時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

FURISODE

2012-01-30 | essay



心友だったアノ子の代わりに、せめてわたしにできること・・・。

アノ子の娘のKちゃんの、来年の成人式の振り袖選びに付いて行った。。
成人式の振り袖は、一年前からレンタル予約をするのが現代の主流らしく、
この日が初日だった予約会は、朝から親子連れで大賑わい。

「ママの代わりに一緒に見て。」って誘ってくれて わたし、うれしかったよ。
アノ子が亡くなって五ヶ月・・・。
気持ちの上ではママの代わりのつもり。何ができるわけでもないんだけれどね。

たくさんのいろんな色の振り袖を前に、
「アンタなら、どれって言う???」 と、こころの中でアノ子に問う。

残念ながら、降霊のワザは持っていないけれど(!)
自分の目と、アノ子の目の二刀流で品定め。

「これ、渋くていいなあ! でも、アノ子なら、古くさいって言いそうだ。」とかね。

あれもこれも、と何枚も何枚も羽織らせてもらって、全員一致で素敵な紫系の振り袖に決定。

最終的には、もちろんKちゃん本人が決めたのだけれど、
これは、絶対アノ子も選びそうだよ。 やっぱり空から交信してきた??

ほとんど口を出さずに見守っていたパパ氏も一押しの一枚。
決まったあとで、「ママならどれって言うかな・・・ってそればかり思っちゃったよ。」と、ポツリ。

パパさん・・・。以前と変わりなく見えるし、職業柄いつもしっかりしていて
ちっとも弱音を吐かないひとだけれど、
アノ子を喪って、彼こそちっとも平気じゃないはず・・・。
二人の出逢いからずっと彼を知っていたのに、
この頃改めて、このひとの本当の強さと優しさを知ったような気がする。

Kちゃん。来年二十歳かあ・・・!
可愛い赤ちゃんだったのも、幼稚園に上がったのも、中学の制服も、
ついこの前だったような気がするのに、いつの間にか振り袖の似合う素敵な女性になったんだなあ。
晴れ姿の前撮りも楽しみだよ。

おばちゃんは、こころから、あなたのしあわせを祈りたいです。



 


映画「わたしを離さないで」

2012-01-28 | 映画 のこと



なんだかすごく重かったらやだな・・・って思いつつも、観てしまった。
「わたしを離さないで」2010年イギリス映画 原題[Never Let Me Go]

酷く切なくて、救い難いほど空しい物語。
大抵、うっかり重い映画を観てしまった後は、鉛の塊を呑んでしまったようなこころ持ちがして
暫くどんよりとしてしまいがちなのだけれど、
この映画が後に重く残らずにすんだのは、「SFなんだから」と、気持ちを逃がすことができたからかも。

大勢の子どもたちが規則正しく暮らす1970年代の寄宿学校が物語の始まり。
きちんとした、どこにでもいる子どもたちに見えるけれど・・・。
皆、臓器移植のためだけに健康管理され育てられている、
はじめから親のいない作り出されたクローンの子どもたちなのだ。

大人になったら臓器提供が始まり、数度の提供で「コンプリート」、終了を迎える。

ニンゲンと同様に、もちろん感情もあるし恋もする・・・。
作られたクローンでも、魂を持つ人間と何ら変わらない。

そこでクローンたちが革命でも起こしたら、ありがちな単なるSF劇になるけれど、
ここでは、彼らは抵抗することなく従順に管理され、人間に臓器を提供をし、生を終える。
その静かに諦観する姿勢が、そこはかとなくもの悲しいのだ。

生きるとは。。。ひとの一生とは?

ひどく寂寥感の漂うストーリーだけれど、
透明感のある三人の主人公たちのピュアなこころに静かに胸を打たれる映画だ。

それにしても・・・。医療の進歩とともに、水面下で現実に起きていてもおかしくはないところがこの映画の怖さかも。

原作は、イギリス人作家・カズオ・イシグロ氏。
この映画のジャンルはなぜか、ラブ・ストーリー。
確かにそうなのだけれど、未成年がラブストーリーのつもりでうっかり気軽に観ちゃったらトラウマになっちゃいそうだ。
観るのに覚悟のいる映画です。。。






 


Ready-made

2012-01-27 | 展覧会・アート のこと


洗濯物を干そうとしていたら、傍でなにやらしゃべっていた長男が

「あ、待って。これオモシロイかも。」 と、手に持っていたトランプをおもむろに洗濯バサミに。
そしてケータイでカシャカシャと写真を撮り出した。

どれどれ。なるほど、オモシロイね。
つられて、わたしもカシャ。
こういう発想、キライじゃないよ。

しかしクールな息子、「ちょっと・・・違うな」と、すぐさまトランプを引き抜く。

・・・あ、違ったんすか。

あんた・・・、デュシャンか?

