時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

あめちゃん

2009-11-30 | essay
わたしの三分の一くらいは関西人。
関西弁のイントネーションは、もったいないことに
すっかり消えちゃったけれど、子どもの頃に覚えた名詞は
今もそのまま。
そこで気づいたのだけれど、関西のひとは
食べ物に敬意を表して(?)なのか、
食品に敬称をつけることが多いのだなあ。
「おまめさん」「あげさん」「おいもさん」「おかゆさん」
「あめちゃん」などなど。
一度そうやって覚えてしまうと、敬称を省いて呼ぶのは
たいへん無礼な気がして、今もそのままだ。

その反面、関東では行動に「お」を付けることが多く、
慣れるのには時間がかかった。「お着がえ」とかね。

狭い日本でもちっちゃいことがいろいろ違うのねえ。
それにしても、
なんで飴だけ「あめちゃん」なんだろ。
大きいおっさんが「あめちゃん」って言うのを
聞くとほのぼのしちゃう。かわいい


だいすきだった本

2009-11-29 | 本 のこと

神田の古書街で、なつかしい童話に出逢った!
小学校の4年生の頃に図書館から借りて読んだ本で、
すごくすきだったのに、肝心の本の題名を忘れちゃっていて、
いつかまた読みたいなあって思ってた。

「ぼくはネンディ」!マリア・コブナツカ作
ポーランドのお話だったんだ?
なにがそんなにすきだったか、というと
ねんどのお人形が意思を持って動きだしちゃうところ!

主人公のネンディは、トーシャという女の子が
図工の時間につくった小さいねんど人形。
トーシャはネンディをたいせつに筆箱に入れて学校に連れていく。
そのネンディが、身の回りに起きる出来事を彼の目線で綴っていく、
かわいらしくて温かい物語

イラストは、これまただいすきな山脇百合子さん。
あまりに可愛くて、自分でも本とそっくりに
油ねんどで作って机に飾っていた。
いつか動き出してくれるんじゃないか、
見てない時に遊んでるんじゃないかって
あの頃のわたしは本気で信じていたんだ~。かわいいね
こういう嬉しい出逢いがあるから古本屋さんってすきなんだ~。

もう一冊、つい手に取った本。
「子どもに聞かせる えらい人の話」
あまりにストレートな題名!!開いてみると、
いわゆる偉人だけでなく、有名無名のさまざまな人間の行いの
ヒューマニズム、隣人愛に重きを置いたこころ温まる逸話集。
ちょっとパラパラ立ち読みしただけで
危うくポロポロきちゃうところだった~。
これは自分も読みたい!子どもにも聞かせてあげよっと。
この本は昭和40年発行。イラストのちぎり絵も味がある~!

世の中にある数えきれない冊数の中で、
わたしの手の中にやってきた本たち。
これもひとつの縁なんだろうなあ。
これからどんな本と出逢うだろう??とても楽しみだ


とりめしぼん

2009-11-28 | essay
学生の頃、19歳の一年間は有楽町駅前の
交通会館B1に以前あったおせんべいやでアルバイト。

お茶の水の駅からあの頃と同じように乗り換えて有楽町へ。
その頃モノレール沿線で家族と暮らしていたので
学校帰りに途中下車して通っていた。
そのおせんべいやは、ショールーム的な店舗だったので、
お客様がじゃんじゃん来て忙しいわけでなく、
お茶をお出しして試食をしてもらいながら、
ゆっくり御買物をしていただく、というようなお店だった。

たいていバイトがふたり。すご~くヒマな日は
順番にこっそりプランタンや西銀をぷらぷらしちゃったり、
あの頃まだあった、そごう地下のパンプキンワッフルに
はまって、よくこっそり買いに行っては一緒に食べたりしていた。
(ごめんなさい!もう時効よねっ)

お昼は交通会館内の並びのお店から出前を運んでもらって
時々食べていた。
その時に一番だいすきだった、「とりめしぼん」さんのとりめし!

