拉致 北朝鮮 

人生楽なら苦はないさ(MUYOxpPRF.)

欺瞞

2010年08月05日 | どうでもいい事
え~、独り言をただただ綴る淋しいところに花を添えるコメントをいただくのはありがたいのですが、
ワシは親孝行など一度もした事がないどころか、親不孝を重ねるだけで生きてきた人間です。
元々、人間にそれほどの感情移入は持てない性格だと自認しております。
(その反動か人間以外の動物に対しては、ムツゴロウさん以上に偏った情を抱いてしまいますが)

何が驚いたって、親父が死んで20年以上になりますが、とうとう命日がわからなくなってしまいました。
親父のだと思ってた日が、よくよく考えたら猫爺さんの命日で、それじゃ親父は・・・と考えても出てこない。
誕生日は多分わかっているつもりですが自信はなく、今更誰に聞くわけにもいかず、「まぁいいか」という事に・・・

母ちゃんのことにしてもそう、ワシは母ちゃんが生きようと死のうと「好きにしたらええがな」というスタンス。

捨てられたら自分で生きる訓練を受けていないペットを、平気で捨てる連中には心底腹が立つものの、
近頃騒ぎになってる「百歳以上の行方不明者」に関しては、それほど血圧は上がらなかったりします。
これが、寝たきりやボケが入った老人をいじめたりする話だとかなり熱くなるんですがね。

んで母ちゃんの話に戻しますが、先月来何度か札幌と自宅の往復をした後の手術入院なわけですが、
ワシは一切手伝いをせず、荷造りも何もかも母ちゃん一人、自らすべてを取り仕切るのを横目もくれず放置してまいりました。
(まぁ向こうに行けば身内がいるので任せられるわけですが)

理由は、一番大きいのが「面倒くさいから」。
ここは説明がいるかしら、ワシ自身が「自分がどうなろうと知ったこっちゃない」と考えて生きてきたせいです。
腕がもげたら、それはそれで仕方がない。首がもげたら、それはそれで仕方がない。なるようになるしかないんだからなるようになる。と

二つ目の理由も似たようなもので、自分が助かりたいと思ったら這いつくばってでも医者の元まで自力で行け。
というもの。他人に助けを請うのは勝手だが、断られて恨むのは筋違いだと。助けはないものだと最初に思わなければ、期待して外れる分命は細くなる。

心臓や脳血管の障害で、目の前でひっくり返って意識不明になったとか言う場合は別ですよ、当然ながら。

ただ、倒れててなお意識があり、「このまま死なせてくれ」とでも言ったならば、
首をへし折って即死させてやろうと思うぐらいの、私的な親孝行の心はありますがね。
そこはまぁ、本人の覚悟とセリフに従いますよ。「助けてくれ」なら助けますし。

猫爺さんの名がでたついでですが、ある程度は書き残してます
このときは色々と悩みました、楽に息の根を止めてやるべきかどうか。
簡単な意思の疎通はあったと思っていますが、相手からの細かい要望はわからないからです。
何かしてやるのがいいのか、何もしないのがいいのか。

話飛びますが、横田めぐみが「完全に向こうの人間になっていた場合をも想定しておけ」という事を書いた記憶があります。思っただけの勘違いでなければ。

だからこそ、本人の意思確認をする為にも、一度は自由な環境に置かなければならないのです。
(これは金賢姫にもいえます。韓国でも日本でも、彼女の自由意思を出せる時間がどこにあったのかと、
彼女が日本への政治亡命を口にしてたら聞き入れたのか蛤はと。

ワシが寺腰武士事件を引きずっているのもそうです。
本人が自由に喋れる環境で「私は北朝鮮で暮らします」と言ったなら、それは尊重されなければならない。
他人がああせいこうせいと口を挟める事柄ではない。




ん~ようやく来た北の短い夏の暑さのせいか、指は動くが頭が煮えている。
(明日の予想は34℃だそうで・・・)



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