鏡海亭 Kagami-Tei ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石? | ||||
孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン) |
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第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、 ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら! |
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小説目次 | 最新(第59)話| あらすじ | 登場人物 | 15分で分かるアルフェリオン | ||||
『アルフェリオン』まとめ読み!―第44話・前編
【再々掲】 | 目次 | 15分で分かるアルフェリオン |
科学と魔法の融合の果てに
霊石ケレスタリウムの灰が招いたものは
星の死であった。
絶望―永遠の青い夜に閉ざされし地上、
希望―天空植民市へと飛び立つ箱船、
そのときから人は天と地に分かたれた。
◇ 第44話 ◇
1 旧世界誕生の秘密が遂に…
「考えてもごらんなさい。一方で高度な科学文明をもつ《旧世界》が、彼らの《科学》の見地から言えばおよそ迷信にすぎなかったはずの《魔法》というものを、同時に日常的に用いていたとは。不思議だとは思いませんか? クックック」
お得意の薄気味悪い冷笑を交えながら、魔道士ウーシオンは言った。
黄金色の刺繍と紫色の生地を所々に配した、純白の長衣をまとい、緩慢ながらも大仰な動作で両手を天にかざす彼の姿。居並ぶ者たちは、何か妖精の悪戯にでも巻き込まれたかのように、半ば引き込まれながらも半ば訝しげに見つめている。
「本来、旧世界に魔法など存在しなかったのですよ。まぁ、彼らが皆さんの《現世界》と同様の文化水準にあった時代には、人々の心の中に魔法や魔物に対する妄信が根ざしていましたが。そして、魔法など夢物語に過ぎなくなった頃、旧世界人は……いやいや、正確には、我々が《旧世界人》と呼んでいる者たちの先祖の一方、《地の民・フーモ》は、自らの世界を離れて星の大洋に漕ぎ出すことを、《科学》の力だけで実現するようになりました。後に《地上界》と呼ばれるもの、つまり彼らの母なる惑星《エルトランド》の周囲にも、《天空植民市》が徐々に築かれ始めるようになりました。まぁ、地上界と言っても、それが旧世界という言葉とどう違うのか、現世界の普通の皆さんには何のことだが分からないでしょうがね、ククク」
ランプの光とは明らかに異なる奇妙な青白い光が、部屋を包んでいる。天井に輝く円盤形のガラス製の物体。曇りガラスの中身は定かではないが、おそらく、旧世界の遺産である《光の筒》が2,3本ほど入っているのであろう。
その乾いた照明の下、円卓を囲んで10名ほどの人々が席に着いている。
起立して話し続けるウーシオンの隣には、濃い茶色の髪に白髪の混じった、片眼鏡の中年紳士が座っている。《鍵の守人》の長、アルヴォン・デュ・ネペントだ。彼は目を閉じ、黙って話を聞いている。その隣には、真珠色に新緑を溶かし込んだかのような、神秘的な色の髪をもつ姉妹、アルヴォンの娘であるシディアとエイナがいる。
なおもウーシオンの独り語りは続いた。
「フーモは、エルトランドから遠く離れた星の大海にまで進出していくようになりました。そんな中で彼らは、自分たち以外の知的な生命体と初めて遭遇することになったのです。フーモとは全く異なる文明……すなわち高度な魔法文明をもち、部族ごとに船団を組んで銀河を気ままにさすらう、《星の民・イルファー》」
