔が浮かんでいた。
 やがて二人は市門を抜け、城壁の外に停泊しているクレドールに向かう。

 ◇ ◇

 コズマスともう一人の男は、大理石を思わせる白い石で組まれた建物の中に居た。外壁はなく、丸みを帯びた石柱が大木のごとく立ち並び、屋根を支えている。鬱蒼とした森の中に開けた泉、月明かりに細波がひたひたと揺れる岸辺に、古代の神殿を思わせるその建築物はあった。
 いや、そこには二人だけでなく、その他にも十数名、同じ出で立ちの人間が黙って整列しており、どこか狂信者の集団を連想させる異様な雰囲気を醸し出していた。現世界の魔法体系に基づく魔法陣とは明らかに異なる、《旧世界》の魔法科学の不可解な記号や数式で埋め尽くされた魔法陣が床に描かれ、その周囲に円陣を組んでローブの人影が並んでいる。
 彼らの長であろう、威厳にあふれた様子で、コズマスは粛々と語り始めた。
「数日中に《大地の巨人》は復活し、《計画》は次なる段階に入る。おそらく《御使い》たちは、まだ我々の意図には気づいていない。ただし《御子》たちは力を覚醒させつつあり、《鍵の守人》も動きを見せ始めた中、今後は御使いの側も、これまでにない直接的な手を打ってくるだろう。だが恐れはしない」
 コズマスが杖を高らかにかかげると、同士たちも杖の輪をおもむろに鳴らして賛意を示す。ひと振り、激しく、コズマスの杖の先端で銀の輪が響いた。一座が静粛になったのを見計らって、彼は自信ありげにつぶやく。

「必ずや《ノクティルカ・コード》を、人類に勝利を。《月闇の僧院》の諸君」


【第45話に続く】



 ※2009年6月~8月に、本ブログにて初公開
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