Enjoy KABUKI !!

気ままに歌舞伎を楽しんでいます♪

玉三郎さん

2005-02-24 | その他・歌舞伎
ここにお知らせするのを忘れるところでした(^^;;

NHK教育テレビ「劇場への招待」で京鹿子娘道成寺が放送されます
  平成17年2月27日(日)午後11:15~午前0:35

楽しみだわ~♪



七之助、結局3月は出演しないことに決まりましたね→歌舞伎SITE
出すにしても出さないにしてもなんか心に澱が残るような・・・
警察の方もさっさと処分決めたらいいのに・・・
7月の松竹座には晴れて出演できることを願っています
コメント (6)
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虫拳

2005-02-19 | 知る・歌舞伎
第21回山片蟠桃賞をウィーン大学のセップ・リンハルト博士が受賞したという。
受賞作となったのは「拳の文化史」(日本での刊行)、「余暇を通じてみた日本文化(邦題)」など。

ジャンケンを知らない日本人はいない。しかし、ジャンケン以外にいろいろな拳遊びがあったことは知られていない。江戸時代には、数拳・虫拳・虎拳・狐拳・藤八拳などのさまざまな拳遊びが大流行した。本格的に勉強するために「拳道」まで成立した。拳をめぐる唄・芝居・錦絵・文学などを通して、拳遊びの中にひそむ風刺性、反ヒエラルキー的性格を指摘し、江戸庶民のメンタリティをさぐっているのがこの「拳の文化史」である。
大正ころから広まった石拳(じゃんけん)が一般的だけど、例えば祇園の御茶屋さんなどには古い形の拳も残っているらしい
この拳に見られる「三すくみの思想」は日本人の中に深く組み込まれ、相互依存的で、絶対的な勝者や敗者を作らない、平等思想の表れという。
虎拳(和藤内→虎→母)、狐拳(鉄砲→狐→庄屋)、虫拳(かえる→なめくじ→へび)などが紹介されているが・・・

この虫拳・・・(‥ )ン?と思われた方いらっしゃるかなぁ
そう、京都南座3月公演の『児雷也豪傑譚話(じらいやごうけつものがたり)』の登場人物!
どうしてかえる?なめくじ?へび?って思っていなかった?
これが三すくみになっているという古来の常識はこの物語を理解する基礎なのかも
中国の古典(関尹子)に「ナメクジは蛇,蛇は蛙,蛙はナメクジを食う」と書かれているのが由来だそう

余談になるがこの虎拳というのもある意味すごい。
和藤内っていわれて今わかる人は少ないと思うけど、近松の浄瑠璃の「国姓爺合戦」の主人公。
これが遊びに使われるくらい一般常識だったなんて・・・


※ 山片蟠桃賞
大阪が生んだ世界的町人学者である山片蟠桃の名にちなむ国際文化賞として、大阪府が昭和57年に設けた。日本文化を広く海外に紹介し国際理解を深めた著作及びその著者を顕彰している。
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六代目と花らっきょう

2005-02-16 | その他・歌舞伎
江戸紫といえば助六の鉢巻の色
桃屋の江戸むらさきはどうして江戸紫という名前になったのか調べてくれた友人がいて(→桃屋)、ついでに知った六代目(とだけ言えば菊五郎)のエピソード
そのまま引用させていただくと

『歌舞伎の世界で希代の名優とうたわれた六代目菊五郎に、こんなエピソードがあります。作家の舟橋聖一氏は、文芸誌「文学界」に発表した『六代菊五』と題する文章の中で、次のように書いています。

 ......六代目菊五郎は、息を引き取ろうという前日、急に思いついたように、「桃屋の花らっきょうが食べたい」と言って、枕頭に集まる人々を当惑させた。折から居合わせた東京劇場の支配人斎藤徹雄氏は、これが最後の食い物かも知れないと思うと、手億劫を厭う暇もなく、すぐ竹心庵を呼び出して銀座界隈を探し回った。ところが、あいにくと目指す桃屋の花らっきょうがどこにも無い。仕方がないので、普通のびん詰のらっきょうを買って戻ってきた。それを千代子夫人があっさりと器に盛り、きれいごとにして六代目の前に運んだ。
「桃屋の花らっきょうか」
「へい、さようでございます」と斎藤支配人は答えた。
「よくあったな 」
「へい、ようやく探して参りました」
「そうか、ありがとう」 
そう言って、六代目は三粒ほど口に入れた時、
「こりゃァ、桃屋のじゃァない。普通のらっきょうだ。もういい、さげろ」
「へい」 
 斎藤支配人は、それで自分が面目をつぶしたという気まずさよりも、もう、命旦夕に迫りつつある六代目の感覚の、ごまかしきれない生粋さに、おもわず込み上げてくるものがあった。じっとうなだれるままに、目頭から滴が散っていた。......   
 これは昭和24年、戦後の混乱で統制品の砂糖が十分入手できず、「味が落ちるくらいなら作らない方がいい」と「花らっきょう」の製造を一時休んでいたころの話。頑固なまでに味への信念を創業以来守りつづけてきた桃屋ならではのエピソードですが、六代目に食べていただきたかったと、残念でなりません。』 