アルヴォンの正面に座っているのは、レジスタンスのリーダーであるレオン・ヴァン・ロスクルスだった。長い藤色の髪と精悍な顔立ちをもつ、寡黙な剣士だ。軍事大国ガノリス王国の中でも並外れた力量をもつ近衛機装騎士団《デツァクロン》の一人にして、王国最強のエクターであるロスクルスの名を知らぬ者はいない。
彼の両隣にいる者も含め、レジスタンスの側の者は皆、烏帽子に似た黒い帽子を被っている。同様に全員が、絹を思わせる素材でできた道着のような白い衣を身に付けていた。その上に黒い厚手の衣をまとっている者もいれば、革のヴェスト、あるいは鎖帷子を身につけている者もいた。
涼しい顔をして腕組みしているロスクルスの方を、ウーシオンはちらりと見やった。微笑を浮かべ、鍵の守人の魔道士は話に戻る。
「《イルファー》が侵略者や海賊などではなく、星海の吟遊詩人ともいうべき友好的な民であったのは、幸いでした。エルトランドの歴史が始まって以来、最初の異種族との接触は、成功裏に終わったのです。二つの民が交流するうちに、イルファーの中にはフーモとともにエルトランドに定住し始める部族も出てきました。その最大の理由は、イルファーの魔法にとって最良の触媒である《ケレスタリウム》の精錬に必要な《ある鉱石》が、エルトランドに多量に埋蔵されていると判明したからです」
ロスクルスは顔色ひとつ変えず、ウーシオンの話に耳を傾けている。しかし、彼の隣に座っている短髪の女は、先程から苛立ちを隠せないようだ。まったくくだらない作り話だと言わんばかりに、彼女は渋い顔で首を振っている。
そんな彼女の様子など、ウーシオンは気にとめてもいない。それがなおさら彼女を怒らせているようにも見えた。冷淡な魔道士は続ける。
「魔法の力、黄金色の髪、尖った耳を持つイルファーたちがエルトランドに住み着くようになってから……そうですね、まぁ、気の遠くなるような月日が流れました。そういう情緒的な言い方を私は好まないのですが、正確な記録が残っていませんのでね。クク。やがて、二つの民は文化的に溶け合っただけでなく種としても融合し、いつしか、我々が《旧世界》と呼ぶ超魔法科学文明が成立したのです」
2 永遠の青い夜、終わりの始まり
ほっそりとした、いや、それどころか華奢と表現した方がよいであろう、ウーシオンの体は、彼の長身ゆえにいっそう痩せて見えた。金色の髪に漂う艶には、一点の曇りもない。無表情でいながらも、時おり悪魔的な輝きが浮かんでは消える、淡い水色の瞳。
美しくも怪しげな魔道士ウーシオンが、そこまで語った後、居合わせた者たちは、呆気にとられて声も出なくなっている。
だが、しばしの沈黙を経て、テーブルを拳で強く叩く音がした。
「貴様、我々を愚弄する気か? 真面目に答えなさい!」
赤茶色の短髪の女が、怒鳴りながら立ち上がった。
「おや、旧世界の高邁な謎解きはお気に召しませんか、かわいいお嬢さん。ククク」
別に嘲笑しているわけではないのだが、相手にはそうとしか見えない様子で、ウーシオンが横目で彼女を見た。
その態度に対し、再び彼女は机を叩いた。
「か、か、かわいい、お、お嬢さん……だと? ふざけるな! 私は近衛機装騎士、リュスティー・ヴァン・ダルエスだ」
ウーシオンは半ば無視して話を続けようとする。リュスティーはますます顔を怒りに紅潮させる。
「ともかく、我々は、そんなおとぎ話を聞きにやってきたわけではない! あなた方《鍵の守人》がどのような組織なのか、本当に旧世界から《秘密》を受け継いでいるのか、その点を尋ねている……。あ、はい。ロスクルス隊長……。申し訳ありません」
彼女の横にいるロスクルスが無言で制した。見るからに勝ち気そうな顔つきのリュスティーだが、ロスクルスの命令には忠実なようだ。
おそらく地下なのだろう、窓のない広間。旧世界の素材でできていると思われる壁に、ウーシオンの声が染み通る。
