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抜粋し、もっと抜粋した

2017-10-15 12:20:55 | Weblog
廃炉にしても大量に残る「負の遺産」

 では、原子力を今すぐ止めらた全ての問題が解決するのでしょうか。実は、しません。
現在の科学では解決できない大きな「負の遺産」が残されることになります。それは放
射能で汚染された大量のゴミ、つまり「核のゴミ」です。

 原子力発電はすでに膨大な「核のゴミ」を生み出しています。まず、ウラン鉱山からウ
ランを掘ってくる段階でゴミが生まれます。次にウランの濃縮、加工の過程でもゴミが出
ます。さらに原子炉を動かせば、放射性物質を大量に含んだ使用済み核燃料が背負いきれ
ない負債となって出てきます。

 現在、あらゆるところに放射能のゴミが捨てられています。ウラン鉱山でも、精錬所で
も、濃縮・加工施設でも、原発そのものでも、そして再処理工場でも捨てられています。

 環境に捨ててしまっているこれら「核のゴミ」を真剣に始末しようとした時、どういう
作業が必要になるでしょうか。

 一番大きい問題は「廃炉」です。原子力発電所は「機械」ですから、何十年か動けば最
後には動かなくなります。原発自体が巨大な「核のゴミ」と化すわけです。これを未来に
わたってどう管理すればいいのかという問題が出てきますが、実のところさっぱり分かっ
ていません。「分からない」といっても現実に福島第一原発は廃炉になるわけですから、
全世界の叡智を集めてでもなんとかしなくてはならない。ですが、正直どうしればいいの
か、誰も明確な答えは持っていません。

 そこでまず分かりやすい問題から考えてみます。原子力発電所で毎日大量に生み出され
ている「低レベル放射性廃棄物」の問題です。これは放射能の汚染度合いがそれほど高くな
いゴミのことで、放射性物質が付着してしまった使用済みペーパータオル、作業着などが
例としてあげられるでしょう。1年間原発を動かすとこの「低レベル放射性廃棄物」がド
ラム缶で約1000本出ます。

 1980年の時点でそれらのドラム缶は約25万本。それぞれの原発敷地の中にドラム缶
置き場があって、低レベル放射性廃棄物はそこで保管されていました。それでは原発の置
き場に何万本分のキャパシティがあったかというと、1980年の段階で30万本程度でし
た。

 その後、ドラム缶はだんだん増えてきます。電力会社はそれに合わせて置き場を増設し
ていきました。しかし、いくら造ったところでゴミは止まることなく出てきます。

 そこで気づいたんです。「いずれこれは破綻してしまう」ということに。というわけで、
燃やしてしまうことにしました。一度ドラム缶に詰めた放射能のゴミを、ふたを開けて引
きずり出してきて、灰にして量を減らすというわけです。

 そうやって、すでに何十万本分ものドラム缶を減らしました。ところが、それでもドラ
ム缶はどんどんどんどん容赦なく増えていきます。2005年の段階でとうとう70万本に
達するドラム缶ができてしまいました。

 「これはもうダメだ」ということで、六ヶ所村に押し付けることにしました。すでに20万
本近いドラム缶が六ヶ所村に送られています。

 六ヶ所村では、地面に穴を掘ってその中にコンクリートのドラム缶置き場を造りました。
その中にドラム缶をどんどん並べて、いっぱいになったら上からコンクリートでふたをし
て、まわりを粘土で固めて、上から土をかぶせます。そうやってコンクリートの建物をど
んどん埋めていくことにしました。

 しかし、ご存知の通りドラム缶は鉄でできています。そこら辺に置いておいたら、1
年もたてば錆びてボロボロです。ドラム缶置き場は地下にありますから、ものすごく湿度
の高い環境にあるわけで、非常に簡単にドラム缶に穴が開いてしまいます。放っておけば
放射能が漏れ出てくるので、脇に「点検路」を作ってずっと監視することになっています。

 それでは「いったい何年間監視するつもりか」と聞いてみると、なんと300年だそう
です。300年間監視し続けて、漏れてきたらそれを押さえ込んで・・・という作業をやり
続けていけば、やがて放射能は少しずつ減ってくれるから「なんとかなるだろう」という
のが政府の説明です。

