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古典と現代------歴史と論理の相互規定について考える

2015-02-22 12:58:29 | 数学・物理

 球座標 

  

 とおけば,だから,

   

 から,

         .

 

これは,デカルト座標系O-XYZの座標(x, y, z)と球座標(r, θ, φ)の間の関係であるが,(科学理論の)歴史と論理の間の,また経験と論理の間の相互規定を考える材料の一つであるということであるが,物理の古典理論の形成と,現代の理論の間の相互的な関係,古典理論の進展から生まれた量子論や相対論が,また,古典理論を基礎づけるという関係は,物理に限らず,生命現象や社会現象の解明を目指す理論にも共通するものなのだろう.古典理論の意義は,懐古的な安住とは程遠い,現在や未来との緊張関係であるということなのだろうが,同時にまた,経験的な確かさを与えるものでもあるということだろうと思う.

ユークリッドの数論も土地の面積を測るという実用的な問題と無関係だったのかとか,複素数も,x^2 + 1 = 0に解を持たせるために,虚数を導入したのは,カルダノで,オイラーがそれを正当な数として認めて虚数単位記号iを用い活用し, ガウスが複素数という名の名付け親で,複素平面もガウスの考案.現在では,実数全体の集合Rを複素数全体の集合Cの部分体として,a + biは単なる記号の形式的な表示から,体Cにおける演算とみなされることになる.というような,数学上の経緯も類似性を感じさせる.当然,コンピュータで数をどう扱うかという問題とも関連しているはずである.intとかdoubleとかfloatとか.floatや行列演算用のチップというのかモジュールというのかは別売り(今ならパソコンもう1台買える値段で)という昔ではないのだから,なおさらではなかろうか.

鏡の向こうの世界へたどり着くには,仮説的な定説を覆す果てしない旅が必要である,ということを,GPS付きの乗り物で誰でもできるようにするのがCAGE法の今後の課題であるらしいが,当面は,私には手が出ないお高い装置であるのだろう.誰でも買えるくらいの値段になるのは,ずーっと先のことだろうか.そこまで安くはならないということだろうか.ガン抑制遺伝子の発見物語で,Rb遺伝子(網膜芽細胞種の原因遺伝子となる抑制遺伝子)分離をめぐる話は,どうなのだろう.超電導の研究での捏造話も,もともと膜ができるものらしいから,それを応用しようとして,捏造研究ということになったのかもしれないが,紙一重ではなかろうか.科学研究だから,科学の立場で,審査するのは当然の手続きだろうけど,捏造より意味のない捏造騒ぎは,どういう背景なのだろうか.捏造であるかどうかは,科学自体の問題であって,政治や経済などとの関連は,迷路をめぐっていればいいだけの代物である.オバマやプーチン,あるいは,ビルゲーツがフェルマー予想を解いたといって,捏造でないということになっても,信じるものは誰もいない.政治家やお金持ちとして,科学に通じていて理解力があるという評価はあり得るかもしれないが.

 

・ベクトル a, b, cで,a + b = cとすれば,cの逆元-cが存在する. c + (-c) = c -c = 0, a + bを力の平行四辺形とみれば,大きさが同じで向きが逆の力が存在する.

 ・単位の大きさを持つ,OX, OY, OZに平行な単位ベクトルe_1, e_2, e_3をとることができるが,単位ベクトルは,自由ベクトルであるが,固定ベクトルとして扱っても支障がない.

 

[内積と外積]

 

 

[音と絵画と歴史]

歴史と論理の関係を考えるとき,絵画として流れる世界と音として流れる世界が,未分化なまま,音としての意味の現れとして,絵画としての意味の現れとして,戯れる風景の中に,自分がいることを感じることがある.生物の論理は,そのような戯れの中に意味を具象化する歴史のネットワークのような感じを受ける.作曲家や画家が,どういうモチーフで,メロディーや形象を得るのか,絵画の意味があって,メロディーにまとまるのか,メロディーが固まって,形に意味が宿るのか.色はどうなのか.物の配置はどうなのか.私自身の存在は,どう流れていくのか.ベートベンの伝記にある作曲スタイルや,ムンクの叫びなどをみると,芸術の世界には,そういう存在として流れる世界が立ち現れているのじゃないかと,考えたりする.科学の世界も,案外,芸術的な未分化な世界の立ち現れと無縁ではないように感じる.私自身の世界の中の他者として,どのようなシグナルが選択されるのか.数の体系とその妖精たちのコラボのように,音と絵画的な意味の戯れが,自分という存在自身の他者として立ち現れる世界を見ることなら,数学も視覚的なのだろう.見えることなく見,聞こえることなく聞く,存在の歩みや立ち止まりのようなものかもしれない.