「しかし、豊かな自然に満ちたエルトランドにも、大きく歪んでしまう時がやってきたのです。クックック。《ケレスタリウム》は青く透き通った美しい石だったといいます。この《石》を媒介として自然界から引き出される巨大な魔力、それをフーモの科学によって創られた機械の動力としても使用可能にする技術が、生み出されたのです。《ケレスタリウム機関》は、まさに科学と魔法の結晶でした」
《鍵の守人》とレジスタンスがテーブルを囲む中、両者とは別に、もう一人の男がウーシオンの話に聞き入っていた。服装からみてウーシオンと同業のようだが、魔道士の長衣は汚れ、裾も所々ほつれたり破れたりしている。切れ込んだ鋭い目が印象的だが、その割には態度は呑気で意外に親しみが持てる。曖昧なクセのある髪は、少し褐色がかった半端な金色、あるいは黄土色。《鍵の守人》の本拠地に強引な招待を受けた《御子》、《炎のパラディーヴァ・マスター》、グレイル・ホリゾードである。時々、何か考え込んでいるように見えるのは、いったん姿を消したフラメアと《会話》しているからであろう。
他方、ウーシオンは、異様な眼光を浮かべ、高揚気味に言った。
「それが終わりの始まりでもあったのですよ! クククク。エルトランドのエネルギー不足を根本的に変えるかと期待されていた、大規模な《ケレスタリウム炉》の建設。でもやはり科学と魔法は相容れないのでしょうか、致命的な欠陥を発見できないままにケレスタリウム炉が始動し始めたその日、事件は起こりました。炉心の暴走によって生じた爆発は周囲の国々を焼き尽くし、エルトランドの一部の大陸の形すら変えてしまいました。いや、長期的に見て、爆発の被害よりも遥かに怖ろしかったのが……」
ウーシオンは、意味ありげに、その場の面々の顔を見渡す。そしてつぶやいた。
「事故の際、巨大な火山の噴火さながらに、ケレスタリウムの灰が天高く巻き上げられ、風に乗って世界を覆いました。それ以来、明るい日差しが大地に降り注ぐことは無くなったのですよ。夕闇迫るような濃紺の空が、朝と昼のすべて。そして長い長い暗闇の夜。この鬱屈たる日々を旧世界人たちはこう呼んだのです」
――《永遠の青い夜》。
ウーシオンが声に出すより一瞬早く、グレイルの胸の内でもフラメアがそう言った。彼女は続ける。
――しかも、ケレスタリウムは高純度な魔法力の塊みたいなもんだからさ。その粉塵が世界にまき散らされ、大気中を漂い続けたらどうなると思うね、マスター君?
3 天と地の亀裂の果てに生まれた巨人
フラメアは長い溜息をついた後につぶやいた。
――そう、ご名答。毎日毎日、ケレスタリウム灰を吸い続けている生き物たちにも、そりゃ影響が出る。魔法力を帯びた微粒子が体内に蓄積されることによって、通常なら有り得ないほどの極端な突然変異が、短期間に様々な生き物の中に起こり始めた。よく分かんないけど、遺伝子に対してケレスタリウムの粒子は甚大な影響を与えるとか、そんな感じじゃない?
――い、イデンシ?
――あぁ、すまん、我が魔道士殿。旧世界の言葉よ。気にしない気にしない。で、過剰な頻度で繰り返される突然変異を経て、それまで見たこともないような生き物、アンタらのいう《魔物》が自然界に現れるようになったわけ。まぁ、これは、むかし《博士》から聞いた話。博士だってその時代には生まれてなかったから、どこまで本当かは謎だけどね。
――その名残の魔物やら妖精やらが、今でも山奥で悪さをしてるのか。旧世界が滅びても災厄の残りカスだけは現世界まで。まったくもって迷惑な奴らだな、旧世界人は。
お気楽にそう応えたグレイルだが、対照的にフラメアの口調が若干深刻になった。
――旧世界人。たしかに、人体に対してもケレスタリウム灰の影響が出ないわけはない。実際、《前新陽暦時代》の終わり頃までその辺に時々いたっていう、トロールだとかオークだとかってのは、ひょっとするとケレスタリウムに冒された人間のなれの果てじゃないかって、アタシは考えてるけど?