息子よ。
どこへゆく~?

     



 


スコセッシの [アフター・アワーズ]

2012-01-26 | 映画 のこと


アカデミー賞にノミネートされている巨匠マーティン・スコセッシの「ヒューゴの不思議な発明」
これ、面白そう。

スコセッシ監督の映画を全部観ているわけじゃないのだけれど、
3Dのファンタジー映画ってちょっとびっくり。

どうも、ニューヨークのイタリアン・マフィアもののイメージが強すぎるせいかな。
昨年観た、「ジョージ・ハリスン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」の時も、
監督がスコセッシだってことをすっかり忘れてしまうほどだった。

でも、実はスコセッシの作品で一本、とてもすきな映画がある。
80年代の「アフター・アワーズ」という、異色な巻き込まれ型のブラック・コメディ。
仕事帰りのある普通のサラリーマンがカフェで女性(ロザンナ・アークエット)と出会ったことから
次々に巻き込まれていく不条理なチェーン・リアクション。
ただ家に帰りたいだけなのに、どうしても帰れないという一夜を描いた映画。

ある本の、ウディ・アレンとの対談の中で、ご本人はこの映画を
「低予算・短期間で映画が作れるか試した作品。ゴタゴタのあった後に作った、恐ろしい代物」と、
あまり評価していなかったのがまた面白い。

何度観てもオモシロイ、このアイロニーに満ちたナンセンスな映画、眠れない深夜に観るには最高な映画だと思うワ。


同じく、今回のアカデミー賞にノミネートされている、現代のサイレント映画!「アーティスト」
これもすごく興味あるなあ。 
ぜひとも観に行きたいな~。

 

 


プカプカ

2012-01-24 | essay


ややこしいことは全部ごみ箱にポイ。
悲しいことは全部ハンカチに包んで引出しの奥に突っ込んじゃえ。
何もかも、なかったことに。。。

なあんて。 人生のリセットボタンは簡単には押せないよ。

あたらしい朝が、あたらしい「わたし」にしてくれるけれど
昨日も、一昨日も、半年前も、全部わたし。

誰でも、いろんなものがいっぱい詰まって今日の自分が出来上がっている。
ぱんぱんになり過ぎても、きっと良くないのね。

ほどほどに抜きながら、ゆるり、ゆるりと。
たまには、時間の河にプカプカと浮かんで、しあさってくらいまで流されちゃってもいいサ~。

泣いたり。怒ったり。怒ったり。泣いたり。 あれ?

笑ったり。笑ったり。笑ったり!! いろんなことあっても、笑うことを忘れちゃあいけないね。

人生のリセットボタンは持っていなくても、
ちょっとずつ、良い方向へ軌道修正はして行ける。
焦らず、自棄にならず、少しずつ。

もうあかん。って時には、「まあ、いっか~」って、アイスクリームでも一緒に食べようよ。 


 

 


ここのつ神話

2012-01-22 | essay



末っ子のムスメが10歳の誕生日を迎えた。
10歳というのは、特別な響きがあるね。

「ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・つがつくうちは、かみさまの子なのよ」

長男が小さい頃に、どこかのおばさんに教えられた言葉。
「つ」のつく、九つまでは神の子。10歳から、いよいよ人間の子になる、というもの。

聞いた時には、「へえ~」って思っただけだったけれど、
長男、次男の成長とともに、この説を実感。

子どもって、本当に10歳から人間くさくなる。

確固たる自我が芽生えてくる時期を、昔のひとはそういう言葉で表現したのね、きっと。

天使みたいにかわいいかわいい時間をたくさんくれた娘も、これから確実に人間らしくなっていくのだ。
母としては、ちょっとサミシイやら、頼もしいやら。

キラキラと眩しい十代に突入だー!
これから、いろんなことが待ち受けていることでしょう。
たのしいこと、うれしいこと、ツライことも、思うようにいかないこともね。
いろんなこと経験しながら、ゆっくりでいいから、強く優しい女性に成長していってね。

だんだん、この手を離してひとりで歩くようになっても、
お母ちゃんは、ずっとキミの一番のミカタです。 

ようこそ、ニンゲン界へ!?
10歳おめでとう!






