映画祭の会場に行く前に初秋の上野公園をちょっと探索してみた。
上野駅から横断歩道を渡り、似顔絵画家さんらが両端にいる階段を上り、更なる階段を右にみながら上らずにそのまま突き進むと、道の端に石碑が建っている。その付近が、幕末に黒門と呼ばれる木の柱を組んだだけの簡素な黒い門があった場所(と思っている)。今も千住の方の寺院に保存されていて、幕末の上野戦争の絵図によく出てくる。門の内では旧幕府勢力と官軍が斬り合いをし、外からは官軍が鉄砲を撃ちかけている様子が描かれている。そこからちょっと歩くと清水の観音堂にいきつくが、絵図によると、その舞台の上でも斬り合いがなされたのか。
その絵図は、まさにその清水観音堂の中の額に納められており、行く度に見るが、見る度に「かつてこういうことがここであったんだよ」 といったメッセージを受け取る。
清水の観音堂からその背後に出ると、まずあるのが 「戦死の墓」。戦死とは、まさに上野戦争で死んだ人の墓ということ。説明書きによると、上野戦争で亡くなった人の遺骸はそのまま放置されたんだそうで、それを哀れと感じた僧侶が荼毘に付した、それがこの戦死の墓の場所だそうな。ちなみに、この上野戦争で壊滅に追い込まれたのは幕府勢力の彰義隊。戦死の墓の門には 「義」 の文字が紋章のように象られている。つい数年前まで彰義隊 隊士の子孫が管理していた。
一方、そこからちょっと歩くと、そこにあるのが西郷隆盛の銅像。有名な上野の西郷さんの銅像。しかし、西郷さんというと官軍の総帥であるわけで、戦って敗れた側の墓のすぐ近くに、勝った側の総帥の銅像。銅像というのはその功績を称える意味合いがわるわけで、除幕式にはたくさんの関係者が居並んだとの話。
よくわからんが、複雑な感触です。
ちなみに、当時もあったであろう上野東照宮は今も健在なわけで、官軍は家康の祭られているここは焼かなかったということか。五重塔も。不忍池のむこうから大村益次郎がアームストロング砲を打ち込んだって話ですが。
上野へ物見に行くと、大抵は同じコースになってしまいます。