卒業して引っ越してからも何年かに一度は急に食べたくなる。
機会のある毎に寄らせてもらっていた。
子どもが生まれてからはなかなか食べに行けずにいたので、
10年以上振りくらいかな?久しぶりに思い立って寄ってみた。

あ~懐かしい味!変わらず美味しいわあ。
それになんといっても、あの地下街の昭和のままの店構え!
なあんにも変わっていない~!
変わらないものに出逢うとなんだかほっとするよ~
お店のおばあさんも、おじさんもお元気そうで嬉しかったなあ。
さすがに久しぶりすぎて、昔は覚えていてくれたおじさんにも
忘れられちゃっていたけど!
(老けてわからなかったのかも!?キャー

またいただきにお邪魔しま~す

なつかしい場所

2009-11-27 | essay
店も定休日だし、お天気もいいので
思い立って本を探しに神保町へ。
久しぶりなんだけれど、この町はいつ行っても
あまり変わっていなくてほっとする。
古い本に取り巻かれる狭いスペースに立つと
なんだかしあわせなんだ。
ずっと忘れていたけれど、小学生の頃は
将来図書館か本屋さんのひとになろうって
思っていたのだったよ。

ちょうどお昼前になったので、神保町にお勤めのともだちにメール。
もしつかまれば美味しいお店に連れてってもらおうって
思ったんだけど残念!つかまらず。
そりゃそうよね、思いつきばかりでごめんねっ、Kちゃん!

昔、明大の近くにあった英語の学校に通っていたので、
懐かしくなってお茶の水界隈をぶらぶら。
この辺の建物はすっかりにょきにょきと大きくなったものだ。

駅の近くにあった本屋さん。
店主のおじいさんの、眼鏡よりも飛び出してる白い眉毛が可笑しくて、
みんなでこっそりのぞいたりしていたっけ。
カールじいさんの空飛ぶ家のCMを見ていて、
あのおじいさん、お元気かなって思い出したんだ。
もう一度逢えたら嬉しかったんだけど、
あの本屋さんのあった場所は別の店になってしまっていた。

以前、丸善の向い辺りの地下に「青い鳥」という
昔ながらの珈琲屋があった。
サラリーマンのおじさんの隠れ家的なお店だったけれど、
そこのチーズケーキが美味しくて学校帰りによく食べに寄った。
そこも、もう影も形もなくなっちゃった。。。

古くからあるお店や建物がなくなるのは
とても寂しい。。。
変わらないものが見たくなって、ニコライ堂を仰ぎ見ながら駅へ。
ホームからは、18歳のわたしが見ていたのと同じ聖橋が
青空の下、堂々と頼もしく見えた。


秋の色

2009-11-26 | essay
 

                              

ニュースなどで、紅葉真っ盛りの京都や奈良の映像が流れる。
あ~行きたいなあっ。って思いつつ、
近所の公園に子どもとさんぽ。

ここも秋です。まっかっか!
夏には水遊びをする小川のそばのモミジ。
普段は誰も見上げない木なのに、期間限定のスターだね。
一本だけひと際赤く輝いてスポットライトを浴びるよう。
たくさんのひとがシャッターを切る。

ここへは、以前よく母と子どもたちと一緒におさんぽしに来たなあ。
子どもたちが競ってキレイな葉っぱをたくさん拾って、
ちーばあちゃんにプレゼントしていたっけ。
ここで写真を撮りながら、次男にそう話すと、
もう全然記憶にない。そうか、君はまだ園児だったわね。
子どもにはすごく前のことなのね。

おまけに「オレは過去のことは全部忘れるの!」だって。
クールな五年生だこと!
「オレは真赤のより、このいろんな色のモミジのほうがいいなあ。
赤にオレンジに黄色に緑!きれいでしょ?みんな分かってないなあ」
真赤なモミジに群がる人々を尻目に、ナマイキなことを抜かすやっちゃ。