「Crash And Burn」 Daryl Hall

2012-01-21 | MUSICのこと



ダリル・ホールのソロ・アルバム [Laughing Down Crying] の中の
「Crash And Burn」 すごくいいんだなあ。

初めは、あまりに歌詞が痛々しくてちょっと引いちゃっていたんだけれど、
聴けば聴くほど、ココロに沁みる・・・。

Maybe It's just my turn・・・ 

「今度は自分の番かも。」
時にはそう考えて、今をしっかり見据えて生きること。

何だかせつないけれど、そんな時間がほんの少しあってもいいかもね。


そして、この深い唄声・・・!
たくさんの人生経験と年齢を重ねたDaryl Hall ならでは、です。

 



真理と心理

2012-01-20 | essay



わたしは特定の信仰をもたないけれど、
「かみさま」は、いるような気がしている。

それは、こころの中にある、かたちのないもの。

比較宗教学を深く学んだ知人がいる。
そのひとの言うことには、どんな宗教でも突き詰めていけば、
総じて、この大きな宇宙対自分ってことになる・・・らしい。
よくわからないけれど、なんとなくぼんやりとだけ解るような気もする。

真理は自分の中にある。
そう言ったのは誰か有名なひとだったかな。

これまでの人生で、「答え」はいつでも結局自分の中にあったから、
個人的には、それは全うな言葉だと思うな。
もしかしたら、自分の中にあったように見えても、
さまざまな何ものかの力に導き出された「答え」なのかもしれないけれどね。

信仰・・・。
それによって、こころの安定が得られるのであればそれはそれで幸せなことだと思う。

最近、知り合いがとある信仰に入れ込んでしまってちょっと心配だ。 
彼女にとって、今はそれが全てなのであれば、誰にもどうすることもできない。

宗教はいつの時代でもムズカシイ問題だ。今も昔も、争いの根源にもなり得る。
それでも、どんな宗教であれ、「しあわせな世界」を目指している部分だけは少なくとも共通しているはずなんだよね。

宇宙と自分。自分の中の宇宙・・・う~ん、ムズカシイ。
あまりにも大きすぎて、わたしにはまだまだ遠くて掴めないな。

下界から、おつきさんを うっとり眺めてるくらいが、万年dreamerなわたしには丁度いいかな。



 


ニンゲンの都合

2012-01-19 | essay



こちら側は駐車場。

これって、明らかに人間のエゴ。半分だけボウズ。
駐車場が新たに作られて、際に立つこの木はこんなことに・・・。
木は黙って耐えているけれど。
なんだか、いやだ。ひどく屈辱的だ。

切り倒されなかっただけ幸運? 本当にそう?







ビフテキ

2012-01-18 | essay



子どもの頃は、ステーキを「ビフテキ」って呼んでいたよね?
大阪の子だったから?今はあまり聞かれないコトバだ。

肉食好きの次男が、美味しい本格的なステーキ屋さんに行って食べたいなあ、と言う。
そうねえ。食べたいねえ。

ステーキ店といえば・・・。
昔、よく食べに行った銀座の「スエヒロ」を思い出したよ。
もうかなり前に建て替えられてしまったけれど、昔、松坂屋の裏に「スエヒロ」って赤い看板のある古いビルがあった。
なんだか厳かなムードの漂うレトロな店内が、わたしはとってもすきだったんだ。

初めて入ったのは、有楽町にあったせんべいやのバイトの先輩に連れていってもらった時だから、19歳の頃。
広い店内。高い天井。大きな窓にはきれいなドレープ・レースのカーテン。
ヨーロッパっぽい白いテーブルクロス。。。
昔の映画に出てくるような、それまで入ったことのなかった、とても「きちんと感」のあるお店だった。

