昨日の閲覧履歴一万回を記念して越後のミケランジェロ雲蝶の寺院めぐりを紹介いたします。
石川雲蝶とは
石川雲蝶は、本名を安兵衛といい、文化11年江戸雑司が谷で生まれ若干20歳前後で江戸石川流の奥義を極めた。越後にやってきた32歳のころ、三条本成寺世話役、内山又蔵の依頼を受け本成寺に数々の彫刻を制作し内山氏の世話で三条の酒井家の婿となる。その頃、開山堂の建立を計画していた大瀧和尚様が雲蝶の噂を聞きつけ魚沼に招く。僅か6年で開山堂内外の彫刻絵画漆喰などの大作を仕上げている。
西福寺
開山堂の三間四方の吊り天井に、透かし彫りで施された大彫刻は雲蝶終生の大作ともいえる作品で、その迫力ある彫刻が岩絵の具で色鮮やかに塗り上げられ、安政年間の華やかさをそのまま伝えている。
物語は、道元禅師が行脚の途中虎と遭遇し虎が襲いかかろうとした時、持っていた柱杖を投げつけると黒雲と共に龍と姿を変えて虎を追い払い、禅師を守ったといわれる。
松の枝上から龍虎の戦いを見ている鷹
滝つぼの鯉
なお、内部での写真撮影は禁止されています。
曹洞宗 西福寺冊子より許可転載
永林寺
松平忠直公(徳川家康の孫)光長公(忠直の子)の位牌を安置する位牌寺で葵の紋章を許された由緒あるお寺です。雲蝶が13年余り滞在し彫刻や絵画が百点余りも残されている。
天女は弁舌、才知に優れ、歌詠、音楽をつかさどり妙音を発して人々を喜ばせる。仏法を流布し、寿命を延ばし、悪敵を退散させ、財宝を満足させ、利益を施すという。
浅彫欄間「活け花」 浅彫り欄間の特徴は技法的には肉合彫り(ししあいぼり)という板面から輪郭を彫り込んで立体感を出す手法で、落ち着きのある浅彫りはデザイン力に秀でた雲蝶独特の作品です。
本堂正面に配置された三つの龍の左側、ご本尊を守護する登竜門の龍。古来、龍は「水神」として火災からご本尊やお堂を守る守護神として用いられることが多い。
雲水龍右側
「鶏」は欄間「小夜之中山蛇身鳥」の背面に地板として取り付けられた作品。
中国では鯉が滝を登りきると龍になるという言い伝えがあり、古来より尊ばれた。
「波に金鯉」は、金箔押しで仕上げられている。
書院障子 雲蝶が残す残す作品の中で珍しい組細工です。雲蝶自身が単なる彫師ではなく、空間デザインにも精通していた感がうかがえる。
なお、内部での写真撮影は禁止されています。
曹洞宗 永林寺冊子より許可転載