寅年蠍座B型・・・気難しい真ん中っ子次男。
どんな青年になるのだろうねえ???
楽しみだ~。
   

クリスマスアルバム

2009-11-24 | MUSICのこと

クリスチャンではないのにおこがましいけれど、
やっぱりクリスマスシーズンのクリスマスソングは
なんだかウキウキする。

最近お気に入りのクリスマス・アルバムは
ダリル・ホール&ジョン・オーツの「Home for Christmas」!
2006年に発売されたこのCDは、クリスマスの定番曲を
彼ららしく、ソウルフルにアレンジ。
オリジナル曲も盛り込まれていて、聴き応えあり!
耳に心地よいのでBGMとしてもオススメ~

もう一枚、クリスマス前には聴きたくなるアルバムがある。
山下達郎の「Season's Greetings」
これは、クリスマスソングばかりでなく、
クリスマスに関係ないけれど、この季節に似合いそうな曲が集められている。
ご本人も「このアルバムはあくまで、クリスマスシーズンあるいは、
冬の季節向けに選曲されたアルバムという程度の広義なとらえ方で
お聴きいただければと思います。」と記している。

名曲「Christmas Eve」の英語バージョンも魅力的。
このCD、1993年の発売。
そうそう、結婚したてのクリスマスにうちで鍋パーティーをした時に、
仕事の先輩が手土産代りに持ってきてくれたCDなのだ~。
ついこの間って気がするのに、あれから16回目のクリスマス??
光陰矢の如し。。。

今年のイブも、夫は町内自警団の夜回りの予定が入っているし
子どもたちとクリスマスケーキを食べて、
サンタさんを待つこととなるでしょう


となりのタケシクン

2009-11-24 | essay
小学校3年生の終りに大阪から埼玉の新しい町に引っ越した。
そこは、まだ造成中の空き地もたくさん残る
いわゆる新興住宅地だった。
よその土地から移り住んだ人達ばかりだったので、
その一期生ともいうべき家族の大人たちは、
最初の1~2年、新しいコミュニティーを作ることに
熱を上げていた。
父は週末ごとに、近所のお父さんたちとテニスにソフト、
自治会館の建築計画と自治会作り。
母はご婦人の会合で、お茶に呼んだり呼ばれたりで、
ちょっと田舎のビバヒル!?みたいな日々だった。

必然的に子ども同士も仲良くなり、
学年を超えていつも一緒に遊ぶ仲間になった。
全員転校生でクラスにはまだ遠慮がある分、
この仲間同士では、いとこみたいに遠慮ナシだった。
その分、いろんなことを学んだ気がする。

ドラムカン、リカちゃん、ハンバーグ、タケシクン、
ユカリちゃん、アキラ(姉)ミノムシ(わたし)
だいたいこのメンバーで、たまに他の子も入れ替わり加わる。

空地だらけで、遊び場はふんだんにあったので
朝から夕方までいろんな遊びをしたなあ。
ロクムシやら、缶けりやら、崖の飛び降りっこやら。。。
チームに分かれる遊びの時は、大抵ドラムカンとタケシクンが
リーダーとなり、ひとりづづ欲しいメンバーを
引き抜いていくという方法で決めていた。
(今思えばシビアだわ~)

すばしっこい姉はいつも望まれてすぐ選ばれていたものの、
哀しいかな、足の遅いどんくさい女の子だったわたしは、
次々に選ばれたあとの残りカス。
10歳にして人生の厳しさを知る(?) 慣れっこだったけれど、
だんだん「どうせあたしなんか」ってなマイナス気分になり始めたころ、
ある日リーダーのタケシクンが一番に「ミノムシ!」と選んでくれた。
その時の嬉しかったこと!三つ年上のタケシクンが神様に見えた。
わたしがよっぽど嬉しそうにしていたからか、それ以来いつも
タケシクンはわたしを一番にチームに入れてくれるようになった。