以前 最後に何を食べたいかというTV番組がありましたけど、六代目の場合は"桃屋の"花らっきょうだったのかもしれません
亡くなる前日まで味覚が確かでいらしたということ・・・
何かせまるものがありますね

こんど買って、六代目を偲んで味わってみたいと思います
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役者の青春

2005-02-15 | 読む・歌舞伎
法隆寺で梅が咲いていました 

役者の青春

講談社

中村勘九郎


『親父がよく言ってました。お前、俺の真似しろよ、って。勘九郎さん、新解釈は僕が死んでからにして下さい、とも。役者は親子でも結局ライバルなんです。勘三郎亡き後、中村屋を率い、祖父六世菊五郎の芸に迫ろうという、いま最も熱い歌舞伎界のスーパースターが語る恋、旅、酒、芸、目の離せぬ一冊です。』

勘九郎とはずがたり勘九郎ひとりがたりにも載っているエピソードもあるけれど、勘九郎の素顔がここにもある

「危うく公務執行妨害」の話や「息子をなぐったとき」の話などはちょっとどっきり(;^_^A アセアセ・・・


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3月の京都南座チケットゲット!

2005-02-14 | その他・歌舞伎
松竹友の会の電話でチケットゲット~~ブイ V(=^‥^=)v ブイ

NTTから「ただいま電話がたいへんつながりにくくなっていますので、しばらくたってからおかけ直しください」って流れたときはひやり(^^;;
サッカーのワールドカップのチケット取ろうとしたときを思い出して・・・(あの時は結局取れなかった(T.T))

さて、マクラを高くして・・・('_'?)...ン?
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占領下 カブキ健在

2005-02-13 | 知る・歌舞伎
朝日新聞の夕刊(05/02/12付け)に載っていた記事
『戦後まもなく連合国軍総司令部(GHQ)の検閲を受けた古典歌舞伎を含む演劇台本計約500冊が、大阪松竹座と松竹大谷図書館に保管されていることがわかった。占領下には、封建的な題材を扱った歌舞伎公演は危機的状況に陥ったとされていたが、台本の8割近くは上演を許可され、実際の検閲は意外に寛大だった。(後略)』

はじめ占領軍は日本人の"仇討ち"を恐れて規制すべきだと思ったらしいが、すぐに芸術性を認めて、日本の伝統芸術をなくしてはいけないと考え直したんだそう
占領下でも年間80回を超える公演があったのだそう

ふーん、そういうことがあったんだ~
教科書に墨を塗った話は聞いていたけど、演劇の検閲もあったのねぇ
当然といえば当然か・・・

こちら(羽左衛門はお元気ですか GHQ検閲官・バワーズ )は早稲田大学演劇博物館の地下書庫に、約8300点に眠っている「検閲台本」の記事
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知らざあ言って聞かせやしょう―心に響く歌舞伎の名せりふ

2005-02-12 | 読む・歌舞伎


新潮社

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『歌舞伎の神髄は「名せりふ」にあり―。かつて歌舞伎は娯楽の中心であり、今に残る「名せりふ」は、歌舞伎を支え続けた庶民が培ってきた、日本文化の結晶に他ならない。近松門左衛門から、鶴屋南北、河竹黙阿弥まで。忘れられかけた日本人の心が詰まった四十一の名せりふ。せりふが分かると、歌舞伎がより楽しくなる。巻末に「歌舞伎の台本とせりふ」の概説をつけ、歌舞伎の入門書としても役立つ一冊。』

歌舞伎から生まれた名文句と言うものがある。
歌舞伎から生まれたと知らない場合も多いかも
その名せりふに単語の現代語訳や背景等の説明を加えて41編
声に出して読んだらその名調子もよくわかる!
すっかりその気?(笑)
戦前までは歌舞伎は見ることはもちろん、演じることも庶民の生活の一部だったそう。
庶民の生活の中に浸透していた歌舞伎、名せりふを通して歌舞伎がどういう演劇なのかがわかってきて面白い!
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待ってました!勘九郎―中村勘九郎対談集