フラメアとグレイルが無言でかわしているのと同様の話を、ウーシオンが口にしている。
「《永遠の青い夜》に閉ざされたエルトランドは、このままでは遅かれ早かれ滅亡するか、魔物の楽園になるか、そんなところでした。地上の人々は、魔物を恐れ、あるいは自分自身や周囲の人間がケレスタリウム灰の影響で魔物同然に変わってしまわないかと怯え、終わることのない薄闇の中で絶望の日々を送っていました。日照の弱い世界では、もちろん、食料になる農作物も不十分にしか育ちません。そこでエルトランドの最高指導者たちは決断します。すでに実験的な移民の行われていた《天空植民市群》を大規模に拡充し、そこに新たなエルトランドを造ろう考えたのですよ」
ウーシオンはそこでしばし沈黙し、誰かに次の発言を促しているようにも思われた。そのことを知ってか知らずか、重厚な声でアルヴォンが代わりに告げる。
「そう、種としての人類を維持するため、各国から選ばれたエリートたちが天空植民市へ移民することになったのです。人類の希望、彼らは《アークの民》と呼ばれるようになりました。後の《天空人》の第一世代です。他方、死せる惑星(ほし)と化した大地に取り残された人々には、希望などありませんでした。やがて彼らは《地上人》と呼ばれるようになります。これが《天上界》と《地上界》の始まりでした」
アルヴォンは正面のレジスタンスのメンバーを凝視する。
「人類の下した決断の是非はともかく、結果的に旧世界が二つに引き裂かれ、その亀裂がやがては旧世界自体を滅亡に追い込むことになるとも知らずに……」
◇
「《永遠の青い夜》の災厄が起こらなければ、旧世界があのようなかたちで《天上界》と《地上界》に分かれることも、おそらく無かった」
同じ頃、闇の中で小さな灯りを前に、そうつぶやいている者があった。
底知れない規模の漆黒の空間、その広き闇を照らすにはあまりに心許ない燭台の火が、いくつかゆらゆらと揺れている。薄い橙色の灯りに浮かび上がる床の魔法陣と、その中心に座して瞑想する男の姿。ときおり彼が、周囲の空気を切り裂く鋭い気合いとともに呪句を口にすると、蝋燭の炎が不意に大きくなり、火花が飛び散る。
「それでも、天上界の《天空人》たちが思い上がることなく、地上人に対する理不尽な搾取を行っていなかったなら、天と地の間に大戦が起こることもなく、《そなた》が生まれることも無かったであろうに……」
頭部にターバンのような布を巻き付け、苦行僧を思わせる風体の大柄な男。年齢は不詳だが、これまでに無限の時を生きてきたかのような、生身の人間を超越した独特の静かな威圧感をもっている。《パラス・テンプルナイツ》の一人にして、底知れぬ力を秘めた大魔道士、アゾート・ディ・ニコデイモン。
暗黒の空間に突き出した円形の祈りの座。アゾートは、そこから遥か下にいる《何か》に語りかける。
「そうであろう、異形のものよ。大地の巨人《パルサス・オメガ》。そなたは人の子の手で創られ、人の子の歴史を終わらせる者なり」
4 黒き蝶の羽根! もう一人の…
果て無き地底の空間に、付近の影の色よりもいっそう黒き口を開く広大な縦穴。それは冥府への入口を想起させ、あるいは漆黒の湖面を思わせもする。その奥底に潜む《巨人》に、アゾートはさらに語りかけた。
「応えぬか……。間もなく汝は目覚めよう。それまで、今しばらくのまどろみの時を。良き夢を見るがよい」
《神の目・神の耳》と呼ばれる人知を超えた感覚をもつ彼ならばともかく、他の人間には、眠りについたままの巨人の反応など感じられはしない。もっとも、そのアゾートにしても、現時点で《パルサス・オメガ》と何らかの意思疎通ができているかどうかは怪しいものだが。
荒涼たる岩山に連なる、一見してうち捨てられた遺跡にしか思われない、王家の《ケールシュテン要塞》の地下深きところ。アゾートは、この地下聖堂で《パルサス・オメガ》と向き合ったまま瞑想を続けている。もう何日になるのだろう。