彼は、実はひとの痛みには敏感なひとだったのだ。。。
彼のお母さんは二番目のお母さんで、まるでシンデレラの継母を
地でいくような怖いひとだった。
お父さんはいてもいないようなおとなしい人で人付き合いは好まず、
彼の家はお隣だったけれど特に交流もなかった。
お母さんがヒステリックに金切り声をあげて
タケシ!と叱る声は毎日よく聞こえてきた。
一番かわいそうだったのは、
彼だけ玄関からは決して入れてもらえず、
いつも裏の勝手口から出入りさせられていたこと。
子どもながらに、見ないふりをしていたけれど、
彼はどんなに寒い冬の日でも、遊んで帰った時は
裏口の外で服を脱ぎ、パンツ一枚の姿でバケツの水で
足を洗ってからでないと家に入れてもらえなかった。
今思えば、あれは十分虐待だったよね。。。
今さらながら、どんなに辛かっただろうと思う。

彼が中学生になって野球部に入ってからは
あまり一緒に遊べなくなってしまったけれど、
彼の一家が引っ越ししてしまうと聞いて、
ある日曜日に父がタケシクンを誘って、二子玉川園遊園地に
遊びに連れていってくれた。
兄妹のように楽しく遊んだ遊園地の一日。
礼儀正しい彼は遠慮がちにも、とっても楽しんでいた。
わたしは、父がこのままタケシクンをうちの子にしてくれたら
どんなにかいいのにと、こころの中で祈る思いだった。

真っ直ぐなきれいな瞳をしていたタケシクン。
きっと今もひとの痛みに気づく、やさしい大人になっているはず。

大人になってからも、こころがいじけてしまいそうな場面では、
いつもタケシクンを思い出す。
誰かが自分をたいせつにしてくれる、という安心感。
わたしもまた、誰かの力になれるんだ、という気持ち。
とてもたいせつなことをタケシクンは教えてくれた。
この思い出はわたしの一生の宝物。

だんだんみんな成長して、遊ばなくなったあの仲間たち。
自分の家も引っ越してしまって、もうあの町に行くこともないけれど、
今でも思い出すたびに、わたしのこころの中では
あの頃のあの仲間たちが元気に走り回っている。
たいせつな自由時間を一緒に過ごせて本当によかった!アリガトウ


まるちゃんの頃

2009-11-23 | essay
毎週子どもたちと一緒に「ちびまる子ちゃん」と
「サザエさん」を観る。
まるちゃんを観ていて、そうそう!って
懐かしく思うことがいっぱい。
著者のさくらももこさんとは同年代だから、
まさにまる子と同じ小学生時代を過ごしていたわけだ。
数珠玉を取りに行くエピソードも懐かしかったなあ。
大阪時代の家の横手に数珠玉の草が生えていて、
やはりわたしも、たくさんとって祖母にお手玉にしてもらった。
引っ越した後、数珠玉の季節になると、あの横手の数珠玉は
誰かが摘んでやっているのだろうか、と
子ども心に憂い、懐かしんだのを覚えている。

さすがに今の子どもが数珠玉を
摘んでいるのを見たことはないが、
まるちゃんを観ていて、あの頃の子ども時代と
現代の子どもの日常って、さほど違わないなあと気づいた。
電子的な物の発達の目まぐるしさはさて置いて、
それ以外の基本的な生活はあまり変わっていない。
わたしたちが子どもの頃は、親の子ども時代なんて
想像もできないほど掛け離れていたように感じたのは、
やはり戦中~戦後という激動の時代だったからなのだろうな。
学童疎開、食糧不足…なんて話、恐ろしくて想像を絶していたもの。

まるちゃんの時代から約30余年、経済的な波はあったにせよ、
やはり、ぬくぬくとした平和なニッポンなのだよなあ。
まるちゃんを観ながら、穏やかで平凡な平和のありがたみを
しみじみ噛みしめ、そしてちょっと平和ボケを憂う母なのであった。(つづく)?