2005-02-10 | 読む・歌舞伎
『恋愛論や人生論にレジャー、趣味、そして芸の厳しさから、父勘三郎の思い出に至るまで、ビートたけしや宮沢りえなど最高のゲスト陣を迎えて語り尽した、ファン待望の十一幕。勘九郎が素顔で迫るその魅力のすべて。』1994年発行

宮沢りえ、松任谷由美、勝新太郎、柴門ふみ、牧瀬里穂、丸谷才一、杉村春子、筒井康隆、三木のり平、ビートたけし、伊集院静 (そして杉村春子さんの影に太地喜和子さん)
そうそうたるラインナップでしょう? 
もう亡くなられた方もいらっしゃいますしねぇ
それぞれから興味深いお話が聞けて、堪能しました
11人の方の思いがけない面も見ることができます


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児雷也豪傑譚話(じらいやごうけつものがたり)の

2005-02-08 | その他・歌舞伎
動画発見!

主役はもちろん菊之助なんでしょうけど
亀ちゃんかわいい~♪(やたらミーハー(^^;;)
辰之助(松緑)は敵役でちょっと損かな

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京都南座の3月公演

2005-02-07 | その他・歌舞伎
京都南座の3月公演は『児雷也豪傑譚話(じらいやごうけつものがたり)』
たまたま行った南座の前にちらしが置かれているのを発見!
松竹友の会で送られてきたのも、南座のHPに載せてあるのも左上の1枚なんですけど、松緑、菊之助、亀治郎それぞれのアップのがあってびっくり!(裏はなぜか白黒)
知らなかったんですけど、これはいつものことなの?
それぞれの固定ファン用なのかしらねぇ
なんかうれしくなってもらってきちゃいました
14日がんばって電話しよう~!


南座の前にいたのはランチの待ち合わせ(・・;)
和柄(わへい)という南座の北側(昔の北座のあったところ)の町家を改装したお店のお座敷で囲炉裏炭火焼をいただきました
鴨川を見下ろせるお座敷で、雰囲気もよくってリーズナブルでおいしかった~(お昼のおすすめコース3850円)
最後おかゆなんですけど、そのときに出てきたおじゃこの山椒煮としば漬け昆布も美味しくて、お土産に買って帰りました

その後、お茶したのはお隣の井筒八ツ橋本舗 祇園本店
私たちは注文しなかったんですけど、生八ッ橋『やきやき』という生八ッ橋を自分で炭火でこんがりと焼いて特製の小倉あんと抹茶あんを添えて食べるという趣向が面白くてけっこう頼まれている方多かったみたいです
コーヒーを頼んでも八ツ橋がついてきます
そうそう、普段着の舞妓さんもいらっしゃいました
さすが祇園やなぁ
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勘九郎ひとりがたり―中村屋歳時記

2005-02-05 | 読む・歌舞伎
勘九郎ひとりがたり―中村屋歳時記

集英社

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『まずは楽屋ばなしから、父・勘三郎の思い出、母の死、子供たちへの夢と期待、そしてゴルフ談義、ダイエットの苦労ばなしまで…。いま、のりにのっている中村勘九郎が多彩な話題を自在な語りくちで明かす、芝居ごころと歌舞伎への愛情。歌舞伎を知っている人も知らない人も、大いに楽しめる、素顔の勘九郎の魅力がいっぱいの一冊。』

勘九郎 とはずがたりの続編。1992年の発刊
13年も前ですもんねぇ。お父様やお母様を亡くしたばかり。
人気はあってもなんとなく不安な感じがよく出てます。

勘九郎 とはずがたりで、歌舞伎の勉強なんてするなって言っておいて、これでは勉強しろって、ちょっとひどいんじゃありません?(笑)
ま、言われてることはもっともなんですけど(汗


七之助の事件、まだかたがつきませんけど
勘三郎の襲名披露公演にもし出なかったらそれがず~っと記録に残っていくだろうことを思うとねぇ
出せるものなら出してやったらいいんじゃないかと思うんですけどねぇ
甘いかなぁ
歌舞伎の300年の歴史から見て、今後何年歌舞伎が残っていくか知りませんけど、小さな事件だと思うんですけどねぇ
甘いかなぁ
いえ、なに、別にご先祖さまたちはもっといろいろやってたじゃない、なんて言うつもりはないんですけどね(笑)

