janpal

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社会事にもたまには感想

2008-02-21 12:24:44 | 社会・経済
地方の再生も,海外の投資が日本の地方に関心を持ち,再生のプロセスにビジネスとしての魅力を感じる(願わくば共生として,それにも危険な罠があり得るという心配も分かる気がするが)ものがあるということが前提ということな訳だから,実際は,それをクイモノにするような政治・政策しかなされないということも考えられるわけだから,オンブズマンの役割も重要ということだと思うが.

バブル,株も土地もの連鎖崩壊も因果関係の説明抜きで,便乗議論やってるようなのは,総連系の回し者と言われて当たり前だと思うが,金子とか,桜井とか筑紫とか.マスメディアの朝鮮総連(というよりそういう体質)好きは細木数子(なんか政治家とかヤクザとかが裏でアピール演出してるということなのかい)と変わらないのではと思う.韓国と北朝鮮の国境付近でやってくれという感じもする.各メディアの総連好き経営者たちも.念のため,私は朝鮮人(この呼び名も歴史的経緯等でイメージが悪いのだそうだが,わたしはオヤジといってもそうゆう世代よりは若いので)自体は嫌いではない.好きとか嫌いとか言うほど知らないといこともあるが.政治利用だからあくまで言わせてもらうだけで.警察官僚が天下るのは,事務所の金庫から現金を抜かせるためとういうのと変わらない感じに見えるが,どうなんだろうねえ.

奇妙だと思うのは,確かに,これまでの政策や企業行動が,自己保身の押しつけであるということから,自己防衛的な意識もあるのかも知れないが,それにしてもガキちょん話が多すぎるのも,国会も含めて税泥根性のが幅を利かせて,悪事が進行しているということだろうか.ガキちょん便乗で,のぼせた風潮もあるようだが,その分,ヤクザや政治家の悪事もコストをかけずに処理できるのかも知れない.それで細木とかそっちの方に役立てればいいじゃないかという話なのだが.ガキちょんの遊びで負担だけ多くなるのもばかばかしい話じゃないか.チョンチョン系の弁護士議員とか知事とか,悪事隠しの芝居演出なのかね.もたれ合い便乗の.小泉はそういう面弱そうなやつだから,つけ入られやすかったわけだが,そこらが体質便乗的な小泉チルドレンとか,当時の大臣とか批判されてるということなんだろう.

政治家の若手も田舎的な選挙しめつけ,いかにもチョンスリ(チョンじみたごますり)のような,村議会の出納役とそれに群がる連中への飴落としやって,TVの時代劇的なドラマではないが,中曽根時代のとんちんかんばらまき体質をそのまま利用しよう的なのが,自民党でいうと古賀じみた感じの連中が多いんじゃないか?官僚の体質もそういう根がふかくあるから改まらない.意識がマザコンのガキチョンオヤジのが多いのではないか.そういうのは,政治家の器がそもそもないわけだから.勿論,そういうのだけじゃないとは思うが.ガキチョンがパパちゃん頼みで,金チョン親子のようなことやってるのまで気にかけてたら出来のいい連中はやりにくかろうとは思う.

チョンスポーツ,例えば星野がチョンヤクザの手玉のような,公平のため川口がション系の隠れミノ(南米系マフィア思い浮かべてしまった)のように,政治介入のチョンルートのような,それに腐れ者連中がぶら下がってるだけなのに,大した人物連中(風俗のコがシャネラー仕立てが多いのと同じ理由か)が多いものだとあきれるが.積金もそうゆう連中への餌やりでヤミに消えてるんじゃないのかと思うが,それを隠すために便乗議論にまぎれようというのが国会でも幅をきかせてるのじゃないか.そういう風潮は角栄以来というより明治以来だろうから,自民も民主もチョンヤクザともたれ合いの萎縮風潮を演出して政界自体を料亭政治化して悪事隠しできるのではとガキ並みのちえしぼってこの難しい国際状況をやり過ごそうという,見え透いただましやらずに,透明にことを検討すべきではないか.経済ヤクザ気取りも時勢に合わなくなってきたのじゃないか? 

そいうなかで,制度いじりの税泥もくろんでも,どうせ,ライブドアなら,沖縄でさされたらしい奴じゃなく,堀江のような立場で自分に銭にだけ残ればいいといったのが必ずいるだろう.そいう考えで,悪事の陰に隠れて画策するようなのが必ずいるだろうということ.そうみえてるということではないか.

 日本の歴史は,或る意味高度な連続性をもった歴史のように思うのだが,個人的な感想として.近代特に,日本の歴史には特異点の作用が顕著になって,それだけなら,非連続性の強い歴史ということになるが,不思議に日本の歴史には,その特異点を柔らかく包んで,核化学反応のアウトプットを制御するような指向性も無意識にかあるようにおもえるが(ソノ・ルミネッサンスとかもそうだろうか),そういう意味では連続的といえるのではという感想なのだが.後発的近代化や日本が列島国であるといった条件もあるからなのだろうか.古代では,「万葉の時代」とか「壬申の乱」とか,朝廷徴税体制の実質的な所有形態化とか.民衆史の謎なども含めて,そういう始動因のようなものがほの見える感じがしてる.いわゆる戦争などの闇や影の部分も大きいことは事実だから,現実の美化をもくろむものではないが.カタストロフの方(積極的な意味で)かも知れないが.沖縄戦の話題でも,妙に神経質な利権便乗議論との対抗構図てきなイメージが演出されているように見えるが,個人的には,軍人同士の殺し合いもあったとかなかったとかという話もきくようなことから考えても,素人感覚には,沖縄県民の抗議も当然だと思うが,逆に歴史を刹那主義的に改ざんしてまでやるような理由は何なのだろうか.

人間の制度は古代から,洋の東西を問わず揺れ動いているわけだし,20世紀以降特に,テクニカルな要素もバイアスして,制度機構を超えて動揺しているわけだから,その先鋭的な問題が,安易な制御構造を超えて展開されるわけだし,それは経済の機構にも内部化しながら,バブルが,あたかも核分裂のメカニズムをある種柔構造でつつんで核融合反応として,ブラックボックス的に実現するように(これはまあ説明のための喩えとして),大戦中また戦後の大変な課題として残っているわけだから.アメリカはヘゲモニー国家として,そういう問題に対してもリーダー国家として問われることになるから,アメリカの,例えば,遊休資本問題や,ファイナンス構造の変遷など,注視するのも当然だと思うが.

<駄川柳>
義理もウィスキボンボンもないバレンタイン





コメント
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