 兄弟からは,「あんたは精神年齢が3歳児だ」という評価を受けたが,私の芸術的なセンスが分かりづらいのが原因だろうといっても,まったく承認する気配さえ見せない.あの芸術的な世界の親しみは,身内や肉親でも,他人には伝わりにくいもののようである.

しかし,芸術的世界の親和性が出現する機構は,細胞レベルでは,常時生じているのかもしれない.卵母細胞---卵黄膜(vitelline membrance)---卵胞細胞(→濾胞細胞(follicle cell))とか,胎児---胎盤---卵黄膜内胚葉とか,あるいは脳の仕組みとか,そのような親和性出現機構を示していないだろうか.

高木貞治の『解析概論』にある,4/3 < a < 4/3(4T/3<S<4T/3あるいは0<S-4T/3<0)なら,aは4/3 (Sは4T/3)以外の何物でもない,というような,厳密論証が,実数の連続性を示唆しているという,アルキメデスの求積法も,親和性出現機構の一つかもしれない.

親和性出現機構の数学での例は,「複素多様体の変形理論」などが挙げられるだろうか.出処を異にする指標が,不思議に親和性をもつということは,おそらく出処の違う音の発現と形の発現の親和性に通じているかもしれない.

自然が,時折,歴史の中に届けるものは,他者としての私の存在を共役させる,異質なものどうしの邂逅かもしれない.

虚数に限らず,物理量をベクトルで表すことも,瞬時に誰かがやっていそうに感じるが,実際には,なぜか,時を費やす逡巡があったらしい.それが意味のない足踏みだったのかどうかは,科学のその後が語ることなのだろう.我々の細胞も,語り始めているかもしれない.

音と形,これは,歴史と論理の相互規定を考える,私の一つの観点であるが,岩波現代物理学の基礎『古典物理学I』が,ネタ本である.ネタばらしである.つまり,湯川秀樹の執筆部分である.その私なりのアレンジである.しかし,小平邦彦の複素多様体の変形理論や,音楽や絵画などの芸術,生物特に細胞生物学の話題と結びついたのは収穫である.『不思議の国のアリス』はおとめぽくて,読んでないが,アリスの旅した世界にいけそうなことも収穫である.まあ,乙女が主人公の童話で,私が読んだのは,『一切れのパン』(『パンを踏んだ娘』という題だそうだが,子供の頃読んだときの題はそうだった気がする)だから.

 冗談ついでに,恐竜はなぜ鳥になったのか,カラスに聞いたら,カニ飛び歩きが歩きやすいからだそうである.斜に構えて,飛び歩きすることで,滞空感覚が遺伝子に伝わりやすかったのだそうである.飛べそうな気になったと先祖の記憶が言っていたらしい.そういう説があっても良さそうであるが,聞いたことないが、あるんだろうか.滞空しやすいという感覚が,どうやって鳥に進化したのだろうか.それとも,飛ぶつもりもなかったが、ミクロの世界の都合で、結果、鳥になったのだろうか.

細胞進化は,どういう文字盤になっているのかわからないが、細胞に訊くのが一番なようである.進化とは何か.この問いは,簡単には答えの得られない問題のようである.文字盤が流動化しながら,可触的に関与しているような感じである.ピカソやダリの絵画が細胞に溶け込んで時を刻めば,そんな感覚になるかもしれない.

細胞内に,ピカソやダリの絵画あるいはベートベンやモーツァルトの音楽が,顕微鏡などで確認できるかどうかはわからないが,「細胞は生体の構造的単位であるばかりでなく,代謝・生理・発生・分化・遺伝・進化などすべての生命現象の発現の場であることが実感されるようになった」(『岩波生物学辞典』)のである.

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STAP騒動とSTAP研究

2015-02-10 18:09:12 | 本と雑誌

理研本体のようにB級の研究しかできないところが,最前線の研究を行うようなときに,STAP騒動のようなことが起きやすい.大学でも,名の定まった隠居名誉教授を招き入れて,ご体裁保つようなところがあるわけだから,体裁と内実がチグハグなところも多いはずである.実質的な背任行為を行っているのは,理研やそこに巣食うご隠居連中ではないかと思ったりする.むしろ,科学研究の信頼を損ねて,科学の価値を,堕落した価値にすり替えているのは,そういう連中ではないかと思っている.そのうち,そうなるのではなかろうか.

まず,理研は研究内容について何も説明していないばかりでなく,自らの判断の妥当性も検討しようとする態度が見受けられない.もちろん,検証や再現実験をやらせたことはいいことだと思うが、更に、再々実験やるくらいの責任を果たさないようでは、科学的結果を評価するべきところとは認めがたい.ハーバードに丸投げではなく,ハーバードを問いただすような姿勢がなくてはいけない.堕落した科学お作法達者に科学はできない.

