かわうそチリ日記

チリの山暮らしや、旅日記。

ボルソンへ

2015-09-24 22:15:05 | 旅行
9月18日は、チリの独立記念日。9月に入る前から街では国旗が売られ、人々がウキウキしだす。18日は、家族で集まってエンパナーダや、バーベキューをして、ワインをたらふく飲むのがチリ流だ。
大学は、一週間の休みになるのが恒例だが、今年は前期にストライキがあり、後期の開始が遅れた為、一週間の休みがない。でも、5日間休みだったので、またアルゼンチンのペデロのうちへ行ってきた。
18日のお祭りにアルゼンチンへ行くのも4回目。今年は例年より雪が残るアンデス山脈を突っ切ってアルゼンチン側へ入る。天気はすこぶる良くて気持ちが良い。
ペデロはついこの間うちに来たのでちっとも久しぶりではないが、いつも通り歓迎してくれた。生まれたばかりの子羊がかわいい。
天気もすこぶる良い。ボルソンの山々はまだ上の方は真っ白だが、強くなった日差しは春が来たことを教えてくれる。

ペデロのうちから6キロくらい?離れたところにある、日本人夫婦Tさんのお宅へおじゃました。Tさんのうちに伺うのは、ボルソンへ行く一番の楽しみだ。彼らも山暮らしで、味噌、豆腐を売って生計を立てている。麹や味噌の作り方を教わったり、マンガのデータをコピーしてもらったり、おしゃべりして過ごすのが通例だが、素晴らしいのは、それだけではなくて、超ヘルシーデータ美味しい日本食、早寝早起きの生活だ。ご夫婦と居ると、私は自分が日本人というより、同じ民族の人と一緒に居るような安らぎを感じる。至ってシンプルな暮らしの中で、工夫を凝らして創ってきた日本人らしいTさんご夫婦の暮らしの中におじゃまするのが、私は大好きだ。
さて、今回は前から楽しみにしていたイベントがあった。それは、餅つき!!Tさんの御歳85才のお父さんが日本から遊びに来ていて、皆んなで餅つきをしようということになったのだ。Tさんのお父さんは腕の良い本物の日本の大工さんで、前に滞在されたときに、杵と臼を作られたので、それを使って餅つきをするのを、一度してみたいと思っていた。
ペデロとチュースもやって来て、餅をついた。
久しぶりの餅、そしてつきたてのお餅はやっぱりとっても美味しかった。

翌日はペデロのうちに友達が来て、バーベキュー。ペデロの上の娘と孫もやってきた。もう10回くらいペデロのうち日本のおじゃましているが、ペデロの子供四人が全員揃ったのは初めて見た、と言ったら、確かにそうだ、皆んなで揃うことはあんまりないなあ、というので、記念写真を撮った。十数年前、ペデロの奥さんが急逝して以来ペデロは男手ひとつで子供四人を育てて来た。チュースによると、石細工職人として働きながら、オーガニック自家栽培の食べ物を食べさせ、子供を学校にやって、家のことも全部やる。2000年のアルゼンチンの経済危機から逃れて、当時はスペインに住んでいたので、数年に一度は今住んでいるアルゼンチンの家の様子を見に行ったり、と、チュースも目をみはる忙しさだったらしい。そんな中、長男長女は、不良っぽくなり、高校を卒業しないという、事態に。
ペデロとの大げんかの末、彼がスペインからアルゼンチンに戻る時には、バレンはスペインのチュースの元に残ることに。
そんな経緯があったので、四人の子供たちが、みんなペデロのうちに集まるというのは、なかなか感動的なことだったのだ。

バレンがペデロとの関係を回復させたので、これからはもっとそういう機会が増えるかもしれない。でも、12月に高校を卒業する次男のタリックは、別の土地に進学しそうだし、次女のアヌイは、大学は、祖母のいるスペインに行きたいと言っているから、やっぱり、こんなふうにみんなが揃うことはないのかもしれない。

