MailING!日月説法日誌

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故はイカン

「和」は苦手を受け持つことか?

2010年01月21日 16時43分14秒 | まちづくり
仕事には「和」が大切だと思う
ところで、誰もが自分に最も適している職業を選んでいるとは限らないのが仕事ではないか
職業者のほとんどは何らかで苦手意識を克服するための仕事についているものなのではないか
その疑問を「和」が解決すると思う
お金が苦手な者が経理をし、勉強が苦手な者が法律を勉強する
先日のNHKの「あの人に会いたい」という番組だったと思うが、
昨年101歳で亡くなられた生前のご住職の松原泰道さんのお話を聞けた
「人生はマラソンではなく、メドレーリレーのようなものであって、誰もがゴールを体験できるのではない
バトンがまわってきたなら自分の与えられた区間だけを全力疾走で生き抜くのが人生だと思う」
とおっしゃっていた
私は恥ずかしながら松原泰道さんをこの番組で初めて知ったが、たいそう偉いご住職様だったらしくて
私は一瞬にして、貴重な人生体験を持つ大人物の素晴らしいお言葉であると感銘し、そのままTVに釘付けになった
そして、松原泰道さんはもう一言、
「自分を救ってくれるのはもう一人の自分」とおっしゃった
これはまた、先の言葉とは裏腹のような詩的な表現だ
この二つのお言葉から考えさせられたことは
人生は人と人とが数珠のように連なっていて、我が身を捨て、思い切り嫌でも共同で生き抜かなければならない
「和」、つまり技の試練である
そして裏腹に、「和」から外れた自分を本当に救ってくれるのはもう一人の自分しかいない

ここで今、自分の心がけているまちづくりとは一体何だろう?
たとえ「和」を提案しても完全な「和」にはならないだろう
これではバトンリレーは完全には達成されないし、現実はもっと厳しいのだろう
どうすればよいのか、市民の一人一人にもう一人の市民が必要なのだろう
つまり、まちづくりとは「和」を目差すもう一つ裏の、もう一人の市民、つまりもう一人の自分なのではないだろうか
人生、焦りばかりでない、「ゆとり」というもう一人の自分がいることを信じたい

イメージはニの次

2010年01月12日 19時45分27秒 | まちづくり
イメージが先行しすぎては後で他を変更する事が難しい
イメージは後からでも変更はいくらでも可能だ
イメージつまりデザインは後からでも自然に追いついてくる
馬子にも意匠?というではないか・・・
イメージは精神ではない、精神とは和である
和の無きイメージは余計なものと考えてよいだろう

建築をするならデザインより先ず機能性を考えるほうが良い
デザインは機能性に従順してついて来るからだ

まちづくりも完成されたイメージを先に決めても先に進まない
まちづくりで先に目差すべきは地域の和である
和をどうするかで後でイメージが浮き上がる
イメージばかりを先行させた和は問題もあるだろう

和とは何か?それはイメージより難しいことは確かなのだ
物事には順序がある  その順序を知ることが技術だろう
技術の前が芸術(デザイン)ならば、更に芸術の前も必要になるのだ
世の中、芸術の前を行く大物による和を求めているのだ

考えることの第一は無駄を省くこと

2010年01月11日 17時39分46秒 | まちづくり
余計なことを考えすぎることや余計な回り道をすることで大物になった人はおそらくいない
大物というものは自らは無駄を避け、これぞというものを自身で一筋貫いた者をいうと思う
大物にとって余計な事柄は嫌でも後からついてくるが
一筋貫いて生きることで余計な事柄はいずれ簡単に解決できるようになる
物事を考えるなら、小さなどうでも良い事柄から考えるより、
ストレートに筋が入っていると思われる事柄から先ず単純に考え始めればよいだろう
そうすれば、世渡りの材料は後から追いついてくる

地域再生は法律共存にある

2010年01月06日 17時43分03秒 | まちづくり
今、全国のいたる所で仕組や経済が崩壊している
これは現在に必要とされて作られた法律のほとんどが良くも悪くも使われずにゴミ或いは宝の山のように放置されている現状を物語る
法律は一応、人間の作り出したものの中でも一番大事なものだ
それはおそらく現代でも普遍的な考えなのであろう
自由を望む若者にとって法律は大切なものと思っていても余計なものとも考えるだろう
それだけ若者には法律の恩恵というものはほぼないと考えられる
若者は孤独だ それゆえに自由だ
自由だが、いずれ共存の仕組を得ずにはいられなくなる
しかし、若いうちは共存などできるだけ考えたくない
その若者たちに早く共存の仕組を覚えさせたくて出来たのが、特に現代できた多種多様な多くの新法律ではないか
その新法律は単に無秩序にできたと考えるより、
それだけ年代の若いうちから多くの共存を覚えなければならない必要性が生じたのだろう

若者は大都会へ一極集中する
それに対し、仕組や経済は大都会だけにしかあるのではなく、
地方でも成り立つ、全国公平な法律をどんどん増やした
法律はもはや国民個人のためのものだけでなく、その主流は共存の時代に対応するために変わってきた

とりあえず法律はその準備をした
あとは、若者にどのように共存の大切さを早くから教えることが出来るかだ
それは、法律の力ではなし得ない
それをどうするかは、共存の大切さを知り得た地域の年配者が若者に法律を共存させることだ
つまり、地域の年配者が若者に先立ち、集団で新法律を積極的に使ってみることなのだ