 100万年の管理が必要な高レベル放射性廃棄物

 それでは「高レベル放射性廃棄物」はどうでしょうか。高レベル放射性廃棄物というの
は、使用済み核燃料を再処理してウランとプルトニウムを取り出した後の残りかすのこと
を言います。これらは「超ウラン元素」と呼ばれる核分裂生成物を含む、きわめて強い放
射能の塊です。

 私たちが原子力発電に手を染めてしまった以上、必ず「死の灰」の後始末という仕事が
最後に残ります。今まで多くの研究者がなんとか「死の灰」を無害化できないかと、必死
の研究を続けてきました。できなければ大変なことになることを、みんなが分かっていた
のです。しかし残念なことに人間はその力をいまだに持っていません。

 どうしようもないから、政府は高レベル放射性廃棄物を「ガラス固化体」に固めて地面に
埋めてしまうことを考えています。地上に廃棄物の受け入れ施設を造って、300~1
00mの深い縦穴を掘ります。その底にさらに横穴を掘って、そこに埋めてしまうのです。

 今、こういう廃棄物埋め捨て地の引き受け先を探しています。調査を受け入れたら20
億円支払うという条件を付けたので、赤字に苦しむ各地の小さな自治体が手を挙げかけて
いるところです。しかし、それぞれの地域の住民たちが必死の抵抗をしていて、どこにで
きるかはまだ決まっていません。でも日本政府は「やるしかない」と言っている。

 それでは、その自治体の住民は何年この放射性廃棄物と付き合っていかなくてはならな
いのかというと、何と100万年だそうです。


「核のゴミ」は誰にも管理できない


 日本が原子力発電をはじめてから、まだ45年しか経っていません。原発を動かしてきた
のは、東京電力、関西電力、などの9つの電力会社が中心です。これらの電力会社は戦後に
できました。1951年のことですから、いまだに60年の歴史しか持っていないのです。
日本の家庭で電気が使えるようになってから、125年。それなのに低レベル放射性廃棄
物は「300年間お守りをする」などという約束をしている。

 でも、300年先の世界なんて、想像できますか?

 今から300年前は、忠臣蔵の討ち入りの時代です。その時代に生きていた人たちは、
「300年後の日本人がどんな生活をしているか」なんて想像できません。

 300年後には電力会社はなくなっているかもしれません。民主党や自民党もないでし
ょう。たった60年の歴史しかもっていない会社が原子力を推進して「死の灰」を生み出し、
それを300年間管理するなんてことが、本当に約束できるのでしょうか。当然、電力会
社は「一企業の時間の長さからすれば300年は長すぎるから、国が責任を持ってくれ」
と言っています。そりゃあ、そうだろうと思います。電力会社が責任を取れる道理がない。
そこで政府は「よし、じゃあ放射能のゴミは国で責任をもってやろう」と言っているわけです。

 ただし、政府にもその責任は取れないでしょう。日本という国は、明治維新が起きてか
らようやく近代国家になったといいます。それより前は「士農工商」の世界で、侍は刀を
持ってちょんまげを結っていました。それからまだ143年しか経っていません。米国の
歴史はわずかに235年です。日本や米国という国すら存続しているかどうか分からない
未来まで、放射能のゴミをどうやって責任をもって管理していくというのでしょうか。ま
してや、高レベル放射性廃棄物を管理する100万年という時間は、何をどう考えていい
のか分からないほどです。

 このような途方もない作業にかかるエネルギーは、原子力発電で得たエネルギーをはる
かに上回ってしまうでしょう。二酸化炭素の放出も膨大になるでしょう。なにより、見知
らぬ子孫たちが100万年間汚染の危険を背負いながら、また膨大なコストを支払い続け
ながら、「核のゴミ」を監視しなくてはならないのです。