まあ、なにはともあれ、バーベキューはとっても美味しかった。ペデロのうちのご飯はやっぱりとても美味しいのだった。



7人の来客

2015-09-17 13:05:01 | 日記
3週間前の話になるけど、うちに7人のお客が来た。まず、アルゼンチンからチュースの親友ペデロと、彼の長男バレン26歳、次女アヌイ14歳、バレンの彼女と、彼女の赤ちゃんの計5人が、木曜日の夜到着。ペデロとアヌイは、もう5回くらい来ているが、バレンは初めてだ。というのも、バレンは長い間父親のペデロとの関係がものすごく悪かったのだ。バレンの10年以上にも渡る反抗期?はペデロを苦しめ、見兼ねたチュースが、三年くらいバレンを預かった程。その暗黒の時代が終わって一緒にチリに遊びに来れる程になったことは、ものすごく喜ばしい。
なので、今回は仲睦まじく家族旅行を楽しみに来たのかな?と思ったら、バレンはいきなり、知り合って間もないシングルマザーの彼女と赤ちゃんを連れてきた!
彼女は18歳で、赤ちゃんは8ヶ月、、、。赤ちゃんの父親も10代で、彼女が妊娠数ヶ月の時に、すでに別れてしまったらしい。
うむ…。
そんなことはよくあるのが南米大陸。
彼女に、堕胎することは考えなかったの?と聞いたら、一瞬たりとも考えなかったよーと笑う。
話を聞くと、彼女の妹は15で子供を産んでいるというし、彼女の母親の年を聞くと、37歳ということで、彼女自身も母親が10代の時に生まれているし、父親と一緒に住んだ経験がないのだ。
なんと!そりゃ、堕胎を考えるわけない。一般的な家族像を持っていない彼女は、子供は自分が育てるもので、シングルマザーをすることも当たり前。
さて、彼氏であるバレン。前に付き合っていた彼女もシングルマザーだったので、赤ちゃんのお世話は慣れている。
ペデロの長女もシングルマザーで、ペデロの家に住んでいた時間が長かったので、14歳のアヌイも赤ちゃんのお世話は慣れたもの。
チュースは赤ちゃんから年寄りから動物から外国人までありとあらゆる生き物の世話が上手なので、結局、いきなりやってきた8ヶ月の赤ちゃんと一緒にいることにびびったのは、私だけだったという、、、。
この時点で、もう、好きにしてくれよモードになった私。翌日朝から仕事に行って、帰ってきたらなんと、客が増えていた!
ペデロの友達のパブロと、奥さんのベレンだ。パブロとベレンは今南米大陸横断旅行の最中で、ペデロの家に泊まって、それからチリ側に抜けて、うちの街にやってきた。前から連絡はとっていて、遊びに来ることにはなっていたのだが、ちょうど、ペデロ達の行程と重なってしまったというわけだ。
うむ…。
うちの総面積は、一階、二階とも24㎡、部屋はなくて、リビングダイニングと、二階の寝室があるだけ。2階の寝室を仕切ってお客様部屋にする計画は、大工チュースの優先順位が低いため、まだ実行されていない。通常、お客さんは、リビングダイニングの一角に泊まってもらうか、二階の隅っこに寝てもらうのだが、7人も客が泊まるのは初めてだ。
ペデロに会いにビクトルや、カロルたちもやってきた。お客好きのチュースは、上機嫌で自家製のビールを次々と出してきて、大宴会が行われた。
チュースのビールはアルコール度が8度と強く、それを飲み続けた人々は皆酔っ払い!特にチュースは酔っ払い過ぎて、夜中にトイレへ誘導しなければならない始末に、、、。
うむ…。

土曜日は皆でバルディビアへ買い物。ペデロのチリ訪問の目的の一つは鍋とやかんと、お皿とアヌイの靴を買うこと。日常品がものすごく高いアルゼンチン。これらの買い物をチリですれば、その差額で交通費が出るという。日曜日はビクトルの家へ。私は行かずに家で留守番。ようやく訪れた一人の静けさを楽しみ、家を片付け、カロルたちと映画をみた。

