世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

スピカが主な管理人です。時々留守にしているときは、ほかのものが管理します。コメントは月の裏側をご利用ください。

ひなげし

2017-06-26 04:17:10 | 冬の日差し・夏の月


きれいなひなげしの野ですね。やはりかのじょという人を表すには、ひなげしがいい。かわいらしくてはかなげだ。梅のように誇り高くはない。ばらのような棘もない。いつもはかなく散っていき、いつの間にか溶けるようにいなくなっている。

目立たないようでいて、華やかな色もしている。きつい香はない。風に揺れ、いつも天を仰いでいる。そんな感じの人だったでしょう。

男の人だというのに、まるで幼女のようにかわいらしいのだ。そんなになるまで、あの美しさを貫いてしまった男性は、今のところ、あの人だけです。あんなふうに美しくなりたい男性はいるでしょうが、わたしもあまりお勧めはしません。ほんとうに、厳しい道だからです。

百合が書いてくれた「お釈迦様」は、そんなかのじょの作風に倣ってはいますが、決定的に違うところがあります。お釈迦様が、最後まで髪を切らなかった娘を、ハリネズミに変えてしまうところです。こういうことは、かのじょには書けません。ご都合主義的だが、もしかのじょが書けば、最後はみんなが自分から切ってしまったという結末にするでしょう。そこがあの人の甘いところなのです。

みんなが、本当に美しいこと、正しいことを理解してくれる。あの人はそんな甘い夢を見ているようなところがある。だが、現実とはそんな甘いものではありません。どんなに言い聞かせても、間違った方向に行ってしまう者はいるのです。そういうものには、厳しいこともせねばならないというのが、本当です。

お釈迦様も実に暖かいお優しい方だが、かのじょとは違う。ここまで言ってもわからないのか、というところがくれば、きつい鉄槌を下すこともある。それがお釈迦様なのです。イエスより厳しい。

イエスでもそれなりの罰はやるでしょうが、ハリネズミに変えるまでのことはしないでしょうね。そこらへんが個性というものです。

だが、その甘さというのが実に、かのじょのいいところでもあるのです。なぜなら、甘い考えで、人類を信じ切っているかのじょだからこそ、最後まで生き抜くことができたからです。馬鹿になってでも、自分をきつく折ってでも生き抜いてくれたのは、あの甘い考えで、人類を信じていたからです。最後は絶対にわかってくれると。

あの人が、何も知らないうちに何もかもを忘れてしまったのは、神の恵みです。実に。

これからの人間の運命は、あの時のあの人が知りもしなかった道に開けていくのです。





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