母のビンテージ・コート

2009-11-22 | essay
母の遺品を整理した時に
見つけたネップツイードのコート。

広げてみるとなかなかレトロで可愛い。
洋裁店でオーダーメイドしたものらしい。
襟元の小さいタグには洋裁店の名前とTottoriの文字。
電話番号はなんと4桁だけ!
結婚するまで鳥取市で生まれ育った母。。。
これは母が20代の頃のもの??
母はなかなかのお洒落さんで、
仕立てのいいものを大事に長く着るひとだった。
20代の頃の服があってもちっとも不思議じゃない。
きっとたいせつな想い出があってしまい込んであったのだろう。
あの年代の女の人は割と皆そうなんじゃないかな。
そういえば、わたしがここに嫁いだ時にも、
義母が昔新婚旅行で被った帽子やバッグが出てきて驚いたっけ。

このコート、いつのものなのか知りたくなって
母の若い頃のアルバムを引っ張り出す。
わたしは母の昔のアルバムをみるのがとてもすきだった。
よく母の側で広げては、これ何歳?これ誰?と聞きながら
じっくり眺めていたものだ。
昔のアルバムはその装丁自体も凝っていて趣があり、
写真がとても貴重なものだったことを窺わせる。
久しぶりにアルバムを開いて娘にも見せると、
「若いちーばあちゃん、お母ちゃんとそっくり~」と驚く。
ホント、改めてみるとよく似ているわ。。。

何冊かめくって・・・みっけ
もちろんモノクロの写真だけれど、
このコートに間違いない!
側に昭和34年と書いてある。1959年かあ。
母21歳の着用写真だワ。ひえ~50年前のコートなのね。
晩年は小さいガリガリおばあちゃんになっていたけれど、
この頃は、ぱんぱんにまんまるの顔でにっこり。

このビンテージコート、羽織ってみたら、あら着れる!
娘も「かわいいヨかわいいヨ!」と乗せるもので、
短い袖丈だけ、なんとかほどいて少し長くしてみた。
表地と裏地をほどいた時、
中からポロポロと出てきたものは・・・
古い芝草???
若かりし日々、母が冬の芝生に寝転んではしゃいでいたのかな?
どんな想い出が詰まっているのだろう。
今となってはもう聞けないね、お母さん。
もっともっといろんな話を聞いてみたかったな。

このコートを着てさんぽしながら、娘とたくさん話をしようっ


コウモリの夕べ

2009-11-21 | essay
夕暮れの空にヒラヒラ舞うコウモリ。
コウモリって、暗い洞窟の中に住む吸血コウモリの
イメージがあるせいか、こんな街の中で
野生のコウモリが舞うのを見ると、
いつもとても不思議な気分になる。

先日娘と行った上野動物園。「夜の森」という薄暗い一角で、
オオコウモリを見た。これはまさにイメージ通りのコウモリだ。
街に飛ぶのより2~3倍はあり、逆さまにぶら下がるもの、
大きく翼を広げて舞うもの、かなりの数がいた。
そんな中、暗がりの地面を奇妙な姿で歩くコウモリが何匹も!
これにはびっくり。コウモリって歩くんですかい?
知らなかったなあ~~。
それに、頭の恰好だけ猿に近く、動物っていうより
ゴブリンみたい。不思議な生き物だなあ。
知らないことってまだまだたくさんたくさんあるんだよなあ。
ひとつ学びました~。

そういえば、長男が小学校高学年のころ、
遊んでいる公園が夕暮れて、コウモリが飛んでくると
よく帽子を空に放り投げてコウモリをおびき寄せていた。
帽子を獲物と思うのか、はたまた仲間と思うのか
本当にヒュ~と寄ってくるのだ。
それが高じて、彼は壊れた虫取り網の竹の棒を
二本つなげて長くし、先っちょに黒いビニールをひらひらと
結びつけたものを作って、コウモリが来る頃になると
棒を持って駆け回りコウモリと戯れていた。
彼は、そういう独創的なマイナーな遊びの天才。
すきなことには時間も労力も惜しまないってところ、
この先の人生できっと何かに活かせるよ!?

神出鬼没にヒラヒラ舞うコウモリ。
彼らがこうして舞っていられるように
街の中の小さな自然を守っていかなくちゃね。


映画「南極料理人」

2009-11-20 | 映画 のこと

川越スカラ座で「南極料理人」を観てきた。
いやあ~面白かったなあ。

南極の昭和基地からもっと山奥のドームふじ基地。
狭い限られた空間内で8人の男たちが暮らす物語。
なあんだか、たいへん過酷な日々なんだけど、
どこかほのぼのとした暮らし。
あのメンバーなら、ちょっと仲間に入ってみたいワ。
しかし、一年半は自信なし!3週間くらいなら!?

