天邪鬼往生記 天邪鬼はアマノジャク、往生はオウジョウ 

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8x04-無常と変化

2016-10-04 08:31:40 | 日記

古典『平家物語』は冒頭『諸行無常』の佛教教説から始まる。当然それに則った叙述と思っていたが、最近「仏教の本旨に悖る」説に出会った。それは「沙羅双樹の花の色、盛者必滅の理(ことわり)をあらわす」は「無常」ではない」というのである。「無常」は将来の事象を予測・想定するこはないというのである。

 その前提には無常は変化であり、それには時間が必須要件である。と。とすると仏教教義は時間論に異ならないが私見の結論になってしまった。その一つの依処の部分に孫引きだが釈迦は「現世指向で前世も来世も説かなかった。物事はすべて移ろいいくもので不変な存在などない(諸行無常)を根本認識とし「すべての存在は極分化された一瞬にのみ存在し瞬間毎に消滅する(刹那滅)との思想として展開した。別の資料では「形而上の事案には『無記』であった。つまり答えなかったという「答え」だったという。

 吾が家の宗旨は浄土宗である。選んだものではないが自ずとその説に多く触れた。まだ若き日「墓場でのタブー」として『草場の陰』『安らかにお眠り下さい』を指導された。言い換えは前者が「極楽」、後者は「お導き下さい」だった。これも前述の仏教の本旨を遵守すれば随分乖離しているだろうが教義への建設的懐疑の存在が認識された。訳は判らず「有り難いお経」の盲信よりはと、この平家物語の冒頭論を記憶しておいたのも蘇った。

画像は畑の畔の銀木犀、少し花がついただけ だが・・・

文中、挿入画像の位置が不如意、昨夜ヘルプを尋ねて逡巡した。第1行末尾にカーソル置いて試みたが不自然に覚えて止め本文末尾に置いて再試行


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