7人の客に私とチュースで食卓は9人。夜は下に2人、上に7人が川の字で寝る感じ。それで週末が過ぎた。
月曜日、ペデロ達は帰途についた。パブロとベレンは、ビクトルのうちへ車を修理しに行き、月曜、火曜日の夜はお客なしで過ぎた。
水曜日、パブロとベレンが帰ってきた。
パブロはブラジル人とコロンビア人のハーフで、ペデロが若き頃のヒッピー友達の息子だ。子供の時はヒッピーの母に連れられてペデロの家の側に住んだこともあり、ペデロにとっては懐かしい人物。33歳になった友達の息子と酒を飲む、というのはペデロにとって嬉しいことだっただろう。
その後パブロはお母さんとブラジルの田舎に住んでいて、12歳になるまで学校へ行ったことがなかったという。勉強は母に教わり、おもちゃがなかったから自分で作り、子供の時は電気なしガスなし生活をしていたという。12歳の時、ふと学校に行きたいと思い、お母さんに言ったら、勝手に行けば、と言われ、13キロの道のりを近所のおばちゃんに乗せてもらってたどり着いた学校。校長先生に、親は?と聞かれ、来ません。僕は一人で来ました、と言ったら、親と話さないとまずいねえと、言われ、でも、僕の母は絶対に来ません、と説明すると、翌日校長自ら、パブロのうちまで母親面談に行ってくれ、ようやく学校に入れることになったらしい。
その後ヨーロッパへ渡った母親にくっついてスペインへ。23歳にして中古車の輸入会社を作ったり、ドイツへ留学したり、大企業で働いたり。そんな彼はとても頭がいい。小学校へ行かなかったことの影響は全くないようだ。語学は母国語のポルトガル語に、スペイン語、英語、ドイツ語を流暢に話し、インターネットの知識に富む一方で、チュースのように、ナタを使って自然の中で必要なものを集めてくることができるし、山登りからサーフィンまで自然の中で楽しむことができるマルチな男。
一方で、奥さんのベレンはマドリードで銀行にお勤めだった育ちの良いお嬢さんだ。彼らはパブロが21、ベレンが18の、12年前から一緒にいて、4年前に結婚したという。パブロのヒッピー環境からは想像もつかない真っ当な結婚式が行われたというのは、ひとえにベレンの希望によるもの。
そんなかなり違う環境の中で育った2人だが、2人はものすごく仲が良い。12年も前から一緒にいるのに、できたてのカップルのようだ。お互いが惚れ抜いている感じで、自然に湧いてくる思いやりにあふれたやり取りは、見ている者を爽やかな気分にさせる。こんなカップルを見たのは初めてだ!
で、そんな2人が旅に出たきっかけは、マドリードでの仕事が忙しすぎて、何のために生きているのかわからないと思えてきたかららしい。一般的な社会とは違う価値観の中で育ったパブロは、世間にまみれ、ヒッピー友達だけでなく、一般的な友達をも持ち、会社員としてお金を貯め、結婚もし、マンションを買ってローンを払うという暮らしを続ける中で、全然違う風景を見て、かつての友達や住んだ場所を訪ねる旅に出たいと思った。それに同意したベレンと、お金を貯め、会社を辞めて、ブラジルに渡り、車を買ったのが2月のこと。それから半年、ブラジル、ウルグアイ、アルゼンチン、チリと車を走らせ、最終目的地はカリフォルニア、あわよくば、アラスカ。途中、コロンビアに住んでいる父親に会うのも旅の目的の一つらしい。いろんな所に行き、住みたい場所を探すのも旅の目的の一つ。

そんな2人とチュースと、温泉、そしてサンティアゴまで行ってきた。彼らの車は荷台の大きいトヨタの四駆で、後部座席も旅の荷物でいっぱいだったが、ビクトルのうちでの改造によって、効率的に空間が使えるようになり、後部座席の一座席が空いたので、そこにチュースと私と2人なんとか座って、温泉経由でサンティアゴまで850キロの旅。
車内はこんな感じ
センスの良い音楽が流れるなか景色が移っていく。何十回とサンティアゴへ行くのに通った道だけど、普段は夜行なので景色を見ることはない。移り変わる景色を見ていると、このまま旅に出てしまいたくなる。
車で旅に出ることなんて、全く考えたことないけど、出たら楽しいだろうなあと危険な妄想。

無事、サンティアゴに着いて、しなければならなかった幾つかの手続きをして、パブロとベレンと別れた。彼らはサンティアゴのチュースの友達のうちに数日お世話になった後、メンドーサ方面へ向かうらしい。どこかで、また会える気がする。また会いたいな、と思える人に出会えるのは嬉しいことだ。
こうして、約10日に及ぶ、来客?友達?との日々が終わった。サンティアゴから戻ってきて、初めにやったことは、もちろん、掃除である、、、。