 はるか未来の子孫に全ての負債を押し付けることで原子力発電が成り立っているという
ことだけは、忘れないでいただきたいと思います。


何よりも必要なのはエネルギー消費を抑えること


 私たち人類がエネルギーをたくさん使うようになったのは、18世紀から19世紀はじめ
にかけて「産業革命」が起きてからのことです。中でもジェームス・ワットが蒸気機関の
改良に成功したことは、人間の生活を劇的に変えました。それまで動力源として使ってい
た家畜も奴隷ももういらない。「湯気」さえ起こせば機械が動くということで、膨大なエ
ネルギーを使いながら生きていくようになったのです。やがてその中に電気も不可欠なも
のとして加わっていきます。

 産業革命が起きたのは今から200年前です。地球の歴史46億年を1年に縮めると、産
業革命が起きたのは大みそか12月31日の11時59分59秒です。地球という星から見れば刹那
的ともいえるくらいのわずかな時間の中で、私たち人間は急激に今のような"便利な"生
活をするようになりました。

 産業革命以降の200年で私たちが使ったエネルギーはどのくらいの量でしょうか。
人類という生き物が地球上に誕生したのは、400万年前と言われています。その400
万年で人間が使ったエネルギーの総量のうち、産業革命以降の200年間で消費された分
は全体の6割を超えます。

 そして私たちは「便利な生活を維持したい」という一念に駆られて、原子力発電という
人間の能力では処理しきれない技術を進めるようになりました。福島の事故は、それがい
かに恐ろしいことなのかを見せつけてくれています。

 今後、私たちは日常的に無意識に使っているエネルギーが本当に必要かどうかを真剣に
考え、エネルギーを浪費する生活を改めざるをえなくなるでしょう。

 いったい、私たちはどれほどのものに囲まれて生きれば幸せといえるのでしょうか。人
工衛星から夜の地球を見てみると、日本は不夜城のごとく煌々と夜の闇に浮かび上がりま
す。建物に入ろうとすれば自動ドアが開き、人々は階段ではなくエスカレーターやエレベ
ーターに群がります。冷房をきかせて、夏だというのに長袖のスーツで働きます。そして、
電気をふんだんに投入して作られる野菜や果物が、季節感のなくなった食卓を彩ります。

 日本を含め「先進国」と自称している国々の人間が、生きることに関係のないエネルギ
ーを膨大に消費する一方で、生きるために必要最低限のエネルギーすら使えない人々も存
在しています。

 残念ではありますが、人間とは愚かにも欲深い生き物のようです。豊かさや便利さを追
い求めながら、地球温暖化、大気・海洋汚染、森林破壊、酸性雨、砂漠化、産業・生活廃
棄物、環境ホルモン、放射能汚染、さらには貧困、戦争など、多くの"人災"を引き起こ
して地球の生命環境を破壊しています。種としての人類が生き延びることに価値があるか
どうかは、私には分かりません。

 しかし、もし安全な地球環境を子どもや孫に引き渡したいのであれば、その道はただ一
つ。「知足」しかありません。代替エネルギーを開発することも大事ですが、まずはエネ
ルギー消費の抑制にこそ目を向けなければなりません。

 一度手に入れてしまった贅沢な生活を棄てるには、苦痛が伴う場合もあるでしょう。こ
れまで当然とされてきた浪費社会の価値観を変えるには長い時間がかかります。しかし、
世界全体が持続的に平和に暮らす道がそれしかないとすれば、私たちが人類としての新た
な叡智を手に入れる以外にありません。






政治を私物化し、国民の生命と人権を踏みにじり、事実を嘘で隠蔽する
現政権や維新や希望といった似非野党(第二自民)に政治を任せるわけには
いかない。







原発廃炉で作業員をヒバクさせず、ほかの土地も汚染させず、コストも極力抑える方法

http://blog.goo.ne.jp/jannmu/e/de00fd51472116f0c510368dba422ef6


8,000ベクレルの除染土、全国バラ撒き
http://tanakaryusaku.jp/2016/05/00013533




記者会見「『衆議院総選挙での立憲勢力の前進を求める』京都の大学人の声明」 について

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/399937



小池百合子東京都知事・希望の党代表が「柏崎刈羽原発」「希望の党の公約」について問われ「原子力規制委員会の判断は尊重」「憲法改正は9条だけではない」

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/400108



「この解散は『モリカケ隠し』解散だ」~森友・加計問題を総選挙の争点とすべく、市民団体が文科省に要望書を提出!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/399697



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