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『孫子』巻第十三用間篇 最終回

2019-12-08 12:13:45 | 四書解読
『孫子』はこの篇を以て最終回となります。次は『呉子』を解読します。

巻十三 用閒篇

孫子言う。およそ十万と謂う大軍を編成し、千里の彼方へ遠征すれば、人民や政府が負担する費用は日に千金に及び、国の内外は騒然となり、民は食糧の輸送などにこき使われ路上に疲れ果てて倒れ伏し、本業の農事に手が回らない者が七十万人に達する。こうして数年にわたって国を守りながら、最後の決着は一日で終わる。それにもかかわらず、間者に官位・俸給・百金を与えることを惜しんで、間者によって敵の実情を知ろうとしないのは、不仁の極みであり、多くの人を率いる将軍にふさわしくなく、君主を補佐する者としてもふさわしくなく、勝敗を左右する者としてもふさわしくない。そのような訳で、賢明な君主や将軍が軍を動かせば敵に勝ち、功を成せば人に抜きんでている理由は、人より先に予め敵の実情を知ることにある。予め敵の実情を知るのは、鬼神に祈って知り得るのではなく、亀卜や筮竹により類するものから知り得るのではなく、数字にして知り得るものではない。必ず人を使って敵の実情を知るのである。だから間者を用いるのであって、それには、郷閒・內閒・反閒・死閒・生閒の五つがある。この五間は同時に任用されるが、それぞれの間者は他の間者がどのようにして敵情を探っているかは知らない。それは主君だけが知っている神妙な綱紀であり君主の宝である。郷間とは敵国の村人を利用して情報を得るものであり、内間とは敵国の役人を利用して情報を得るものであり、反間とは敵の間者を利用して情報を得るものであり、死間とは、偽りの情報を流し我が方の間者を敵のもとへやり、偽りの情報を告げさせる。それがばれた時は殺される。このように命を懸けた間者のことである。生間とは、無事に帰国して敵の情報を報告する間者の事である。だから国の軍事に於いて間者は最も身近な存在であり、最も厚い恩賞を与えられる者であり、軍事上の秘密に最も関与しているも者である。これほどに軍事上の要を為す間者は、それを使う君主や将軍も非常に優れた智恵が無ければ用いることはできないし、仁義に篤くなければ使いこなすこともできないし、精微の心で対応しなければ真実の情報を得ることはできない。微細な事よ、微細な事よ、どんな微細な事も間者を用いないことはない。それ故に間者によりもたらされた情報に基づいて謀を立て実行するのであるが、実行する前にそれを言いふらす者があれば、その者と間者とは殺す必要がある。およそ敵を撃ち、城を攻め、敵将を殺そうとするなら、守っている将軍、その左右に仕えている者、取次ぎ役の者、門番、食客などの姓名を知ることが必要であり、その為に間者を送り込んで先づそれを探らせるのが大事である。他方我が軍に潜入して探っている敵の間者がいれば、種々の利益を与え導いて長く留まらせて、これを反閒として利用する。そしてこの反閒によって利用できる敵の村人や役人を求めて郷間・内間として働かせる。この反閒によって偽の情報を流す死閒を敵の内部に送り込む。この反閒によって戻ってきて報告する生間は期日を守ることが出来る。この五つの間者の働きについては、君主は必ず把握しており、それは必ず反閒によりもたらされているのである。だから反閒は厚遇しなければいけない。昔、殷の湯王が国を興したとき、夏の国に住んでいた伊尹の働きがあった。周の武王が殷を滅ぼしたときは、殷に住んでいた呂尚の働きがあった。このように賢明な君主や将軍のみが優れた智恵を持つ者を間者に仕立てることができ、大きな成果を遂げることが出来る。間者は軍事の要であり、全軍が頼みとして動く所のものである。

孫子曰、凡興師十萬、出征千里、百姓之費、公家之奉、日費千金、內外騷動、怠于道路、不得操事者、七十萬家、相守數年、以爭一日之勝。而愛爵祿百金、不知敵之情者、不仁之至也、之將也、非主之佐也、非勝之主也。故明君賢將、所以動而勝人、成功出于衆者、先知也。先知者、不可取于鬼神、不可象于事、不可驗于度。必取于人、知敵之情者也。故用閒有五。有郷閒、有内閒、有反閒、有死閒、有生閒。五閒俱起、莫知其道。是謂神紀。人君之寶也。郷閒者、因其鄉人而用之。内閒者、因其官人而用之。反閒者、因其敵閒而用之。死閒者、為誑事于外、令吾閒知之、而傳于敵。生閒者、反報也。故三軍之事、莫親于閒、賞莫厚于閒、事莫密于閒。非聖智不能用閒、非仁義不能使閒、非微妙不能得閒之實。微哉、微哉、無所不用閒也。閒事未發而先聞者、閒與所告者皆死。凡軍之所欲撃、城之所欲攻、人之所欲殺、必先知其守將左右謁者門者舍人之姓名、令吾閒必索知之。必索敵人之閒來閒我者、因而利之、導而舍之。故反閒可得而用也。因是而知之。故鄉閒內閒可得而使也。因是而知之。故死閒為誑事、可使告敵。因是而知之。故生閒可使如期。五閒之事、主必知之。知之必在于反閒。故反閒不可不厚也。昔殷之興也、伊摯在夏。周之興也、呂牙在殷。故惟明君賢將、能以上智為閒者、必成大功。此兵之要、三軍之所恃而動也。

