「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

2004リスボンの悲劇を、2016サンドニでフランスに引き渡したポルトガル

2016年07月11日 17時54分09秒 | 世界のサッカー

EURO2016決勝フランスvsポルトガル戦。一昨日の書き込みではクリスティアーノ・ロナウドの大会となるか、フランスの新しいスーパースター候補グリーズマンの大会となるかに焦点をあてましたが、試合は意外な結果で終わりました。 (ここからは翌日午前追記しました)

私は決勝当日、たまたま朝テレビをつけましたら、テレビ朝日の生放送が流れていました。前後半終了で0-0のまま延長戦に入るところでした。

中継アナウンサーの話を聞いてびっくりしました。なんとクリスティアーノ・ロナウドが負傷交代してしまったというのです。ケガの程度も心配でしたが、これだとフランスの有利は動かないと思われました。

けれどもアナウンサーは「ポルトガルはクリスティアーノ・ロナウドが退場したあと、団結しているように見えます」とコメントしていました。

そして結果は、延長後半にポルトガルが1点を奪うと、それを守り切っての優勝です。なんという結末でしょう。

この結果を見て私が思ったのは、ポルトガルが自国開催のEURO2004、決勝で伏兵ギリシャに敗れてしまい。開催国の初優勝を夢見てリスボンのスタジアムに集まったサポーターを悲劇のどん底に落としてしまった屈辱の記憶を、今度はサンドニの地で開催国フランスに引き渡したということです。

ポルトガルは、これで2004年の悲劇から解放され、フランスは、当分の間、この悲劇と向き合っていかなければなりません。フットボールの世界は、見ている第三者にとっては常にスペクタクルに満ちたシナリオのないドラマですが、当事者にとっては何と過酷な試練となることでしょうか。

我が日本代表は、かつて1993年秋に「ドーハの悲劇」を体験、4年後の1997年「ジョホールバルの歓喜」によって悲劇から解放されましたが、いずれも異国の地でした。これが仮に国内で、その試合の結果によってW杯出場権を得られるか失うかの瀬戸際という試合を迎えるとしたら心臓が締め付けられる思いです。

負けたフランス代表が、オランド大統領の慰労昼食パーティに招かれたニュースが今朝のテレビで流れてしました。大会MVPに選ばれたグリーズマンをはじめイレブンの顔は決して晴れやかではありませんでしたが、パーティ会場の外に詰めかけたサポーターから温かいねぎらいの声をかけられ、いくぶん笑顔を取り戻したようだとレポーターがコメントしていました。

15~16シーズンのサッカーシーンが、これですべて幕を閉じました。コパ・アメリカ決勝でアルゼンチンがチリに敗れた試合といい、今回のEURO決勝といい、結末を見終わったあとは、いろいろ複雑な思いが入り混じった気持になりました。

シーズンの終わり方というのは、その年によっていろいろ気持になるものです。13~14シーズンはブラジルW杯があってシーズンが終わったわけですが、準決勝で開催国ブラジルがドイツに歴史的事件ともいうべき大敗を喫して、最後はドイツが王者然として大会を制した年でした。

この時はドイツの強さにただただ放心状態というか、ドイツの強さをいやが上にも知らされてシーズンを終えた記憶が鮮明です。

さしずめ今年のシーズンは、メッシとC・ロナの明暗、そしてポルトガルからフランスに悲劇が引き継がれたことを記憶していくことになるでしょう。

(この項のタイトルを、最初のものから一部変更しました。ご了承願います。修正1回目7月12日午前、修正2回目7月15日午前)

 

 

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