などというと,なんと不遜な言いぶりかというのもいるかもしれないが,そういう態度なのは,どちらの方なのだろうと思う.科学を科学と見ないのが幅をきかせているのじゃないかという疑念を生じるようなことが,この国の仕組みにはあるようである.気構えだけのばあさん達の圧力が強いのだろうか.男の私には,少し理解しがたいことがまかり通っている感じがしている.男であろうとしてるのか,形式張っているのか区別つき難く感じることが,たまに見受けられる.調査委員会の結果とて,理研は承認するにしてもしないにしても,科学としての判断はしてないじゃなかろうか.犯罪的なことは,犯人いるかどうかもわからないままなわけだから,どういうお作法が成り立つのだろうと思ったりする.思い込みやご都合のやらせ裁判を理研がやらされているということだろうか.器のないのが,科学や学問に押し付けだけは多いというのは,どっかの核実験体質に似ている感じを受ける.ババ爺が科学のお作法の基準なのだろうか.不思議でしょうがない.

私は,そもそも生物関係はグレーな分野という感じで,あまり関心なかった方だが,遺伝子だDNAだという話ぐらいで,ここに来て,ようやく生物系も日の当たる大道りを歩くようになった感じで,いいことだと思うのだが,相変わらず,隠居部屋学問のような感じの影響が大きいらしい.

私のような素人に言わせれば,STAP研究は,そりゃ,科学的にか学問的にか重要な結果になるような内容をもちうることに理解を示す専門家もいずに,少数のグループが勝手にやりたい放題な研究をやったなどいうことは,ありゃ面白いだろうけど,ありそうもないし,まして,作れるのは私だけだからと,小保方さんが実験女王気取るためにやったというのは,なおさら,ありえそうもないと感じるが,科学ジャーナリズムが理解力のないのを,あれこれ因縁つけながら場つなぎしていたのなら話は,一応,理解できるが,それは,科学を商売に利用するための手練手管だから,それはそれとして,理研の判断が,果たしてどういうものなのかについて,表面的なことばかりで,釈然としない.脱法的なゴリ押しを前提として,法的な体裁で悪意を行おうという体質と変わりない感じがする.そういうのを,隠居学者が利用してるのじゃないだろうかと疑う.

 

岩波『数学辞典』から,難しい積分方程式の解法の例をコピペしてみます.要は,初等積分の基本事項を使えば,意味が取れるという例を示そうという意図で,境界条件付き微分方程式を積分方程式に帰着する,多分,簡単な場合の例としてあげてあるのだろうということで(式の展開を一つ加えたが,説明からそういうことだろうということで),

積分を求めるには,理論はすごく難しい内容を持っているが,実際に解く際には,初等的な性質をうまく工夫するとかが有効なことが多い,と聞いた覚えがある.

先端の科学の事情を,社会に説明するには,そういう要点を得た説明を組み立てる,一手間をかけて欲しいものである.問題によって,難しかったり,案外簡単だったりすることもあるだろうが,社会への説明責任とはそういうことではないのだろうか.社会として,どういう連中を想定しているのだろうか.あんたは含まれてないとか言われそうではあるが.

 

とか.を適当に選んだとき, なら,は解だから.しかし境界条件を満たさない.しかし,含意は重要なのかもしれない.

 

STAP騒動は,ほとんど自己申告の内容を,一部のカルトもどきな連中が,誰からか知らないが情報渡されて、千葉大とか東大の薬物疑惑の隠れ蓑にするためにか,本当の研究不正であぐらかいていたような,文科省筋のパンフレット学者の目くらましで調子付いて,騒いだだけなのじゃなかろうか.吉村とか難波とかは,古い常識盾に,カルト担ぎで,カルトネットでもてはやされただけじゃなかろうか.何か,科学的な情報あっただろうか.その手のメディアは,もともとカルトチョンだから,嘘が混じっても垂れ流しだから,科学自体の問題には役に立たない.ジモンとかは,税の横流し業者もどきではなかろうか.税のネコババ癒着というのか.科学も廃れたものである.残念である.カルト勧誘に来ていたアル中のお姉ちゃんは元気だろうかと,懐かしく思い出す.カルトやめとけと,言っておけばよかったと,多少後悔する.

STAP騒動のように,紛らわしい騒動作りを,案外,あちこちで仕組んでいるようなのも,いまだ多いのではないかという気がしている.やらせ騒動作りといえば,総会屋などが思い浮かぶが、カルトと総会屋も根でつながっているのじゃなかろうか.