確か、夜でも1000円くらいで食べられるリーズナブルなステーキだったんだけれど、
なんだかとっても厳かさのあるレストランだったなあ。

ステーキを注文すると、なぜが食前酒ならぬグラス一杯の牛乳が出てくる。
この牛乳がこれまたなんだかおいしかったんだなあ。

このお店の佇まいがすきで、それから数年間、ビルの取り壊しが決まるまで
いろんなともだちを連れていったものだ。

「お会計」のコーナーに行くと、カウンターの向こう側にはなぜか事務服を着た事務的な
おばちゃんたちが5,6名もいて、そこだけ会社の経理課の一室みたいだったのが
またまた奇妙で、ちょっとフシギなお店だった。

地下には、同じ系列の別店舗が入っていて、
そこはアメリカンな感じの、なんとか牧場という名のカジュアルなハンバーグ店だったよね。


街には、今はもうない・・・ってお店や建物が多すぎるよねえ。
さみしいけれど、時代は流れているんだもの。仕方がない。

せめて、覚えている者が、時には今は無き建物やお店を懐かしんであげましょう


        



おみやげ事情

2012-01-17 | essay

いまどきの団体旅行のお土産事情って、びっくり!?

北海道へスキー合宿に行ってきた高一の息子。
なんと、行く前に業者さんから学校経由で「おみやげカタログ」なるものを配布されていた。
お土産選びの時間短縮と荷物軽減に、事前にFAXやネットでこ注文を!ということらしい。
ずらりと並ぶ銘菓の数々・・・。

あのお・・・それは、「おみやげ」と呼ぶの?通販というものではないのでしょうか・・・???

うちの男子には、もともとお菓子ひと箱くらいしか期待していないので、驚くやら笑っちゃうやらで、ごみ箱へポイ。

そんなものよりも!!
もし見かけたら買ってきて!と頼んだものは、木彫りのちいさなクマ。



この子らは、手前の二頭は小さい頃に父からもらった北海道土産。
奥の子は夫が昔バイク旅行に行ったときのもの。(たまたま同じもの!)

三世代並んだら面白いなあって思ったわけで。
けれども、「そんなん、なかったよ~。」 と代わりに選んでくれたのは・・・



うわあ。懐かしい。 昔、何故かどこの家にもよく飾ってあった木彫り熊の置物のミニチュア版。
ちゃんと手彫りのものみたい。なかなかかわいいよ。お目が高い!サンキュ~!

「かわいいストラップ買ってきてね」とカワイクお願いしていた、年の離れた妹に買ってきたものは・・・

 

ぎゃ~。
リアルでこわいし。

それでも、「口、閉じてればきっとかわいいね」 と、ひるまない娘。
普段ちっとも優しくないお兄ちゃんが買ってきてくれた、ってだけで彼女の宝物なのであった~。

シニカルな息子よ。それでも、ありがとさん!

で、彼が幼稚園のころに一度しか連れて行ったことのなかったスキー。
3泊4日、朝から晩までスキー尽くしのおかげで、とりあえず怪我もなくひとりで滑れるようになったらしい。

15歳最後のいい思い出になったかな~。

 


33年物のマクレガー

2012-01-15 | essay



北海道へ高校のスキー合宿に行っていた長男の荷物が宅配便で帰ってきた。

このバッグ、思えば長いことお世話になっているなあ、と改めて見入る。
子どもたちの学校での旅行の必需品。

でも遡ってみれば、そもそもわたしの姉が中三の時に、修学旅行用に父が買ってきたものなんだ。
恐るべし!なんと33年もの間、何人もの様々な行事のお供をしてくれたんだよね。

わたしが中学生の頃の京都・奈良にも、高校での広島・四国にも~。
姉、わたし、弟、しばらくとんで、うちの長男、次男。5人もの思い出が詰まっているんだな。
次は末娘の日光への修学旅行かな。

とてもシンプルな作りだけれど、大きさも手頃だし、ざぶざぶ洗っても大丈夫だし、
どこも破れたりしていないし、しっかり頑丈に作られているのね。

McGREGORさん、いい仕事していますねえ 

 

 