「し、失礼いたします、アゾート様。先ほどの不手際、お許しください」
近衛騎士とおぼしき二人の男たちが、彼の背後から遠慮がちに声をかけた。騎士たちが側に居たことなど、アゾートはすでに知っている。いや、彼らが考えていることも大半は察しているであろう。
「旧世界の娘、イリスは静まったようですね。当分、《力》は使えないでしょう」
「そう願いたいものであります。しかし、またどんな力を使うか分かりません。念のために魔法封じの措置を幾重にも施し、拘束してあります」
若干、言いにくそうに騎士の一人が告げた。彼に気をつかったのか、アゾートが意外に優しげな声で答える。
「名誉ある騎士の貴君たちに、かよわき乙女を野蛮に扱わせ、申し訳なく思います。それも王国のため。彼女らは《パルサス・オメガ》を覚醒させるための《鍵》」
近衛騎士たちはひざまずき、大仰に礼をした。
「はい。ご命令通り、《巨人》と旧世界の娘たちの意識をつなぐための《カプセル》の準備もあとわずかで整います」
「ご苦労でした」
低く柔らかな声でアゾートは告げる。近衛騎士に背を向けて座禅を組んだまま、彼は心の中でつぶやき、つい先ほど起こった出来事を回想する。
――それにしても、あれは一体……。
◇ ◆
燃え盛る爆炎さながらの霊気に包まれ、黄金色の髪を逆立てたイリス。
その瞳は青白く輝いている。
「許さない。許さない、許さない!」
彼女は、うわごとのように何度も何度も怒りの言葉を繰り返す。その言葉に煽られてでもいるのか、彼女の周囲を取り巻く強烈な光はますます強さを増し、輝きに飲み込まれた兵士たちは気を失って倒れていく。
その場で意識を保っているのは、アゾートとエーマだけであった。イリス自身も、自らの莫大な《力》を制御できない様子で、いたずらに荒れ狂うのみ。
「あ、頭が、割れそうだ!」
エーマは立っていることすらできず、床に片膝をついた。間もなく両掌も。そして遂に耐えきれず、白目を剥いて前のめりに倒れかけた、そのとき……。
気を失ったはずのエーマの目が大きく見開かれ、身体の動きが止まった。ふらりと立ち上がり、彼女はイリスの方をじっと見つめる。依然としてイリスの魔力は暴走状態にあるが、先程までとは異なり、エーマは全く影響を受けていないように見える。
◆
無言のまま、エーマはおもむろに右手を前に突き出した。
その先、獰猛な霊気の嵐の中にイリスがいる。
津波のように、エーマを今にも飲み込まんばかりに向かってくる《力》。
だが、暗黒の空間に充ち満ちた魔力の渦は、何と、彼女の掌の前で瞬時に消えた。いや、これは確かに、彼女が消し去ったのだ。
その姿は不思議と神々しかった。何というのか、神話の――荒海に手をかざし、凪へと鎮める女神のようでもあった。
さすがのアゾートも、いくらか感嘆するところがあったらしい。彼は相変わらず座して動かぬまま、目を見開いた。
「なるほど。何故このような、さしたる力も持たぬ者がパラスナイトであるのかと不思議に思っていたら。そういうことであったか」
奇妙な光景。エーマの外見は普段通りだ。肌を極端に露出した黒革ずくめの衣装、真っ赤に染めた髪、毒々しい紫のルージュ。しかし、その猥雑な姿がまとう雰囲気は、近づくことさえはばかられる、崇高ながらも畏怖心を呼び起こさずにはいないものだった。
いつの間にか、エーマはイリスに手の届く位置に立っており、旧世界の娘の左右の頬に両の手でそっと触れた。一瞬、周囲が黒い霧に覆われた。いや、本当は色も実体も無いのだが、黒い風を思わせる何かが、あたりに満ちた気がした。
イリスの《力》さえも遥かに超える魔力のうねり。それが次の瞬間、暗闇の空間に広がった。地上へと突き抜け、地の底を貫く絶対的な力の波動は、一転、エーマの背を中心に不気味に輝く蝶の羽根の姿をとり、やがて霧散した。
