日本のイスラーム (Islam in Japan)

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第5回ICOJメンバー講習会とJMA役員選挙で思ったこと

2010年06月29日 | 日記
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。

2010年6月20日(日)≒ヒジュラ暦1431年ラジャブ月8日、
イスラミック・サークル・オブ・ジャパンのメンバー集会が浅草マスジドにて開かれました。
当初は家族皆で参加するつもりでしたが、
次男坊アミーンの具合が悪かったため、私一人の参加となりました。
(アルハムドゥリッラー、その後アミーンは回復し、元気になりました)

マーシャーアッラー、私が到着したころにはパキスタン出身の主要メンバーはすでに集まっており、
末席に私も身を置きましたが、割り切っているつもりとはいえ、
やはり「言葉がわからないゆえの疎外感」はなかなか拭えないものだなぁとまたしんみり感じました。
ひるがえって、だからこそイスラームの素晴らしい教えもやはり日本語を母語とする人には日本語で味わっていただけるよう邁進せねばと思いを新たにした次第です。

第五回目を数えたICOJ日本人部メンバー向け講習会では引き続きナワウィー師の『アルマカースィド(目的)』を講読し、
今回はホッフ(革靴)とイスティンジャーゥ(トイレでの洗浄)を中心に勉強しました。
遠方から遅れて駆けつけてくれた方を加えてメンバーは5名、ほか1名の参加でしたが、やはり女性陣って勉強熱心だなぁと毎度ながら感心しました。




その後すぐ総会に参加すべく日本ムスリム協会に向かいましたが、
途中迷ったりして遅れてしまい、到着したころにはすでに役員改選の開票中でした。
約170名の選挙/被選挙人の中から約20%に相当する33票(8位だったかな?)を頂戴して私が当選したのには、
何か選挙活動をしたわけではないので驚きましたが、
三位入選されたサーリヒ兄が長野の墓地関連活動に専念したいと辞退されたため、
「ならば私も」と思うところあって辞退させていただきました。
加えて現在の私には自分の身近なところからやるべきことをやれるように努めるだけで精一杯。
私にとってはリアリティーに欠ける協会活動にまで関与する余裕はありません。
いずれにしても、私にご投票くださった方にはご期待に添えられなかったことをこの場を借りてお詫び申し上げます。


保守か、革新か…この日本ではアッラーから頂戴したこの信仰を守りぬくことすら一大事ですので、保守に努力を費やすことも立派なことです。
しかしだからこそきちんと守り抜くためにも積極的な改善の試みが必要なのではないかと私は思います。
「攻撃は最大の防御なり」とはよく言ったものです。
ささやかながらも草の根の伝教活動を続けさせていただいてきた経験上、
あっという間に目減りしてしぼんでしまいそうな自分自身の信仰をなんとか持ちこたえてこられた(アッラーのおかげで)ことからも大きく頷けます。

若者が寄り付かない…そういった嘆きの声を聞き始めて久しいですが、
年長者が年少者の不甲斐なさを嘆くのは古今東西世の常であり常識でしょう。
大切なのは嘆いておしまいではなく、「どうすれば若者が集まってくれるようになるのか」考え、頭を悩ませ、心を砕くことではないか思うのです。
これはもう三十半ばのおじさんである私にも十分当てはまる話であり、力不足ながらも十代、二十代の若者へのアプローチに腐心しているつもりです。

イスラームは尊く、その聖知は高みにあって、
志のない人間のもとまで身を低くして接触の機会を安売りする類のものではありません。

私もかつては聖知探求の門戸は敷居が高いほうがよいと思っていましたが、
ダーイー(伝教者)たる人はアッラーのしもべたち(すべての人たち)のハーディム(奉仕者)として自ら腰をかがめ、
手を伸ばし続けるべきなんだろうなぁと最近強く思うようになった次第です。
おそらく前者はアーリム(学者)の眼鏡で(もちろん私は小さな学徒に過ぎませんが)、
後者はダーイー(伝教者)の眼鏡で見たものの見方なのかもしれません(もちろん私は伝教者もどきに過ぎませんが)。

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