時代設定は1997年なので、ほんの少し遡っただけなのだけれど
インターネットやケータイ電話(通じないか)などが画面に
現れないってだけで、なんだかアナログ感があっていい。
こういうアナログな時代だから、より一体感が生まれるのかも。

主演の堺雅人の料理人振りが格好良かったなあ。
おにぎりさえ、手を伸ばしたいくらい美味しそうだった!
お料理担当が「かもめ食堂」と同じ人と知って、納得!!

邦画はあまり観に行くほうじゃないのだけれど、
邦画に詳しいともだちのkさん一推し邦画は、
ハズレなしに面白いのだ~
今回もkさんの呼びかけで、
ご近所のなかよし(飲みともだち?)5人、
日中なのに珍しく日程が合って、勢揃いで出掛けた。

この川越スカラ座、何度目かな。ここのムードだいすき。
たいへん貴重な、昔ながらの平な映画館。
一時は閉館したものを、地元の人々や有志の方々の働きかけで
復活が実現したものらしい。すばらしい!
川越ならでは!ここの町にはぴったりね。

この映画、すっとぼけた感じのテーマ音楽も
なんだかとってもここちよかったワ。
原作の「面白南極料理人」も読んでみたいな

kさん、またツアーよろしくね~♪


ジェイン・オースティンの世界

2009-11-19 | 本 のこと

ジェイン・オースティン。
世界で最初の女流作家といわれている。

いくつも映画化されているので、
その名は見聴きしていたのだけれど
最近までなぜか本を手にする機会がなかった。

たまたま昔の恩師のT.Teacherに薦められて
読んでみたら、すっかりはまってしまった。

「高慢と偏見」(Pride and Prejudice 1813年発行)
久しぶりに『読み終えたくない本』に出逢った~!
「説きふせられて」「エマ」と続けて読み、
今は、古本屋で見つけた「分別と多感」の真っただ中。

18世紀末頃の、田舎で暮らす中流階級の女性たちの
なんでもない日常がありのままに描かれている小説。
特に大事件が起こるわけでもないのに、どんどん先の展開が気になる。
限られた狭い世界の中での人間模様とままならぬ恋愛事情。
かといって、ドロドロメロドラマ的でなく、
考えさせられる場面や名言ともいえるセリフの数々がキラリと光る。
現代にも共通する恋愛観や人生観、とりわけ、あの時代らしからぬ
こころの強い、ちゃんと自己を持っている女性が描かれているところが
200年以上、読み続けられている理由なのかもしれない。

イギリスBBC1995年制作の「高慢と偏見」の長編ドラマも
先生がダビングしてくれて観てみたら、
これまた素晴らしく原作に忠実に作られていて、とても見応えがあった。
しかも主演はあのコリン・ファース!
「ブリジット・ジョーンズの日記」で出てきたダーシーは
「高慢と偏見」のミスター・ダーシーの半パロディーだったのね!
知らなかったなあ。ちょびっとファンだったので、
ますますファンになっちゃった。

オースティンは6冊の長編を書いている。
あと2冊、ぜひとも見つけて読んでみたい。

本の中をたおやかに流れる、永久不変な200年前の時間を
ゆったりと体感してみたい方には是非おススメ!


動物園の時間

2009-11-17 | essay
次男が習っている絵の教室の展覧会があって
上野に行ったついでに娘と久しぶりに動物園に入った。

こういう、ひとが大勢集まる場所って
いろんな人がいて、動物&人間ウォッチング!
初々しいかわいいカップルや
カメラが趣味の熟年ご夫婦。
子どもそっちのけで動物に夢中なお父さんや、
走り回る小さい子どもに動物を観るよう強要するお母さん、などなど。