おにぎりを売る

2015-09-16 19:40:22 | 日記
長いストライキが終わって、大学の後期が始まった。いつも後期は忙しい。日本語弁論大会や、日本文化祭りのイベントがあり、前期より、学生の数も多い。
というわけで、今学期は、土曜日の中学生に日本文化を教えるというバイトはなし。
でも、去年から計画していたことを
ついに実行に移す時がきた。それは、フェリア市場でおにぎりを売ることだ。
長い雨の季節が過ぎて、寒さもひと段落。建国記念日の祝日も近づいた、先週の日曜日、ついにおにぎりを売ってきた。
おにぎりの中身は、ネギ味噌と、ゆかり。ネギ味噌は、味噌から自家製だ。
問題はおにぎりの値段だった。以前に一度売ったときは、300ペソで売ったら、一時間で完売したのだが、友達たちから安すぎる、と言われ、今回は絶対500ペソで売れ!と言われたのだ。
500ペソ、、、。って高くない?日本円の感覚だと、250円くらい。知らない味を試す値段は、私の感覚では200円までだ。しかも、チリの最低賃金は20万ペソ。物価の感覚では、日本円で10万円くらい。
チュースも付いてきてくれたので、とりあえず彼の500ペソで売れという意見を尊重し500ペソで売り出す。チュースは、約20年間、パンやパウンドケーキをフェリアで売っていた経験があるので、心強い。
12時半にフェリアについて、売り場を見つけて設置して30分、ボチボチとおにぎりが売れだした。でも、300円で売った時とは全然売れるスピードが違う。300ペソの時は、30分で半分くらい売れていたのに、、、。
弱気になって400ペソに下げようとすると、買い物に行っていたチュースが帰ってきて、まさか、値下げしようとしてないよね?強気で売れよ!
と言われる。くそっ、読まれた、、、。

家族連れの人が寄ってくると、どんどん人が寄ってくる。チリ人は、基本的に好奇心旺盛なのだが、恥ずかしがり屋だったり、未知の物を怖がる傾向があるので、誰かが寄っていくのを待ち、そのあと人が増えると野次馬になって、それを見に行くという習性がある。1人が買うと、もう1人も買ってくれ、気がついたらあっと言う間に半分売れた!
結局、二時間で40個作ったうち、37個売れ、チュースと私で一個ずつ食べたので、残り一つになった。
最後の一つがなかなか売れず、待っているのが嫌になったので、最初から興味深々だった、隣で、古着を売っていたおばちゃんにあげ、おにぎりはついに全部なくなった。
やれやれ。売り上げは18500ペソ。そのうち、材料費が4000ペソ。フェリアまでの交通費が2人分で2800ペソ。というわけで、純利益は11000ペソ。
チュースが、チリアワビ1ダースを4000ペソ、チリのウニを3個で1000ペソで買って、その後、帰りにスーパーでちょっと買い物をしたので、結局もうけたお金は全部なくなったけど、チリアワビも、ウニも、すごく美味しかった!

嬉しかったのは、あまりお金のなさそうな家族連れが迷ったあげくに買ってくれ、すぐに食べて戻ってきて、グーサインをしてくれて、さらに3個買ってくれたこと。若い太っちょの兄ちゃんが、また売りに来てね!と言ってくれたこと。

二時間、フェリアを観察して感じたのは、ここにくる人々は、バルディビア一般庶民、平均よりちょっと下、ということだ。それは、着ている服や、太っちょが多いことでわかる。お金のある人は、自由に色んなものを食べれて、新しい味を試す機会が多くある。でも、お金のない人は、食べるのに精一杯で、いつも同じ味を食べ、栄養も偏っているし、そもそも、世の中には色んな味があるということに気がつかない。
私のおにぎりを売る目的の一つは、チリの人に、普段とは違う味を試して欲しい、ということだ。もちろんお小遣いが増えたらいいけど、お金の為に働くのなら、プライベートで日本語を教えた方が早い。色んな人におにぎりを食べて欲しいので、やっぱり今度は誰がなんと言おうと400ペソで売ろうと思う!