写真展「ストリート・ライフ」

2012-01-14 | 展覧会・アート のこと



東京都写真美術館。
ともだちのkさんと、いま開催中の「ストリート・ライフ」へ。 

1800年代後半~1900年代初頭のヨーロッパの古い街並み、そこで暮らすひとたち。
古い写真は、存在そのものも貴重な上に、かつての街並みや人々の暮らしがダイレクトに伝わってきて興味深い。

今はもうない建物。今はもういない人々。確かに存在した時間の切れ端。

7人の写真家によるイギリス・ドイツ・フランスのソーシャル・ドキュメンタリー写真。
それぞれにココロにぐいと突きつけられる何かがあるよねえ・・・。

[ジョン・トムソン]
 息づくロンドンの街を瞬間的に切り取った写真たち。タイム・トリップして、街を歩いて今見ているような気持ちにさせてくれる。

[トーマス・アナン]
 グラスゴーの古い貧困街・・・。陽の当たらない暗い路地。じめじめとした湿度まで伝わってきた。
 以前観た映画「アンジェラの灰」を思い出した・・・。あれはアイルランドの話だったと思うけれど同じ匂いがする。

[ビル・ブラント]
 急勾配の坂道の写真と、同じ屋根の並ぶ街の俯瞰撮りの写真が印象深かったな。
 どちらも、光と陰のコントラストがとても美しい。マン・レイの助手だったというのも、うなづけるなあ。

[ウジェーヌ・アジェ]
 趣のある建物のファサード。ガーゴイルが印象的。
 アール・デコ風の階段の写真の数々がとても好み~。

[ブラッサイ]
 霧に包まれた巴里の街がとても綺麗。パリでこんな霧に捲かれて歩いてみたいものだ。

[ハインリッヒ・ツィレ]
 薪拾いで生計を立てていたのか、薪で一杯の乳母車を運ぶ女性やこども・・・。実に重たそう。
 この西洋の古い乳母車には何故か昔からとてもこころ惹かれてしまう。
 以前パリかベルギーの何処かの街でだったか、こういうアンティークの乳母車を
 花でいっぱいの花かごにして通りにディスプレイしてあったお店を見かけた。
 以来、骨董市などでいい出逢いがないかなあと密かに探しているのだけれど、あっても高くてとても手が出ないんだなあ。

[アウグスト・ザンダー]
 さまざまなポートレート。仕事って、そしてお人柄って、撮るひとが撮るとちゃんと顔に出るんだねえ。
 様々な職業人のポートレートは面白かったな。
 ラストの「クビを切られた海員」のお気楽なスマイルには、やられました。
 この写真を最後の最後に持ってきたのがとっても粋です!

ストリート・ライフ・・・
現代と何かが違う、と感じるのは「通り」とヒトの一体感。
通りで商売をするたくさんのひと、ただ座っているひと、集っておしゃべりしているひと。
昔のひとは今よりももっとたくさんの時間を通りで過ごしていたのかもしれないね。

「広場」っていう文化を持つヨーロッパと、日本との違いってのもまた大きいに違いない。
ひとと街がとても密な関係に見えるんだなあ。

古い写真って、つくづく、深くておもしろい。

 (そうそう、写真の一枚にトマソン物件発見しちゃいました~!)


写真展「ストリート・ライフ」 東京都写真美術館にて 今月29日まで 



蝋梅の満月

2012-01-13 | essay


あたらしい春の兆し。

 

かわいい黄色の蝋梅。蝋梅はほとんどが「満月」って種類なのだそうだ。
もしかして、この真ん丸のかわいい蕾からついたのかな?



まだまだ寒い冬。
そして、いろんなことが まだまだ。

それでも季節は廻って、春の仕度はきちんと始まっています。





青空の月

2012-01-11 | essay




子どもの頃から、昼間の空に月を見つけると
何故かとても不思議なきもちになる。

昼間の地上が見てみたくて、雲のふりしてこっそり来たのかな?
 って考えたりしてた。
ファンタジ~な子どもだったものだなあ。

でも、今でも青空に こっそり浮かんでる月を見つけると
ちょっと嬉しかったりする。

ほんとはね、空ばっかり見ていないで
もっとちゃんと自分の足元見なきゃいけないって わかってるんだ。

現実を凝視したって、なるようにしかならない時だってあるもんだよ。
だから、ただ空を仰いで歩いてく。 あさっての方向へね。 てくてくてく。

そんな時期があってもいいんです。







 


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