STAP研究としては,難しいことでつまづいても,躓くのは科学者であって、科学は頓着無く,歩いていくのだから,一息ついたら、科学として続ければよさそうに思うが,政治家にカルトもどきの文科族ぽいのでもいるのか,訳のわからん雰囲気なのか底意地の悪さなのか醸し出しているムラ的ヒスが幅きかせているようだから,困ったものである.そういう連中は,また,世間を悪事隠しに使おうとするに決まっている. 

 

 【エンハンサー(enhancer)とサイレンサー(silencer)】

隣接する遺伝子の転写を促進するDNA上の調整領域(シス作用エレメント)で,プロモータからの距離や位置(上流か,下流か)によってあまり影響を受けないものをいう.同様に,近傍遺伝子の転写を抑制する調整領域をサイレンサー(silencer)と呼ぶ.

特異的な塩基配列を認識してDNAに結合する転写活性化因子(transcriptional activator)結合部位がクラスターをなして存在する場合が多く,各結合部位単独ではエンハンサーの機能を果たさない.

クラスター(cluster, 群)は集団の要素の分布から類似の要素を集めた群にまとめたものとあるが,集団の要素という場合の要素とは,どういうものかとか,群にまとめるとはどういうことかとか,相同性と通じてないかとか,上流(upstream open reading frame, uORF)とか下流というのは,転写の開始位置からの非コード領域の位置関係らしいが,下流への影響とか, 数千塩基対離れた下流からの影響とか,理研の「FANTOM」がCAGE法で網羅的に解析した結果,エンハンサーの活性化が転写の先行イベントとして働くことを明らかにしたという,最近の記事が,関連が深そうである.STAP研究の調査委報告とかも.研究活動は,こういう具合につながっているのかなと思える,優れた例ではなかろうか.科学研究な訳だから,難しい研究の関連となると多忙を極めそうではあるが.STAP研究はその実態が歪曲されて,日本の科学ジャーナリズムなどでは,科学的でない話題先行でふざけすぎである.「FANTOMが明らかにしたSTAP原理の一端」とか名打つと,いちぶSTAP嫌い勢力なのかふざけ連中なのかが苦い顔するとか,あるんじゃなかろうか.FANTOMの研究もメディアは本当は理解できるのいないのを隠そうという,そういうのじゃなかろうか.FANTOMの結果は,生命現象の理解のための基盤になるようだから.

 

[memo]

 リプログラミング---全能性の組み替え

 要素と準同型

 

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生物学用語(5)

2015-02-04 12:45:06 | 本と雑誌

【エピジェネティックス(epigenetics)】DNAの塩基配列に変化を起こすことなく,DNA複製(DNA replication),細胞分裂を経て伝達される遺伝子機能の変化,ならびにその制御機構を研究する学問分野.発生機構や形質の変化の多くがDNA塩基配列に起因することが明らかにされる一方で,後天的にDNAメチル化やヒストン修飾などのクロマチンへの修飾を介した遺伝子発現制御により,遺伝情報が細胞分裂や,時には世代を越えて伝えられることが知られ,これらDNA塩基配列以外の遺伝情報をエピジェネティックスと限定的に呼ぶ慣例ができた.

読んだだけではよく分からないが、がん遺伝子とがん抑制遺伝子の発見物語のような感じだろうかと思う.ヘテロ接合性の消失(対立遺伝子の欠失)とか,正常細胞ががん細胞に変わっているわけだから,性染色体異常とか性染色体の不活性化とか関係するような,何らかの共通なものを持つ状態が生じるということはないのだろうか.生物は,複雑な仕組みで,互いに影響したり,変化を促進するものと,抑制するものの変異の集積が,シグナルとして,いろいろな機能に影響したり,例えば,消化・分解や運動や情報記憶などに,伝達されて,食べ物の好みの変化と平衡感覚や脳の機能への影響が同時に出てくるとか.こういうことも,エピジェネティックな見地となるのだろうか.小脳の大事な部分となる細胞をES細胞やiPS細胞から作ったというニュースもあったが,根本では繋がっている問題なのかもしれない.乱流を巧みに制御して,運河を維持しているような感じなのだろうか.未知なものは,決め手がよくわかりにくい.情報も錯綜するし、時間的な遅れも生じる.解釈の変転もよく起こる.例えば、胎児胎盤に寄与する細胞とかも、そういうものだろうか.ESだと双方には寄与しないらしいので、特殊なES細胞を作成することも、研究の一環となるのではなかろうか.そのような具体的な内容が、未だ語られることが少ない感じがする.大きなビジネスに直結するから、情報管制が敷かれていることが原因だろうか.知りたいという欲求と相反する,ビジネスの過剰な秘密主義は,軍事や医療関係の製薬会社などの方が当事者ではなかろうか.たいしてどうでもいいのに,ぶら下らなければカッコつかないのがメディア関係や担がれ学者ではなかろうか.

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