「今の若い親は・・・!」なあんて言うほど
年をとってはいないけれど、「なんじゃ!?」って思うような
周りをまるで気にしない若いママが多いような気がする。

トラ舎のガラス張りのよく見える場所でのできごと。
ウロウロ歩くトラとふたりの幼い子どもさんを一緒にカメラに
収めたい若いお母さん。トラが近づくたびに
「ダメ!そっち見ちゃ!こっち見て!」とカメラを向かせる。
なぬ??そりゃ殺生ですがな。
トラが観たくて気もそぞろなのに一生懸命母の方を向いて
ピースしている幼いふたり。
何度も試みて、結局「あ~!もう!撮れなかったじゃない~」と
イラつくお母さん。。。
そりゃあね、来年の干支のトラと我が子のスリーショットを
年賀状のために撮りたかったのはよく分かるよ。
でもトラだって歩き回りたいし、子どもはトラが観たいんだよ~。
ガラス張りギリギリにトラが近づいて、皆が大興奮している時も
「もういい?もういい?」とカメラにピースしつづける幼い彼ら・・・。
それはあんまりだよお~。こっちまで泣きたい気持ち。
トラよりその子たちの顔ばっかり見ちゃった。

結構混雑している最前列を平気で長いこと占領しているのにもビックリ。
若いから?だけじゃないよね。
何だか哀しいできごとだったな。
わたしがあのお母さんの親くらいの年齢だったなら、
黙って見ていられずに、きっとそっと上手にたしなめていただろうな。
今のわたしに言われたらバツが悪いだろうな。。。って思って
その子どもらに(ワカルヨって気持ちを込めて)ニッコリと
笑いかけるだけにしておいた。

いろんなひとがいるなあ。
園内MAPを見ながら娘と「あれ~?ゾウさんどこだろね~?」って
つぶやいていたら、親切に教えてくださったお孫さん連れのおばあさん。
おみやげ店で、くまのぬいぐるみを抱きあげて愛おしそうに
見つめるおじさん。。。

暖かな秋の日の、日曜日の昼下がり。
それぞれの人生の、束の間の時間が交差する動物園。
たまにはこんなのんびりした時間もいいね。


くちぶえの思い出

2009-11-16 | essay
物ごころついた頃から
歌を歌うよりくちぶえを吹くほうがすき。

9歳くらいのころ、気分よく何かの歌をくちぶえで
吹いていたら・・・
その頃一緒に住み始めた、江戸っ子おばあちゃんが
「くちぶえは男が吹くもの。女の子が人前で
吹くのはみっともないよ」とひとこと。

え???そうなん???
そんなこと誰にも言われたことなかったよ。
そのたった一言はわたしにはかなりの衝撃だったみたいで、
以来気にするようになってしまい、
ひとりの時にだけ吹くようになった。

今でも料理をしている時と
お風呂に入っている時くらいかなあ。
気がついたら吹いている。

「Moon River」のメロディを知らずに吹いている時は黄色信号。
ちょっと気分がブルーな時に何故かでてくる曲なのだ~。

口笛といえば。。。
子どもの頃、父はわたしたち三人の子どもを、
それぞれ別のメロディの口笛で呼ぶのが慣わしだった。
父の口笛はよく響くので、どこに居ても聞こえる。
外で遊んでいるわたしたちを呼ぶ時も
デパートや遊園地の人混みにいる時も、あの口笛が聞こえると
すぐ飛んで行ったものだ。
父は「我ながらあれはいい考えだったな」って
最近になって満足気に言っていたけれど、
そういえば、大声を張り上げて遠くから名前を呼ばれた
記憶がないものね。合理的といえば合理的か?
それにしても、当時は全然滑稽に思いもせず、
自然なことだったのがコワイわあ。
まるでパブロフなみに仕込まれてしまっていたわけねえ。
やっぱり。。。変なオヤジ。

年をとるごとに、父に似ていると言われることが多くなって戸惑う。
う~~ん、あんまり光栄ではないが、
客観的にみれば、彼の自由な(セルフィッシュな!)生き方は
そうそうみんなが出来るわけではないし、
文化的ないい影響も与えてはくれたし、
まあ良しとするかな。。。!



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