中村屋の掲示板などに誹謗中傷を書き込んだ方たち、イラク人質事件の時もそうでしたけど、人のミスにつけこんでうさを晴らすのはおやめになったほうがよろしいんじゃないかと・・・
自分は正義の方側にいるって気持ち、麻薬みたいなものなんでしょうかねぇ
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今日美容院で

2005-02-04 | 知る・歌舞伎
家庭画報3月号をしっかり読んできました
実は前回のは立ち読み(・・;)
家庭画報、重くて大きくてかさばるからもっぱら美容院で読む雑誌になっています(^^;

4月号から「中村屋交遊抄」と題した中村勘九郎改め勘三郎の往復書簡の連載が始まるそうです
第1回は森光子さん
先代のお話や、お小さいころのお話があるんでしょうねぇ

やっと気づいたんだけど、今年度は海老蔵襲名記念の成田屋特集の連載だったのねぇ
来年度は勘三郎襲名記念の中村屋特集っと~
美容院に行く楽しみができたぞヾ(・・ )ォィォィ
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勘九郎とはずがたり

2005-02-03 | 読む・歌舞伎
勘九郎とはずがたり

集英社

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『実力・人気ともに歌舞伎界の若手ナンバーワンと目される中村勘九郎が、厳しかった父勘三郎の教えと思い出の数々、愛情あふれる家庭のこと、そして心に残る舞台や芝居ごころを、多彩なエピソードを織り交ぜて語った、わが青春、わが舞台。』
「青春と読書」1990年1月号から1991年3月号に連載されたものをまとめたもの

TVなんかでのお話もとてもお上手だけれど、問わず語りとはよく言ったもので、ほんとうにお話を聞いているかのような構成
関さんのように外から見ている方のお話(役者は勘九郎)もいいけど、ご本人の口から聞くのもいいものです

お父様の勘三郎さんの麻雀の時のお話を芸術劇場で森光子さんもされてましたけど、やはりお父様のお気に入りは森光子さんだったって・・・

生半可の知識を持った観客はお父様も勘九郎さんもお嫌いだって聞いて、正直ほっ!
舞台見てて、その所作は先代とは(○○さんとは)違う、なんてことを知ってなくちゃいけないのかと怖かったんですけど(笑)

『こうして結婚したわけですけど、昔から私のファンだった人からみると、「なあんだ、いろいろと恋してたけど、結局は歌舞伎役者の娘と結婚したじゃないか」といかにも妥協したみたいに思われているかもしれない。』
そう、その通り! 特にファンだったわけじゃないけど、「なあんだ、いろいろと恋してたけど、結局お家(血統)が大事なのね」って思ってた。
その言い訳は、読んでのお楽しみ(笑)
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江戸時代の歌舞伎役者

2005-02-02 | 読む・歌舞伎
江戸時代の歌舞伎役者

中央公論新社

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『三百年前の歌舞伎役者の暮らしぶりは。江戸時代の「芸能界」にまつわる興味深い逸話の数々を丹念に調べ上げ、溌剌とした筆致で描き上げた本書を通し、読者は生きた歌舞伎役者の真実の姿に出会い、歌舞伎がまだ特別な芸能であった時代の空気を感じとることができるだろう。芸術選奨文部大臣新人賞受賞作。』

江戸時代、歌舞伎役者は神の(末裔の)ような存在だった。
その歌舞伎役者の生活を様々な文献を読み通して、わかりやすく書き著していて実に面白い
ただ、江戸時代と言っても長いわけで、うっかりしていると明治に食い込むような時代の話だったりして、時代の移り変わりとしての視点が欲しかった気がしたが、これは読む側の責任か?!

江戸時代、歌舞伎は現代芸能だった
今、歌舞伎は古典芸能なのである
現代芸能であった時代の歌舞伎の面白さ!
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家庭画報3月号

2005-02-01 | 知る・歌舞伎
「成田屋の意気 そして海老蔵 鳥辺山心中」と題した記事が載ってます
大道具さんから見たパリ公演!
いろいろなご苦労が成功を導くのですね
ほんとに歌舞伎は主役だけで出来上がっているわけじゃない
フランス公演の時のいろいろな写真も豊富です

ついでに
「わが家のお雛遊び」という特集もいいわ~
お雛さまっていくつになってもほんのり和みますよねぇ
この時期、古代雛を見せてくださる旧家やお寺もあっていいですねぇ
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