孫子曰く、「凡そ師を興すこと十萬、出征すること千里なれば、百姓の費、公家の奉、日に千金を費やし、內外騷動し、道路に怠りて(注1)、事を操るを得ざる者、七十萬家、相守ること數年にして、以て一日の勝ちを爭う。而して爵祿百金を愛しみて、敵の情を知らざるは、不仁の至りなり(注2)、人の將に非ず、主の佐に非ず、勝の主に非ざるなり。故に明君賢將の、動きて人に勝ち、成功衆より出づる所以は、先知なり。先知は、鬼神に取る可からず、事に象る可からず(注3)、度に驗す可からず(注4)。必ず人に取りて、敵の情を知る者なり。故に閒を用うるに五有り。郷閒有り(注5)、内閒有り、反閒有り、死閒有り、生閒有り。五閒俱に起こりて、其の道を知ること莫し(注6、)。是を神紀と謂う。人君の寶なり。郷閒とは、其の鄉人に因りて之を用う。内閒とは、其の官人に因りて之を用う。反閒とは、其の敵の閒に因りて之を用う。死閒とは、誑事を外に為し,吾が閒をして之を知らしめて、敵に傳うるなり(注7)。生閒とは、反りて報ずるなり。故に三軍の事、閒より親しきは莫く、賞は閒より厚きは莫く、事は閒より密なるは莫し。聖智に非ざれば閒を用うる能わず、仁義に非ざれば閒を使う能わず、微妙に非ざれば閒の實を得る能わず(注8)。微なるかな、微なるかな、閒を用いざる所無し。閒事未だ發せずして先づ聞ゆれば、閒と告ぐる所の者とは皆死す(注9)。凡そ軍の撃たんと欲する所、城の攻めんと欲する所、人の殺さんと欲する所、必ず先づ其の守將・左右・謁者・門者・舍人の姓名を知るに、吾が閒をして必ず之を索め知らしむ。必ず敵人の閒來りて我を閒する者を索め、因りて之を利し、導きて之を舍す。故に反閒は得て用う可きなり(注10)。是に因りて之を知る(注11)。故に鄉閒內閒は得て使う可きなり。是に因りて之を知る。故に死閒は誑事を為し、敵に告げしむ可し。是に因りて之を知る。故に生閒は期の如くならしむ可し。五閒の事、主必ず之を知る。之を知るは必ず反閒に在り。故に反閒は厚くせざる可からざるなり。昔殷の興るや、伊摯、夏に在り。周の興るや、呂牙、殷に在り。故に惟だ明君賢將のみ、能く上智を以て閒と為す者にして、必ず大功を成す。此れ兵の要にして、三軍の恃みて動く所なり。

<語釈>
○注1、十注:梅堯臣曰く、糧を輸り用を供し、公私煩役にして、道路に疲る。○注2、十注:李筌曰く、爵賞を惜しみ間諜に與え、敵の動静を窺わしめざるは、是れ不仁の至りを為すなり。○注3、十注:梅堯臣曰く、卜筮を以て知る可からず、象類を以て求む可からず。○注4、十注:李筌曰く、度は數なり、夫れ長短。闊狭・遠近・小大は、即ち之を度數に驗す可し、人の情偽は度りて知る能わず。○注5、「郷閒」は原文では「因閒」に作るが、十注:張預曰く、因閒は、當に郷閒に為るべし、故に下文に云う、郷閒は得て使う可し、と。これにより次の「因閒」も含めて「郷閒」に改める。○注6、十注:曹公曰く、同時に五閒を任用するなり。「莫知其道」の主語を何にするかにより諸説がる。任用された間者、敵人、一般的な人、間者同士などである。私は文の流れから、間者同士に解釈する。○注7、十注:杜佑曰く、誑詐の事を外に作し、佯りて之を漏泄し、吾が閒をして之を知らしむ、吾が閒敵中に至り、敵の得る所を為すに必ず誑事を以て敵に輸す、敵從いて之に備え、吾が行く所然らざれば、閒は則ち死す。○注8、十注:張預曰く、閒は利害を以て來り告ぐ、須らく心を用うるに淵微精妙に、乃ち能く其の真偽を察すべし。○注9、十注:張預曰く、敵を閒いしの事、謀定まりて未だ發せず、忽ち聞く者有りて來り告ぐれば、必ず閒と俱に之を殺す、一は其の泄るるを惡み、一は其の口を減らす。○注10、十注:張預曰く、敵閒の來り我を窺う者を求め、因りて厚利を以て誘導し、之を館舎し、反って我が閒と為すなり。○注11、「是」は何を指すか、「之」は何を指すかは、諸説のある所だが、私は「是」は反閒、「之」は敵情と解釈する。

<解説>
題意について張預は云う、「素より敵情を知らんと欲するは、閒に非ざれば不可なり、然るに閒を用うるの道は、尤も須らく微密にすべし、故に火攻に次す。」
王晳は云う、「未だ敵情を知らざるや、動く可からず。」又地形篇に云う、「彼を知り己を知れば、勝乃ち殆うからず」と。およそ戦いというものは、先づ敵を知ることである。その為には間者を活用することが最も大切な事であり兵の要である。しかし実際には敵を知っただけで敵に勝つことはできない、そこでこれまで述べられてきた計篇・作戦篇など各篇を学ぶことが大切になってくる。乃ち孫子の教えは用閒篇十三を以て終わるのではなく、各篇を繰り返し学ぶことであり、攻めるだけが戦いではないと言うことである。李筌曰く、「孫子、兵を論ずるに、計に始まり、閒に終ふるは、蓋し攻を以て主と為さず、将為る者は之を慎まざる可きや。」

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