横浜の秘密

知らなかった横浜がいっぱい ~鈴木祐蔵ブログ~

サンマーメンの発祥は、横浜中華街の老舗・聘珍楼。

2016-05-02 10:57:22 | 横浜の食・グルメ

「横浜謎解き散歩」(KADOKAWA 新人物文庫/監修:小市和雄)の著者ということで、2016年4月14日(木)、テレビ朝日の報道番組「スーパーJチャンネル」内の「春の横浜謎解き散歩」と題した特集コーナーに、ガイド役として出演させていただいた。そのなかで訪問したのが、横浜中華街の老舗中華料理店「聘珍楼(へいちんろう)」である。

じつは、横浜生まれの大衆食として知られる「サンマーメン」の発祥地が「聘珍楼」という説があるからだ。

サンマー麺は、横浜を筆頭とする神奈川県内の中華料理店やラーメン店では、メニューとして加えられることも珍しくない麺料理。横浜に住んでいる方、横浜に頻繁に足を運んでいる方なら、食した経験があるという方も少なくないだろう。ただし、神奈川県外ではほとんど見かけることがない。

また、その料理名のインパクトの強さから、実物を目にしたことも口にしたこともない方であれば、魚の「秋刀魚(サンマ)」を具に用いたラーメンをイメージしがちである。私もいまから40数年前、横浜の最南端・金沢八景の中華料理店の店頭メニュー展示のなかに「サンマーメン」とカタカナ6文字で書かれた奇妙な料理を発見し、「サンマ」がのったラーメンとカン違いして好奇心から覗き込んだ記憶がある。当然、サンマが具に使われているわけがなく、どうして「サンマーメン」という名前なのかという疑問が、長年、頭の片隅にこびりついて離れないでいたものだ。

「サンマーメン」にはいろんな発祥説が飛び交っていた。時期としては、戦後の食糧難の時代に生まれたという説が有力視されて広まっていたが、お話をうかがった「聘珍楼」本店料理長によると、戦前の昭和5年(1930年)に聘珍楼本店の当時の料理長が考案したものだという。1930年代頃という聘珍楼本店のメニュー表を横浜開港資料館が所蔵しており、そこには「生嗎麺(さんまみん)」という文字がしっかりと刻印されている。

もともと横浜の波止場で働く港湾労働者のおなかを満たすため、安くて栄養もボリュームもたっぷりの麺料理として「サンマーメン」は誕生したそうだ。横浜中華街で働く調理人・従業員たちのまかない料理として作られたという説もあったが、事実とは異なるという。

基本的に「サンマーメン」とは、あんかけ五目焼きそばの具の部分をラーメンの上にのせた「あんかけラーメン」のこと。当時、あんを上にのせるラーメンといえば「肉そば」と「広東麺」があったが、値が多少張るので一般庶民の誰もが気軽に楽しめる料理ではなかった。そこで、「肉そば」の肉の量を減らし、材料費の安いモヤシの量を増やすことによって、手軽な値段に抑えながらもボリューム感のあるあんかけラーメン「サンマーメン」が生み出されたのである。横浜中華街では、かつてモヤシ工場が営まれており、モヤシが大量に安価で入手できたことも「サンマーメン」の誕生に一役買ったという。

こうしてリーズナブルなプライスと豊富なボリュームを両立させるため、麺の上にたっぷり盛られたあんの主役にはモヤシが抜てきされた。聘珍楼では大豆と緑豆の2種類のモヤシを使うというこだわりを現在まで継承し続けている。季節ごとの青菜、玉ねぎ、にんじん、ピーマン、きくらげ、豚肉といったその他の具材も、脇役ながら風味を豊かに引き立てる。そして、片栗粉でとじたとろみのあるあんは、でんぷんが多く含まれているため、満腹感をもたらしたり腹持ちをよくしたりする大切な使命を果たす。

スープはしょうゆ味が基本だが、横浜市内の他の中華料理店やラーメン店に足を運ぶと、独自に塩味にアレンジしているケースも見受けられる。聘珍楼では、鶏ガラを使ったまろやかなしょうゆ味に仕上げられ、あんとの絶妙なハーモニーまでも楽しめるのがうれしい。

それでは「サンマーメン」という料理名には、どのような意味が込められているのだろうか?漢字に書き換えると「生嗎麺」あるいは「生馬麺」と表記する。発祥の「聘珍楼」本店料理長によると、中国語で「生(サン)」は「新鮮で生きのよい」、「嗎(マー)」は「具材」の意味があり、「新鮮で生きのよい具材を使った麺」という意味だという。他の店では「嗎」と同じ発音の「馬」を使う場合もあるが、食べれば馬のように活力が湧くという意味合いを込めた当て字ではないかとのことだ。「馬」は「上にのせる」という意味を込めた当て字だという説もあるが、真偽のほどは定かではない。また、「嗎」は部屋番号や港の埠頭を表す言葉でもあり、横浜の港で働く労働者が好んで食べたことから、当て字としてこの字を使うようになったという説もささやかれている。

「サンマーメン」が横浜を中心とする神奈川県内の中華料理店やラーメン店に普及した経緯は明らかではないという。聘珍楼で考案されたのは戦前の昭和5年(1930年)ということだが、経済的に決して豊かではなかったその時代の多くの一般庶民には、中華料理店などで外食を楽しむという習慣はなかった。おそらく戦後、経済的に若干のゆとりが生まれ始めた昭和20~40年代にかけて、値段的にも手頃で栄養価も高い麺料理として他の中華料理店やラーメン店が採り入れるようになり、料理名のユニークさも手伝って一般的になったと考えられる。昭和22~23年(1947~1948年)には、横浜の伊勢佐木町の中華料理店「玉泉亭」が「サンマーメン」をメニューに加えたという事実がある。以前はこの店が発祥という説もあった。また、前述したように、私も昭和40年代後半(1970年代前半)ごろには横浜最南端の金沢八景の中華料理店で「サンマーメン」を目にしている。

発祥である聘珍楼の「サンマーメン(生嗎麺)」をベースに、それぞれの中華料理店やラーメン店では、スープやあんを塩味に変えたり、具材にイカやエビなど魚介類を採り入れたり、あんのとろみの濃淡を加減したりと、独自の知恵と工夫を凝らした味で勝負している。日本で初めて考案された当時の味を守り続けているという聘珍楼(※横濱本店は2022年5月15日閉店)の「発祥の味」をはじめ、いろんな味を楽しむうちに、きっとお気に入りの「サンマーメン」に出会えることだろう。


横浜謎解き散歩(KADOKAWA 新人物文庫)

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1 コメント

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身長ブログやってます。 (あんず)
2016-04-27 17:15:42
芸能人の身長
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