12月13日から1月7日まで
大多喜城ライトアップ
大多喜城といえば本多忠勝!
日本初、世界初!! (多分)
本多忠勝公の側室乙女様と正室の於久様のイラスト
今宵、恋する
本多忠勝公に想いを馳せる
数々の栄誉ある賞を受けている鍋之助さんが「本多忠勝公の妻たち」を描いてくださいました。 鍋之助さんの正体もわかる戦国画 http://sengoku-gallery.com/
イラストは本多忠勝公と側室の乙女さま
ここに本多忠勝公の恋愛物語がある?
乙女(おとめ) 忠勝の側室であるが、正室より先に嫁いできている。
松平家家臣・松下弥一の娘で、幼くして父を無くし、忠勝が幼年時代に孫子の兵法を習いに通ったとされる妙源寺に預けられていたと伝えられる。
1566年、忠勝が青年騎馬隊隊長として約3万6千石と岡崎城黒御門内に侍屋敷を拝領すると同時に、母・小夜と共に転入し、実質的な夫婦となる。
忠勝との間には、小松の他に3人の娘をもうけた。
また、桑名移封の際、正室・於久は大多喜城主となった次男・忠朝の許に残し、乙女だけを桑名に伴ってきている。(本多忠勝・家族構成HPより引用)
本多忠勝 家族構成のわかるホームページ
http://www.geocities.co.jp/Berkeley-Labo/1234/t01/t0110.html
「掲示板れいるうぇい」に大多喜城や町並みの写真が欲しい!
忠高(ただたか):?~1549年11月9日
忠勝の父。
1549年、今川家の先兵として織田信秀(信長の父)に奪われていた安祥城奪回戦に参戦。
予想外の織田軍の守備に阻まれ戦線が膠着している時、大手門に向かって単騎駆け出し、
味方に攻撃の糸口を与えると共に、城門へ一番乗りを果たすも織田軍の無数の矢にさらされる。
大量の出血によって薄れ行く意識の中、「鍋之助、立派な武士になるのだぞ」と言い残して絶命。
享年22歳。
尚、忠高の父・忠豊(ただとよ=忠勝の祖父)も、1545年の織田信秀との安祥畷の戦いに於いて、
若き主君・松平広忠(家康の父)を助けるため、身代わりとなって敵陣へ踊り込む。
仁王の如く奮戦するも、
広忠の兜をかぶったまま針鼠のように無数の矢を身体に受けたまま絶命したと伝えられる。
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小夜(さよ)
忠勝の母。
植村氏義の娘。
忠勝の父・忠高の討死後も気丈だったため、
「本多の後家」として城主(家康)不在の苦しい時代の岡崎城下でも有名だったと伝えられる。
ただし、後家を貫いたわけではなく、後年再婚し、忠勝の妹を生んでいる。
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忠勝の妹。名前はわかりません。
ただし、忠勝とは異父兄弟である。
名前、生年月日等不明だが、本多家家老・中根平右衛門忠真に嫁ぐ。
一人っ子だった忠勝は、すでに一人前の武将となっていたが、妹の誕生を随分喜んだという。
待ってましたー♪
戦国の絵は男性が多く、カッコ良いのですが・・・
鍋之助さんの描いたきれいな女性の絵を見て見たかったのです☆
かわいくてキレイです(^v^)
より華やかになりましたね!!
皆様、ご覧頂きありがとうございます。日本初、世界初のイラストです。
言ったもん勝ちですよね!ジャンヌさん。(笑)
maruさん、コメントありがとうございます。
戦国武将の無骨な顔を描くのも好きですが、美しい女性はもっともっと好きです。
もとい、美しい女性を“描くのは”もっと好きです。
イラストは忠勝公初恋の巻。忠勝と乙女、出会った頃の二人の姿です。
於久同様、勝手に妄想シリーズですが、キャラ設定として於久は頭が切れる美人タイプ、
乙女はよく気の付く可愛いタイプとなってます。
乙女(側室)のみを桑名に伴ったのはこの辺かも?と勝手に想像してます。
ともあれ両手に美しい華、忠勝公が羨ましい。
鍋之助さま、素晴らしいです。
地元のお方様へ。
ライトアップはいかがですか?
大河ドラマ誘致の方は、ガンガン行っていますか?
奥さん達のことって、地元に住んでいる時に聞いたことないです。
自分に興味がなかったことが原因ですが、本多忠勝公のこともあまり耳にしなかったですが・・・汗
歴史を知ることは、生きるためのテキストですものね。 私は女性に視点を置いてみるのもいいかと思います。色々あったと思いますよ。
そいえば、大多喜の町長さんが久我原さんに「女性がいなければドラマは面白くないですから、頼みますよ~」って、おっしゃっていましたよ。
>キャラ設定として於久は頭が切れる美人タイプ、
乙女はよく気の付く可愛いタイプとなってます。
わかるわ~!私もそう思っていました。
やっぱり殿方は後者がお好みでしょうか? 女性はいろいろに化けますから、お好み次第です・・・maruちゃんだって、みむら姉さんだって・・・(*o☆)\バキッ!
さて、さて、大河ドラマ誘致実行委員会の皆様のその後の動きはいかがでしょうか。
ネットで発信されているのでしょうか?
どのような方達がどのような活動をされていらっしゃるのか知りたいですね~♪
この数年NHKの大河ドラマを見るようになって歴史上の人物がやっとわかって来ました。
年寄りの集まりでは大多喜のお殿様の話題はなかなか出てこないです。大河ドラマを見ている人もこの辺では少ないみたいです。
今日は本多忠勝と徳川家康の子供時代のことを人から教えてもらい、親しみをもってしまいました。
小説や絵を描いてくださる方があることは町にとってすごい幸運だと思います。大多喜町のいろいろな場所にこの絵が飾られたとしたら、町中で興味を持つと思いますけど。私は甲冑より絵の方が好きです。
町の一人としてお礼申し上げます。
本多忠勝は小さい時に父親を亡くしています。
徳川家康との出会いのシーンをドラマにして欲しいですね。
ずっと一緒だったようですもの。
天地人もそうでしたね。
久我原さんと鍋之助さんは財産です♪
このお二人がいなければ、私も忠朝の名前すら知らなかったですから。
ありがたいですよね。
31日、1日の2日間は午後5時から午前2時まで延長するみたいです。
31日は大多喜城二之丸公園で除夜の鐘つきがあります。
みんなで大多喜城二之丸公園で除夜の鐘をついては如何でしょう。
大多喜城は2日3日と臨時開館するようで、お城に初詣すると何かいい事有るかも。