隊員NO.1あさので~すm(_ _)m/
「片野鴨池」について、つづけてレポートさせていただきます。
鴨池観察館レンジャーの櫻井佳明さんが、わたしたちに問いかけられました。
「なぜ、鴨池がこれだけ多くのカモが集まる楽園になったと思いますか?」
「えさが豊富だから」「海に近いから」「周りに人がいないから」など、わたしたちはいろいろ考えましたが、
櫻井レンジャーの答えは、
「人が鴨池を使って生活していたから!」というものでした。
片野鴨池ができたのは、今から500年ほど前の16世紀中頃だと考えられています。すぐ近くの海岸
から日本海の強風で飛ばされた砂が谷を埋めて、水がせき止められ、池ができたのです。当時は水深が
とっても深い池だったようです。
江戸時代に入った1678年、新田開発をすすめる大聖寺藩主の命令を受けた魚屋長兵衛によって、
この池の西端にトンネルが掘られ、水が抜かれて、池はほぼ今のような姿となり、まわりに田んぼが作られました。
この工事により、池の水深もカモたちがえさをとるのにちょうど良くなり、田んぼにモミがいっぱいあることから、
どんどんカモなどの渡り鳥がやってくるようになりました。
1688年には、水田に集まるカモ類を獲る坂網猟(さかあみりょう)が始まったといわれています。
この坂網猟は大聖寺藩によって行なわれ、銃ではなく、特殊なY字の網を空中のカモに投げるという独特の
狩猟方法でした。そして、それ以来鴨池では、ただ単にカモを捕まえるだけではなく、
カモを脅かすものからカモを守る営みが行われるようになりました。
明治時代になった1872年には、民間人が坂網猟を行うようになり、猟師さんたちの組合がつくられ、
より多くのカモを捕獲するために、鴨池の環境を守る活動が続けられました。
「自然を守る」というと、わたしたちは、人間が何もせず、自然に任せっぱなしにすることをイメージしますが、
実は鴨池の自然環境は人間が自然を守りながら、かしこく利用することで守られてきたのです。
地元の人たちが鴨池という自然に関わり始めてから 300年間、カモと田んぼ、坂網猟という三つの持ちつ
持たれつの関係が守られてきたことによって、今の片野鴨池が存在しているのです。
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