この《黒き蝶》によってすべてを封じられたかのように、イリスは急に気を失い、エーマの腕の中に抱き留められた。
沈黙。静寂。
アゾートの声が静かに響いた。
「お前は《誰》だ?」
ふらりと振り返り、エーマはアゾートの方を見る。何か言おうとしたのかもしれない。だが彼女は、そのまま倒れた。不意に糸の切れた操り人形のように。
◆ ◇
「まぁ、良かろう。あとは星を、《儀式》にとって最良の位置に諸天体が来る時を、いましばらく待つのみ」
口元をわずかに緩め、深呼吸した後、アゾートは再び瞑想に入った。
その祈りを妨げぬよう、近衛騎士2人はそそくさと立ち去る。
大魔道士の体からは青白い霊気が立ちのぼり、煙の如く揺らめくその神秘的な輝きと共に――よく見ると、鎮座した彼自身の体も、微妙に宙に浮かび上がっているではないか。
「まもなく満月の晩が訪れる。《力の言葉》も《姉妹》も我らの手に。《大地の巨人》は再び目覚め、すべては白紙に返る」
他に誰もいなくなった暗がりの中に、アゾートの声が染み通った。
◇
同じくケールシュテン要塞の内部、今やイリスは、姉のチエルと共に完全にパラス騎士団の手の内に落ちてしまった。
金属製の分厚い壁と扉。外の廊下から松明の灯りが、鉄格子のはまった小さな窓から漏れてくる。薄暗い鋼の小部屋、イリスは頑丈な手枷と足枷を付けられていた。この華奢な犠牲者に対し、猛獣、いや、魔物でも閉じこめておくような厳重さである。
そればかりではない。イリスの額には、小さな魔法陣を思わせる記号が朱色で描かれていた。超自然的な力の発動を封じるための術なのだろう。同じく魔力を抑えるためであろう呪文の刻まれた真鍮色の頑丈な輪が、細い首に嵌っている。
気丈にも、涙ひとつ浮かべず、黙っていた。
不意にアレスの笑顔が思い浮かぶ。覚悟は決めたはずなのに。
二つの想いが彼女の中で交錯する。
――アレス、助けて……。いいえ、アレス、来ないで。
5 光と影の少年たち、ルキアン再び
◇ ◇
王郊外に広がる夜の田園。遠く暗がりの向こうから二つの足音が聞こえてくる。
砂利道を踏みしめ、乾いた下草と擦れ合う音が、次第に近づいてきた。
耳を澄ませてみると、一方は硬い靴底が地面を鳴らす響き。他方は地面の上を飛翔しているかのような軽やかで素早い響きだ。
人影が見えた。息せき切って少年が駆けてくる。彼の後ろを伴走するかのように、狼に似た白い獣もやってきた。
やがて、一人と一匹の足音は止まった。
「……まったく。昼間に歩いてきた道だから、大丈夫だと思ったんだけどな」
荒い息と共にアレスの声がした。
白い獣、いや、正確には《魔物》のレッケが鼻を鳴らして彼にすり寄った。その首を抱き寄せながら、アレスは溜息をつく。
「近道しようとしたのが間違いだったかなぁ、レッケ。さっきよりも都の灯りが遠くなったような気がしないか?」
彼が指さした方角、闇の中にぽつんと浮かぶ光の島。王エルハインの夜は長い。
「この大変なときに何やってんだよ、俺」
雲もなく澄み切った夜空から月明かりが降り注いでいる。満月も近い晩、いつもより月光は輝きを増しているはずだ。だがその貴重なともしびも、人家もまばらな広大な夜の平野を照らし出すにはまったく不十分であった。
「よく分かんないけど、《あいつ》に聞いたら分かるはずだ。《イグニール》には、離れていてもイリスの声が聞こえるみたいだったし。でも、肝心のイグニールを隠してきた場所まで、道がよく分かんないってのがなぁ。都の反対側の森……」
目には見えない夜の地平の果てまで、闇の世界が続く。アレスの声が周囲に吸い込まれては消えていく。完全に迷子になっているのだが、ともかくイグニールを置いてある場所まで勢いだけで辿り着こうとするアレスだった。
【続く】
※2009年6月~8月に、本ブログにて初公開
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