2月晦日、冬最終日。なのにあす大荒れ天気の予報で警告されている。当地目下無風日射満面春暖期待される。でも58年前母との永訣だった。種子馬鈴薯の消毒とて床下から台所に出して広げた状態だった。「カーちゃんが!」の側近の悲鳴に右往左往がはじまり在宅でも死の瞬間、末期の表情の記憶はない。この瞬間よりもその後の家・家族の身の振り方の暗澹だった。
それと永訣は不可避としてもその寂寥の根源は何か。現前は病気が元で死亡したのだから病気に帰すことはできる。でもそれだけでは納得できなかった。多分自身以下所謂結婚適齢期になっていた所為が強かったろうがその悲嘆の原因を親の結婚に帰結させたのだった。
巷間「結婚して幸福を掴む」とかの常套語句・観念が忌避より嫌悪・憎悪にさえ覚えた。その一部は今に脳裏に現存する、そんな観念論はさておき土葬だったから翌日は埋葬だった。その時祖父も生存していたが父健在で葬儀の運営は父任せですんだが「位牌持」=施主であった。葬儀の冒頭の住職の「森羅万象蕭々として声なく梅花馥郁として陽春を告ぐ・・」と唱えたのだけは記憶している、季節に託した表現と類推はしたがそれ以上の詮索は脳力の限界でなす術なかった。